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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

劇団どくんごの演出どいのさんの訃報に。

劇団どくんごの演出、どいのさんが先日亡くなられました。
胃がんの再発と闘病の日々、テント芝居の再開への徹底した取り組みの日々の中で、でした。
どくんごの芝居も、テントでどいのさんと交わした言葉も、その全てが宝物であったことをまざまざと思い出し、悲しさが溢れ続けています。

どいのさんは、とてつもなくロジカルな知性と、とてつもなく愛情にあふれる心が同居した、本当に稀有な方でした。どくんごの芝居とは民主主義そのものであるということは以前にも書きましたが、その民主主義を実現するためにどれほど苛烈な努力を必要とするか、またその努力をどれほど鷹揚に笑っては共有してくれるのか、その2つにおいて本当に話せば話すほど尊敬しかありませんでした。自身がradicalであることもただ素晴らしい芝居のためでしかなく、そのために絶えず常識を疑い探究を続けておられることが、お話をさせていただいてからのこの5,6年でも本当によく伝わりました。僕自身の甘さや徹底の足りなさ、一方で何も開くこともできていない偏狭さなどをお話しするたびに思い知らされ、本当に打ちのめされてきました。僕にとってどくんごの芝居を見る、終演後にどいのさんと話す、というのは常にこの世で一番厳しいテストの一つでした(もちろんめっちゃ気さくに何でも話していただいていたのですが、それだからこそ、です)。

この世界にどくんごが存在していて、どくんごテントが異世界として現実に屹立していることが希望でした。でもそれは、どいのさんという稀有なまさに「広場」のような方がいて、その彼の心や頭の中の「広場」で、私達も一緒に笑ったり
泣いたり遊ばさせてもらっていたのだな、ということを今は強く感じています。もちろん五月さんをはじめ、どくんごのメンバーの皆さん、受け入れのみなさんとの本当に心からの強い絆には、人間と人間がこのように結びつき続けることができるのか、という新たな目を開かせられ続けました。本当にみんなで作り上げてきたのがどくんごですし、そのみんなで作り上げる「どくんごという生き物」にこの何年かだけでも関われたことは、僕の終生の誇りです。一方で、どくんごをみんなのものにしよう、というどいのさんのとてつもなく強靭な意志と人生を費やし続けた努力があったからこそ、どくんごはそうであり続けたのだと思います。

出来のいい芝居も不出来な芝居も含めて新たなメンバーに開く努力と芝居そのものを鍛える努力を決して諦めずに続けていったその姿勢、公有地闘争の継承者としての行政との交渉、そうした諸々の苦闘の末に各地に開かれる幻想的なテントと「チープ」さ(つまり軽やかさ)、どの方向と決められることなく感情を揺さぶり続けられる芝居、その全てに感謝しかありません。どくんごの芝居と終演後に話させていただいた一つ一つの言葉を魂に刻み込み、大切に反芻し続けていきます。本当に凄まじい人生でした。どくんごとどいのさんと出会えたことを決して無駄にはしません。今まで本当にありがとうございました。

(追記)
どくんごの芝居についてはこれまでも散々書いてきました。

もちろん、僕の拙い言葉など、どくんごの作る芝居の世界の豊かさに比すべくもないのは当たり前です。それでも貧しい僕の言葉を駆使してでも、どくんごの芝居の世界の豊かさをなんとか伝えたい!!ともがいてはもがいては、どんどん長文になってしまうこれらの拙い文章の数々は、どいのさんの作ってきた作品世界がどれほど言葉を超えて豊かであったのかの一つの証になるのでは、と思っています。また、こんな拙い文章を笑って褒めてくれるどいのさんの優しさに甘えてばかりでしたが、何とかいただいてきた恩を少しでも返せるように、必死に頑張りたいと思います。

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宿題多すぎ・難しすぎイベントの記事のご紹介と補遺。

先日の「学校の宿題多すぎ・難しすぎ」イベントについての取材記事が東京すくすくさんで公開されました。
是非お読みいただけたらありがたいです。

中高生が大学受験に向けて勉強しよう!と考えたときにまず頼りにするのが学校の先生だと思います。しかし、その学校の先生が、基礎もまだ固まっていない中高生にとってあまりに難しすぎたり大量すぎたりする宿題を出しておいて、「これをやらないと受験勉強の力がつかない!!」と誤った方向づけをしてしまえば、それを真に受けて必死に取り組む中高生ほどに多くの時間と労力を費やしても、何も実力が身につかないことになってしまいます。

自分の学校の宿題がそうなっちゃっているかも!と感じたとき、このように教育に関わる我々専門家(と言うには僕は「何でも屋」なので、僕だけあまり信憑性がありませんが、他の登壇者のお三方はその分野の第一人者の先生方です!)ですら、しっかりと基礎がわかっていない状態で難しい問題を大量に解かせることには無意味である!!!と主張していることを是非セカンドオピニオンとして使っていただけたらありがたいです。

生徒が宿題をこなせているかどうかをしっかりと吟味し、量や難易度を絶えず調節している先生は、生徒の実力をつけるために試行錯誤を続ける信頼に値する先生です。逆に「青チャートを全部やれば大丈夫!」「フォーカスゴールドを全部やれば大丈夫!」「一対一対応の演習を全部やれば大丈夫!」など、有名で分厚い問題集をとりあえず薦める先生は、自身が大学受験指導についてよく知らないがゆえに、とりあえずみんなの知っている有名な問題集を使い、さらにはそこからレベル別に問題数を厳選したり、ということをできないがゆえに「とりあえず全部!」となってしまっているのだと判断して良いと思います。端的に言えば、どのような宿題を出すべきかに悩みがあるかないか、が見分けるポイントです。それほどに宿題を出すのは難しく、また教師が生徒一人一人の理解度を正確に把握することもまた難しいのです。

今回のイベントは数学の話に限定しましたが、このような無意味な宿題、生徒のレベルを勘案しない高望みの宿題は他の教科でも、進学に力を入れる高校あるあるです。一例を挙げれば、英文法も理解をしてもらうプロセスを省いてとりあえずNextageやVintageを宿題や小テストでやらせることで、どれほど多くの高校生が「英文法とは四択問題の答をひたすら丸暗記する勉強」と誤解してしまっているでしょうか。

中高生の勉強へのモチベーションと勉強時間は有限の、極めて貴重なリソースです。それは原油とかレアメタルとかレアアースとかよりもはるかにはるかに貴重な、人類の共有財産であるのです。それを無駄な努力に費やさせては、無駄遣いしていく、というのは僕は反社会的行為であるとすら思います。

また、先生の指示を守って結局大学受験の実力がつかなくても、先生たちは責任を取ってくれることもありません。そもそも「自分の宿題や指導がまずかったかも。。」と懊悩できる先生であれば、必ず宿題の教材選びや量、難易度などを試行錯誤し続けているはずです。こなしきれるはずもない膨大な量の宿題を出し、間に合わないので解答を写さざるをえなくなっている生徒のノートを見て深く反省しているはずです。そうなっていない以上は、その先生の指示には従わないほうがいいと思います。自分の将来は自分で守るためにも、こうした理不尽な宿題に時間や労力を費やさないよう、そして(これは学校の先生だけでなく我々塾や予備校で教える者の言葉についても同じですが)、先生の言葉を疑っては自分に必要な勉強を考えていくことがとても大切だと考えています。(そしてまともな先生ほど、中高生の「自分にはこれが必要だと思うんですが…」という相談を(仮にその提案が間違っていると判断したとしても)無下には却下しません。必ず今それをすべきではない理由を納得できるまで説明してくれると思います。)

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