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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

卒塾生を大切にしない塾。

嚮心塾もおかげさまで今年で17周年を迎えました。これだけ長いことやっていると、卒塾生も活躍が著しく、日々とっても刺激をもらっています。昨日はある卒塾生が二度目のサマソニに出演!and別の卒塾生が第一詩集出版トークイベント!ということで、後者に参加してきました。

ただ、塾としては卒塾生が遊びに来る塾ではあってほしいとは思うものの、一方で僕自身の仕事としては卒塾生を大切にしていてもあまり仕方がない、と思っています。これは何も金銭的な対価を得られるのは現塾生への仕事ぶりだから、という守銭奴な話ではなく、一般に卒塾生、それも卒業後にもつきあいがある卒塾生というのは、一般に受験の結果がうまく行っていたり、行っていなくてもそれなりに納得の行くものであったり、そうでなくてもこちらを奇特にも大切にしてくれる、という意味ではコミュニケーションの理路もある程度確立されていて、更にはそもそもそこそこ実力のついた子たちです。その卒塾生と接しては彼らの相談に乗ったり力になっていくということは、もちろん大切なことではあっても僕にとっては「一つの成功に次の成功を重ねていく」という作業でしかありません。簡単に言えば、快い仕事、きつくない仕事です。

一方で今通ってくれている塾生のことを考えれば、勉強がまだまだ実力不足であったり、そもそも努力ができなかったり、塾に来ることすら出来なかったり、来てもこちらのアドバイスを聞かないせいで結局自分自身の学習プロセスを損ねては力がつかなかったり、学校のテキトーな宿題や小テストを何よりも優先していたり、などなど問題は山積みです。その一つ一つ、一人一人に対してこちらが真剣に悩み続け、あれこれ工夫を考えても、うまくいくことなどほぼありません。10回に1回、いや、20回に1回わかってもらえて一歩前進する、という気の遠くなるような取り組みを日々めげずにやっていくしかありません。

コミュニケーションのとれるようになっている卒塾生とより深く掘っていく話をすることに比べれば、こちらの塾の現業務はしんどく、報われなく、容易に裏切られ、否定され、そして前進の少ないものです。自分自身の愚かしさを可能性の一つとして常に視野に入れる、というたった一つのいちばん大切な態度を身につけてもらうために、あらゆる角度からの説得と理解とを進めようとしてもなお、「この愚かしさが私なんだから!」という理由で拒絶をされていきます。単に学力をつける、という狭い範囲の目標においてすら、「言われたことに盲目的に従う」という態度は自分の愚かしさを温存してしまう、という意味で有害でしかありません。

こういう日々には非常に倦み疲れます。ただそれでも、僕に生きる意味が少しでもあるのだとしたら、このように聞いてもらえない言葉、理解してもらえない言葉をそれを聞くことの出来ない、理解できない相手にとどのように伝えていくのか、というそのもがき苦しみの中にしかありえないのだとは思っています。

過去のその苦闘の結果として鍛えることができていたり、コミュニケーションがかなりしやすくなっている卒塾生と話すことは、ともすればこの目の前にある「言葉の通じない」子たちがたくさんいるという事実から逃避する動機になってしまいます。だからこそ、卒塾生との思い出(これは僕には人情味がないので、ほぼないのですが)やより深堀りしていくための新たなコミュニケーション(どうしてもこちらに興味があります)に逃げることなく、目の前の大切なことが何もわかっていないまま、自身の愚かしさを疑うことなく失敗へと邁進する子たちにどのようにそれではまずいのかを伝えていかねばならないのだ、と思っています。

あわよくば、僕が死ぬその最後の瞬間まで、目の前の子たちに「全く伝わらない」という事実にもがき苦しみながらも、伝えるための手段を何とか模索し続けていきたいと思います。それだけがこの社会にとっても意味のあることです。(なので、僕が卒塾生との飲み会ばかりfacebookやtwitterばかりupするようになったら、もう嚮心塾は終わったと思っていただいて構いません。カミーユ・ピサロが「ルーブル(美術館)は芸術の墓場だ。」と言ったように、そのような塾は教育の墓場でしょう。まあ、そういう先生が多いとは思うのですが。)

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お久しぶりです。

ブログもだいぶ間隔が空いてしまいました。バタバタと忙しい中、何とか目の前の一つ一つを乗り切る日々です。

ブログの間隔が空きやすい原因を自己分析したところ、長い内容を「その1」「その2」と区切って書こうとすると、「これを書きたい!」と思った瞬間に「でも、この前の続き書いていないしなあ。。それ書いてからか。。」と億劫になってしまうからだ、というのがよくわかりました。なので「その2」「その3」はまた気が向いたときに続きを書くか、長くてもまとめて書こうかな、と思っています。

この間、プルーストの『失われた時を求めて』を全て読み終わり、本当に様々な面で感銘を受けたのですが、その中の一節(岩波文庫版だと11巻)で「平板な内面や感情や思想のままに、どこまでも遠く、宇宙の果てにまで我々が旅をしたとしても、私達がその遥か彼方で見られるものはその平板な内面や感情に見える程度のものでしかない。だからこそ、私達は平板な感情や内面や思想を鍛えなければならないのだ。」というものがありました。

プルーストがこう書いていたのは今回初めて知ったわけですがこの言葉にはかなり思い入れがありまして、まさしく僕自身が10代から自分自身について悩み、そのような薄っぺらな自分をどのように少しはまともなものにしていくのか、ということだけをただただもがいていたときに、まさにこの言葉を恩師が文章として書いていたのに感銘をうけたことをよく覚えています。

プルーストもこう書いていたことを不勉強ながらこの年になって初めて知り、感じる気持ちは「あの名言、元ネタあったんかい!」ではなく、自分の言葉にできない悩みを何とか言い表している先人はいないかともがきにもがき続けた結果として恩師は長い長いプルーストまで読まざるを得なかったのだな、という感動でした。結局我々が勉強を生涯し続けざるを得ないのは、自分の感じたり考えたりするこの世界への違和感を人類の歴史の中で先にそれを掘り当てては苦しみ、もがいた先人がいなかったのか、という探究のためです。それは知的好奇心といった浅薄な動機のためではなく、良心的に生存しようとし続けるためには、探さざるを得ないのだと思っています。

それはまた、職業訓練や子どもの立身出世のために社会からは何となくフワフワ肯定されてしまっている「教育」という試みの副次的効果でもあると思っています。受験のための勉強をきちんと身につけていくためには、とりあえずわけのわからないまま暗記をしたり盲目的に練習することではなく、しっかりと理解し、自分の言葉で説明できるようにしていくことが一番の近道です。しかし、この近道も受験を通るため、で終わるのであればあまり大した意味はないことなのでしょう。誰が勉強ができるようになり、誰が立身出世をしようと、それが人類に新たな知見をもたらすかどうかは極めてあやしいことです。所詮は階層移動が少し活発になることくらいでしょうか。(もちろんその程度の風通しの良さすら、徐々に失われていっているのが今の日本社会ではあるわけですが)

しかし、そのように意味を考えたり自分の言葉で説明していけるように、という習慣自体はキリのないものです。そのような習慣はやがて、当たり前とされている学説、芸術、社会の有り様、人間関係その他諸々に対して疑いを持つようにさせていく力をも持っています。そのようにして教科書が書き換わり、常識が書き換えられ、社会はより包摂を目指してしんどいことも考えていくようになります。そのようにして人間は進歩をし続けるしかないのですが、その原動力、というのは結局人間の良心的生存のための探究心であり、そしてそれは「意味はわからないけどとりあえず覚えよう」というしぐさとは対極の学習習慣がその入口になるのだと思っています。

さて。僕自身も塾に通ってくれる子たちに少しでもより精密な答を答えられるようにするためには、必死に勉強をし続けるしかありません。それは受験勉強の内容のことでもあり、またこの社会や政治、学問、芸術のことでもあり、さらには死を運命づけられた我々人間という存在者が生きることを選ぶ理由にどのようなものがあるのか、という根本的なことまであります。子どもたちのその純粋で真剣な問いに、自分自身がお茶を濁した解答をしないで済むように、愚かな僕は勉強をし続けなくてはなりません。先にプルーストの書いてくれたような「薄っぺらな内面が薄っぺらな内面を疑うことなくどこまでもそれを拡張していったのが人類の歴史であり、フロンティア獲得運動である」というかなり正しい定義に対してもまた、それに疑問を感じた先人を伝え、その人達の書いた言葉を伝え、作品を紹介し、その上で我々はその(in vitro をin vivoへ、あるいは地球的常識をその外へと、延長し外挿できると信じる)一面的な取り組みの結果として発達した科学技術の恩恵を受けて豊かな生活が出来ている自分の人生をどう生き直していくのか、という難題への僕なりの答を、絶えずバージョンアップし続けていかねばならないのだ、と思っています。(ちなみに僕の人生を通じての最推し劇団、劇団どくんごのブログ名は「そのころ地球では」です!!たった8文字で、「辺境としての地球」という必要な相対化を見事に表現しているのは、さすがどくんご!としか言いようがないです!今年はそんな劇団どくんごの2年ぶりの公演が10月に鹿児島で!!)

こうした諸々を考え合わせれば、僕のような浅学非才のものにこんな難しい仕事ができるわけがない、としか思えないのですが、しかしそれは僕自身の能力とは関係なくやらねばならないことである以上、やはり死ぬ瞬間まで諦めずに少しでも自身の「平板さ」を乗り越えられるように、必死に取り組んで行きたいと思っています。

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