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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

2022年度受験を振り返って(その6)

T・A君(高卒認定試験)筑波大学 情報学群 知識情報・図書館学類合格(進学先)
ほか合格校:東京理科大学 工学部 建築学科(共テ利用)

この文章が合格体験記として相応しいものか迷いました。
しかしながら、良い部分だけを切り取って体験記とするのも嚮心塾には相応しくないと思うので、なるべく正確に記します。

私は中学卒業後、3年ほどバイトをしながら一人暮らしをしたり、バックパッカーをしたりしていました。
当時、大学に進学することは全く頭にありませんでしたが、ちょうど2年前に、周りの影響で受験勉強を始めることにしました。
勉強自体は嫌いではありませんでしたし、また好きな科目と嫌いな科目のむらはありましたが(数学が得意で英語が苦手でした)、進学校でそこそこの成績を収めていました。
なので、ブランクがあっても何とかなる、と考えていました。

結論に飛びますと、この2年間は、平均1日2~3時間しか勉強できず、第二志望に進学することになりました。
原因は色々考えられますが、自分自身の怠惰さが一番大きかったと思います。

ですが、そのような人間だったからこそ、嚮心塾に通っていてよかったと思います。
一日中ゲームをしていたり、関係のない気象学の専門書に一週間を費やしている受験生がいたら、退塾させられる(もしくはノータッチで月謝だけを払わさせられる)のが普通でしょうが、あの手この手で勉強時間の増やし方を考えてくださりました。

このような塾は他にあまりないと思います。

確かに絶対的な勉強時間は少なかったかも知れませんが、過去の自分と比較すると成長できました。
もし他の塾に通っていたら、もっと少なかったでしょう。進学先も合格していなかったかも知れません。前期の東京大学は不合格でしたが、理科二類の合格点を超える所まで実力をつけることができました。
ですので、嚮心塾で受験ができて本当に感謝しています。ありがとうございました。

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2022年度受験を振り返って(その5)

K・Aさん(大妻高3)日本大学医学部医学科合格(進学先)
         他合格校:埼玉医大(医)、杏林大(医)(1次合格)、聖マリアンナ医大(1次合格)

 小学生の頃はとにかく勉強が嫌いでした。塾には入っていましたが、親が共働きだったので、塾いくまで親に内緒でテレビを見たり、友達と遊んでいました。「暇だけど勉強だけはしたくないなー。滑り止めはあるし、別に大学で医学部入れれば良くね?」という感じで、親に「もし中学いいとこいけなくても大学で挽回できるよね?」と聞いて親が「もちろん」と答えてくれる度に安心してサボっていました。理科が難しい学校を第一志望にしていたのですが、結局本番は理科が取れず、滑り止めの大妻高校に入学しました。

 中学から高1までは定期テスト前日夜に詰め込むくらいで特に勉強しませんでした。プリクラばかり撮っていました。悪い時だと270人中220位もとったことがありました。この頃までに四谷学院、東進、グノーブルなどの大手予備校に通いましたが、思うようにやる気が出ず、宿題はやらずに行っていました。また、めちゃめちゃ講座をとらせようとしてくる大人たちを見て、「こいつら金のことしか考えてねえな」とも思っていました。そこから大人に対して不信感がありました。私の高校は当時、私立医学部の指定校推薦を2つ持っており、親にそれを狙えと言われたので、最初は定期テストで点数を取ろうと頑張っていましたが、どうしても教師の言うことを聞くのがだるくて、高1の途中で悪い成績を取ってしまい、早急に諦めました。

 高1の秋、親に嚮心塾を勧められ、体験授業に行きました。これ以上転塾する訳にも行かないと思い、なんとなく入塾しました。高2の夏まではコロナもあり、あまり塾に行っていませんでした。(それをいいことに1日中ベッドの上でスマホを見ながらゴロゴロしていました)高2の夏からまあまあ勉強しはじめました。高2の秋になり、自分の人生を見つめ直した時に、「このまま何にもなれなかったらやばくね」と思いはじめました。そこから、受験が終わるまで、行ける日は全て、9時半まで残るようにしました。勉強は、時間が全てではありませんが、とりあえず、勉強時間を増やすことから始めました。今まで勉強習慣が全くなかった私にとって、どんなに眠くても、やる気が起きなくても、椅子に座り続けることは、辛いけれど、意味のあることでした。冬休みは、10時間、春休みには12時間以上勉強していました。(勉強内容については後述します。)冬あたりから、遊んだり、寄り道したりすることをやめました。

 高3になりました。学校のない日は机で12〜13時間ほど勉強していました。スマホを持ち歩くのやめ、親にガラケーを買ってもらいました。これは正直かなりデカかったように思います。私はスマホを持っていると、絶対に音楽を聴き、インスタを見てしまうのですが、家の金庫にケータイをしまってもらってから、片道1時間ある電車があまりにも暇すぎて、勉強するようになりました。最初はきついですが、一週間もすれば、スマホのない生活に慣れました。

 また、私は高3になって、物理受験を決めました。高2までは生物で受験しようと思っていたので、高3の選択授業も生物を選択しようとしており、学校が融通が効かず、直前に選択科目を変更してくれなかったので、高3でも生物の授業を受けていました。私は、中学の頃から学校の授業は意味がないと思っていたので、中学時代から寝たり、内職をしたりしており、授業をできるだけ受けたくなかったので、国立受験生でありながら、私立理系受験のコースに行き、化学や国語の授業は受けないで、午前中で帰れるようにしていました(その後すぐ塾に行っていました)。本当に全時間内職をしていて、私の学校は各教科年間平均評定が10段階で3以上であればよかったので、一学期中間でできるだけ点数を取って、一学期で全科目5以上を取れるようにしていました。なので、一学期中間以降、定期テストの勉強は、前日、当日でも一切勉強せず受けました。高校時代、成績はずっと悪く、おかげで、調査書の数学の評定は5段階の2.7とかでした。学校の周りの友達には「やばいね、今回も勉強してないの?」とテストの度に笑われましたが、自分のゴールはそこじゃないと思っていたので、あまり気にしませんでした。

 高3の4、5月は、まだみんな遊んでいたので、なぜ自分がこんなに勉強しなければならないのか、なぜ自分は医者を目指しているのか、親の操り人形にされているだけなのではないかなど、結構悩みました。先生に相談すると、先生は、女性が医学部に行くことの利点などを説明してくれたので、頑張ろうと思えました。正直、直接勉強に関係のない悩みを聞いてくれるなど、ほぼボランティアみたいなことをしてくれる先生を今まで見たことがなかったので、今まで大人をあまり信じれなかった私でも、先生を信頼することができました。

 夏は、勉強時間をキープしつつ、高1の頃からやっていたダンスを週1回、犬の散歩を週2回息抜きにしていました。勉強は全て塾でしていました。

 秋からはダンスもやめ、勉強に全振りしました。冬、学校がなくなってからは、朝から晩まで勉強しました。
 受験が来ました。初めて一次合格したのが、杏林だったのですが、二次落ちしてしまい、その時は、「せっかく掴んだ一回限りの合格のチャンスが終わった」「周りに申し訳なさすぎる」という気持ちで、号泣し、発表日は話そうとすると涙が出て、帰りには母親に「もう無理だ」と泣きながら電話をかけました。次の日も午前中ずっと泣いていましたが、「別に浪人で良くね」という境地に達し、そこからどこが落ちても特に落ち込むことはありませんでした。結果、前期は埼玉医大のみ補欠合格でした。受験が始まってからも勉強し続けたおかげもあったからか、記念で受けたつもりだった後期の聖マリと日大はどちらも一次合格しました。最後だからと自分に言い聞かせ、一次が終わり、発表が出るまで、そのあとの2次試験まで周りが遊んでいる間も勉強し続けました。その結果合格することができました。

 私の模試結果は、終始E判定だったので、特に判定に一喜一憂することはありませんでした。高3の5月くらいには数学の共テ模試で20点代をとりました。その後は数学はまあまあ上がりましたが、理科は特に苦手で(高3まで中学受験から全く勉強したことがなかったので本当に1からでした)8月の共テ模試では、化学物理どちらも29点とか普通に取っていました(その29点も勘で解いていた)。物理は、『(物理の)エッセンス』をやることでだいぶわかり、10月の模試では多分70点くらい取れたのですが、化学は11、12月になっても30点代とか取っていました。ここでスタディーサプリを見始めました。今までしてきた勉強が全て繋がったような気がして、化学を初めて面白いと思えました(自分の好きな時好きな勉強ができるところも嚮心塾のいいところ)。そこからは化学が英語の次に好きになりました(遅すぎ)。共テ本番では物理63点、化学73点でした。物理は2月になってから『良問(の風)』を始め、典型問題は解けるようになりました。化学はスタサプのテキストを繰り返し解き直し、暗記では落とさないようにすることで、日大後期では一問間違いで済みました。数学は、問題集は『基礎問(題精購)』しかやったことがありません。教科書と基礎問とセンター過去問で全然足りたので、基礎が大事なんだと思い知らされました。(高校では定期テストの範囲が問題集で出されますが、私は一問も解かず、教科書のみで臨んでいました)

 私はこの1年間、努力し続けたという自信はあります。ただ成績は最後の最後までほぼ上がりませんでした。なのに先生は何故か今年行けると励ましてくれました。私は馬鹿だったので、今年行けるかもと思いつつがむしゃらに勉強し続けました。その結果、(高3秋の)最後の模試の偏差値より10以上上の学校に受かることができました。努力しても受かるかどうかはわからないけれど、努力しないで受かることは余程の天才でなければ無いと思っています。また、浪人でいいやと思って緩くやっている人で、落ちている人も見てきました。自称進(学校)に通っていて、今そこまで成績の良くない子は、高い志望校を目指す上で多くの悩みを抱えると思います。同級生にからかわれたり、勉強する環境がなかったり。私は自称進(学校)の中でも成績が良くなかったため、高1の担任には、「医学部を諦めろ」とガチで説教され、高2の担任には面談で勉強時間について聞かれ、正直に答えたら、「こんなに勉強してるのにどうして成績が上がらないの?」と笑われ、高3の担任には、何年まで浪人OKか聞かれました。それでも、在学中にこの学校に通っていることで馬鹿にされた経験や、担任、友達に夢を笑われた経験など、悔しかった思いから、「こいつらを見返したい!」という気持ちから受験を乗り切ることができました。生半可な努力では、大学受験を乗り越えることはできません。しかし、自分の中で強い思いを持てば、辛くても自分を保てるのではないかと思います。先生はどんなに馬鹿な学校に通っていても、どんなに大きな夢を持っていても、絶対に否定しません。むしろ、そこからどう上げるかということを考えてくれました。高1の時、嚮心塾を選んで本当によかったです。

 最後になりますが、(柳原)先生、チューターの方、家族には本当にお世話になりました。ありがとうございました。

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単語テスト。

昨日の私立後期医学部の合格で、(あと私立医補欠繰り上がり待ちを除いて)今年の受験はおしまいでした。最後の最後まで必死に頑張っていた受験生が、たった3ヶ月前には「今年は記念受験なんで…。」と言っていた状態から現役合格ができたのは本当に素晴らしいことでした。

さて、塾では一人一人に単語テストを行います。これは英単語が基本ですが、古文単語だったり、世界史や日本史の一問一答だったり、年号だったり、様々なテストを口頭でしています。このやり取りの中で、どのような思考回路をしているのか、どのような勉強の仕方をしているのか、どうやって「覚えて」いるのか、といった塾生一人一人の勉強を通じた認識のありようがとてもよくわかってくるため、このテストは欠かせないものです。もちろん受験生にとってもチェックしてもらわなければついついサボってしまうことをチェックしてもらうことでサボらなくなる、というわかりやすい恩恵もあるでしょうが、それ以上に嚮心塾においてはこの単語テストがコミュニケーションの根幹となっている点で重要であると感じています。

たとえば英単語一つをとっても、接頭辞や接尾辞、語幹などに分解して覚える子とむりやり覚える子の違い、日本語の訳語の意味もわかっていないのにその訳語が出てくればいいと思っている子、似た綴りの英単語を書き並べて類似点と相違点を比較するというプロセスを経ずに混同したままに「覚えられない〜」と嘆いているだけの子、綴りだけを覚えて意味はあやふやな子、逆に意味だけを覚えて綴りはあやふやな子、そもそも単語の発音が全く出来ないままに綴りと意味だけを覚えている子、発音記号の読めない子、など、本当に千差万別です。こうした学習の仕方の傾向、というのは単語テストだけにその傾向がとどまることはむしろ稀であり、数学であれ、理科であれ、社会であれ、国語であれ、他の科目の学習の仕方にもリンクしていることが多いです。(たとえば日本語の訳語は覚えるけれども、その訳語の意味がわからないままに放置できてしまう子、というのは数学や理科の用語の定義をしっかり覚えていないことが多いです。また、英単語を接頭辞や接尾辞に分解して整理して覚えていない子は数学でも定理や公式の導出をきちんとやっていないまま丸覚えしている傾向が強いです。フレーズや英文で単語を覚えたがる子は、数学や理科でも典型問題を解き慣れることで解けていればプロセスをいちいち説明できなくてもOK、とやりがちです。このような相関関係を書き出すときりがないのですが、このような様々な相関関係から次に改善すべき学習習慣についてのヒントが見えてくるわけです。)なので、このような単語テストは「触診」のように、その受験生の様々な思考傾向や学習傾向をつかむための大きなヒントになるものであり、これはたとえば紙の単語テストをプリントアウトしてやらせる、といった、よくある型式では決して指導者には得られないほどの莫大な指導上のヒントを与えてくれるのです。

さて、そんな単語テストを僕がいつやるようになったのか、といえば大学に入学し、チューターとして教え始めた塾の校長先生から指導法として教えてもらったことがきっかけでした。その当時の僕は「単語なんか他の人がテストするもんじゃなくて、自分で覚えるもんだろ!!」という自分で勉強をしてきた人間特有の思い上がりから、生徒にこのようなステップを用意する事自体に基本的には否定的でした。それでもその校長先生に言われて、「そんなもんかな。。」と思いつつ、勉強が苦手な子達にそうやって英単語テストとかを口頭で始めたのが最初だったと記憶しています。(今から25年ほど前のことなので記憶は曖昧なのですが…。)

さて、最初は否定的だったものの、やってみると勉強が苦手な子たちも頑張って取り組んでくれたりして、「これは一体何なんだろう?」と思いつつ、それでもそのような指導方法を教示してくれた校長先生の慧眼に感心した覚えがあります。ある意味、そこからの25年間の教えることに取り組む僕の人生とはそのように「口頭での単語テスト」的な指導(それはコミュニケーションであり、観察の場であり、motivateする場であり、という多様な意味を持ちます。)とは一体何であるのか、を徐々に学び、言語化し、考え、そして工夫してきた歩みであったとも言えると思っています。自身が「そんなの、自分でやらせればいいでしょ。」と(口に出して反論したか心で思っただけかはさすがに忘れたのですが)その校長先生に対して浅はかにも反論しようとした自身の視野の射程の狭さを、まさに25年間かけて様々な角度から反証してきた、という気がしています。

もちろんこの校長先生から学んだことはそれだけではありません。ただ、この単語テストを巡るやりとりが、僕にとっては嚮心塾での指導、それは何かを伝えておしまいや正しい方法を強制しておしまいなのではなく、「こうやったらいいよー!」というこちらの指導がうまくいかなかったり、彼ら彼女らがそれを頑張れなかったり、頑張ってもうまくいかなかったり、という一つ一つの挫折や失敗に対して、こちらが「君らの努力が足りん!!」と突き放して責任放棄するのではなく、「なぜこのように身につかないのだろう?」と悩み続けては次の方法を探していく、というスタイルの原点であり、象徴的なことであると思っています。

という、大変お世話になった校長先生が、先日嚮心塾を訪問してくれました。お会いするのも20年ぶりでしょうか。塾に来ていただいたのは初めてです。多くの受けた恩、教えていただいたことを直接は返せていないままなのですが、あのとき教えてもらい、受け取った「種火」を僕自身がどのように大きく育て続けてこれたのか、というただ一点においてこそどのような恩返しができるのか、が決まるのだと勝手ながら思っています。

それはすなわち、僕自身が今目の前の生徒たちに必死に何かを伝え、鍛え、ともに悩み、何らかを伝え得ているとして、それを彼ら彼女らがどのように育んでいけるかだけが僕にとっては唯一の関心である、ということでもあります(それでも「合格体験記くらいは書いて卒塾してほしい!」とついつい願ってしまいますが!!)。

そのようにして、人が人に何かを伝えうるだけでなく、伝えられた何かを各々が育み続けうるのだとしたら、有限な時間をもって生まれ出でてはすぐに死に至る我々の人生もまた、何らかの可能性に繋がるのではないか。そのように思っています。

僕自身が初めて単語テストの必要性を教えてもらってから、胸を張れるだけの何かをこの25年間で育み得たのかどうかは、自信のある部分とない部分とがないまぜではあります。ただ、死ぬまでそれを諦めないように、必死に模索し続けたいと思っています。

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塾の月謝についての考え方(その2)

さて、前回の続きです。いわゆる特待制度やスカラシップ制度がないだけではなく、嚮心塾では各種の「割引制度」がありません(あえて言えば同時にきょうだいで通っていただけるときのきょうだい割引くらいでしょうか。)。紹介割引、無料キャンペーン期間、月謝の日割りなどが全くありません。これもそのような制度を作ってはプロモーションに力を入れる大手の他塾さんと比べると「不親切」であるように思えてしまうでしょう。(まあ、そうした大手の他塾さんと比べるとそもそも月謝の額がこちらの方がはるかに低廉な月謝だとは思うのですが…。基本的にこういったところはあまり見ていただけずに「他の塾でもやってるんだから!」とリクエストされてしまうケースも多いのです)

これにも理由があります。それは、その1でも書いたように手間のかかる子を鍛えるのにはめちゃくちゃ手間がかかる、という事実に対して、こちらが腹をきめて取り組むためです。

この「手間のかかる」には色々なケースがあります。

たとえば今年東大文2に合格した子には毎日東大の英・国・社の答案を添削していました。嚮心塾の場合、解答と照らし合わせて添削ではなく、いちいち僕が入試問題を全て解き直す(としないと時間内にどの問題を深追いしてはならないか、どこまで記述の完璧さを目指すかの全体のバランスがわからない)ので、実質毎日大量の入試問題を解くことになります。彼だけでなく、今年は京大、阪大、東工大、農工大、その他私立受験生がいたため、それらの英語や国語に関しては全て自分で解いて添削をしていました。なので直前期は質問に答えていない時間帯でひたすら入試問題を解いているわけで手間はかかります。ただ、これらは「手間のかかる」受験生ではあるものの、実力が高く、「合格実績」が見込めるという意味では塾としてもコスパのよい生徒たちです。まさに「手間をかけたい」生徒であると思います。(そしてこれらの子達に手間をかけることは、殆どの塾では徹底してやっているはずです。)

一方でどうにも「合格実績」に繋がらない子たちもたくさんいます。そもそも塾をサボる、来ても寝ているか携帯をいじる、あるいはこちらが指示したとおりに勉強しない、その上でやはりそのような状態なので、勉強もできない。このような子たちにかかる手間はとてつもなく大きく、そして塾側としては「合格実績」という形の見返りはほとんどありません。機械の修理なら、「これはまるごと部品交換しないとダメなので、追加の修理代がかかりますね。」「何なら買い替えたほうが安いですよ!」とでも言えますが、塾ではこの子たちが手間がかかるからといって追加料金を請求したり、「もっとできの良いお子さんに育て直した方がいいですよ。」と言うわけにもいきません(まあ、個別指導の併用を勧めてさらにむしり取ろうとする、という塾もあるのだとは思いますが、嚮心塾にはそれはありません。)。

だとすると、塾の側のこのような子への対策としてはビジネス面を考えれば二通りしかないわけです。
①入塾を断る。(実際、成績表で「(5段階評価で)2以下」がついている子は入塾を断る塾もあると聞きます。何のための塾なのでしょうか…。)
②入塾させておいて、放置する。もちろんその子達はうからないが、「意欲のある子たちがその塾のカリキュラムで難関校に受かっている以上は、責任は塾にあるのではなく、やる気のないその子達自身のせいである!」という主張をしてお月謝だけもらう。

という二通りのアプローチが合理的であることになります。もちろん実際には
③そういう「落ちこぼれ」の子だけを見る!という名目でターゲット層を絞った塾を運営する。

という戦略もあります。多くは①か②、ときたま③がビジネスとしてなされている、というくらいでしょうか。(ただ、③に関してはシェルターとしては機能しているものの、それがそこに通う子たちにとって意味のある受験になっているのかどうかはかなり怪しいと思っています。それぐらいに勉強の基礎も意欲もない子たちにそのような習慣をつけたり実力を伸ばすことは難しく、恐ろしく手間のかかることであるので、素人の大学生ではできないどころか、我々プロでも難しいのです。もしそれを大学生講師でできているのだとしたら、それは運営がアルバイト代では見合わない大学生講師の善意や努力を搾取しているだけの構図だと思います。)

嚮心塾ではこの①〜③のどれをも採用していません。やる気のない子も、やる気のある子と同じように、こちらからその可能性を諦めることはなく、徹底的に努力します。たとえば今年の事例だけで言っても

「塾の前まで車で送られても、そこからさぼってしまうようなやる気のない子をお母さんとメールのやりとりを密にしながら(年間1000通以上はやりとりしたかと…)塾の周辺で隠れているところを探しに行く」
「生徒がさぼってないかどうか、生徒のtwitterの書き込みをチェックする(それで「午前中はリスニングしてます!」というサボりを見抜きました!)」
「どうしても来れない再受験生に何度もメールでやりとりをする」
「学校の勉強をしたくなくて放校されそうな子とも何度も話し合う」
「生活リズムが崩れて夜型になっては勉強時間がとれない子のためにどのように生活リズムを作るか様々な提案と試行錯誤をする」

などなどです。もちろん勉強に意欲を持てない子たちに、どうして勉強を今するべきかを話したり、その他進路相談、人生相談、恋愛相談、家族についての相談、などを挙げたらキリがありません。反ワクチンの考えをもつ子ともワクチンを打つべきかどうか議論したりもしました。勉強だけ教えていれば済むのなら、業務量がそれこそ10分の1くらいにはなる気がします。。

こうした「手間のかかる」子達、しかも合格実績という「成果」を見込めない子たちに対しても、こちらがフルにコミットし続けるという覚悟を持ち続けるための動機の一つとしてやはり「規定のお月謝を払って頂いているから」ということが僕には必要です。それは僕の不徳のなすところであり、「割引していようと、何なら無料塾であれ、ボランティアであれ、普段から偉そうなことを言ってるんだから、そのようにフルにコミットすればいいじゃん!」と言われたらそのとおりなのかもしれません。

ただ、ここには徳の低い人間なりの理屈がありまして、たとえば手塚治虫先生のブラックジャックでなぜブラックジャックは高額な治療費をとるのか、ということにも通じるものがあると思っています。人が覚悟を決めるのは、相手が覚悟を決めることに対してのみである、ということですね。相手が覚悟を決めていないのにも関わらずこちらが覚悟を決めたとしてもそれでは何も伝わらない、ということに陥りがちです。

あるいは僕の敬愛するジャン・ジャック・ルソーの言葉を借りるのなら、『人間が自ずから善をなすとき、そこに徳は存在しない。人間が自らの弱さ、汚さに抗してそれでも善をなそうとする時、徳が存在するのだ。』という言葉もここと関係していると思っています。「有徳な人」というのは誰にも彼にも一方的にgiveだけを為す人ではないと思っています(それは押し付けがましい人、もしくは自分が優位に立ちたい人です)。相手の「徳」に対して自分も「徳」で呼応せざるを得ない人のことを僕は(自らの弱さに打ち克とうとするという点で)「有徳な人」だと思いますし、それはまた規定のお月謝をお支払いいただく、という「徳」に対してこちらも「どこまでも面倒を見る。決して諦めない」という「徳」で応答し続けたいと思う理由でもあります。自身が(ある限定的な局面で)一方的なgiverであること(それは他の局面では一方的なtakerであることに支えられていることが多いのだと思います)よりも、自身がこのように「有徳」であり続けることの方が難しいのでは、と年齢を重ねた今は思っています。

話が色々飛びましたが、その点でも規定のお月謝をいただく、ということもまた、こちらから変えるつもりはありません。
それは「覚悟」に対して「覚悟」を呼応できるのか、ということが問われる本質的な事態だけが僕にとっては大切なものであると思うからです。その点についてはご理解いただけるとありがたいです。

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塾の月謝についての考え方(その1)。

今年は合格者(=卒業生)が多くて、塾の経営がヤバいです!!いっぱい宣伝しなければならないのに、こんなめんどくさいことを書こうと思ってしまう自分が恨めしい。でも書かねばならないので書いていこうと思います。

嚮心塾ではいわゆる「特待生」「スカラシップ制度」というものを設けておりません。なので筑駒や開成や桜蔭で一位だろうが、それどころか全国一位だろうが、高2のときに理三A判定だろうが高3と混じって全国一位だろうが、規定のお月謝を払っていただきます。ここに関しては僕が塾をやる限り、今後も変えるつもりはありません。なぜならこれは、僕が塾をやる意義と直結しているからです。

対照的に多くの予備校ではこうした制度が充実しています。「東大の点数開示である程度高得点を取れていれば無料!・もしくは大幅割引!」とか、「医学部1次試験を突破していれば大幅割引!」とか、大手の予備校や塾ならみんなやっていますよね。このような制度が蔓延するのは当然の理屈で、ほとんどの受験生や親御さんは「合格実績」しか見ないので、このように「そもそも実力があるけれども惜しいところで落ちている子」というのは、来年の合格実績を稼いでくれる宝の山であるわけです。こうした子をいかに確保しては通ってもらえるかで来年の「合格実績」が大きく変わってしまいます。そこで多少ディスカウントしたとしても、その子が稼いでくれる「合格実績」を信じて、箸にも棒にもかからない「カモ」がたくさん通ってお金を落としてくれればよい!という計算です。非常にあざとい戦略だとは思いますが、ビジネスとしてはとても合理的です。そもそも(その2で後述するように)勉強のできない子を難関大学受験で合格できるレベルまで鍛えるのは、塾や予備校側にとってはとてつもなく、本当にとてつもなくコスパの悪い仕事であるからです。

もちろんこのようにきっかけとしては安いというだけで予備校や塾に通ってもらったとしても、そこでの講師の先生の授業はそれは一流どころを揃えているでしょうから、通ってみれば「あの先生の授業のおかげで実力が伸びて受かりました!!」と合格体験記で書けないことはないでしょう。「本当に○○ハイスクール(塾/予備校)のおかげです!」と言えないこともない。しかし、それはその塾や予備校の実力と言えるのかは僕は疑問だと思っています。あくまで、

「経営戦略上、優秀な生徒をほぼほぼタダで通えるようにしたら、その子達は元々優秀なのでやっぱり東大とか医学部に合格した。もちろん、その子達が満足する講義の質は高い。その合格実績に夢を見て集まる「カモ」達の授業料でしっかり担保した講師の質は高いので。」

というだけのことにすぎません。

さて、実はこのような手法は大手だけでなく、小さな塾でもやろうと思えばできます。特に嚮心塾はそこそこ東大も(理三含む通算4名!)も国立医学部(蹴った子も入れれば9名!阪医だけで通算4名!)も私立医も早慶もたくさん合格してるので、やろうと思えばそうした「合格実績」をエサにして優秀な子に「うちだと安く通えますよ〜!(まあ、元々だいぶ安いとは思うのですが…)」という制度を用意するだけで普通に集まってくると思います。そして、それを「エサ」として「ここなら今は成績悪い自分でも、もしかして東大や医学部うかるのかな…」と夢を見た子たちを半永久的に搾取することも、もう可能な状況になっていると思います。

しかし、そんな塾ってこの社会において何か存在意義ありますかね?元々東大に僅かな点差で落ちてる子を次の年に合格させるだけしかできていないのに、どうにも間に合わない子にも「君でも間に合うよ!」と嘘をついて月謝をかすめ取る、なんて有害でしかないし、何より生産的ではないと思います。そもそも東大に僅差で落ちる子は早慶には受かるわけで、その子が東大に行くか早慶に行くかなんて生涯年収で見ても大してその子にも社会全体にも変動を与えません。それを「実績」として誇っては、学習の基盤がなくて本当に教育が必要であり、かつその子達が勉強ができるようになり難関大学に合格することがその子達の人生にとっても社会全体にとっても大きな生産性やrevisionの機会を作ることになる子たちを「金づる」としか見れない仕事なんて、僕は無意味だと思います。そんなことに一度しかない人生を一秒たりとも費やしたくはないとさえ思います。

嚮心塾の合格体験記を読んでもらえば、ほとんどの合格者が最初はどうしようもない状態から始めて合格に至っていることがよくわかると思います。もちろんこれは勉強ができなかった受験生の全てが必ずうまくいっている、ということでは全くありません。また、最初からそこそこできた子が足りない部分を補った結果としての合格、というケースもあります。しかし、うまく行かなかった子もうまく行った子も、ゼロから始めた子も足りない1ピースを求めて来た子も、そのどの塾生に対してもその子達が合格するためのプランと戦略、指導において手を抜いたことはありません。どのような状態の子に対してもこちらにできることに見落としはないかを必死に悩み考え抜くこと、本人以上にそれを悩むことにしか、塾を続ける意義などないのではないか、と考えております。そこに少しでもブレーキをかけ、「そんなこと必死に悩まなくても、しっかりカモは集まって経営的にはうまくいってるじゃん!」という悪魔のささやきに耳を傾けることを自分に許さずに「毎年結果を残さなければ塾が存続しえない」ための自転車操業と背水の陣を続ける毎日です。その点について、ご理解いただけたらと思います。(長くなりましたので一旦切ります。その2に続く。)


(一方で、「その理想は良いとして、弾力的に運用して経済的に困窮している子には力になってあげればいいじゃないか!」という主張もあると思います。それに関してはノーコメント、と言いたいところではあるのですが、その子の成績にかかわらず、本当にお月謝が厳しい場合には相談して様々な形で対応してきました。しかし、これも難しくて、やるべきだったのかどうか、かなり悩ましいと今は反省しています。その子達の人生においては大きな支えとなるものを得られたとは思いますが、僕自身、たとえばお月謝をいただいているご家庭とそうではないご家庭とで本当に指導の質に変わりがないといえたのか、と言えばあやしい部分もあります。やはりそこまで僕自身が人間ができていない、というところです(まあ、「この御恩は一生忘れません!」と言われてもすぐに忘れられますし。まあこれも仕方ないことです)。この辺りはその2で書こうと思います。)

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