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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

ワークブックの罪の重さ。

ほとんどのご家庭では「学校の勉強がとにかく大事!」という方針で親御さんはお子さんに接します。また学校の先生も「学校の勉強が一番大事!」と繰り返します。それでうまくまわっているお子さんについてはとりあえずはそのままでよいのですが、その「学校の勉強」を必死にやっているはずなのにうまくいっていないお子さんについては抜本的にそのやり方を変えていかねばならないはずです。ただそれをこちらが指摘してもなかなかわかってもらえずに「学校の宿題や小テストをやりながら学校の成績を上げるにはどうしたらよいですか?」的な無理難題をリクエストされてしまうことが多く、頭を悩ませる毎日です。(そもそも今学校で勉強している内容についていけないのなら、もっと基本的なことを復習すべきであるのは明白なのですが、学校の宿題や小テストは「今」進めている内容についてのものです。その「今」についての宿題が膨大であるときはそれを「それ以前」があやふやなままにこなすこと自体が時間の無駄であり何一つ力になりません!という事実自体は説明すればわかっていただけることが多いのですが、「学校の宿題を無視する」ということがなかなか怖くてできないままにその無意味な勉強を続けてしまう、という悲惨な状況に陥りがちです。)

これとかは処方箋がわかっているのにもかかわらず、多くの人の先入観やあるいは学校の先生の権力(「宿題をやらないと評価を下げるぞ!!」という強制力)によってその問題解決に取り組めていないままに若い世代の時間と努力が無駄遣いされている例です。まあ、今の日本社会の縮図である、と言えるのかもしれません。(これだけ宿題をやれ!!という割には先生たちはテストの点数の方をはるかに重視して成績をつけるわけで、「宿題をやる」と「テストで点を取れるようにする」がトレードオフの関係になってしまっている子たちに対する対策を真剣には考えていないわけですから、「テストで点を取れるようにする」「受験で点を取れるようにする」という目標に焦点を当てて勉強したほうがはるかに子どもたちにとってもよいわけですが…。それほどまでに「宿題はやらなければならない」という誤った価値観を覆すのは難しいです)

さて、前置きが長くなってしまいました。その宿題の中でも最悪のものが「ワークブック」であるのです。今回はなぜこのワークブック形式が問題であるのかを書きたいと思います。

といっても親御さん世代にはあまりピンとこないかもしれません。昔の大学受験は、あるいは高校受験も教科書や問題集とノートで勉強していましたよね。しかし、最近の中高生はワークブック天国(あるいはワークブック地獄)です。英語数学理科社会国語全てワークブックをやらされます。そして、それを試験前に指定された範囲まで提出!というところまでが中学だけでなく高校でも一般的になってしまっています。この宿題形式での勉強方法の一番の問題点は

問題を繰り返し解かなくなる。教科書に戻らなくなる。

ということです。
問題集って一周終わったらもう完璧!という天才的な学習者なんてほぼいません。むしろできなかったところを繰り返し解いたり、そこであやふやなところは教科書に戻って復習したり、その繰り返しと教科書に戻ることが学習効果を高めるために必要でした。しかしワークブックは「提出するため」に宿題として出されます。当然それなら一回解いておしまい!間違えているところがあってもそんなの気にしない!となってしまいますよね。

さらには宿題として出される分量が多すぎるために、そもそも繰り返して解いたり、間違っているところは教科書に戻って復習する、という時間の余裕がとれないために、子どもたちに「ワークブックはとりあえず終わらせるもの」という誤った学習観を刷り込んでしまいます。

さらには、ですね。高校生用には青チャートやフォーカスゴールドのワークブックまで最近では出ています。このレベルの問題集をワークブックにして提出!とかなってくると、「こんな難しい問題、解けない大多数の子にとってはただただ解答を写すしかないじゃん。。」という地獄のような宿題になってしまっています。ハイレベルな問題を、繰り返し解き直したり、教科書に戻ったりなんて夢のまた夢、というような分量で宿題を出されるわけですから。。このようにして問題集を繰り返して解く、わからないところは教科書に戻る、という学習習慣がこのワークブック地獄によって破壊されていきます。
そして、勉強がわかるためのものではなく課題をこなすためのものになってしまいます。全く有害な宿題形式でしかないと思います。

また、そもそもこうしたワークブックにはせいぜい簡単な公式のまとめしか載っていません。英語なら簡単な文法事項のまとめでしょうか。それをちらりと見て後は解くだけ!というレベルのお子さんのほうが圧倒的に少ない以上、このような形式での宿題は「教科書に戻る」という習慣なくしてはわけのわからないまま解くことを強制することになってしまいます。

ではなぜこのようなひどい宿題が一般的であるのか。やはり教員の側の宿題の管理のしやすさゆえではないか、と考えています。宿題を出す、というのは本当に難しいものです。問題を厳選してできる限り基本事項の解説や説明を徹底したものを読み込んだ上で問題を解いていく、という教材があればよいのですが、なかなかそういった教材は少ないです。またあれこれ教材を本屋さんで探せばそういう参考書はあるのでしょうが、そのあたりは特に中学校で市販の教材を使うとまずい何かがあるのかもしれません(ここはあまりよくわかりませんが。画一的な学校採用の教材ではなく市販の教材使えばいいのに!と思います。)。だとしたら「ワークやって提出ね!」は教員側にとっては教材選定、問題レベルの絞り込み、さらにはやったかどうかがひと目でわかる管理のしやすさ、という点で優れています。つまり、これは単純に生徒のためではなく、宿題を出す側の教員の論理で選んでいることを生徒に強制しているだけです。

ではそのように「基本事項の説明がしっかりしていて公式の導出もちゃんとしていて、問題のついている教材、しかも本屋さんであれこれ見比べてプロが一生懸命探さなくても手頃に見つかる教材」はないのでしょうか?実はこれが数学や理科、社会の場合は教科書であると思っています(英語の教科書は英文法の説明が貧弱すぎてダメです。。)。教科書は基本事項の説明を丁寧に書いてあります。それをしっかりと理解し、問題を解くことで受験レベルの基礎は全て身につく、とても優れた教材です。ただこれを阻むものとして一つは「教科書は簡単だから問題集をやったほうがいい!」という子どもたちの思い込み(とそれを助長する教師の教科書軽視)、そしてもう一つは「教科書には解答がついていない」という別の大きな問題です。。子どもたちに勉強できるようにさせてあげる気がないのか!!というくらい教科書の解答を子どもたちに配らないのは犯罪的であると思います。その結果教科書があやふやなままにワークブックで膨大な量の宿題を提出させ、結果子どもたちの勉強時間と努力をほぼ無意味に浪費してしまっているからです。

と見てきたように書き込みワークブック形式がいかに勉強として意味がないか、しかしそれがたとえば20年前と比べてはるかに大きな市場となり、子どもたちの学習環境の隅々にまで入り込み、以前は書き込みワークブックではなかった問題集までそれに置き換えられ、そして子どもたちは基本事項の理解もあやふやなままに英語も数学もその膨大な書き込みワークブックの宿題をこなさせられては、時間を無駄に費やしているのが現状です。塾ではそういった悲惨な状況に諸々対策を練ってやっているのですが、しかしマクロとしてこのような無駄な勉強にほとんどの学校が血道をあげているのについても、何とかしていかなければならない、と痛感しています。

そして理想の教材は「解説・解答つき教科書」なのでは?という方にはたとえば数学だと数研出版の『体系数学』シリーズは解説・解答つきの教科書として有用であり、かつ普通の本屋さんでも買えるのでお薦めです(塾でも愛用しています!)。他の教科書会社も(高い教科書ガイドとか売っていないで)市販本として教科書を売り、安価な解説・解答をつけるというこうした努力をしっかりやっていただくだけでも中高生の勉強はかなりはかどるのでは?と思っています。(もちろんここには「解答を生徒に与えると答えを写す!」的な学校サイドのリクエストがあるとは聞きます。宿題用の問題集の解答すら生徒に与えない高校も多いと聞きます。このような性悪説にたった締め付けも、結局は子どもたちに「問題集の宿題はただ解いて提出すればいい」といった誤った刷り込みを生みます。自分の誤りを解説や解答と照らし合わせてはじっくりと吟味して考え、教科書に戻って復習し、しっかり考えていくことこそが学力をつけていく道であるのに、そのためのいちばん大切なツールである解説・解答を「どうせお前ら答見て写すだろ?」という訳のわからない理由で取り上げられてしまっているという。。本当に愚かな行為であると思います。)

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倫風10月号にインタビュー記事を載せていただきました。

『倫風』2021年10月号に「高校受験生の親ができること」という特集記事でインタビュー記事を載せていただきました。(こちらにこの号の目次抜粋があります)

こうしたインタビューを受けてそれが活字になるたびに、受験のことであったとしても自身の経験から得てきた洞察や仮説がその後の思考停止によって劣化していないのかどうかについて自分でチェックする機会を頂いている、と思っています。たくさんメディアに出て発言しておられる方達がその露出の回数にかかわらず劣化しないでいられるほどすごいのか、あるいは劣化や思考停止に気づかないように生きることをうまく選べているのかは僕には判断のつかないところもありますが、僕自身はこうしたインタビューを受けていけば行くほどに薄い内容のことしか言えなくなっていくのではないか、というおそれを常に抱いています。

日々の取り組みを徹底的に悩み抜くこと。その中で自分の認識の亀のような遅い歩みを少しでもマシなものにできるように、日々真剣に取り組んでいきたいと思います。

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