
中央線に乗っていると、三鷹駅を通り過ぎる時に電車の好きそうな幼児にお父さんやお母さんが電車を色々教えてあげているシーンに出会います。とても微笑ましい光景ではあるのですが、色々と疑問が湧いてくることもあります。
「あのきいろい電車は総武線だよ」と教えるお父さんに子どもたちはその言葉を受け止めて学習していくわけですが、しかし今の総武線はどう見たって黄色い電車ではありません。「銀色の車体に黄色のラインが入った電車」がより正確な表現ではないでしょうか。同じく中央線も「オレンジ色の電車」ではなく、「銀色の車体にオレンジ色のラインが入った電車」であり、東西線も「青い電車」ではなく、「銀色の車体に青色のラインが入った電車」です。
と書いてみると、「幼児にそんなまわりくどい説明なんかわかるわけないだろ!全く揚げ足取りをして!」と怒られてしまいそうなのですが、幼児の親世代がなぜそのように「黄色い電車」と言うのかを考えてみると、彼らは同じ幼児の頃にはそのように教えられて育ったからなのかな、とも思います。今の銀色に黄色いラインが入った電車を見て「黄色い電車」とは単純化するとしても新たには定義しにくいからです。それはまたその黄色いラインが我々中年世代の幼少期には実際に車体全部が黄色だったりオレンジ色だったり、という車体の名残(あるいは象徴)として残されている、ということを知っていたからそのような定義を幼児の親世代が育んできたのか、それとも丸々黄色やオレンジ色だった車体をもう見ていない世代に完全に移行したとしてもこのような言葉遣いが残っていくのかは面白いところであると思います。中央線の丸々オレンジ色の車体は2009年頃までは運行していたそうなので、今の幼児の親世代が子供の頃にはまだ少しは見たことがあるはずだし、親世代が幼児の頃の図鑑には、丸々黄色やオレンジ色の車体が載っていたのでしょう。しかし、これらが完全に視覚情報としては幼児には手に入れられなくなってしまったあと何年後か、何十年後かの同じく親と幼児の会話の中に「きいろ(黄色)い」電車という言葉が残っているのかどうかに、僕は興味があります。
それはすなわちソシュールが『一般言語学講義』で言うように、「人間の言語は我々が信じたがる合理性以上にはるかに大きな非合理性・恣意性から成り立っている。」ということでもあるのですが、それよりも僕がこのやりとりに興味があるのは、人間は慣習を歴史として引きずり、自らが借り物の言葉しか使えていない中でその借り物の言葉が新たに血の通った定義へと文字通り血を流しては刷新される瞬間、というのをこのような無邪気な親子の愛情溢れるやりとりのうちからもう既に奪われている、と感じるからです。
「きいろい」電車、という言葉に対して「でもあの電車、黄色くないんじゃない?」と感じる感性は、ほぼ銀色の車体に象徴として申し訳なく施された黄色のラインを「きいろい」電車の定義にしていいのだ、と学ばされ、諦めさせられていくことで我々の社会は成り立っています。そのことへの疑念も、よりよい新たな定義も、それは反社会的なものとして一旦は幼児のうちに棄却されていき、棄却されていったことすらも忘れるように育てられていくのです。
芸術は、あるいは学問は、新たな意味を見出し、付与されてきた既存の意味を疑うという点で実は反社会的な営みでもあります。それが社会の中で一定の権威を持ち、国家が税金からそこに援助をするという時代がある程度続こうとも、それが学問や芸術にとって本当に幸福であるのか、あるいは本来的な姿と言えるのか、という緊張関係が根源的にはなければならないものです。(たとえば日本ではよく「フランスでは演劇など芸術に広く多額の助成金を与えていて、本当に素晴らしい!日本も見習うべきだ!」的な主張がよくなされるわけですが、たとえばシルク・イシのようにアンダーグラウンドであることを自分達の表現の大切なバックボーンにしているサーカスのような芸術集団は、国家からの助成金を芸術家がもらうこと自体がその芸術活動の価値や目的を損ねないのか、という議論がなされ、とても慎重であるようです。こうしたところもやはりヨーロッパは何周も先に行っているのでしょう。)。
さて、教育はどうなのでしょう。銀色の電車に黄色いラインが入ったものを「きいろい」電車、と呼ぶことに対して「昔は黄色かったんだよ」という歴史を語ることが教育なのか、その定義と実態とのズレに敏感であろうとするその若い感性を育み、新たな定義を生み出すことをencourageしていくことが教育であるのか、「みんなが『きいろい』電車って言ってるんだから、あれは黄色なんだよ。社会性を身につけろ!」とその疑問を押し殺すのが教育であるのか。
痕跡のように、あるいはexcuseのように、残された黄色いラインを、哀れだと思うのか、押し付けだと思うのか、手がかりだと思うのか。我々が痕跡やexcuseを象徴として受け入れ、その意味については考えないという「大人の」振る舞いでわかったふりをしてやり過ごすというこの習慣の積み重ねにこそ、この日本社会の衰退の根本的な原因があるのかな、と僕は思っています。与えられた定義を疑い、実態に合わない仮初の定義になんとかよりよい形を与えようともがき続けること。それは何も学問や芸術だけに課さられた任務ではないのかな、と思っています。
というのを枕に、向坂くじら『とても小さな理解のための』の書評を書こうとしたのですが、枕がまたまた長くなりました!書評はまた次回に!(と言って書かないパターンにならないようにがんばります!)
「あのきいろい電車は総武線だよ」と教えるお父さんに子どもたちはその言葉を受け止めて学習していくわけですが、しかし今の総武線はどう見たって黄色い電車ではありません。「銀色の車体に黄色のラインが入った電車」がより正確な表現ではないでしょうか。同じく中央線も「オレンジ色の電車」ではなく、「銀色の車体にオレンジ色のラインが入った電車」であり、東西線も「青い電車」ではなく、「銀色の車体に青色のラインが入った電車」です。
と書いてみると、「幼児にそんなまわりくどい説明なんかわかるわけないだろ!全く揚げ足取りをして!」と怒られてしまいそうなのですが、幼児の親世代がなぜそのように「黄色い電車」と言うのかを考えてみると、彼らは同じ幼児の頃にはそのように教えられて育ったからなのかな、とも思います。今の銀色に黄色いラインが入った電車を見て「黄色い電車」とは単純化するとしても新たには定義しにくいからです。それはまたその黄色いラインが我々中年世代の幼少期には実際に車体全部が黄色だったりオレンジ色だったり、という車体の名残(あるいは象徴)として残されている、ということを知っていたからそのような定義を幼児の親世代が育んできたのか、それとも丸々黄色やオレンジ色だった車体をもう見ていない世代に完全に移行したとしてもこのような言葉遣いが残っていくのかは面白いところであると思います。中央線の丸々オレンジ色の車体は2009年頃までは運行していたそうなので、今の幼児の親世代が子供の頃にはまだ少しは見たことがあるはずだし、親世代が幼児の頃の図鑑には、丸々黄色やオレンジ色の車体が載っていたのでしょう。しかし、これらが完全に視覚情報としては幼児には手に入れられなくなってしまったあと何年後か、何十年後かの同じく親と幼児の会話の中に「きいろ(黄色)い」電車という言葉が残っているのかどうかに、僕は興味があります。
それはすなわちソシュールが『一般言語学講義』で言うように、「人間の言語は我々が信じたがる合理性以上にはるかに大きな非合理性・恣意性から成り立っている。」ということでもあるのですが、それよりも僕がこのやりとりに興味があるのは、人間は慣習を歴史として引きずり、自らが借り物の言葉しか使えていない中でその借り物の言葉が新たに血の通った定義へと文字通り血を流しては刷新される瞬間、というのをこのような無邪気な親子の愛情溢れるやりとりのうちからもう既に奪われている、と感じるからです。
「きいろい」電車、という言葉に対して「でもあの電車、黄色くないんじゃない?」と感じる感性は、ほぼ銀色の車体に象徴として申し訳なく施された黄色のラインを「きいろい」電車の定義にしていいのだ、と学ばされ、諦めさせられていくことで我々の社会は成り立っています。そのことへの疑念も、よりよい新たな定義も、それは反社会的なものとして一旦は幼児のうちに棄却されていき、棄却されていったことすらも忘れるように育てられていくのです。
芸術は、あるいは学問は、新たな意味を見出し、付与されてきた既存の意味を疑うという点で実は反社会的な営みでもあります。それが社会の中で一定の権威を持ち、国家が税金からそこに援助をするという時代がある程度続こうとも、それが学問や芸術にとって本当に幸福であるのか、あるいは本来的な姿と言えるのか、という緊張関係が根源的にはなければならないものです。(たとえば日本ではよく「フランスでは演劇など芸術に広く多額の助成金を与えていて、本当に素晴らしい!日本も見習うべきだ!」的な主張がよくなされるわけですが、たとえばシルク・イシのようにアンダーグラウンドであることを自分達の表現の大切なバックボーンにしているサーカスのような芸術集団は、国家からの助成金を芸術家がもらうこと自体がその芸術活動の価値や目的を損ねないのか、という議論がなされ、とても慎重であるようです。こうしたところもやはりヨーロッパは何周も先に行っているのでしょう。)。
さて、教育はどうなのでしょう。銀色の電車に黄色いラインが入ったものを「きいろい」電車、と呼ぶことに対して「昔は黄色かったんだよ」という歴史を語ることが教育なのか、その定義と実態とのズレに敏感であろうとするその若い感性を育み、新たな定義を生み出すことをencourageしていくことが教育であるのか、「みんなが『きいろい』電車って言ってるんだから、あれは黄色なんだよ。社会性を身につけろ!」とその疑問を押し殺すのが教育であるのか。
痕跡のように、あるいはexcuseのように、残された黄色いラインを、哀れだと思うのか、押し付けだと思うのか、手がかりだと思うのか。我々が痕跡やexcuseを象徴として受け入れ、その意味については考えないという「大人の」振る舞いでわかったふりをしてやり過ごすというこの習慣の積み重ねにこそ、この日本社会の衰退の根本的な原因があるのかな、と僕は思っています。与えられた定義を疑い、実態に合わない仮初の定義になんとかよりよい形を与えようともがき続けること。それは何も学問や芸術だけに課さられた任務ではないのかな、と思っています。
というのを枕に、向坂くじら『とても小さな理解のための』の書評を書こうとしたのですが、枕がまたまた長くなりました!書評はまた次回に!(と言って書かないパターンにならないようにがんばります!)



