
E・S(開成高卒) 大阪大学医学部医学科合格(進学先)
他合格校:慶應義塾大学医学部、防衛医大(1次合格)
入学準備を大体終えました。二十歳の癖して親の助けが無ければほぼ何も出来ない。当たり前のように思えますし、当たり前なのですが、やっぱり自分は未熟だなと思ってしまいます。という訳で遅くなりましたが、自分の人生を最初から振り返りつつ、受験体験記を(長々と)書かせて頂きます。
私は4歳の頃から、姉が勉強をしているのを見て自分もやりたいと思い、勉強を始めました。勉強はどうやら自分にあっているらしく、しかもその頃は「ああ勉強ってすごい楽しいな」と思っていたこともあり、どんどん出来るようになりました。小学四年生のときにenaという塾に入塾し、最初から成績は全科目で常にトップ付近、都立私立に関わらずテストは必ず上位にいて、入塾した年には全国統一小学生テストで決勝大会に進むことが出来ました(理科について言えば全国で3位でした)。そして当時の塾の先生に「チャレンジ校として開成を受けてみないか」と持ちかけられたので実際に受けたところ、無事開成中学に合格することが出来ました。西武学園文理中学校の特待入試、学芸大学附属小金井中学校の入試も合格し、全勝でした。
元々小学五年生の時に漢検及び英検を5級~3級まで受けて合格し、中学数学を入学前の春休み1週間で終わらせていたこともあり、入学後の成績も上々でした。英検準二級も(たまたま)受かりました。当然私は有頂天になり、このまま行けば何も問題ないだろうと思うようになりました。出来すぎてしまった、失敗を味わえなかった、であるからこそ、その後出来なくなってしまったのです。実は私は当時、一時的に数学研究部及び理化学部に入部していたのですが、同級生も含め、他の人が自分の知らないことをなんでも知っていることに気が付きました。私には無理でした、私はすごく出来るのだと思っていたのに全く太刀打ちできないことがあると受け入れることが。勿論逃げました、なぜなら授業の成績は良かったから。しかし、中学二年生になった途端、英語が意味不明な記号と化しました(言い訳させて欲しいのですが、私の代の英語教師は最悪であるという噂が立つほどで、今になって思えば、ろくに文法もやらせることなく唐突に長文を読ませ始め、リスニングも非常に速いものばかり聞かせてくるため出来ない子にとっては意欲を喪失させるものであり、単語学習も上手く言えませんが…マジで変なやり方をしてたんですね)。英語にいくら重点を置いて勉強しようとも全く成績は伸びず、52点を取って皆の前で大泣きしたこともありました(70点台すらほぼ取ることがなかったのに、耐えられるはずがなかったのです)。この頃から、それまでは一日あたりのやる時間の上限を決めていたゲームに没頭し始め、それをきっかけに親とも衝突し始めました。反抗期の始まり。ちなみに漢検二級は取れましたが、英検二級は落ちました。当たり前。
それでも私は「いやいや、あの天下の開成の授業がその辺の塾の授業より酷いわけが無い、きっと僕のやり方が悪いのだ」と思い続けました(家が遠い都合上、鉄緑会等有名な塾に通うことは出来ず、当時は独学でした)。中学三年生の夏頃、親に説得されて姉が通っていた嚮心塾なる塾に通うことになりましたが、やはり前向きにはなれず、さらには「文法書をひたすら読め」という塾長の言葉も信じられなかった(私は小学五年生で3級まで取ったんだぞ、そんな''よく分からない''けど初歩的なところで躓いている訳が無いだろう)。英語以外は相変わらず出来ていたし、定期考査前には勉強会を開き、友達に勉強を教えていたくらいでしたので尚更行く気なんて起きませんでした。定期考査だけ、それだけ出来たんですね。(どうでもいいですが、この辺りから人生について考えるようになりました)
高校生になりました。定期考査の勉強しかしないと、その為にそれまでの考査の勉強内容を忘れるんですよ、そういう風に頭は働きます。つまり、出来なくなりました。センスのある(であろう)数学、現代文以外の全科目。数学も段々できなくなってきました。それでも高校一年生の間は塾に行きたくない、週三〜週四で行ってましたが、単語テストにダラダラと時間をかけ(なんと5時間かけてました)、隙あらば早く帰ってそれを免罪符にゲームをする日々。逃げるのは楽しかったかな、それはそれで。さすがに先生は分かっていたんでしょうね、早く帰ろうとしている私に対して一度だけ叱ったことがありました。あまり意味は無かった。生徒の習慣を変えるのは本当に大変です、であるからこそ、塾、学校問わずほぼ全ての教師が生活習慣について言及せず、「お前らの責任だぞ」程度で切り捨てるのでしょう、一番大切なことなのに。全ての生徒に対して誠実に向き合い続けようとする塾長の姿にはやはり頭が下がります。
高校二年生になりました。この辺りから(数学と国語で偶然いい成績を取ったおかげで71位/400人となった一度を除いて)下から数えた方が早い順位を、学校の模試で取るようになりました。ようやく夏から本腰入れるようになり、英文法書を読み始めたり、高校数学の基本、即ち教科書からやり直したりしました。しかし私の学校は運動会に物凄く力を入れており、勿論私も運動会が大好きなその一人でしたので、運動会が終わる高校三年生の六月まで両立する形になりました(団長に立候補したり、エールの歌詞や振り付け等を皆で考えたりしてました)。数学は得意でしたので1A2Bの方は割とできるようになりましたが、英語の方はそもそもセンスも何も無い、始めるのが遅かったのもあってまだ全然出来ない、夏に始めたセンター英語では120~150点に落ち着き、毎日「並び替えを落とすな」「文法が甘い」と塾長に言われ続ける日々でした。しかしそれでもようやく、文法の大事さを理解し始めましたし、ほんの少しではありますが実力の伸びを感じました。
秋になり、理科を始めました、勿論基本のキから。定期考査対策としてこなしていたはずのそれらは何一つ覚えていませんでした。また東北大学の医学部医学科を目指すことになりました。多分塾長が、当時の私が目指すことができる場所として提示したのだと思います、多分。そして秋に河合塾の東北大学模試を受けました。これがたまたま上手くいってしまったんですね、B判定でした。全く出来ないはずの英語、始めたばかりの理科ですら偏差値60台を取ってしまって(重ねて言いますが、たまたまです。塾の採点は頑張ってこそいるものの、大したものじゃないんです)、すっかり勉強嫌いになっていた私にとっては「なんだ、大学受験って余裕じゃん」と思うことで逃げ道になっちゃいました。一応言っておくと、センター試験模試の方は671/900でしたから、国公立医学部を目指しているにしてはめちゃくちゃ低いのです、塾長は「いやこれ君全然、マジで伸びるよ」って仰ってくださいましたが、やっぱり私は定期的にサボるようになりました。サボる手段というか、口実なんていくらでも作れちゃうんですよ。ついでに言っておくと、センター試験のリスニングの演習でなんと一回12点/50を取ったことがあります。確率すら超越してました(4択ですので)。さらに言っておくと、防衛医大の一次試験は落ちました。そりゃあね。
防衛医大を除けば、実に6年振りの受験を迎えました。センター試験は確か714点くらい。後期は勿論無理で、前期は東北大学に出願し足切りをギリギリ回避しました(塾長と「これ多分僕最下位ですよね」なんて話し合ってました)。東北大学は結局不合格で、それも不合格者ランクF判定(つまりほぼ最下位)でした。英語は勿論のこと、いくら理科や数学が得意とは言っても大して身を入れていなかったこと、数学が極端に易化したのに計算ミスを連発したこと等、ボロボロでした。余談を挟むと、私は試験直後は「受かった!」なんて思いました、実力が無かったから。親にもそう言っちゃった、最低だ。浪人の始まり。
コロナが流行り始めました。やる気は起きなかったので、4月~6月の間、家にこもりました。一応5月に入ってからは、一日にした勉強の内容及び時間を塾長にメールで送るという形をとり、8〜12時間の勉強時間を確保していました。コロナが全く収束しそうになかったので、腹を括って7月から塾に通い始めました。文法や英文解釈をひたすらやっていたお陰か、センター英語で9割以上を取れるようになりました。伸びを感じれば勉強なんて楽しくなります、夏休みの間は一日15時間勉強しました、一番早くに塾に来ようとか、そんなこと考えつつモチベを維持しました。いつしか、京大医学部か理科三類を目指すようになりました。今だから白状しておくと、理科三類に行きたいと思うようになりました(一応述べておくと決して学歴の為ではなく、自分なりに目指したい、本当に大切な理由があったのですが、他人からすれば極めてしょうもない事柄ですのでこれだけは隠させて頂きます)。今度は防衛医大の一次試験に合格することが出来ました(塾長には君の実力なら当然と言われましたが、それでも嬉しくはありました)。
努力が苦手なんですかね、さすがに長続きしませんでした。それでも理科三類に合格したチューターのK先生(2020年に合格体験記を書いておられます、是非読んでみてください)とお話する等して適度に勉強する習慣をつけていました。塾長とも色々話をし、人生についてより深く考えるようになりました。最後まで迷いましたが、この時は防衛医大の二次試験は蹴りました。特にこの頃から、塾長には試験の取り組み方について(これについては後述します)しつこく、何度も何度も繰り返し指導して頂きました。塾長曰く「猪突猛進な性格」のせいでこれが一番難しかった、最後まで足を引っ張り続けることになります。
二度目の受験がやってきました。この年は(政府の安直な考えのせいで)共通テストに変わった初の年でした。それでも、地理やリスニングが出来なかったとはいえ、東大換算で808点、後期の千葉大学医学部換算で816点。かなり成長したのだなと感じました。ただ一つ、東大を受けるにあたって支障がありました。そう、リスニングです、全く出来ない。550点中30点を占めている上、他の受験生は理科三類志望に限らず総じて得意とする部分ですので相当なビハインドでした。それでも受けたかった。結局受けさせてもらえることになり、リスニングを必死に頑張りました。しかし、流石に間に合いませんでした。本番は数学が悪問化した!と言われる年で、自分もそれに引っかかりました。塾長に「Twitterを見るなよ」と言われていたのにも関わらず見てしまい、根も葉もない噂が大量に目について気持ちを揺さぶられ、2日目の理科でも失敗し、英語の時間はもはや「早く終わってくれ」と思うレベルで、笑っちゃうほどに心で泣きながら解く感じになりました。落ちたと確信しましたのですぐ後期の勉強を始めました。
結果、後期は1450点満点で60点差で落ちました。数学では「弧」と「弦」を見間違えた為に大問1つ丸々落とし、理科でも問題文をよく読まなかった(電位の基準を取り違えた)ために丸ごと落とした問題があり、面接も上手くいかなかった、当然の結果でした。「違和感を感じたらちゃんと読み直せ」というのが先述した塾長からのアドバイスの一つでしたが、それに従えなかったがために落ちた訳です。ちなみに帰った後に東大の点数開示を見たところ、550点満点で約50点差で落ちていることが分かりました、不合格者ランクはBランク(確かEまであります)、実力はやっぱりすごい伸びたんでしょう、塾長のアドバイスがどれほど有効か、それを守らないことがどれほど愚かか、この二度の試験で痛感しました。
二浪目になりました。最初の頃は割とコツコツ勉強出来たのですが、午前中にリスニングをやるというつもりがどんどんやる気が無くなってきて、6月辺りから勉強時間が5時間ほどになりました(リスニングがどうしても出来るようにならなくて辛かった)。自分でもよく分かりませんが、一度勉強を極度に嫌ってしまったがために、いくらできるようになろうと嫌いなのは全く変わらず、その逃げ道として他のコンテンツを利用する形をずっと取り続けているのだな、というのは感じていました。ただし、決して感情の奔流にただ流されっぱなしではなく、いかにして自分が勉強(リスニングも含め)に取り組めるようにするかは常に考え続けました(私はこれを努力のための努力と呼んでいます)。結局勉強時間を取り戻すことは出来なかったのですが、秋頃になって塾長にサボり癖が(また)バレて、元々何とかしたいと思っていたのでこれをきっかけに最後の追い込みをかけることが出来ました。そういう意味では多分私自身相当に(人間として)成長したのだと思います、そういう意味ではね。
また二浪目には、一浪目は一度も受けなかった模試を受けることにしました。駿台や河合塾主催の東大京大の模試及び、駿台全国模試を受けました。東大型の模試では一度も英語で60点以上/120を取れたことがありませんでしたがそれでもB判定~C判定、京大型の模試では時にA判定を取れるようになりました。勿論、防衛医大の一次試験も通り、流石にこれ以上浪人する訳にはいかない、早く医者になるべきだと感じましたので、面接の練習をして二次試験を受けました。
3度目の受験が始まりました。一浪目までは社会科目として地理を選択していたのですが、高得点がどうしても狙えないと考えたので倫政に変え、受験直前はひたすら倫政の勉強をしました。830点は超えたいな、ぶっちゃけ普段通りに、塾長のアドバイス通りにやればそれくらいは行けるはずって思いつつ、共通テストを受けました。大惨事でした。過去最高の難易度であったからというのは勿論ですが、2日目最初の1Aであまりに極端な難易度だった為、警戒してしまったというか、気負ってしまったんですね。それよりは簡単なはずの2Bや理科でひたすらに問題文を読み間違え、設定を捉え間違え、惨憺たる結果になりました(1Aがダントツで難しいはずなのに、結局いつも通りにすることができた1Aが1番高かった)。自己採点は732点(ちなみに倫政は流石に90点取れていました)。僕は何も学んでいないじゃないか(Twitterは見なかったけど)とか、本番ってこんなに残酷だったのかとか、色々考えた。本番の重圧に耐えられなくなり、今年合格せねば自分のことを応援してくれる人達にも顔向けできないというのは元々考えていたこと、それから防衛医大の二次試験が(多分)喘息持ちというだけで落とされたために保険が無くなったことから、英語の相性が極端に悪い理科三類ではなく、京都大学医学部か大阪大学医学部に志望を変更することにし、国語の勉強すらしたくない、研究面で強いのはどちらも同じだと考え、学歴には興味が無かったので大阪大学の方を受験することに決めました(多少なりとも将来の自分に選択肢を与えられるような大学を受けたいと思っていたので、それ以外は考えませんでした)。
今年は塾長や家族と相談し、学費の面で敬遠していた慶應義塾大学医学部も受験することに決めていて、まずその一次試験を受けました。相も変わらず本番特有のミス(人生で初めて時計回りと反時計回りを間違えました!)をしたり、塾長のアドバイスの一つである「途中でわからずとも、問題文の最後まで読めばその全体像が見える」というのを守れなかったりしたりしたために不安要素こそ残りましたが、それでもかなり改善された方で、手応えは悪くありませんでした。そのまま大阪大学の入試を受けました。
数学と英語で過去最高の取り組み方ができましたが、理科で本番特有の魔物がやはり現れ、普段なら書く図を書かない、分母と分子を間違える、分数の中央のバーがマイナスに見えてしまう等、様々なミスをしました。それでも、出題ミスのあった有機化学への対応の仕方等は上手くでき、大惨事を防げました。姉や塾長に面接の話し方について色々アドバイスを頂き、面接は割といい感じに話せた、という感じで終わりました。
慶應の一次試験が合格したことが分かったので、二次試験の小論文と面接の対策を塾長と共に徹底しました。すごく良い出来でした。結局慶應は補欠となり(高得点勝負だったようです)、大阪大学の自己採点がひたすら頭を巡りましたが、千葉大学後期試験の対策をしつつ結果を待ちました。ようやく自分の受験番号を見つけることが出来ました、大阪大学医学部医学科に合格しました…(慶医も補欠合格しました)
以上が体験記となります。ちょっと自分の考えを話して終わりにしたいと思います。
まず''努力''について。
私の体験記を読めばわかると思いますが、正直なところ、私は天才なんですよね。他の人より遥かに勉強時間少なくて済んでいるし、子供の頃から多分めっちゃできていると思う。しかし勘違いしないで欲しい、これが私の精一杯の努力だったんです。つまりどういうことかと言えば、我々はただ「努力する!しなきゃ!」なんて思うだけで限界突破出来ないってことです。先程努力のための努力と言いました。既存の環境のみでできる努力なんて限られています、大事なのはいかにして努力をする環境、あるいは習慣を作り出せるか?だと思います。例えば塾長も、「家に居座り続けるとどんどん塾に行きたくなくなるから、その前にまず外に出る、そうすれば塾に行かざるを得ない」というふうにアドバイスされることがありますが、これもその一例だと思います。
さらには努力の仕方にも工夫がいります。なんで教科書が大切なんでしょう?勉強というのは伝言ゲームのように全ての要素が繋がっているものだからです。そのための基盤となるのが教科書に載っている基礎だからです。応用というのはあくまでそれぞれの要素を組み合わせたにすぎません、基礎は''簡単''なのではなく''必須''なんです。英文法における''例外''は''原則''を理解して初めて意味を持ちます。論理的に考える、というのはその要素同士を結びつける理屈に飛躍がないかを徹底的に吟味することです。それを踏まえると、いかに教科書が大切かよくわかると思います(やってみないと分からないか)。
最後に最も大切なことですが、努力って「目的を達成することが出来る確率を上げるもの」なんですよ。例えば努力したから受かるなんて、そんなことは無いんです(私は私なりに努力しましたが理科三類には至らなかった)。ただあるのは、その可能性はちゃんと縮まっているよね、ということ。そういう意味では努力は100%報われるし、一方で「受験前に俺こんなことしてる笑」みたいな自慢話がいかに愚かか分かるでしょう。その時点で彼らは確率に身を委ねているんです。そういったことを踏まえると、塾長が最後の最後までしつこくアドバイスをしようとし続けてくださるのはいかに大切なことかがよく分かる…かなと思います。
次に''人との対話''について。
学問というのは先程も言った通り、伝言ゲームのようにどんどん派生していくものです。従って勉強すればするほど未知の事柄は増えていきます。そうなると必然的に、その時々にする判断に対し、本当にそれが正しいのかどうか疑念が生じるはずです。あるいは無意識的にしていることではあるが、そうであるが故に自分では気がつけないことがあるはずです。例えば私の場合であれば、「中学入学前の春休みに中学数学を終わらせた」と先述しましたが、なんと当時の私、プラスマイナスの定義から丁寧に全て確認していたんですね(姉にそんなことまでやってるの!と驚かれたことがあります)。当時の私は今のように深く考えてなどいませんでしたから、「基礎を徹底的に埋める」という行為を自然に行なっていたのだとおもいます。しかし、塾長の言語化のお陰で気づけているのです。(勿論塾長の場合はそれを意識してやっているわけですが、そうでなくても)人との対話が、思考をより深められるきっかけになることが分かるのではないでしょうか。
最後に''学歴至上主義''について。
例えば就職においては学歴が非常に大事であるというのは正しいことです。企業側からしてみても、新入社員を悠長に吟味している暇なんてそんなに無いはずですから仕方ない。しかし、それを人の本質を知るための大きな判断基準として据えることはまた別のお話です。そもそも我々は一人一人全く違う環境で育っています。その過去全てをたった一つの要素である''学歴''だけでどうして判断できようか?人との対話は思考をより深められるきっかけになると言いました。そのための努力の必然性も述べました。学歴によって安直に人の価値を見定めようなどとしている時点で、思考の放棄、極めて愚かなのです。思考し続けることこそ、我々自身の価値が上がるのです。私達はやっぱり、いくら生きようとずっと未熟なままなんです。
勘違いされると困るので一応言及しておくと、決して「学歴を得るための勉強が要らない」とは言っていないことに注意して頂きたい。これもまた私達の思考を深められる一つの手段でありますから、「受験勉強が要らない!」というのもまた間違っていると思います。そういう意味では、学生のうちは素直に高学歴を目指すのがいいと言えるでしょう。
総括
努力は裏切りません。生きている限り、貴方のする努力は必ず貴方の価値を高めます。生きている限り私達は途中なのです。受験のための勉強は手段であるようで、(努力のための努力により)目的にもなりうるものです。それは受験についても言えます。受験が終わったところで我々の人生は終わりませんし、その価値が確定する訳でもない、目的のように見えて所詮手段なのです。私は「既に獲得した価値観に依存し、『自分は他者に比べて優れているのだ』等と思い満足すること」を「人生の妥協」と呼んでいます。何があろうと私は途中なのだ、通過点に過ぎないのだと思って、妥協することなく努力していきたいものです(自戒)。
塾の紹介も兼ねつつ、自分の考えを未熟ながらに頑張って述べたつもりなのですが、どうでしたかね。勿論ここに述べたことは所詮青二才の一つの考え方に過ぎません、そういう考え方を私はしているのだと思っていただけると嬉しいです。
やっとスタートラインに立てました、次の目標はとりあえず医者になること。どんな医者になりたいか等もある程度考えましたが、まずならねばなりませんね。
オマケ(本題?):塾について
まあみんな書いてるし…
良いところ
・あらゆることに対して相談に乗って頂けること。
・本番の心構えや普段の勉強に対する取り組み方等への徹底的な指導(普通の予備校や塾では有り得ないと思う)。
・塾長が(ほぼ)いること。質問を繰り返していけばいくほど、どう考えていくべきかが見えてくると思う。
良くも悪くもあるところ
・授業がないところ。行きたくないな…と思った時に行かなくて済んでしまうように見えてしまう。逆に言えばこういった面をどのように対策していくかを考えざるを得ないし、他の塾等ではありえない部分だが大事なところでもある。
・テストがないところ(単語等の口述でのテストは各自で設けられる)。短期的な目標は学生からすると取り組みやすく、それを一般の塾ではテストとして設けていると思う。それがないので目標を自分で設定する必要がある(まあ塾長が相談に乗ってくれます)。まあこれも大事だよね。
悪いところ(想像です、マジで)
・(さすがに)予備校の方がより難しい問題まで質問できる(と思う)。いくら塾長が優秀とはいえ、一人で全教科やっているので…しかしまあ、それほどの問題は殆どの場合本番で解けなくていいやつなので気にしなくて良い。
最後の方、ちょっと疲れて割と適当になってしまっています、すみません。
柳原先生ありがとうございました、お世話になりました。
他合格校:慶應義塾大学医学部、防衛医大(1次合格)
入学準備を大体終えました。二十歳の癖して親の助けが無ければほぼ何も出来ない。当たり前のように思えますし、当たり前なのですが、やっぱり自分は未熟だなと思ってしまいます。という訳で遅くなりましたが、自分の人生を最初から振り返りつつ、受験体験記を(長々と)書かせて頂きます。
私は4歳の頃から、姉が勉強をしているのを見て自分もやりたいと思い、勉強を始めました。勉強はどうやら自分にあっているらしく、しかもその頃は「ああ勉強ってすごい楽しいな」と思っていたこともあり、どんどん出来るようになりました。小学四年生のときにenaという塾に入塾し、最初から成績は全科目で常にトップ付近、都立私立に関わらずテストは必ず上位にいて、入塾した年には全国統一小学生テストで決勝大会に進むことが出来ました(理科について言えば全国で3位でした)。そして当時の塾の先生に「チャレンジ校として開成を受けてみないか」と持ちかけられたので実際に受けたところ、無事開成中学に合格することが出来ました。西武学園文理中学校の特待入試、学芸大学附属小金井中学校の入試も合格し、全勝でした。
元々小学五年生の時に漢検及び英検を5級~3級まで受けて合格し、中学数学を入学前の春休み1週間で終わらせていたこともあり、入学後の成績も上々でした。英検準二級も(たまたま)受かりました。当然私は有頂天になり、このまま行けば何も問題ないだろうと思うようになりました。出来すぎてしまった、失敗を味わえなかった、であるからこそ、その後出来なくなってしまったのです。実は私は当時、一時的に数学研究部及び理化学部に入部していたのですが、同級生も含め、他の人が自分の知らないことをなんでも知っていることに気が付きました。私には無理でした、私はすごく出来るのだと思っていたのに全く太刀打ちできないことがあると受け入れることが。勿論逃げました、なぜなら授業の成績は良かったから。しかし、中学二年生になった途端、英語が意味不明な記号と化しました(言い訳させて欲しいのですが、私の代の英語教師は最悪であるという噂が立つほどで、今になって思えば、ろくに文法もやらせることなく唐突に長文を読ませ始め、リスニングも非常に速いものばかり聞かせてくるため出来ない子にとっては意欲を喪失させるものであり、単語学習も上手く言えませんが…マジで変なやり方をしてたんですね)。英語にいくら重点を置いて勉強しようとも全く成績は伸びず、52点を取って皆の前で大泣きしたこともありました(70点台すらほぼ取ることがなかったのに、耐えられるはずがなかったのです)。この頃から、それまでは一日あたりのやる時間の上限を決めていたゲームに没頭し始め、それをきっかけに親とも衝突し始めました。反抗期の始まり。ちなみに漢検二級は取れましたが、英検二級は落ちました。当たり前。
それでも私は「いやいや、あの天下の開成の授業がその辺の塾の授業より酷いわけが無い、きっと僕のやり方が悪いのだ」と思い続けました(家が遠い都合上、鉄緑会等有名な塾に通うことは出来ず、当時は独学でした)。中学三年生の夏頃、親に説得されて姉が通っていた嚮心塾なる塾に通うことになりましたが、やはり前向きにはなれず、さらには「文法書をひたすら読め」という塾長の言葉も信じられなかった(私は小学五年生で3級まで取ったんだぞ、そんな''よく分からない''けど初歩的なところで躓いている訳が無いだろう)。英語以外は相変わらず出来ていたし、定期考査前には勉強会を開き、友達に勉強を教えていたくらいでしたので尚更行く気なんて起きませんでした。定期考査だけ、それだけ出来たんですね。(どうでもいいですが、この辺りから人生について考えるようになりました)
高校生になりました。定期考査の勉強しかしないと、その為にそれまでの考査の勉強内容を忘れるんですよ、そういう風に頭は働きます。つまり、出来なくなりました。センスのある(であろう)数学、現代文以外の全科目。数学も段々できなくなってきました。それでも高校一年生の間は塾に行きたくない、週三〜週四で行ってましたが、単語テストにダラダラと時間をかけ(なんと5時間かけてました)、隙あらば早く帰ってそれを免罪符にゲームをする日々。逃げるのは楽しかったかな、それはそれで。さすがに先生は分かっていたんでしょうね、早く帰ろうとしている私に対して一度だけ叱ったことがありました。あまり意味は無かった。生徒の習慣を変えるのは本当に大変です、であるからこそ、塾、学校問わずほぼ全ての教師が生活習慣について言及せず、「お前らの責任だぞ」程度で切り捨てるのでしょう、一番大切なことなのに。全ての生徒に対して誠実に向き合い続けようとする塾長の姿にはやはり頭が下がります。
高校二年生になりました。この辺りから(数学と国語で偶然いい成績を取ったおかげで71位/400人となった一度を除いて)下から数えた方が早い順位を、学校の模試で取るようになりました。ようやく夏から本腰入れるようになり、英文法書を読み始めたり、高校数学の基本、即ち教科書からやり直したりしました。しかし私の学校は運動会に物凄く力を入れており、勿論私も運動会が大好きなその一人でしたので、運動会が終わる高校三年生の六月まで両立する形になりました(団長に立候補したり、エールの歌詞や振り付け等を皆で考えたりしてました)。数学は得意でしたので1A2Bの方は割とできるようになりましたが、英語の方はそもそもセンスも何も無い、始めるのが遅かったのもあってまだ全然出来ない、夏に始めたセンター英語では120~150点に落ち着き、毎日「並び替えを落とすな」「文法が甘い」と塾長に言われ続ける日々でした。しかしそれでもようやく、文法の大事さを理解し始めましたし、ほんの少しではありますが実力の伸びを感じました。
秋になり、理科を始めました、勿論基本のキから。定期考査対策としてこなしていたはずのそれらは何一つ覚えていませんでした。また東北大学の医学部医学科を目指すことになりました。多分塾長が、当時の私が目指すことができる場所として提示したのだと思います、多分。そして秋に河合塾の東北大学模試を受けました。これがたまたま上手くいってしまったんですね、B判定でした。全く出来ないはずの英語、始めたばかりの理科ですら偏差値60台を取ってしまって(重ねて言いますが、たまたまです。塾の採点は頑張ってこそいるものの、大したものじゃないんです)、すっかり勉強嫌いになっていた私にとっては「なんだ、大学受験って余裕じゃん」と思うことで逃げ道になっちゃいました。一応言っておくと、センター試験模試の方は671/900でしたから、国公立医学部を目指しているにしてはめちゃくちゃ低いのです、塾長は「いやこれ君全然、マジで伸びるよ」って仰ってくださいましたが、やっぱり私は定期的にサボるようになりました。サボる手段というか、口実なんていくらでも作れちゃうんですよ。ついでに言っておくと、センター試験のリスニングの演習でなんと一回12点/50を取ったことがあります。確率すら超越してました(4択ですので)。さらに言っておくと、防衛医大の一次試験は落ちました。そりゃあね。
防衛医大を除けば、実に6年振りの受験を迎えました。センター試験は確か714点くらい。後期は勿論無理で、前期は東北大学に出願し足切りをギリギリ回避しました(塾長と「これ多分僕最下位ですよね」なんて話し合ってました)。東北大学は結局不合格で、それも不合格者ランクF判定(つまりほぼ最下位)でした。英語は勿論のこと、いくら理科や数学が得意とは言っても大して身を入れていなかったこと、数学が極端に易化したのに計算ミスを連発したこと等、ボロボロでした。余談を挟むと、私は試験直後は「受かった!」なんて思いました、実力が無かったから。親にもそう言っちゃった、最低だ。浪人の始まり。
コロナが流行り始めました。やる気は起きなかったので、4月~6月の間、家にこもりました。一応5月に入ってからは、一日にした勉強の内容及び時間を塾長にメールで送るという形をとり、8〜12時間の勉強時間を確保していました。コロナが全く収束しそうになかったので、腹を括って7月から塾に通い始めました。文法や英文解釈をひたすらやっていたお陰か、センター英語で9割以上を取れるようになりました。伸びを感じれば勉強なんて楽しくなります、夏休みの間は一日15時間勉強しました、一番早くに塾に来ようとか、そんなこと考えつつモチベを維持しました。いつしか、京大医学部か理科三類を目指すようになりました。今だから白状しておくと、理科三類に行きたいと思うようになりました(一応述べておくと決して学歴の為ではなく、自分なりに目指したい、本当に大切な理由があったのですが、他人からすれば極めてしょうもない事柄ですのでこれだけは隠させて頂きます)。今度は防衛医大の一次試験に合格することが出来ました(塾長には君の実力なら当然と言われましたが、それでも嬉しくはありました)。
努力が苦手なんですかね、さすがに長続きしませんでした。それでも理科三類に合格したチューターのK先生(2020年に合格体験記を書いておられます、是非読んでみてください)とお話する等して適度に勉強する習慣をつけていました。塾長とも色々話をし、人生についてより深く考えるようになりました。最後まで迷いましたが、この時は防衛医大の二次試験は蹴りました。特にこの頃から、塾長には試験の取り組み方について(これについては後述します)しつこく、何度も何度も繰り返し指導して頂きました。塾長曰く「猪突猛進な性格」のせいでこれが一番難しかった、最後まで足を引っ張り続けることになります。
二度目の受験がやってきました。この年は(政府の安直な考えのせいで)共通テストに変わった初の年でした。それでも、地理やリスニングが出来なかったとはいえ、東大換算で808点、後期の千葉大学医学部換算で816点。かなり成長したのだなと感じました。ただ一つ、東大を受けるにあたって支障がありました。そう、リスニングです、全く出来ない。550点中30点を占めている上、他の受験生は理科三類志望に限らず総じて得意とする部分ですので相当なビハインドでした。それでも受けたかった。結局受けさせてもらえることになり、リスニングを必死に頑張りました。しかし、流石に間に合いませんでした。本番は数学が悪問化した!と言われる年で、自分もそれに引っかかりました。塾長に「Twitterを見るなよ」と言われていたのにも関わらず見てしまい、根も葉もない噂が大量に目について気持ちを揺さぶられ、2日目の理科でも失敗し、英語の時間はもはや「早く終わってくれ」と思うレベルで、笑っちゃうほどに心で泣きながら解く感じになりました。落ちたと確信しましたのですぐ後期の勉強を始めました。
結果、後期は1450点満点で60点差で落ちました。数学では「弧」と「弦」を見間違えた為に大問1つ丸々落とし、理科でも問題文をよく読まなかった(電位の基準を取り違えた)ために丸ごと落とした問題があり、面接も上手くいかなかった、当然の結果でした。「違和感を感じたらちゃんと読み直せ」というのが先述した塾長からのアドバイスの一つでしたが、それに従えなかったがために落ちた訳です。ちなみに帰った後に東大の点数開示を見たところ、550点満点で約50点差で落ちていることが分かりました、不合格者ランクはBランク(確かEまであります)、実力はやっぱりすごい伸びたんでしょう、塾長のアドバイスがどれほど有効か、それを守らないことがどれほど愚かか、この二度の試験で痛感しました。
二浪目になりました。最初の頃は割とコツコツ勉強出来たのですが、午前中にリスニングをやるというつもりがどんどんやる気が無くなってきて、6月辺りから勉強時間が5時間ほどになりました(リスニングがどうしても出来るようにならなくて辛かった)。自分でもよく分かりませんが、一度勉強を極度に嫌ってしまったがために、いくらできるようになろうと嫌いなのは全く変わらず、その逃げ道として他のコンテンツを利用する形をずっと取り続けているのだな、というのは感じていました。ただし、決して感情の奔流にただ流されっぱなしではなく、いかにして自分が勉強(リスニングも含め)に取り組めるようにするかは常に考え続けました(私はこれを努力のための努力と呼んでいます)。結局勉強時間を取り戻すことは出来なかったのですが、秋頃になって塾長にサボり癖が(また)バレて、元々何とかしたいと思っていたのでこれをきっかけに最後の追い込みをかけることが出来ました。そういう意味では多分私自身相当に(人間として)成長したのだと思います、そういう意味ではね。
また二浪目には、一浪目は一度も受けなかった模試を受けることにしました。駿台や河合塾主催の東大京大の模試及び、駿台全国模試を受けました。東大型の模試では一度も英語で60点以上/120を取れたことがありませんでしたがそれでもB判定~C判定、京大型の模試では時にA判定を取れるようになりました。勿論、防衛医大の一次試験も通り、流石にこれ以上浪人する訳にはいかない、早く医者になるべきだと感じましたので、面接の練習をして二次試験を受けました。
3度目の受験が始まりました。一浪目までは社会科目として地理を選択していたのですが、高得点がどうしても狙えないと考えたので倫政に変え、受験直前はひたすら倫政の勉強をしました。830点は超えたいな、ぶっちゃけ普段通りに、塾長のアドバイス通りにやればそれくらいは行けるはずって思いつつ、共通テストを受けました。大惨事でした。過去最高の難易度であったからというのは勿論ですが、2日目最初の1Aであまりに極端な難易度だった為、警戒してしまったというか、気負ってしまったんですね。それよりは簡単なはずの2Bや理科でひたすらに問題文を読み間違え、設定を捉え間違え、惨憺たる結果になりました(1Aがダントツで難しいはずなのに、結局いつも通りにすることができた1Aが1番高かった)。自己採点は732点(ちなみに倫政は流石に90点取れていました)。僕は何も学んでいないじゃないか(Twitterは見なかったけど)とか、本番ってこんなに残酷だったのかとか、色々考えた。本番の重圧に耐えられなくなり、今年合格せねば自分のことを応援してくれる人達にも顔向けできないというのは元々考えていたこと、それから防衛医大の二次試験が(多分)喘息持ちというだけで落とされたために保険が無くなったことから、英語の相性が極端に悪い理科三類ではなく、京都大学医学部か大阪大学医学部に志望を変更することにし、国語の勉強すらしたくない、研究面で強いのはどちらも同じだと考え、学歴には興味が無かったので大阪大学の方を受験することに決めました(多少なりとも将来の自分に選択肢を与えられるような大学を受けたいと思っていたので、それ以外は考えませんでした)。
今年は塾長や家族と相談し、学費の面で敬遠していた慶應義塾大学医学部も受験することに決めていて、まずその一次試験を受けました。相も変わらず本番特有のミス(人生で初めて時計回りと反時計回りを間違えました!)をしたり、塾長のアドバイスの一つである「途中でわからずとも、問題文の最後まで読めばその全体像が見える」というのを守れなかったりしたりしたために不安要素こそ残りましたが、それでもかなり改善された方で、手応えは悪くありませんでした。そのまま大阪大学の入試を受けました。
数学と英語で過去最高の取り組み方ができましたが、理科で本番特有の魔物がやはり現れ、普段なら書く図を書かない、分母と分子を間違える、分数の中央のバーがマイナスに見えてしまう等、様々なミスをしました。それでも、出題ミスのあった有機化学への対応の仕方等は上手くでき、大惨事を防げました。姉や塾長に面接の話し方について色々アドバイスを頂き、面接は割といい感じに話せた、という感じで終わりました。
慶應の一次試験が合格したことが分かったので、二次試験の小論文と面接の対策を塾長と共に徹底しました。すごく良い出来でした。結局慶應は補欠となり(高得点勝負だったようです)、大阪大学の自己採点がひたすら頭を巡りましたが、千葉大学後期試験の対策をしつつ結果を待ちました。ようやく自分の受験番号を見つけることが出来ました、大阪大学医学部医学科に合格しました…(慶医も補欠合格しました)
以上が体験記となります。ちょっと自分の考えを話して終わりにしたいと思います。
まず''努力''について。
私の体験記を読めばわかると思いますが、正直なところ、私は天才なんですよね。他の人より遥かに勉強時間少なくて済んでいるし、子供の頃から多分めっちゃできていると思う。しかし勘違いしないで欲しい、これが私の精一杯の努力だったんです。つまりどういうことかと言えば、我々はただ「努力する!しなきゃ!」なんて思うだけで限界突破出来ないってことです。先程努力のための努力と言いました。既存の環境のみでできる努力なんて限られています、大事なのはいかにして努力をする環境、あるいは習慣を作り出せるか?だと思います。例えば塾長も、「家に居座り続けるとどんどん塾に行きたくなくなるから、その前にまず外に出る、そうすれば塾に行かざるを得ない」というふうにアドバイスされることがありますが、これもその一例だと思います。
さらには努力の仕方にも工夫がいります。なんで教科書が大切なんでしょう?勉強というのは伝言ゲームのように全ての要素が繋がっているものだからです。そのための基盤となるのが教科書に載っている基礎だからです。応用というのはあくまでそれぞれの要素を組み合わせたにすぎません、基礎は''簡単''なのではなく''必須''なんです。英文法における''例外''は''原則''を理解して初めて意味を持ちます。論理的に考える、というのはその要素同士を結びつける理屈に飛躍がないかを徹底的に吟味することです。それを踏まえると、いかに教科書が大切かよくわかると思います(やってみないと分からないか)。
最後に最も大切なことですが、努力って「目的を達成することが出来る確率を上げるもの」なんですよ。例えば努力したから受かるなんて、そんなことは無いんです(私は私なりに努力しましたが理科三類には至らなかった)。ただあるのは、その可能性はちゃんと縮まっているよね、ということ。そういう意味では努力は100%報われるし、一方で「受験前に俺こんなことしてる笑」みたいな自慢話がいかに愚かか分かるでしょう。その時点で彼らは確率に身を委ねているんです。そういったことを踏まえると、塾長が最後の最後までしつこくアドバイスをしようとし続けてくださるのはいかに大切なことかがよく分かる…かなと思います。
次に''人との対話''について。
学問というのは先程も言った通り、伝言ゲームのようにどんどん派生していくものです。従って勉強すればするほど未知の事柄は増えていきます。そうなると必然的に、その時々にする判断に対し、本当にそれが正しいのかどうか疑念が生じるはずです。あるいは無意識的にしていることではあるが、そうであるが故に自分では気がつけないことがあるはずです。例えば私の場合であれば、「中学入学前の春休みに中学数学を終わらせた」と先述しましたが、なんと当時の私、プラスマイナスの定義から丁寧に全て確認していたんですね(姉にそんなことまでやってるの!と驚かれたことがあります)。当時の私は今のように深く考えてなどいませんでしたから、「基礎を徹底的に埋める」という行為を自然に行なっていたのだとおもいます。しかし、塾長の言語化のお陰で気づけているのです。(勿論塾長の場合はそれを意識してやっているわけですが、そうでなくても)人との対話が、思考をより深められるきっかけになることが分かるのではないでしょうか。
最後に''学歴至上主義''について。
例えば就職においては学歴が非常に大事であるというのは正しいことです。企業側からしてみても、新入社員を悠長に吟味している暇なんてそんなに無いはずですから仕方ない。しかし、それを人の本質を知るための大きな判断基準として据えることはまた別のお話です。そもそも我々は一人一人全く違う環境で育っています。その過去全てをたった一つの要素である''学歴''だけでどうして判断できようか?人との対話は思考をより深められるきっかけになると言いました。そのための努力の必然性も述べました。学歴によって安直に人の価値を見定めようなどとしている時点で、思考の放棄、極めて愚かなのです。思考し続けることこそ、我々自身の価値が上がるのです。私達はやっぱり、いくら生きようとずっと未熟なままなんです。
勘違いされると困るので一応言及しておくと、決して「学歴を得るための勉強が要らない」とは言っていないことに注意して頂きたい。これもまた私達の思考を深められる一つの手段でありますから、「受験勉強が要らない!」というのもまた間違っていると思います。そういう意味では、学生のうちは素直に高学歴を目指すのがいいと言えるでしょう。
総括
努力は裏切りません。生きている限り、貴方のする努力は必ず貴方の価値を高めます。生きている限り私達は途中なのです。受験のための勉強は手段であるようで、(努力のための努力により)目的にもなりうるものです。それは受験についても言えます。受験が終わったところで我々の人生は終わりませんし、その価値が確定する訳でもない、目的のように見えて所詮手段なのです。私は「既に獲得した価値観に依存し、『自分は他者に比べて優れているのだ』等と思い満足すること」を「人生の妥協」と呼んでいます。何があろうと私は途中なのだ、通過点に過ぎないのだと思って、妥協することなく努力していきたいものです(自戒)。
塾の紹介も兼ねつつ、自分の考えを未熟ながらに頑張って述べたつもりなのですが、どうでしたかね。勿論ここに述べたことは所詮青二才の一つの考え方に過ぎません、そういう考え方を私はしているのだと思っていただけると嬉しいです。
やっとスタートラインに立てました、次の目標はとりあえず医者になること。どんな医者になりたいか等もある程度考えましたが、まずならねばなりませんね。
オマケ(本題?):塾について
まあみんな書いてるし…
良いところ
・あらゆることに対して相談に乗って頂けること。
・本番の心構えや普段の勉強に対する取り組み方等への徹底的な指導(普通の予備校や塾では有り得ないと思う)。
・塾長が(ほぼ)いること。質問を繰り返していけばいくほど、どう考えていくべきかが見えてくると思う。
良くも悪くもあるところ
・授業がないところ。行きたくないな…と思った時に行かなくて済んでしまうように見えてしまう。逆に言えばこういった面をどのように対策していくかを考えざるを得ないし、他の塾等ではありえない部分だが大事なところでもある。
・テストがないところ(単語等の口述でのテストは各自で設けられる)。短期的な目標は学生からすると取り組みやすく、それを一般の塾ではテストとして設けていると思う。それがないので目標を自分で設定する必要がある(まあ塾長が相談に乗ってくれます)。まあこれも大事だよね。
悪いところ(想像です、マジで)
・(さすがに)予備校の方がより難しい問題まで質問できる(と思う)。いくら塾長が優秀とはいえ、一人で全教科やっているので…しかしまあ、それほどの問題は殆どの場合本番で解けなくていいやつなので気にしなくて良い。
最後の方、ちょっと疲れて割と適当になってしまっています、すみません。
柳原先生ありがとうございました、お世話になりました。



