
A・M(成蹊高3)日本獣医生命科学大学獣医学部合格(進学先)
(ほか合格校:麻布大学獣医学部、北里大学獣医学部、北里大学海洋生命学部)
一度受験を諦めたことがある。中2の時、一度は高校受験をしようと予備校に入ったが、半年ほどで諦めて辞めてしまった。私は年がら年中体調を崩しているので、何度も授業を休んでしまい、授業についていけず、宿題も全然こなしきれない状況に限界を感じてのことだった。そもそも学校と学校の宿題だけであっぷあっぷしている自分に受験は無理なの
ではないかと思った。でも、大学でどうしても学びたい学問があったため、大学受験は諦めたくなかった。体力的に予備校には通えないし、どうしたものかと頭を悩ませていた時に嚮心塾に出会った。
私は中高とずっと定期テストでそこそこ良い点数をとり、そこそこの成績をもらい、本当に恥ずかしいことだが、なんとなく自分は勉強ができる気でいた。授業は真面目に聞いていたし、テスト勉強もそれなりには頑張っていたと思う。ただ、それらは本当に定期テストのためだけの、表面的でその場限りの暗記で乗り切っていたもので、本質的には全く、悲しいことに本当に何一つ理解してはいなかった。ということを突きつけられたのが高3の4月頃、本格的に受験勉強を始めた時だった。
私が嚮心塾に通い始めたのは高2の秋。まず英語の文法書を読むこと、数学の教科書を読むことを勧められ、塾に行っては少しずつ読み進めていたが、全く身が入っていなかった。というのも、私の学校は教科書反対派(?)の先生が多く、中学生の頃から耳が腐るほど「教科書を読むことには何の意味もない」「教科書を読むのは時間の無駄」と聞かされていて、見事にそう信じていたからだ。自分で教科書を開いて確かめようともしなかった私自身にも呆れるが、とにかく色眼鏡で見ていたので、姿勢の上で教材をめくってはいたが、全く真剣に学びつつ読んでいたわけではなかった。
そんな中、冬になり、大きく体調を崩し、パタリと塾に行かなくなってしまった。この間学校も行っていなかったので、4-5ヶ月の間、ほぼ全く勉強をしていなかったことになる。とにかく毎日一日中何もせず、ただひたすら寝て過ごしていた。少し調子が良く、体を起こせる日は文法書や数学の教科書をパラパラしてみてはいたが、勉強時間の内には入らな
いレベルだった。だんだんと体を起こしている時間が長くなり、きちんと勉強をし始めたのは高2の3月半ばだった。もう絶対受験には間に合わないだろうと思っていた。
そうこうしてようやく真剣に勉強を始めて、それでやっと気づいた。教科書も、文法書も、驚くほど分かりやすかった。例えば英語だったら、そもそも品詞になにがあるかや、OとCの違いすら分かっていなかった私は、自分のレベルの低さに初めて気づき、愕然とした。数学も本当に基礎的なことが記されている教科書を読むだけでかなりの時間がかかっ
てしまった。それから今に至るまで、受験生活は勉強すればするほどに、自分の出来なさ加減をつきつけられる毎日だった。一つの参考書や問題集を終わらせ、次に進むたびに、できることに比べて、出来ないこと、分からないこと、覚えていないことがいかに膨大にあるかを見せつけられた。なにより、中高約5年間、これまで勉強時間として割いてきた
時間がほとんど何も生み出してはいなかったこともショックだった。新型コロナにより学校が休校だったので、横になりつつの時間も含めてではあるが、毎日12時間程度は勉強するようになった。この勉強時間が確保できたのも柳原先生のおかげだった。机に向かうことが勉強と思っていた私に、横になってでも出来ることはたくさんある、と何が出来るかを考えてくださったのだ。勉強ができない日や、ほとんど机に向かえない日があっても勉強を続けられたのは、その言葉の支えがあったからだ。また、たくさん本を貸していただけたこともとても有難かった。普段自分では読まない分野のものが多
かったので、勉強になりとても面白かったし、気分転換にもなった。
学校が再開してから勉強時間はまた減ってしまったが、秋までそうして勉強を進めていた。ところが、10月に入り、またガクンと体調を崩してしまう。詳しい説明は省くが、私は高3の夏で体調は完全に良くなると信じていたので、かなりショッキングな出来事だった。なぜそう信じていたかといえば、今後ずっと自分の体調と向き合い続けなくてはいけないかもしれない、という事実を直視するのが怖かったからだと思う。そして、体調が良くなったら勉強時間ももっととれるし、より集中できるだろうから挽回できるかもしれない!という希望にしがみつきたかったのかもしれない。この時、やっと初めて自分の体調のことと向き合い、真剣に考えるようになった。これまで、自分の体調と勉強のことについて誰かに相談した時、反応は大きく分けて2パターンだった。ひとつは、体調を理由にするんじゃない、なんとか食らいついて勉強するしかない、というもの。もうひとつは、体調が悪いのだったら仕方がない、無理をしない範囲でやるのがいい、というもの。アドバイスは本当に有難かったが、結局自分はどうすればいいのか、という結論には全くたどり着けずにいた。いくら気力で頑張ろうともどうしても他の受験生に比べ、机に向かう時間は少なくなってしまう。一方で、何もしないで寝ているだけでは大学に受かるはずもない。受験本番が刻一刻と近づく中、どんどん焦る気持ちが大きくなり、私は考えがまとまらないままに柳原先生に相談のメールを送った。
この時までは、上記のような反応だったらどうしよう…と思うと怖くてなかなか相談できずにいたのだ。その後いただいた返事はとても丁寧かつ分かりやすく、今後私がどうすればいいのかが一気に明確に見えてくるものだった。正直、体調のことを前提にした上で、ここまで実践に無理がなく、かつきちんと勉強ができるアドバイスをいただけるとは思っ
ていなかった。驚いたし、大げさでなく、本当に感動した。また、ただただ他の勉強の相談をした時のように、あたかも勉強方法の選択肢として当たり前に存在するかのような対応をしてくださったこともなんだかとても嬉しかった。嚮心塾に通っていて、最も心に残っている出来事である。
過去問をやっと解き始めてからが一番きつかったように思う。解くたびに自分があまりにできないことに失望し、受験勉強においても結局自分がどれ程、分かったつもりでいたのかを突きつけられた。このままでは絶対にどこにも受からない…と思いながら、先生からアドバイスをいただきつつ、勉強の穴を埋めていった。受かりっこないのに何で今私は勉強しているのだろう…と思ってしまうことも多々あった。去年までだったら何もしないで寝ているような体調の時に勉強を続けることはそれなりに辛かった。どうせ現役合格なんてできないのだし、今年の受験を諦めて寝てしまいたい、体を休めたいという思いが何度も頭をかすめた。一方で、何もできずに寝ている時もそれはそれで辛く、他の受験生はきっと今この瞬間も必死で勉強しているのに。全然まだ自分の実力は足りていないのに。と、常に焦りが心を占め、やはり受験から何度も逃げたくなった。しかし、先生が真っ直ぐに私の体調のことと向き合ってくださっていたこと。それから、今後もこの体とともに生きていくなら、体調を崩すたびに全てを諦めて休んでいるわけにはいかないという思いが背中を押し、情けないことだがなんとか勉強をし続けられた。
これから、大学に入っても、なかなか周りの人と同じような勉強時間をとり、机に向かって勉強することはおそらく難しいと思う。だが、そこで無理に周りの人と同じようにやろうとするのでも、体調が悪いからいいやと全てを諦めるのでもなく、その時の自分にできる最大限の形を探して、勉強をし続けたいと思う。
最後になりましたが、嚮心塾に通っていなかったら、志望校に合格することはもちろん、きっと大学受験をすることすら叶わなかったと思います。柳原先生には本当にお世話になりました。心の底から感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
(ほか合格校:麻布大学獣医学部、北里大学獣医学部、北里大学海洋生命学部)
一度受験を諦めたことがある。中2の時、一度は高校受験をしようと予備校に入ったが、半年ほどで諦めて辞めてしまった。私は年がら年中体調を崩しているので、何度も授業を休んでしまい、授業についていけず、宿題も全然こなしきれない状況に限界を感じてのことだった。そもそも学校と学校の宿題だけであっぷあっぷしている自分に受験は無理なの
ではないかと思った。でも、大学でどうしても学びたい学問があったため、大学受験は諦めたくなかった。体力的に予備校には通えないし、どうしたものかと頭を悩ませていた時に嚮心塾に出会った。
私は中高とずっと定期テストでそこそこ良い点数をとり、そこそこの成績をもらい、本当に恥ずかしいことだが、なんとなく自分は勉強ができる気でいた。授業は真面目に聞いていたし、テスト勉強もそれなりには頑張っていたと思う。ただ、それらは本当に定期テストのためだけの、表面的でその場限りの暗記で乗り切っていたもので、本質的には全く、悲しいことに本当に何一つ理解してはいなかった。ということを突きつけられたのが高3の4月頃、本格的に受験勉強を始めた時だった。
私が嚮心塾に通い始めたのは高2の秋。まず英語の文法書を読むこと、数学の教科書を読むことを勧められ、塾に行っては少しずつ読み進めていたが、全く身が入っていなかった。というのも、私の学校は教科書反対派(?)の先生が多く、中学生の頃から耳が腐るほど「教科書を読むことには何の意味もない」「教科書を読むのは時間の無駄」と聞かされていて、見事にそう信じていたからだ。自分で教科書を開いて確かめようともしなかった私自身にも呆れるが、とにかく色眼鏡で見ていたので、姿勢の上で教材をめくってはいたが、全く真剣に学びつつ読んでいたわけではなかった。
そんな中、冬になり、大きく体調を崩し、パタリと塾に行かなくなってしまった。この間学校も行っていなかったので、4-5ヶ月の間、ほぼ全く勉強をしていなかったことになる。とにかく毎日一日中何もせず、ただひたすら寝て過ごしていた。少し調子が良く、体を起こせる日は文法書や数学の教科書をパラパラしてみてはいたが、勉強時間の内には入らな
いレベルだった。だんだんと体を起こしている時間が長くなり、きちんと勉強をし始めたのは高2の3月半ばだった。もう絶対受験には間に合わないだろうと思っていた。
そうこうしてようやく真剣に勉強を始めて、それでやっと気づいた。教科書も、文法書も、驚くほど分かりやすかった。例えば英語だったら、そもそも品詞になにがあるかや、OとCの違いすら分かっていなかった私は、自分のレベルの低さに初めて気づき、愕然とした。数学も本当に基礎的なことが記されている教科書を読むだけでかなりの時間がかかっ
てしまった。それから今に至るまで、受験生活は勉強すればするほどに、自分の出来なさ加減をつきつけられる毎日だった。一つの参考書や問題集を終わらせ、次に進むたびに、できることに比べて、出来ないこと、分からないこと、覚えていないことがいかに膨大にあるかを見せつけられた。なにより、中高約5年間、これまで勉強時間として割いてきた
時間がほとんど何も生み出してはいなかったこともショックだった。新型コロナにより学校が休校だったので、横になりつつの時間も含めてではあるが、毎日12時間程度は勉強するようになった。この勉強時間が確保できたのも柳原先生のおかげだった。机に向かうことが勉強と思っていた私に、横になってでも出来ることはたくさんある、と何が出来るかを考えてくださったのだ。勉強ができない日や、ほとんど机に向かえない日があっても勉強を続けられたのは、その言葉の支えがあったからだ。また、たくさん本を貸していただけたこともとても有難かった。普段自分では読まない分野のものが多
かったので、勉強になりとても面白かったし、気分転換にもなった。
学校が再開してから勉強時間はまた減ってしまったが、秋までそうして勉強を進めていた。ところが、10月に入り、またガクンと体調を崩してしまう。詳しい説明は省くが、私は高3の夏で体調は完全に良くなると信じていたので、かなりショッキングな出来事だった。なぜそう信じていたかといえば、今後ずっと自分の体調と向き合い続けなくてはいけないかもしれない、という事実を直視するのが怖かったからだと思う。そして、体調が良くなったら勉強時間ももっととれるし、より集中できるだろうから挽回できるかもしれない!という希望にしがみつきたかったのかもしれない。この時、やっと初めて自分の体調のことと向き合い、真剣に考えるようになった。これまで、自分の体調と勉強のことについて誰かに相談した時、反応は大きく分けて2パターンだった。ひとつは、体調を理由にするんじゃない、なんとか食らいついて勉強するしかない、というもの。もうひとつは、体調が悪いのだったら仕方がない、無理をしない範囲でやるのがいい、というもの。アドバイスは本当に有難かったが、結局自分はどうすればいいのか、という結論には全くたどり着けずにいた。いくら気力で頑張ろうともどうしても他の受験生に比べ、机に向かう時間は少なくなってしまう。一方で、何もしないで寝ているだけでは大学に受かるはずもない。受験本番が刻一刻と近づく中、どんどん焦る気持ちが大きくなり、私は考えがまとまらないままに柳原先生に相談のメールを送った。
この時までは、上記のような反応だったらどうしよう…と思うと怖くてなかなか相談できずにいたのだ。その後いただいた返事はとても丁寧かつ分かりやすく、今後私がどうすればいいのかが一気に明確に見えてくるものだった。正直、体調のことを前提にした上で、ここまで実践に無理がなく、かつきちんと勉強ができるアドバイスをいただけるとは思っ
ていなかった。驚いたし、大げさでなく、本当に感動した。また、ただただ他の勉強の相談をした時のように、あたかも勉強方法の選択肢として当たり前に存在するかのような対応をしてくださったこともなんだかとても嬉しかった。嚮心塾に通っていて、最も心に残っている出来事である。
過去問をやっと解き始めてからが一番きつかったように思う。解くたびに自分があまりにできないことに失望し、受験勉強においても結局自分がどれ程、分かったつもりでいたのかを突きつけられた。このままでは絶対にどこにも受からない…と思いながら、先生からアドバイスをいただきつつ、勉強の穴を埋めていった。受かりっこないのに何で今私は勉強しているのだろう…と思ってしまうことも多々あった。去年までだったら何もしないで寝ているような体調の時に勉強を続けることはそれなりに辛かった。どうせ現役合格なんてできないのだし、今年の受験を諦めて寝てしまいたい、体を休めたいという思いが何度も頭をかすめた。一方で、何もできずに寝ている時もそれはそれで辛く、他の受験生はきっと今この瞬間も必死で勉強しているのに。全然まだ自分の実力は足りていないのに。と、常に焦りが心を占め、やはり受験から何度も逃げたくなった。しかし、先生が真っ直ぐに私の体調のことと向き合ってくださっていたこと。それから、今後もこの体とともに生きていくなら、体調を崩すたびに全てを諦めて休んでいるわけにはいかないという思いが背中を押し、情けないことだがなんとか勉強をし続けられた。
これから、大学に入っても、なかなか周りの人と同じような勉強時間をとり、机に向かって勉強することはおそらく難しいと思う。だが、そこで無理に周りの人と同じようにやろうとするのでも、体調が悪いからいいやと全てを諦めるのでもなく、その時の自分にできる最大限の形を探して、勉強をし続けたいと思う。
最後になりましたが、嚮心塾に通っていなかったら、志望校に合格することはもちろん、きっと大学受験をすることすら叶わなかったと思います。柳原先生には本当にお世話になりました。心の底から感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。



