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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

webあかしさんの連載

が続いているのですが、今回の回はだいぶ嚮心塾の理念の核心部分を書けたのかな、と思いますので、こちらにも転載します。web連載では書きもらしこともまたブログで書きます!

https://webmedia.akashi.co.jp/posts/7999

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病人を診ずして病気を診よ。

一年が終わり、新年度に入っています。いくつかの嬉しい合格もあったものの、全体としてはかなり悔しい結果も多かった、というのが昨年度でした。その失敗を振り返ることからしか、次の一年をよりよく教えることはできません。ですので、その反省を考察していこうと思います。

教育というのはキリのないものです。各科目を教える、さらにはその各教科のバランスや受験戦略を考える、さらにはどうしても様々なことで不安定にゆらぐ受験生の精神面のサポートをする、さらにはその中で大きな不安を生み出す原因となるような家族間やその他の諸問題に関しては、こちらから対処法を考えて提案したり、直接(受験生本人はもちろん、受験生以外の)相談に乗ったり、などなど多岐にわたります。嚮心塾は「何もかもを担う!」というつもりで必要なことのすべてを一人一人に対してやってきたつもりですし、やっていくつもりでした。もちろんそれらの中には僕の力不足ゆえに力になれない、何なら悪化してしまうものもあったとも思いますが、しかしこちらが「それは塾の業務ではないので」と言って断ることは一つもしたことがありません。

ときには三角関係の恋愛の相談に乗り、ときには限定販売のイフェクタの販売サイトを毎日チェックし、塾生とストーカー気味になっているその彼氏と僕で3人で話し合ったり、学費がどうにも厳しい子のために時給が良く負担の少ないながら勉強時間もとれるバイトを探したり、と本当に何でもやってきました。いわゆる教育の理想が「全人的教育」であり、そのために力を尽くすことが教育の理想であるのだとしたら、それができているかどうか、力になれたのかどうかはわからないとして、本当に何でもやってきた、ということには自負があります。

しかし、どうもこれはよくないな、ということを昨年度を振り返って痛感させられました。特に昨年多かったのですが、受験勉強以外の理由で精神的に参っていて、とても悲観的になっている子を一生懸命励ましたり相談に乗ったり、という状況が続いてしまうと、その子にとって必要な勉強で厳しいことを指摘したくてもしにくくなってしまう、ということがありました。様々な状況を鑑みれば、「もう少し本人に精神的な余裕が出てから現実の否定的側面を伝達しなくては。。」と待たざるを得ない、という判断になりました。

励ます役割を担う方はわかると思うのですが、誰かを励ますときに現実にかすりもしないような肯定的な言葉を投げかけても相手の心には届きません。現実には肯定的側面も否定的側面もあるわけですが、その現実の否定的側面ばかりを見て自分を傷つけてしまっている相手に対して、肯定的側面にも目を向けられるように、という認知行動療法のようなアプローチをとることが必要となります。受験指導の場合、どんな状況の受験生にも置かれている現実の中で肯定的側面と否定的側面があるわけですが、精神的に参っている場合には、その肯定的側面を伝えては現実を少しでもフラットに見られるように、という促しをします。

一方で、このアプローチはとても危険です。絶望に打ちひしがれているときには、このようなサポートを通じて本人に心の余裕を作ることで、再び自分に足りていないものに向き合う余力を作るきっかけにしていかねばならないわけですが、なかなかメンタル面で前向きになっていけないときに、肯定的側面を過大に伝え続けなければならない、ということになります。すると、それが現実の一端を担っていればいるほど、現実のありようを受験生本人が正確に認識することを妨げることになっていってしまいます。

勉強だけのアドバイスができるのなら、まだ事実を伝えることにためらいをもたなくてすみます。受験勉強であれば、できている部分とできていない部分があるのは当たり前である以上、そのような話がしやすいからです。しかし、人間関係、家族関係、金銭の問題、その他諸々で受験以外に苦しんでいる子であればあるほど、何らかの部分で常にとてもしんどい思いをしている状態をこちらが把握してしまっていることが、勉強に関してまだ足りていないことがあるという事実を指摘しにくくしていきます。今年の場合は、そのことでその子の勉強の中で見えている弱点を指摘するタイミングがどうしても後手後手になったというか、「このタイミングで勉強面で改善すべき事実を伝えても今のこの子では受け入れられる精神状態ではないな。」と諸々の状況を鑑みてこちらがブレーキを踏むケースが多く、それが受験勉強の遅れに大きく繋がってしまったと思います。

結果として励ます機会が多くなり、足りていない勉強に関する事実に関しては指摘しきれないままに受験を迎えるので、当然「問題が難化しようと易化しようとどちらにも対応できる」という万全の状態にまでは仕上がらず、「こういうケースなら受かるが、こちらのケースではかなり厳しい」というような鍛え方にならざるを得ません。そのようにして、「励ます」「何でも相談に乗る」という全人的関係、全人的教育という一見理想的関係に見えるものに近づいた生徒ほど合格できない、という失敗に陥ってしまったと思っています。

さて、この失敗を踏まえれば、教師がやるべきことはむしろそうした生徒一人一人の個人的事情など聞かず、勉強以外の何も斟酌せずに、ただ「君の今の学力はまだこれが足りない」ということを淡々と指摘したほうがよい、ということにならないでしょうか。生徒の家族関係や友人関係、その他諸々を聞いてしまえばそれを判断材料にしてしまえば、勉強に関してのアドバイスに手心を加えることになってしまうので、一切聞かないようにしてただ学習面の事実をもってそれを指摘する、どんな不都合な事実も事実として淡々と伝える、ということが一番良いように思えます。

医師の世界では「全人的教育」に近い概念として、「病気を診ずして病人を診よ」という言葉があるそうです。これももちろん理想としては素晴らしいし、僕も心から賛成です。ただ、現実問題として、「病人」を診ようとしたせいで、病気を診れなくなるケースもあるのでは?とも想像されます。たとえば「後医は名医」という言葉があります。これは初めにかかったお医者さんでは正確な診断がつかなかったものの、あとから見たお医者さんでは正確な診断がつくことから、ついつい後からかかるお医者さんを我々素人は「名医だ!」と思いがちである、という話で、実際には病気が進めばより診断が確定しやすくなるだけのことである、という意味だそうです。ただ、この言葉を別の観点から解釈すると、「前医」はだいたいかかりつけ医でしょうし、「後医」は他のお医者さんでしょうから、普段から診ているかかりつけのお医者さんにはその患者さんに対する周辺情報が多すぎて、予断がどうしても入ってしまい、ある徴候の示す可能性のうちいくつかをここまで継続して診てきた文脈のせいでかえって排除してしまっている、という理由もあるのかもしれません。だとすると、病人ではなく、病気そのものを診ようとすることが、実は病人のためにもなるのかもしれません(もちろん僕の素人意見ですが)。

人間がいかに眼の前の現実をそのまま感じることができずに、脳内のイメージで勝手に補完して補ってしまっているか、はたとえば屈折に関する目の錯覚とかの例でもわかるわけです。「光は直進するもの」という思い込みのせいで、屈折していても直進しているかのように捉えてしまいます。ラッセルの言うように、人間が自分の脳内のことしか見れていないのだとしたら、感覚や感情に捻じ曲げられない事実を摘示することで脳の外界を伝える以上に、効果的な教育などあるのでしょうか。そのようにすら思えてきてしまいます。

なので、嚮心塾では今年から、勉強以外の相談には乗りません。家庭での問題も友人の問題も、その他どんなに深く悩む問題でも自分で何とかしてください。こちらがそれに付き合えば付き合うほど、君の合格率が下がってしまうので。ただ君の学力をどう上げるかだけに、僕を専念させてください。てめえの悩みなんか知らねえんだよ!どうせ三島(由紀夫)が太宰(治)に言ってたみたいに「乾布摩擦すればなくなる程度の悩み」だろ!グダグダ言ってないで勉強しろ!

とやりたいところであるのですが、それもまた不可能なことです。そのようにすれば、家庭環境やその他諸々に何も悩むこともなくただ自分の受験勉強に集中できる子だけが勉強できる塾になってしまうからです。それでは中1から高3まで大学受験のためだけに通う塾と何も変わらなくなるでしょう。僕に求められるのは、そのように様々な悩みの相談に乗り、全人的に相手を受け止めつつも、しかし、学力を鍛えるためにはタイミングを見計らって、事実を直視してもらうことを生徒を信じてためらわない(しかし、何でも事実を伝えればいいという訳では無い)というような、より困難な取り組みであるのでしょう。

大ファンであり、僕の終生の目標の一つである、劇団どくんごの役者さんとお話しさせていただいたときに、「気持ちを伝えるという芝居は簡単だ。しかし、事実を伝える、という芝居の中に感情が立ち上がってくるときにこそ、深い感動が生まれる。だからこそ、叙情詩ではなく叙事詩に芝居はなっていなければならない」という、とても深い話をしていただいて感銘を受けたことがあります。

この一年は、生徒たちの感情をケアするだけでなく、彼らの中に圧倒的な学力、ひいては志望校の合格という事実を残すことに繋がったとはいえません。事実を変えることにしか意味がないのだとしたら、この一年間は失敗だったのでしょう。しかし、僕自身がその失敗という事実をまずは直視し、その失敗を繰り返さないようにすることが、事実を大切にする、ということです。

もちろん、そのように様々な相談に乗って精神的にサポートした子からは感謝されることも多いです。ただ、僕は生徒たちに感謝されるために塾をやっているわけではありませんし、誰が感謝してくれようと、誰が慕ってくれようと、それにあまり興味がありません。そんな感謝こそ、乾布摩擦すればなくなる(?)程度の感情でしかないでしょう。徹底的に一人一人を鍛えて、この世界の知の総量を増やしたいだけです。通ってくれる生徒一人一人が少しでも自分の人生を切り開くだけの圧倒的な力をつけられるかどうか、そこにしか関心がありません。

そのために包括的なサポートと徹底的なトレーニングの二律背反という難題について、今年も一人一人の最適解を探してもがき苦しんでいこうと思います。


そして、劇団どくんごと言えば!!!!そう、今年は劇団どくんごの5年ぶり、そして40年の歴史をもつ劇団としてのラストツアーがなんと東京でもあります!!!!!場所は都立小金井公園です。

6月20日・21日・23日・24日の4日間、19時開場、19時開演です。
お申し込みは劇団ホームページだけでなく、塾(kyoushinjuku2005@gmail.com)に
メールいただいても大丈夫です。

どくんごの芝居が見れるのは今年が最後です。その衝撃をどうかお見逃しなく!!!(告知?)

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