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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

養鶏場のブロイラー。

お久しぶりです。国公立前期まで息をつく暇もなく中学入試、高校入試、私立大入試がありまして、ようやく昨日全ての受験生を送り出しました。今日明日も休み時間や一日目の夜のメール対応は残っているものの、あとは一人一人の受験生が最後まで練習通りにできるように、と祈るだけの時間が長くなりました。ここからはできる限りブログも再開して書いていこうと思います。

さて、思い出話からで恐縮なのですが、高校3年生のときに通っていた塾の一人の先生が僕にとっては人生でただ一人の「恩師」と呼べる存在でした。その彼から授業の合間によく言われたのは、「君たち中高一貫の進学校に通っている奴らは養鶏場のブロイラーみたいなもんや。卵産むしか能のないくせに、自分が優れていると思っとるんやから。」という言葉でした(ほぼほぼ東大受験生というか理Ⅲ受験生しかいない満杯の教室で彼はよくそういう話をしてくれました)。この言葉に僕は同級生に感じていた物足りなさを託しては、一緒に笑っているつもりでした。自分はそういうアホな奴らとは違う。受験勉強ごときができていようと、そんなことは人間の価値にはこれっぽっちも関わりがなく、また東大に入ったくらいで勉強をさぼっては学校歴にすがって生きるようなアホにはならない!と。(もちろん、そう意気がっているだけのただのブロイラーだったわけですが)

さて、そんな情けない「ブロイラー」としての僕自身はさておき、中高一貫の進学校は「養鶏場」なのか?ということについて、書きたいな、と思っています。特に最近は中学受験があまりにも過熱して、中学受験で合格できなければもうそこで人生が変わってしまう。。というような思い込みが巷間にはあるようにさえ思います。また高校指定校制の塾もたくさんあって、そうしたところに通わないと東大とか行けない!という思い込みも強いために、中学受験に何とか成功しなければ!となってしまったり、また「私立中高一貫校にはそれぞれこういう素晴らしい校風が!」と煽る情報もすごく出ているので、ますます良くないなー、と思っています。そうした幻想をいだいては、ますます早期選抜によって人生が決まってしまう、という思い込みが子どもたちを傷つけるからです。

ただ、こうした「有名中高一貫校に行くことが子供の幸せ!」という話は、様々な受験情報に煽られたせいで起きてしまっている、かなり親の側の思い入れと思い込みにすぎないものだと思っています。実際に国私立の中高一貫校ではどんな有名進学校であれ、良い先生が良い授業をしていることは稀です。学校の授業だけで大学受験に受かることなど灘や筑駒や開成や桜蔭でもありません。そもそもこうした高校の先生たちが受験に詳しいかといえば、そうでもないのです(まあ、本人たちは詳しいと思っているというパターンは多いのですが)。ましてや、自分の専門科目以外はどうしようもないわけで、大学受験にはあまり役に立たないから結局みんな予備校や塾通いをしています。

「中高一貫校は受験勉強のためだけじゃない!そこの教育方針の素晴らしさとそこで過ごす時間にこそ価値がある!」という一見正しそうな主張も、「ではそうした有名中高一貫校の校長が語る「教育方針」がその高校の進学実績と無関係に受容されているか」を考えればあやしくなってきます。まあこれは身内の恥を晒すのですが、なぜ我々は開成高校の校長先生の教育方針は一生懸命読むのか、といえばそれはその高校が東大合格者とか多いからではないでしょうか。もっと見識があり、もっと教育に熱心であり、もっと様々な努力をしている校長先生も恐らく他の私立高や公立高に必ずいるはずです。しかし、それらは知られるどころかインタビューさえされずに開成高校の(愚にもつかない)教育理念とかが校長からマスコミに流布されます。それらが無名な学校で必死に努力されている校長先生の教育理念よりも何かしら優れているかどうかの検証など、何もないままに、です。

つまり、教育理念にしても養鶏場のたとえに戻れば、「この養鶏場はたくさん卵を生産できているということは、ここに集められたブロイラーたちは幸せなはず!」という極めて雑な推論にすぎないのではないか、と思います。もちろんこう単純に言ってしまってよいのか、それらの有名進学校の教育理念に見るべきものが何もないのか、といえば、まあ何かしらはあるのでしょう。ただ、巷で保護者の方や小学生がうっとりされているほどのものはないのかな、と思います。(まあそもそも、教育理念というのは必ずそれが実際にできているかどうかのフィードバックを伴わなければ、単なるお題目にすぎません。「我が校はこういう教育理念です!」と言うのなら、それがどれくらいちゃんと実現できているのか、その理念に違うような細部がないのかどうか、そうした検証を通じてそもそもその教育理念を本当にこれからも掲げ続けるべきなのか、について毎年毎年徹底的に検証していかねばならないはずなのですが、寡聞にしてそのようなチェックが実行されている、というのは聞いたことがないです。)

となると、「中高一貫校などブロイラーを養成する養鶏場にすぎない」というのは半分正しいのですが、もっといえば養鶏場ほどでもなくて、単純な「器」というか、「場所」くらいでしかないのかな、というのが僕の印象です。(もちろん「無理やり勉強させては結局勉強を出来なくさせるだけでなく意欲さえ奪ってしまう「自称進学校」に比べれば、こうした中高一貫校は無害なだけマシだ!」という主張は正しいです。こんな選択肢しかない、というのが残念なところであり、大きな問題であると思っています。)

ここまでだいぶ極論のように聞こえてしまうかもしれません。ただ、中高一貫校への進学への過熱のせいで、努力もできる優秀な子たちが中学受験という早期での過当競争で失敗しただけで、大学進学までもある程度天井を作ってしまう、という弊害が生まれてしまっているこの状況については、もっと考えを改めていただきたい、と思っています。大学受験はそれに向けてきちんとやるべき勉強をやっていけば、どの中高に通ったとしてもしっかりと勝負のできるものです。今年も塾では慶應義塾大学に過去3年間合格者のいない高校から現役で合格した子が出ました!そうした可能性を一人一人が諦めずに、適切な勉強を積んでいくこと、さらには親御さんは中学受験で我が子の将来が全て決まる!!!と入れ込みすぎないことが、一人一人の可能性の探求を通じて社会全体が豊かになっていくためには、とても大切だと思います(もちろんこれも「卵を産む」という一つの方向にすぎないにせよ、です)。「有名進学校」もそんなに教育理念も教育内容も大したことないですよー!というのは少し冷静になっていただくためにも伝えられたら、と思っています。

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