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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

2023年度受験を振り返って(その2)

K・Uさん (現役)   東京理科大理工学部合格(進学先)

嚮心塾には高二の夏に入塾しました。将来は建築関係の仕事に就きたいと考えていたので、建築を学べる専門性の高い高校に通っていました。専門教科の課題が多く、受験に必要な教科の学習時間とバランスをとることが難しい日々が続きましたが、先生は私の勉強の進捗状況に合わせて計画を立ててくださいました。分かりやすい参考書や先生の「基礎の徹底」などの指導で、高校の成績も徐々に上がり、指定校推薦に手が届くまでになりました。

高三の夏前には担任の先生からも「95パーセントで希望大学の推薦が通る」と伝えられていたので、これで受験を終えるつもりでした。しかし、夏休み明けの始業式に突然、希望する大学への指定校推薦が難しくなった旨が伝えられました。

予想しなかった結果と夏休みを勉強に充てなかった焦りや諦めから、しばらく受験勉強に対する気力も起きませんでしたが、その状況でも先生は前向きな言葉で私の気持ちに寄り添って励ましてくださり、一般受験に向けて気持ちを切り替えることができました。

結果的には高校の成績と専門教科の実績を活かし、公募推薦で大学に合格しましたが、これも柔軟に対応してくださった先生のお陰だと思っています。ありがとうございました。

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繁盛すればいいものではなくて。

いつもならこの時期、受験の体験記を続々と載せる頃なのですが、今年はなかなか書いてもらえておらず、申し訳ないところです。つなぎに久しぶりにブログでも書こうかと思います。

さて、学校の宿題や指導が「たくさんやらせればいいでしょ」「難しいものやらえておけばいいでしょ」「様々な問題集やらせればいいでしょ」という思考停止に陥っており、体験入塾で様々なご家庭にお話を聞けば聞くほど、そのような学校の指導に対して疑問を感じておられるものの、成績で脅されるので、学校の課題をやらねばならず、そのせいでどんどん勉強がわからなくなってしまう、という中高一貫校に通う生徒さんの親御さんのお話を聞きます。このテーマについてはさんざんこのブログでも紹介して問題提起してきましたし、また取材も色々受けています。(たとえば東京すくすくさんのこれですね)
また新しい取材記事が出る予定ではあるのですが、本当に深刻な問題です。少しでも学校の指導に違和感を感じられた親御さんは、宿題の分量についてしっかりと抗議をしていくことが大切だと思いますし、その際にはこうした記事やブログを援用していただけたら幸いです。(すると、学校の先生の矛先はこちらに向きますので!)多すぎる、難しすぎる宿題をとりあえず一周こなすだけで理解できて、学力がつく子は「天才」です。ごく限られた天才にしか通用しない方法を、多くの中高一貫校で全員に強制していることの異常さについて、みんなで「これはおかしいのでは?」ともっと指摘していくことが大切だと思います。

また、このことについては塾のメールアドレス(ホームページの「お問い合わせ」からもメールできます)にいつでもご相談いただければ、状況を聞かせていただいて、学校のやり方に対してのセカンドオピニオンや、とりあえず宿題をやりすごしては、勉強を噛み合わせていくための方法などもアドバイスなら無料で致します。遠隔地や塾の費用が難しい方にも是非お力になれれば嬉しい限りです。(嚮心塾は「来るものは拒まず、去るものは追わず」で勧誘とか一切いたしませんので、お気軽にご相談ください!)(これも塾のHPだと、勧誘等がご不安でしょうから、新たにHPを作ろうとも思っていたのですが、手が回らず、本当に申し訳ない限りです。まずは塾のアドレスにメールいただければ、何でもお答えいたします。)

と、ここまでやると、「宣伝だろ!」と、さらに疑われるかもしれないのですが、こちらとしてはこんな理由で塾が繁盛したくない、というのが最も強い動機です。難しい入試をパスし、高い月謝を払って通っているはずの中高一貫校のひどい授業や宿題に苦しめられ、わからないままに必死に答を写すしかなく、どんどん理解できない分野が増えていく中高生たち。学校に異議を唱えても、「ついてこれる子はついてきてますから(おたくのお子さんの努力不足でしょ)。」で切り捨てられ、違和感を感じながらもそれ以上つっこめずに苦しんでいる親御さんたち。本当に心苦しくなります。

何より、「教科書をしっかり読み返して理解しながら、隅々まで説明できるようにしてから問題を解くんだよ。」というごくごくカンタンなアドバイスだけで、みるみるうちに学力が改善していく、というのは学校(それもいわゆる「有名進学校」)が最低限の教育すら提供できていない状況である、ということです(もちろん、これも先生によって違います。まともな先生であれば、決してこうなってはいないのですが、その割合がどれくらいか、ということですよね。。)。中高生の(なけなしの)勉強時間やモチベーションをとにかく浪費させたくないという思いです。

日本に教育くらいしか誇れるものがないのだとしたら、学校教育が荒廃して、その荒廃の補習をするだけで私教育が生き残っていけてしまう状況というのは異常であり、改善されなければならないことだと思います。こちらとしても、そのように繁盛したくありません。学校教育が今よりはるかにまともになったときに、嚮心塾もその煽りをうけて潰れるのなら、それはそれで正しい潰れ方だと思っています。僕自身に学校の先生よりも生徒たちに提供できる価値がない、ということになればそれは仕方がありませんし、ある意味(教育費がかさまないで済む)理想の世の中です。

しかし、今はむしろそれから逆行していて、どのように有名な進学校であっても(一部の素晴らしい先生の授業を除いて)塾や予備校なしにはどうしようもなくなってしまい、学校では難しい教材を大量に用いているのに、それは教育ではなく「選別」にしかなっていません。少しでもこの異常な状況に一石を投じられるように、引き続きあれこれもがいて行きたいと思います。

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2023年度受験を振り返って(その1)

W・M(通信制高3) 慶應義塾大学文学部合格(進学)

プロローグ

この合格体験記は、マタイの福音書の中の「一粒の麦」という一節からインスピレーションを受 け、自分なりに解釈して書いたものです。
私が嚮心塾に入塾したのは高校二年生の春でしたが、私は当時英文法のsvocが何を意味する のかすら知りませんでした。。。ということで、まずどうしてsvocを知らないまま高校二年生にまで なることができたのかをお話させてください。
私は小学校から私立女子大附属の学校に入学しました。大学までエスカレーター進学できると いう環境で、私が全身全霊で没頭していたのが、クラシックバレエでした。ほぼ毎日レッスンをし て学校でもずっとバレエのことを考えていました。勉強のことを考えたことがありませんでした。
中学校に進学すると同時に、コンクールで強豪のバレエ教室に移籍しました。学校とスタジオを 往復し、家には寝に帰るだけというハードな毎日を過ごしていました。学校の授業は目を開けた まま寝るという高等テクニックでやりすごし、定期試験では0点を連発していました。そんな中、中 学3年の夏にドイツのバレエ学校から念願の入学許可が下り、夢への第一歩、バレエ留学をしに 私は渡独しました。

第一章 結実と墜落

私はこの留学生活を無駄にしたくない、夢を現実にしたいという強い思いから、自分自身にいくつものルールを課し、細かいスケジュールを立てました。留学でのレッスンは週6日あり、内容は とてもハードでした。クラスメイトからの遊びの誘いも全て断り、バレエのためだけに生活していました。留学して最初の6ヶ月はこの生活を維持し続け、学校も一日も休みませんでした。しかしあ る朝、学校に行こうとすると息が苦しくなり、吐き気とめまいに襲われ、遂に初めて学校を休んでしまったのです。この日から、私の心のなかで張り詰めていた何かが崩れ落ちていきました。慢性的な体調不良になり、私は非常に憂鬱になりました。学校に行くのはおろか、自分の部屋から 出るのも怖くなりました。毎日、学校を休んでしまった自分を責め続けました。徐々に体力がなく なりました。幸い留学していた都市には日本人向けの病院があり、そこでは燃え尽き症候群とうつ症状という診断を受けました。医師からは、日本に帰ることを勧められましたが、私は頑なに拒否しました。日本に帰ったら負けだと思っていたからです。しかしとうとう生活が崩壊し、夏の進級 試験を目前に、早めに日本に一時帰国することにしました。帰国したからと言って体調が改善す ることはなく、ずっと引きこもっていました。進級試験を受けられなかったので留年し、これが更に 自己嫌悪に陥る原因になりました。体調はコントロール不可能で、また精神的に混乱している事 も多く、地獄のような日々でした。更に、新型コロナウイルスによる影響で、私は物理的にも精神的にも幽閉されました。
この幽閉生活の中で、私は著名な日本人ダンサーの方のyoutubeを発見し、それを見ながらで きる限りのトレーニングをしました。バレエを感覚的なものだと考えていた私にとって、彼女のバレエ理論は全く新しいもので、私はその理論にのめり込みました。がむしゃらに練習するよりも、論理的に頭を使って基礎的な訓練を忠実に行うことのほうが、遥かに実力を伸ばせることに気づきました。(この気づきは後の受験勉強でも非常に役立ちました。)このことによって、私はレッスンに行くのがすこし楽しみになり、暗黒の生活は終わったように感じましたが、冬休みが終わった頃 からまたうつ状態に陥りました。私は絶望し、もうこれ以上戦い続けることはできないと悟りました。私は14年間のバレエ人生に幕を閉じました。まもなく実るように思えた夢は、成熟することなく、地に落ちてしまったのでした。

第二章 腐敗する、土に溶け込む。

帰国後、2週間の隔離期間を経てすぐに嚮心塾に入塾しました。バレエを辞める決断をしたとき に、母からどこでもいいから大学には絶対に行くように言われていたからです。塾長から最初に渡されたのは、中学生用の英文法の参考書でした。参考書に書いてある文法の用語は一切わからなかったです。聞いたことはあるけどどういうものかは知らないという状態でした。しかし留学先では英語でなんとなくコミュニケーションが取れていた実感があったので英語に抵抗はなく、 むしろ自分は英語ができると思っていました。今思い返すと実際には出来ていなかったのですが、この思い込みは、後の受験勉強を通して良い効果があったと思います。英会話塾にも週に1 回通い、そこでは主に英検の過去問などを解いていました。最初の2ヶ月くらいは普通に頑張っ ていたのですが、またうつ状態になり、休むことが増えました。留学時と変わらず、精神が安定し ているときと、うつ状態を繰り返すようになりました。精神科に通院をはじめましたが、投薬によっ て立ちくらみが酷くなり、状態はむしろ悪化していくように感じました。この状態を変えようと必死にもがき、どうして自分はこんな罰を受けなければならないんだろうと絶望し、ときに発狂する 日々を送っていました。
このころの勉強の進捗は、中学の英文法の参考書2冊をそれぞれ2周ずつと、高校の英文法の 参考書を進め、英単語を800個を覚えたくらいでした。この頃、英検準2級と2級に何故か合格しましたが、あまり自信になりませんでした。
高校3年生になって少ししてから、私にとって転機の兆しが現れました。それは、フランツ・カフカの「変身」との出会いです。今まで、最後には必ず主人公が報われるようなおとぎ話しか読んでこなかった自分にとって、不条理の絶望を描いたこの作品は衝撃でした。一夜にして私の世界観を変えたのです。その後、塾長からお借りした本を読んだり、内省を繰り返す中で、自分が苦しんでいるのは、なにかの罰のせいではなくただの不条理であるから、自分を責めるのではなく、不条理を受け入れ、できる努力をしていこう、そう考えるようになりました。それからも精神不安定には悩みましたが、焦燥感や自責の念に埋もれることなく、じっと嵐が過ぎ去るのを待つという姿勢で乗り越えることができるようになりました。

第三章 種と発芽

入塾した当初から、大学では心理学を学びたいと考えていました。心理カウンセラーになりたかったからです。しかし、自分の過去を振り返って、人の心を知る為には、その人の国の文化や 育った環境など、心理学の分野だけでない、その人の心を構成する様々な要素について、偏見 のない目で見ることが重要であると考えるようになりました。調べる中で、早慶の文学部が自分 にとって理想的な環境であると思いましたが、自分の力では合格には及ぶはずがないのは自明だったので、諦めていました。当時の第1志望は上智の心理で、これももちろん無謀な挑戦だったのですが、モチベーションにはなりました。塾に1時間も居ないという日もありましたが、とにかくそ の日のベストを尽くすようにしました。勉強で気をつけたことは、塾ではスマホを触らないというこ とだけでした。勉強で個人的に頑張っていたのは品詞分解と英文解釈で、品詞分解の夢を見て いた時期もあるほどやりました。英検準1級には3回落ち、4度目でやっと合格できました。合格したあたりから、「慶應を目指してみたら」と塾長に言われました。私のやる気を出すための言葉だったのかもしれませんが、塾長に言っていただけなければ慶應を実際に受験しようとは思わな かったのでとても感謝しています。高校は通信制に在籍しており、評定が取りやすかったので、も ともと上智の公募推薦を受験しようと考えていましたが、慶應の文学部の自己推薦入試に変更することにしました。しかし9月に入る前、そろそろ自己推薦書の準備を始めようとしていた矢先に、うつ状態になってしまいました。いつもより長く重い症状でした。絶望し、推薦入試どころか受験自体を辞めたくなりました。そこで、もし推薦入試が不合格で、更に一般受験の時期にうつ状態になったら、大学進学は諦めて保育士の資格を取るという計画を立て、なんとか人生を諦めな いように考える努力をし、波が引くのをじっと待ちました。結果的に約1ヶ月間引きこもり、その間何もしませんでした。
自己推薦書は塾長に何度も添削していただきました。自己推薦書の完成に時間がかかり、本 試験の対策を始める頃には、入試まで20日を切ってしまいました。私は小論文の勉強をしていな かったので、とりあえずメルカリで小論文の参考書を3冊ほど購入し、全ての参考書に共通して書 いてあることを意識しながら過去問をとき、塾長に添削していただくことを繰り返しました。毎回作文用紙が真っ赤になって帰ってきたので絶望しましたが、塾長から沢山アドバイスを頂き、とにかく解き続けました。小論文や説明問題を解くに当たって、参考になったのは、倫理の教科書と内田樹著『寝ながら学べる構造主義』です。英訳問題に関しては、以前塾でやっていた『ドラゴン・ イングリッシュ』のやり直しをしました。ちなみにAO入試対策塾などには行かず、全て嚮心塾で指 導していただきました。試験1週間前に熱を出し(コロナではなかった)、過去問も4年分しか解けなかったという状況で、私は倫理の教科書を握りしめて震えながら日吉に向かいました。塾長からとにかく書ききるように言われたので、それを意識しながら解き、練習と同じ時間配分で総合考査1,2どちらも終えることができました。そして試験から5日後、パソコンの前で吐きそうになりながら、enterボタンをクリックしました。そ こに待っていたのは「合格」の2文字でした。久しぶりに精神錯乱ではない方の発狂をしました。 実感が湧きませんでした。
今考えると、問題との相性は良かったように思えます。どの問題も自分が今まで内省していたときに考えていたことに関してで、これまでの3年間の葛藤や、内省の成果が試験で昇華されたと 感じました。そして英語と現代文の基礎の勉強の積み重ねがなければこの短期間の対策で合格することは不可能だったと思います。塾の基礎を徹底する勉強は、地味に感じて辛いときもありましたが、本番で最も大きな武器となりました。

第四章 結実、成熟

この世界は、多義性、矛盾、不条理にまみれています。それでも世界は貴方に合理的で完璧で あることを求め、それが出来なければ貴方を排除しようとします。
そんな息が詰まるような世界で、青空の美しさに感動できる精神の余裕を、私は受験勉強を通して身につけることができました。自分自身を知り、自分の欠点を認める勇気を持ち、また自分の中に自分さえも知ることが出来ない世界が広がっているということを把握することができて初めて、私は自分を信頼し、自分とともに「今」を過ごすことが出来ています。虚構的で曖昧な世界が 定義する「私」は重要ではなく、私が定義する「私」がもっとも重要で信頼できるものであると確信するために、自分との信頼関係を構築する上で、受験勉強という名の自分との戦いは非常に役 立ちました。

私の高校生活はキラキラJKライフとは全く異なるものでしたが、悔いはありません。死ぬ気で自分と向き合ったことで、得たものは沢山あります。この3年間は健康で楽しい学生生活だったとは 言えません。しかしモラトリアムとして、私はこの3年間を有意義に過ごせたのではないかと思っています。

☆番外編というより本編?:嚮心塾のここがすごい!!!

・一般入試対策、推薦入試対策、カウンセリング、進路相談すべてを塾で受けられる! 私は何度も塾で号泣しましたが、塾長は親身にずっと私の話を聞いてくださいました。進路相談 から、人生とはなにかという哲学的な相談に関しても、客観的で興味深いアドバイスを沢山頂けます。
・自習する力を身につける事ができる!
当たり前ですが、参考書が自ら教えてくれたり、理解できているか確認を取ってくれることはないので、自分で内容を噛み砕いて、ちゃんと理解できているか、説明できるか自問する必要があります。これはすごく難しいことですが、自分の力で得た知識は忘れづらいですし、「分かったつも り」になりづらいので自習することはやはり価値があると思います。
・自分の性格や特性を知れる!
塾のシステム上、自分がどれだけ自制心がないかとか、自分の集中力はどれくらい続くかとか、塾での生活を通して自分のことを知ることができます。試験での時間配分を上手く考えられたのは、自分の特性を把握できていたからだと思うので、個人的に大切な事だと思います。

おわりに

私の人生再構築を支えてくださった柳原先生には、本当に感謝の気持ちで一杯です。嚮心塾 に入塾していなかったら私は絶対に慶應に合格することはできなかったですし、大学に行くことさえ諦めていたかも知れません。大学でも塾で学んだこと、初心を忘れずに日々精進して参りま す。

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