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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

2020年度受験を振り返って(その5)

日本大学医学部医学科合格(進学先) Y・K君(佼成学園高卒)

今回、大学受験を通して思ったことは、高校のときから入試のことを考え、早くから勉強していかないとかなり苦労するなと思いました。高3から始めると、とうてい受験勉強が間に合わないと思いました。ただ早くから勉強をしたとしても、何を勉強していかないといけないかを考えていかないと、自分の実力が上がっていかないということをこの塾に通う中で学びました。また、特に進学校でない人は、周りが勉強をしていないという環境であるので、なかなか勉強をしていくという習慣がないので、塾など周りが勉強するなどという環境でないと、モチベーションを維持していくことが難しいな、と自分の経験から思いました。この受験勉強で思ったのは、大学受験は本人の才能というよりも、自分がどれだけ努力したのか、そしてその努力の仕方がどれだけ今の自分に必要なものだったのかが重要なことだと思いました。

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2020年度受験を振り返って(その4)

慶應義塾大学文学部合格(進学先)  A・T君(穎明館高卒)

 僕が、嚮心塾に入ったのは中2と、中高一貫生にしては、早い時期だったと思います。ただ、本格的に勉強を始めたのは、高2の秋冬。まず、その時期までを振り返ってみたいと思います。
 
 僕は、中学受験時代全くと言って良いほど、勉強というものをSAPIX での授業以外しませんでした。だから、クラスはいつも下の方でした。けれども、何だかんだで受かってしまったので、「勉強しなくてもどうにかなるもんだ」と、受験というものをナメていたと思います。
 そんな調子の僕は、高校受験もなかったこともあって中学・高校時代は部活や文化祭実行委員に熱中し(そこで得たものはたくさんありましたが)、休日はカラオケ・ボーリング・映画と勉強しませんでした。中2から塾に在籍こそしていましたが、行くのは月に数回。月謝を払うために行くという感じでした。もちろん、定期テストの対策もしなかったので、成績は学校でもいつも下の方でしたが、特に気にすることなく、遊び呆けてました。
 ただ、家が転勤族で、小4までに3年以上同じ場所に住み続けた事もなく、台湾に2年住んだり、高校でアメリカ・カナダにホームステイ行ったりと、いろんな人間と関わったり、多くの文化に触れたりする事が多かったのもあってか、世の中の様々なことに興味を示して、アンテナを張っていたと思います。

 そして、最後の文化祭がを終わった高2の9月。さすがの僕も重い腰を上げて勉強に取り組もうと思ったのですが、まず目の前にあるのは、それまでやってこなっかった中高時代の内容でした。遂に、ツケが回って来たのでした。さらに、僕を苦しめたのはそもそも勉強するということに慣れてないことでした。自分の勉強法もなければ、集中力もなかったので、高校の友人に追い付くことは難しく、彼らも本腰を入れ始めたので、差はなかなか縮まりませんでした。河合塾にも通ってましたが、当然1番下のクラス。自分の志望校を見据えた授業はされませんでした。
 そうして迎えた、高3。嚮心塾にいくペースも週に数回(これでは足りないのですが)になり、集中力が足りないので、場所を変えてみたりと、自分なりに工夫しながら勉強時間だけでも人並みになろうとしました。けれでも、偏差値こそ少し上がりましたが、志望校には程遠く、夏過ぎたあたりからは浪人が常に頭の中でチラついてました。そんなマインドの中迎えた、受験。やはり、結果は散々でした。

 高校を卒業して浪人生活が始まるわけですが、時間にルーズで自分に甘い性格の僕は、毎日のルーティンが簡単に崩されてしまいそうだったことと、刺激の多い環境があった方がいいと考え、河合塾の大学受験科(浪人コース)の早慶上文系コースに昼間は通いながら、嚮心塾に通うという生活を送ることにしました。この生活は、僕には合っていたように思います。どんなにやる気のない日でも、とりあえず朝から授業を聞かされれば、強引にも頭を勉強モードに切り替えることができる上、午後から場所を変えて勉強することにより、効率よく集中できたと思います。
 
 ただ、浪人生活中はやはり思い悩むこともありました。現役で行った連中の華々しく見える、キャンパスライフに苛立つこともありましたし、そもそも、何でわざわざ高い偏差値の大学に行かなければならないのか、学歴至上主義に疑問を抱いた事も度々ありました。でも、なにより自分自身がその学歴至上主義に飲み込まれて、難関大を目指そうとしてしまっているというアンビバレントな状況に陥った事もありました。これについての明確な答えは、受験が終わった今でもはっきりしていませんが、多分、プライド以外の何物でもなかったと思います。その、たかが個人のプライドを守るために浪人した自分は、つくづく、小せぇ人間だなと思います。でも、この1年間はその小せぇ人間をほんの少しだけ成長させてくれたと思います。
 特に成長したなと思える点は、世の中への興味関心が強くなったことにあると思います。それまではただ機械的に問題を解くために読んでいた、現代文や小論文、英語の長文も数をこなしていくのにつれ、その内容をより深く知りたいと思い、先生と話すことで知見を深めたり、1冊の本をじっくり読む時間はないと思ったので、興味が湧いたものについては、ネットで色んな記事を読んだりしました。その結果、現代文などについては、最初の数行を読んだだけで話の全体像を掴むことが出来るようになりました。
 もう1つ、浪人時代で得た成果を挙げるなら、自分自身の長所でもあり、最大の短所と言ってもいい、自分のアバウトさ、雑さ、に気づけたことです。これは受験生になる前から、親に言われていたことではありますが、人に言われたことがあまり響かない僕にとって、今後、死ぬまで付き合っていかなければならない自分の性格に、改めて自分で気づけたということは、浪人して得た最大のものではないかなと思います。

 ここまで、ダラダラと色々書いてきましたが、今年もそんなに良い入試ではありませんでした。GMARCH・関関同立を合わせて12回、早慶で4回も受けたわけですが、結果は補欠繰り上げ合格の1つの身で、それ以外は全滅。その唯一受かったのが第一志望の大学だったので、結果オーライなのですが、ほんとうに自分は運のいい奴だと思います。GMARCHあたりは過去問の感触も悪くなかったので、「どっか1つくらい受かるだろう」と、高を括っていたのでしょう。ここでも、自分の雑さから来る詰めの甘さが響いたんだと思います。補欠繰り上げを待った2週間は、まだ19ではありますが、人生で1番長く感じた2週間でした。自分の雑さに改めてお灸を据えられました。
 でも、あえて自分の褒められるべき点を挙げるとすれば、自分を疑わなかったことです。入試を進めていく中で、不合格の通知が来るわけですが、必ず受かると思い続けることができたことが、この結果にこぎつけることに繋がったのだと思います。

 受験というのは、なんなのでしょうか。将来、飯を食うのに困らないため。家族を幸せにするため。自分の夢を実現するため。まあ、色々あるんでしょうが、僕は将来の夢みたいなものもなければ、未来の自分のため、なんて言うたいそれた物では、自身の受験する大義名分みたいなものは得られませんでした。僕にとってこれはプライドという、クソの役にも立たないものでしたが、周りに流されたり、借りてきた言葉よりはマシだったのかと思います。学歴至上主義に悩んだあの葛藤も今では、良かったのかななんて思ったりします。
 受験に限らず、人生にはその都度その都度、目指すべきものが現れると思います。もちろんそれが、自発的に生まれた目標だったら良いのですが、そうでない事の方が多いと思います。人から与えられた目標ほど、面倒臭いものはありません。けれども、それから逃げられないのも確かです。だから、目標から目指す理由を作り出すのも良い事だと思うんです。こうでもしないと、受験勉強なんてやってられません。こういう解決策もアリなのではないでしょうか。

 最後に、この塾には色んな人がいます。もちろん、小学生から浪人生まで同じ空間で勉強するという珍しい環境であることはさることながら、同じ大学受験を目指していても国立医学部志望から私立文系志望が一緒にいることは、予備校、ましては高校でも文系・理系でクラスが別れるので、滅多にないことではないでしょうか。さらに、それぞれに異なったバックグラウンドを持った人が集まることがこの塾のいい所なのではないかと思います。ここで、肌身で感じ取った事は、僕の人生に良い意味で大きな影響を与えてくれます。もし、このまとまりの無い、長い文章を読んでくれている方で、入塾に悩んでいる方がいたら、1回見に行ってみてください。普通じゃない塾の環境に最初は戸惑うかもしれませんが、慣れてしまえば、これほどやりやすい環境はありません。困っていることがあれば、それが受験や勉強以外のことで合っても、先生は親身になって相談してくれます。自身の人間性や人生に深みを持たせることが出来る。これは、そうそう経験できるものではない。さらに、大手予備校に行くと、ただの「お客さん」で終わってしまうような、成績がイマイチな生徒を先生は見捨てません。出来る子にも丁寧な指導をしてくれます。
 
 このような環境を用意してくれた、嚮心塾にはとても感謝しております。ありがとうございました。


 

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教育はサービス業か。(その1)

新年度の準備でバタバタと忙しい毎日で、少し間が空いてしまいました。

さて、教育はサービス業であるのか、という問いですが、これはもちろん「サービス業」という言葉の定義に依るのでしょう。ただ、「個別指導塾」という看板を掲げているところだと(これを嚮心塾も掲げているわけですが)、主にサービス業的な側面、つまり顧客満足度のみを重視する、ということが多いように思います。

というと、「いやいや、成績を上げることが塾の目標なのだから、結局は生徒に力をつけられているかどうかが顧客満足度につながるんでしょう?」と思われるかもしれませんが、教育というのは本人の努力がどうしても大きな要素であり、かつ
個別指導塾に通うお子さんというのは基本的に勉強にそれほど意欲をもって取り組まない、または、意欲はあるとしても方法がわかっていない子どもたちです。これらの子たちを抱えて「成績が上がった!」という結果で顧客満足度を高めようとしても教える側としては極めて難しくなります。労力に見合う成果を得られることは少ない分、この方向で努力するのはまだ教育という行為自体に使命感を感じて取り組む、奇特な若い大学生のみになるでしょう。

その中で顧客満足度を上げるにはどうしたらよいか。それは当然、「こちらはベストを尽くしている」ということが保護者の方に理解しやすい努力を保護者の方に見えるようにやっていくことになります。通ってくれている子が力がつくかどうかについては半ば諦めて、ですね。この最たるものがいわゆる「指導報告書の充実」です。保護者にとって「見える」部分
であるところに関しては徹底的に手をかけて立派なものを作ります。それこそ、個別指導の生徒に教える授業中の時間を潰してでも、「完璧な指導報告書」を作ります。そのようにして顧客満足度を上げることで、親御さんにお金を払わせ続けようとするのです。まあ、詐欺のようなものです。

ただ、この詐欺に引っかかるのはやはり「自分に見えているところだけで判断する」という親御さんの失敗でもある、と言えるでしょう。教育というのはその成果が極めて見えにくいものです。同じように「結果が出ていない!」状況であったとしても勉強の方法やモチベーション、その他はしっかりと改善し、あとは結果が出てくるのを待つだけ、という状況もあれば、このまま待ち続けても決して結果が出てくるようにならない状況もあります。しかし、親御さんに見えるのは模試の成績だったり学校の成績だったり、目に見えるものしかないからこそ、その目に見えるものが改善しないのであればどれも同じだ、となってしまいます。その結果として「親御さんの目に見えるもの」だけを体裁よく取り繕った個別指導塾に騙されてしまう、という悲劇に陥るわけです。

教育の効果を観測しようとすれば、観測の誤謬をつかれて、このように観測に対応した歪な「発達」によって教育の効果の実態が掴みにくくなってしまいます。本当に教育産業の罪は重いのですが、逆に言えば、それほどに教育というのは効果が出るまではどんな熟練の教師にも難しく、特に生徒本人のモチベーションが低いときにはそれこそ手を変え品を変え、何をやってもどうしようもないからこそ、このような歪な生存戦略をとることで発達してきた、ということもあるのかもしれません。僕はこのような個別指導塾を、否定しますし、それこそ絶滅すれば良い、とは思いますが、一方でそのような個別指導塾をのさばらせているのはやはり、生徒自身がモチベーションを失う制度であったり、モチベーションを失ってサボる我が子に届くような何かしらの言葉も用意できないままに、ただ「勉強が最低限のレベルではできる」という事実のみを用意しようとする、親御さんの歪な親心であるとも思います。

生徒本人が自分の勉強について、それをやるべき意味に気づき、それができていないことに自分で悩まねばなりません。
逆に言えば、親御さんが「自分の子供が勉強をしない、できない」ことに悩んでいるうちは、子供はあまりそれについては悩んでいないことが多い、というのが実情であると思います。(このようなとき、彼ら彼女らは親御さんの「勉強しなさい!」というリクエストに応えることに精一杯で、自分自身がそれについて考えたり悩んだりする余裕を失っている、と言えるでしょう。確実に彼らの将来の可能性を狭めていることに関して、誰かが心配しているうちは、真剣には悩まないものです)
だからこそ、まずは、彼ら彼女らに「それで本当に良いのか」を考えてもらっていく、というプロセスがどうしても必要であると思っています。

さて、ということで前置き(!)が終わって本題に入ろうとしたのですが、長くなりすぎました。また続きは明日にでも書こうと思います。

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2020年度受験を振り返って(その3)

東京大学理科三類合格(進学先)  K・R君(慶應義塾高卒)


はじめまして。私は2020年度東京大学理科3類に合格しました。
出身高校は慶應義塾高校で、合格するまでに高校卒業から5年間かかりました。

皆さん、ここまで読んでどう思いますか?
「5年もかかったのかよ。馬鹿だな。時間もったいない。ほかの大学に進学して早く医者になった方がいいんじゃないか。」と思うかもしれません、いや、思うのが当然でしょう。実際、よく言われます。しかし、僕は、この意見に対する自分なりの答えを持っています。それを自分の人生と照らし合わせて説明したいと思います。


勉強を始めたのは中学生からでした。
小学生のときは習い事を毎日のようにやっていました。ピアノ、バイオリン、空手、サッカー、野球、英語、プール、そして器械体操。この中で最も力を入れたのが器械体操でした。当時、池谷幸雄体操クラブの選手コースに在籍し、現在日本代表として活躍されている村上茉愛選手や神本雄也選手とともに週6回、平日は4時間、休日は8時間練習をしていました。遊ぶ時間もあまりなく、学校の授業はいつも爆睡。よく仮病で学校を早退しました。手はまめで血だらけ、骨折もよくしました。ついに恐怖心が体操の向上心を上回ってしまい、初出場の試合をもって体操をやめることにしました。その試合では、鉄棒で失敗してしまい、結果は全国7位。不甲斐ない結果に終わってしまいました。それでも体操から逃げたかった。そこで、逃げた言い訳にしたのが、中学受験でした。
何も勉強していない自分が中学受験など受かるはずもなく、入塾した塾では一番下のクラス。そして、13校受験して受かったのは2校。そのうち目白研心中学校の特進クラスに進学しました。僕の代から共学化し、当時1期生でした。

中学校の入学前、父親に夢を聞かれたことがありました。東大に行きたい気持ちと医者になりたい気持ちがあったので「東大に進学して、卒業したらどこか医学部に入学したい」と、父に伝えました。すると「東大の医学部にいけばいいじゃん。」と言ってきました。当時は、東大理3はきっと難しいだろうと思い込み、受かる自信が持てず、話を濁しました。
医学部にしろ、東大にしろ、受験をするためにはスタートダッシュが重要だと思い、早稲田アカデミーの東大コースに入塾しようと思いましたが、断られ、それならば東進に入塾しようとするも返事の電話が来ませんでした。世の中学歴なんだな、とロマンスカーの中で母と泣きながら帰宅したのを覚えてます。

そんなとき、父が家庭教師の先生を連れてきました。彼は「滅私奉公」の体現者で、当時12歳の私の面倒を無償で、一生懸命見てくださいました。学校に行く前にskypeで勉強を見てくださったり、毎日のようにfaxで添削してくださったり。「最初の文字は大文字で書く!!」「文の最後にはピリオドをつける!!」何度も言われました。そして彼の出身が理3。このとき、この人のようになるために理3にいきたい、と意識するようになりました。
彼のおかげで中学の入学直後の試験では、数学100点、英語100点、国語91点で学年1位をとれて、自分の名前が堂々と張り出されました。勉強を才能的なものだと思い込んでいましたが、努力でなんとかなると知りました。その後、1期生としてサッカー部を設立したり、生徒会長になったりするのですが、それはまた別の話。勉強の楽しみをおぼえた私は、中学のスローペースな勉強に飽き、SEGに入塾しました。そこで中学数学を早く終え、自分に適した環境に進みたいと思い、高校受験を決めました。

高校受験に不向きであったSEGをやめ、中学受験時に通っていた塾に入塾しました。小学生の時は一番下のクラスでしたが、最終的に、高校受験の時は一番上のクラスに進み、先生方に驚かれました。
高校受験では、第一志望の開成高校、第二志望の西高校は落ちてしまい、慶應義塾高校か慶應志木高校に進学するしかなくなりました。これも運命だと思い、慶應義塾高校に進学しました。大学付属高校なので受験勉強の環境としては最悪です。

高校では器械体操部門トランポリン部に所属し、ピョンピョン跳んでいました。器械体操の経験があったので1年の夏にインターハイに出場できたのは幸運でした。
高校の特性上、勉強する人は少なく、それぞれがそれぞれの目標を作って取り組んでいました。そんな環境の中で自分は何をしたいのか、思い直したとき、憧れの人を思い出しました。困っている人に手を差し伸べられる人になるには、自分も苦労をしなければならないと思い、慶應大学の内部推薦を断り、大学受験をすることを決意しました。
その後、鉄緑会に入塾し、トランポリンはインターハイ後に退部し、周りが遊びに夢中のなか、一人で毎日のように勉強し続けました。鉄緑会の先生には君が一番勉強していたといわれるも、クラスは1度も上がらず、「中の中」のまま理3受験を迎えました。もちろん落ちました。消化不良でした。点差は約100点。絶望的でした。

現役での受験を終えたあと、父から「医者になる必要はない」と言われ、自分はどうすればいいのか見失いました。そもそも、自分がなりたいのは「困っている人に手を差し伸べられる人」。必ずしも医者じゃなくてもいい。もちろん、医者だったらそれができますが。

そこで、やりたいことをみつけるために海外の大学に留学しようと考えました。興味があったのは高校での政治経済の授業で扱った、行動経済学。従って、経済学を学びたいと思いました。Facebookで海外留学を支援しているNPO団体、「留学フェローシップ」をみつけ、その責任者に、キャンプに参加させてもらえるよう直談判しました。一方で家庭教師の先生にも相談し、MASK English Academyの塾長である、松井道夫先生を紹介していただき、そこで働く海外の方の助手として、働かせていただきました。また、SATやTOEFL の勉強をしていました。先のNPO団体の募集期日3日前に責任者から返信がきて、急いでエッセイを書き、参加試験に合格して、夏のキャンプに参加できました。そこではアメリカの大学に進んだ日本人の方々にエッセイの書き方教えてもらったり、アメリカ生活について話をうかがったり、お互いがお互いを評価しあって、自分の長所を再認識しました。

どうやら、自分の長所は「知的好奇心の強さ」だったようで、言われるまで気づきませんでした。そして同時に、自分よりもすごい人が多いということに気づけました。彼らと競い合っても敵いっこない。そう思ってしまいました。ならどうすべきか。彼らが日本でも活躍できるよう下準備をすること。当時はそう思いました。そのためには日本の大学でいいから早く進学すべきだと思い、理科2類を受験しました。

しかし、いままで理3志望だったので気が抜けてしまったことと、ブランクが大きすぎて結果は惨敗。敗因がわかっていたので、合格発表当日に本屋さんに行き、基本のキから再開しました。

2浪目は、Z-kaiを利用し、自宅浪人をしました。誰ともコンタクトをとらず、黙々と勉強する。そんな日々が続きました。勉強に疲れたら前年参加した留学フェローシップのことを考えました。本当に日本で活躍できるよう下準備だけでいいのか。やる意思があるのであれば、彼らと比肩するよう持てるすべてを用いて、よりよい社会にするために努めるべきではないか、と。自分の能力はたかが知れているので、親からもらえる環境をフル活用することを目指し、医師になる決意をしました。そして家で一年間勉強するも理3は相変わらず惨敗。70点差。さすがに限界を感じました。

3浪目は、独学では無理だと思い、駿台お茶の水校の東大理系演習コースに在籍しました。いままで受験勉強の友達が一人もいなかったので、新たに受験友達を作ったとともに、当時一番上のクラスに在籍し、通年で成績優秀者になりました。駿台に入学したからには駿台のことしかやらないと決め、東大模試でも成績が出てきて理3でもB判定が出てきました。結果的に、40名のクラスで、ほとんどが東大または医学部に進学するも、落ちたのは自分だけ。点差は40点。再び絶望しました。

4浪目は、予備校に頼っても無駄だと思ったので、またも独学でした。義兄に指導をお願いし、自分の弱さと向き合っていました。「途中計算を粗くするから計算ミスをするんだ。」「ざっとしか読まないから問題文をミスリードするんだ。」こういう感じで性格の矯正まで行っていました。
そんな夏の頃、友人に嚮心塾を紹介されました。塾長がどうやら国語と英語が得意らしいので、わらをもつかむ気持ちで入塾しました。理系科目は義兄に毎日のようにノートを添削してもらい、一方で文系科目は塾長に添削してもらいました。東大模試もB判定が基本的に出るようになりましたが、A判定は1回も出ず。ただ国語と英語の偏差値が70弱に近づきました。
この年の結果は、6点差。普通なら絶望するでしょうが、僕の場合は逆です。100点差の時もあったので「東大からあとちょっとだ、がんばれ。」って言ってもらったぞ、と意気込んでいました。今まで真っ暗闇のなかにいたのですが、かすかに光を感じました。

けれども、さすがに疲れたのは事実。ぼけーっとしていると、両親が気を利かせてくれました。母が自動車免許の学校に入れてくれたのです。自分の生活に新たな風が吹きました。
しかし、免許取得後、どうしても受験勉強に気乗りがしませんでした。そんなとき、今度は父がオンラインで大学の授業が受けられるサイトに僕を登録してくれて、受験勉強とは異なる勉強を6月までしていました。その後、受験勉強を再開しました。

夏の東大模試はA判定とB判定。初めて300点超えができました。その後は毎日のように、セットを解いて添削を受けて反省会、の繰り返し。

秋の東大模試はともにB判定。調子がよかったので、はやめに苦手なセンター試験対策を開始しました。苦戦を強いられましたが、結果はリスニング抜きで837点。そのまま2次試験を迎えました。
国語は以前塾長と議論し合った内容がでて、難なくでき、数学は難しかったですが、3完2半。初日はよくできました。
2日目は、得意の物理で失敗してしまいましたが、その分化学に時間を当て、弱点である計算ミスがありませんでした。英語も何度も塾長と相談した作戦通りにいき、自己採点すると400点弱でした。そして合格発表の3月10日。まず最低点から見ると385点。自己採点通りだったら、なんとかいけると思い、勇気を出して合格者欄を見たら自分の受験番号がありました。
その一週間後の今日、この文章を打っています。


僕も若いとき、理3合格体験記を漁り、「超人がたくさんいるんだなー」と思いました。
ここまで読んでくださった方は、僕に対しても同じことを感じますか?

おそらく感じないはず。

なぜなら、5年間の失敗があるからです。何度も絶望しました。何度も泣きました。けど、諦めなかった。信念を貫いた。僕は天才じゃない。受験勉強においては才能もない。あったのはただ、諦めの悪さだけです。


さて、最初の問題提起に対する自分なりの回答を示して終えたいと思います。


もちろん、はやく医者になれれば多くの人を救っていたかもしれない。
だけど、絶望や失敗を経験してないと、「いい人間」にはなれない。病気や苦しみのせいで、明日の希望が見えない「人間」を、どうしてそういった経験のない人間が助けられようか。弱者に対して差し伸べる手が偽善となってしまわないか。そう思ったから何度も理3受験を続けてきました。事実、こと受験勉強においては、頑張っているが結果が出ないという人と自分とを同一視してしまいます。なんとか力になってあげたい、つらさを知っているだけにそう感じます。自分の持ちうるすべてを使って助けてあげたいし、受験勉強に限らず、困っている人がいて、自分がなんとか力添えができるのであれば、誰に対しても、すべてを駆使して手伝いたい。

これを読んでいる方は基本的に受験生だと思います。そんな君たちに、この言葉を贈ります。

「浪人?上等だよ。やってやる。」
1年延びようが10年延びようが、自分の信念を諦めることに比べたらたいしたことない。


駄文ですが、いま絶望している人がすこしでも「私も、もう少しがんばってみよう」と思っていただければ幸いです。

応援しています。

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2020年度受験を振り返って(その2)

立教大学経済学部合格(進学先)O・Y君(横浜市立東高卒)

(ほか合格校:専修大学経済学部)
「体験記を書いてくれ」と言われても何を書けばいいのか思いつかなかったので参考にはなるかわからないけれど高3、浪人の二年間を振り返って自分語りをしようと思います。
僕は現役の時は塾には行かずに独学で家や図書館などで勉強していた。立教大学を第一志望にして勉強していたが、結果は不合格、さらに滑り止めだと思っていた日東駒専の大学まで一つも受からないという結果だった。なぜそんな結果になったのかを考えてみると、独学だったため自分に勉強の決定権がすべてあり間違えた方向に向かっていることを止める存在が無かったことだと思う。現役の僕は秋くらいまではとても順調で普段の勉強や模試の点数でも実力がついていってる事が実感でき勉強も楽しく努力を続けることができていた。しかし、冬くらいから模試の点数が伸び悩むどころか下がっていくようになってしまった。
低い点数を取ることは全く悪いことではなくその原因を探すことで点数を上げるチャンスなはずなのだが、秋ころになまじいい点を取れてしまっていたので「自分が低い点数を取ったのはたまたまだ。自分のやり方は間違ってない!」と一回の成功体験にしがみついて、自分のできていないところに向き合うという嫌な作業から逃げだした。そんな状況で実力が伸びていく訳もなく勉強へのモチベーションも比例して下がっていき12月の後半くらいからは全く勉強もしなくなり、「どーせ、このまま入試を受けても受かるわけないし浪人してから頑張ればいいや」と諦めて家族や友達にはずっと勉強しているフリをして無意味に日々を消化していた。今、考え直してみても現役の1年目は散々なもので全落ちしたのも当然だと思う。
そして、僕は高校を卒業した後の3月の後半からこの塾に入塾した。その理由は 大きく分けて四つある。
一つ目は高校の担任の先生に、「宅浪は本当に厳しく、あなたはどこでもいいから塾や予備校に所属した方が良い」と言われた事。高2、高3の2年間その先生にはお世話になっていて、頻繁に遅刻をし1限をサボったり、ひどい時期は体育の授業がある日しか登校していなかったなどとても怠惰な生活を送っていたのでそう思われて当たり前だと思うし自分でもそう感じていた。
二つ目はこの塾に通っていた友達にとても良い塾だとすすめられた事。中学の時は別に頭が良いと思っていなかったその友達がどんどん力をつけていったのを間近で見ていたのでとても説得力があった。
三つ目はとても月謝が安い事。大手の予備校の半額くらいの値段でこんな素晴らしいサービスが受けれるのはおかしい事だと思うが、そのおかげで親も入塾を許可してくれたと思う。
四つ目は授業をせずに一人ずつに合わせて勉強の計画を先生と考えて自主学習で出た疑問を先生にすぐに質問をできるという事。これは元々、授業を受けずに自習学習で勉強してきた自分に合っていて授業を受けるよりも効率的だと思い、一週間の体験期間でそれは確信に変わり、往復約3時間と家から遠いが入塾を決めた。僕は基礎もボロボロだったので最初はとにかく英語の基礎(文法、英文解釈、単語、熟語)を固めていった。前述した通り僕は怠惰な性格で努力を継続することがが苦手でなかなか毎日通う事は出来ていなかったが、実力が伸びていってる事を実感できてる事もあり3月後半から8月の終わりまでで1000時間以上勉強でき、そのうち700時間くらいは英語を勉強した。この基礎固めが凄く大きかったと思う。現役の時は世界史が好きで英語を疎かにして世界史ばっかり勉強してしまったのも独学での間違った判断だった。先生と一緒に自分に合った勉強の計画を立てる事ができたので正しい方向に努力を続ける事ができたと思う。
8月からセンター試験の英語の過去問を始めた。この塾では過去問を解いた後に毎回、先生とその試験の反省をするのだが、初めて反省会をした時に先生に「この問題を間違えた原因は何だと思う?」と聞かれたのがとても印象に残っている。僕はサッと答えることができなかった。その時に自分がいかに何も考えずに問題を解いているかを思い知らされ、そこから問題に取り組む時の意識が変わったと思う。回数を重ねる度に点数を取れるようになっていき、センターでなんとか8割が安定してきて、記述模試でもそこそこ良い結果が出せた。
このように夏までは割と順調に勉強できてたように見えるが、それは塾に行けた日だけの話で、僕は怠惰な癖に一丁前に完璧主義だったので、朝から家を出れなかった日は勉強する気が起きずに家にこもってダラダラしてしまった。先生はこんな僕にも「昼からでも、なんなら夜からでも良いから毎日、塾に来て勉強しよう。」と策を考えてくれた。自分でも短い時間でも良いから毎日、塾に来て勉強したほうが良いのは頭ではわかっていたし、塾に行った日はちゃんと勉強していたので、ただ毎日家から出て塾に行くことができれば解決した問題なのに、結局、夏の間もなかなか毎日通える事ができなかった。そんな自分と、毎日朝から晩まで勉強している同い年の塾生達とを比較してしまいどんどん自己嫌悪になっていき、勉強せずに家でふさぎ込む日が増えていき、そして、また自分が嫌いになっていく負のループになってしまった。結局9月はほとんど塾に行けず「このままじゃダメだ、現状から何かを変えなきゃいけない」と思った僕は、所属しているのにほとんど行けてないので先生にも迷惑と心配かけてしまっているし、お金を出してくれている親にも申し訳ないし何かしらアクションを起こさなきゃといけないと思い、「片道1時間半の通塾で勉強へのハードルが上がってしまっている」という今思うとよくわからない理由で塾を辞めたいと先生に相談した。その時、先生は「夏までは基礎の時期でここから過去問を解く回数も増えていく、ここからが本番なのに今辞めるのはもったいない。」と間違った方向に進もうとしている自分を止めようとしてくれていたのに、「何かアクションを起こさないといけない。」と思考停止してしまっていた僕は忠告を聞かずにその時は辞める決断をした。そんな僕に先生は「今、このままつらい事から逃げて辞めて独学を始めてもけっきょく勉強でも自分の嫌な教科や嫌いな作業から逃げてしまい絶対成功しないから9月最後の一週間だけでも通って克服してからにしよう。」と言ってくださった。なのにその時の僕はその一週間すら通うことができなかった。そんな約束すら守れなかった僕は先生に合わせる顔も無いし、自分の事がさらに嫌いになり家にふさぎ込んでしまった。全く勉強もせずに家でダラダラと引きこもり、現実逃避して朝から晩までゲームをしていた。その時の自分は現役の時の繰り返しのように嫌な事から逃げているだけで、自分の判断は間違っていて先生の判断が正しい事が頭では解っていたのに家から出て塾に行くという他の人にとっては当たり前の事ができなかった。
結局そんな生活を11月の後半まで続けた。塾に二か月くらいぶりに行った時、約束を破って二か月も連絡をせずにいたので先生にめちゃめちゃ怒られると思っていた。しかし、怒るどころか9月から11月の後半まで勉強をサボっていたどうしようもない僕なんかのために、今の状況から受かるための計画を 立ててくださった。その時、自分はこんなにも生徒の事を思ってくれている先生を裏切ってしまった自分が恥ずかしく思い、そこから気持ちを入れ替えまた基礎の復習から始め直した。そして、ある程度復習を終えて、またセンターの過去問を解いてみたら夏の点数を意外と維持できていて、過去問を解いて反省会を重ねていく度に点数も上がっていき、12月には9割も取れるようになっていった。夏までに基礎をしっかり固めたおかげで基礎が定着していたので、勉強から離れていた期間があっても忘れずにいられたのだと思う。センター当日では、緊張などもあり、練習通りの時間配分では解けなかったのですが、練習の時に短い時間で解く練習をしていたおかげで、英語174 現代文83 古文35 世界史89 という点を取ることができた。英語は文法と発音アクセントで多く落としたがそれ以外の部分では1ミスに抑える事ができ、平均点が下がった中で健闘できたと思う。国語は苦手な古文が低い点を取ってしまったのだが、センター利用は現代文のみの学校に出していたのでセーフだったと思う。世界史にはあまり時間が使えず、当日までに間に合うか不安だったが、センター前一週間に世界史の時間をかなり増やして何とか間に合ったので良かった。私立の過去問は12月の途中から解き始めて、最初はなかなか点が取れなかったりしたが、センターの過去問で解く時に時間がかかる問題を飛ばして一周目の時間を減らし見直しの時間を長くするという練習のおかげと、英語の長文を解くときにメモを取る事で見直す時の手がかりを増やして、見直しの質を上げる練習のおかげで点数が取れるようになっていった。自分はサボっていた分、他の受験生よりも遅れていたので、滑り止めの大学はセンター利用だけにし、私立の一般試験はMARCHの学校だけにして、少しでも勉強時間を確保した。
私立の入試本番では、最初の数回は全然練習通りの時間で解けずに、苦戦した。でも、「入試は連戦になるので一日一日気持ちを切り替えることが大切だから、試験終わった後は勉強しなくても良いから塾に来てその日の事を報告してほしい」と先生に言われて、それを実践してみたら失敗した日でもその日のミスを反省し、それを話す事で冷静になれて次の日の試験で、1周目に問題を飛ばすのを練習の時のように徹底でき、また失敗した日は慎重になりすぎて不必要なメモを取りすぎていたのことに気づき、メモを最低限にして、見直しの時間を多く確保することをできるようになった。苦手な古文でも失敗した日の反省を生かして試験の前に文法を復習し直したり、主語をしっかり確認することでミスを減らせた。
そして結果は、公式の回答で自己採点をしてみたらネット上の配点で英語84% 国語88% 世界史74% としっかりと自分の実力を出せて 現役の時から第一志望だった立教大学にどん底の日々から逆転合格することができた。
こんな僕でも結果を出せたのは夏前に基礎をしっかりと固めるという正しい努力をする事と、過去問を解く度の反省会で、問題を間違えた原因に向き合い、それを一つずつ克服する事ができたからだと思う。これは独学の時や秋に引きこもってしまった嫌なことから逃げていた自分では絶対できなかった。一人一人に親身に寄り添って勉強の計画を一緒に立てたり、勉強の質問などに答えてくれたりしたり、また、9月の時に僕が塾を辞めるという誤った判断をした時に止めてくださった先生のおかげだと思う。先生が「勉強は自分のダメなところに向き合う事」と言っていたように、僕は大学での生活の中で、継続して努力するのが苦手な事と、自分の嫌な物や、めんどくさい物に向き合わずに逃げてしまう事を克服するのがこれからの課題だと思う。と口では簡単に言えるけれど、今も体験記を書くのをめちゃめちゃ後回しにしてしまっていたので実際にこの課題を克服するのはとても難しいだろう。でも4年間かけて少しずつ頑張ります。
最後に、柳原先生、一年間本当にお世話になりました。ありがとうございました!

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