
夏休みに入ってあまりの忙しさにヒイヒイ言っていたら、どくんご東京公演まで後1ヶ月!
しかも今年は僕のミスでチラシ、ポスターを開演時間を間違えて発注してしまい、それを今から修正して配らなければならない、という追い込まれた状態です。。告知もここから本腰入れて、徹底的にやっていきたいと思います。
どくんご東京公演『誓いはスカーレットΘ』
8月28,29,31,9月1日の毎夕19時開演(開場は30分前)
(一部で「19時半開演」のチラシがありますが誤りです。申し訳ありません。)
場所は小金井公園いこいの広場
詳細はどくんごホームページで。
さて、どくんごの紹介を書こうと思ったのですが、去年もビギナー向けにこのようなものを書きました。また、どくんごの感想についても、さんざん書いています(これも先程のリンクから追えるようになっています)。
では、何を書こう!感想?(実は今年はもう3回見ています)とも思ったのですが、今年の感想はやはり東京公演でまとめて見た後に書きたいなあと思ったので、なぜここまで僕が劇団どくんごを推し、塾生のチケット代を自腹で大量に払い、遠くまで観に行き、とうとう東京の場所取りや営業までやっているのか、についてちらりと書こうかな、と思います。(恐らく他の素晴らしい作品を見て感銘を受けても、僕はここまで「推そう!!」とはならないです。)
端的に言えば、どくんごは全ての人々にとって「希望」そのものであると僕は思っています。自分のやりたいことをやろうと生きていく際に立ち上がる様々な制約の一つ一つに対して、徹底的に真摯に向き合い、何とか彼らなりの回答を出そうと何も揺るがせにすることなく取り組んできた、その結晶がどくんごのあの舞台であるのだと思っています。
観客の側における芸術と生活との乖離、商業演劇の可能性と不可能性(殆どは補助金漬け、キャラメルボックスですら、続き得ないわけです。。)、一つの演目をどこまでブラッシュアップできるか、という商業的にはうまくいきようのないチャレンジへの取り組み、その目的のための年間80公演、さらには鹿児島から釧路までの旅公演。
全国各地への旅公演を30年続けてきた、という事実に象徴されるように、彼らは自分たちが面白い!と信じる芝居をどう実現するかを追求し、そこで直面してきた一つ一つの乗り越えるべき課題をどのように乗り越えるか、を模索してきた結果、このような独自の存在に辿り着いた、ということです。
演者自身がすべて手作りの美術やセットやグッズ。チラシ、ポスターデザイン、その全てが演者の手作りであるということ。これらはあの芝居が観客の目に触れるまでにそれぞれの稽古以外にどれほどの時間を積み重ねて実現しているのか、の現れでもあります。それはまた、あの練度の稽古にかかった時間も含め、とてつもない時間と努力の結晶です。(もちろん、これは他のどの劇団であっても多かれ少なかれ似た状況でしょう。)
そして、彼らにとって理想とする芝居のために各地に自前のテント劇場を建てる、という解決策は、新たに悪天候や土地を借りる交渉といった舞台の外の要素との闘いを彼らに強いることになりました。これらをも取り組むべき対象として丹念に取り組み続けてきているわけです。
これらをざっくりまとめて言えば、自分たちがしたい芝居に必要なすべてを役者さんたちが自前でやっていく、という点では(言葉は悪いですが)高校や大学の演劇部のようなものです(大学はもう分業体制に別れるかもしれませんが)。役者は役者、美術は美術、として分業をするのが「プロ」であるのだとしたら、アマチュアリズムの塊です。しかしそれを、どこまでも本気で、どこまでも妥協なく、そしてどこまでも協力してやっていった結果として、それは「ただ、板の上に載せてもらってその上で演じる」役者のどのような「名演」ともまた違うものを我々に伝えてくれます。
その「違うもの」とは何か。私たちは何を求めるつもりだったのか、ということに気付かされる、ということです。
私達が求めていたものを実現していくためには、あまりにも「整備された道」とそれ以外のものとの落差が大きすぎます。
だからこそ私たちは、自分が求めていたものを実現するために、と信じて、あるいは信じられなくなってからは必死に自分に言い聞かせては、その「整備された道」を行くことで何とか自分は志を失ってはいない、という外観を保ち続けようとします。
しかし、そのように意固地に「既に挫折している」ことを認めないままになされるすべての努力を通じて私達自身が心の蓋を閉ざし続けようと、そのような整備された道など最初から打ち捨てては、愚直に自分たちの信じる道だけをやり続けてきた彼らの舞台を見れば、それはこじ開けられざるを得ないわけです。そこに解放感、希望を見出す人もいれば、不快感を感じる人もいるでしょう。
その「整備されていないが、しかし自分達が信じる道を行く」とは、物理的、経済的な側面だけではなく、伝達、という側面においてもです。彼らは理解をしてもらうことを、正確には理解をしてもらいに行くことを捨てて、「これが面白い(intresting!)!」を徹底的に作り上げていきます。それなのに/それだからこそ、その結果として何かが観客にも伝わる瞬間が生まれる。しかも、何かを伝えようとする作品よりも。ここにおいても希望を感じさせてもらえることについては、僕が毎年書いている他のどくんご観劇記事(去年のはこれです。)でも書いたところです。
このように、どくんごは、「道なき道」の方向へと正しいものを感じては生きるすべての人にとって、希望です。
だからこそ、彼らとツアーを一緒にした若い役者さんたちが触発されて、
テント芝居ブームが再燃している、ともいえるでしょう。
(今年はベビー・ピーも小金井公園で(どくんごの一週間前に)、マタヒバチも秋以降に恐らく関東どこかでやる予定です。)
そして、それは役者さんだけに限りません。様々な方向で整備された道に乗っかろうとするのではなく、
道なき道を行こうと、もがき苦しんでいるすべての人にとって、どくんごは一つの希望であると思っています。
もちろん、かれらのとてつもない努力に自分の夢を託してはおしまい!ではなく、自身の信じる道を追求するために、こういう先達がいるのだ!という心の支えや叱咤激励として。
だからこそ、多くの人に、そして特に若い人たちに見てもらいたいと思っています。
東京公演の予約は絶賛受付中です!予約はどくんごホームページからでも、嚮心塾にご連絡いただいても大丈夫です!
しかも今年は僕のミスでチラシ、ポスターを開演時間を間違えて発注してしまい、それを今から修正して配らなければならない、という追い込まれた状態です。。告知もここから本腰入れて、徹底的にやっていきたいと思います。
どくんご東京公演『誓いはスカーレットΘ』
8月28,29,31,9月1日の毎夕19時開演(開場は30分前)
(一部で「19時半開演」のチラシがありますが誤りです。申し訳ありません。)
場所は小金井公園いこいの広場
詳細はどくんごホームページで。
さて、どくんごの紹介を書こうと思ったのですが、去年もビギナー向けにこのようなものを書きました。また、どくんごの感想についても、さんざん書いています(これも先程のリンクから追えるようになっています)。
では、何を書こう!感想?(実は今年はもう3回見ています)とも思ったのですが、今年の感想はやはり東京公演でまとめて見た後に書きたいなあと思ったので、なぜここまで僕が劇団どくんごを推し、塾生のチケット代を自腹で大量に払い、遠くまで観に行き、とうとう東京の場所取りや営業までやっているのか、についてちらりと書こうかな、と思います。(恐らく他の素晴らしい作品を見て感銘を受けても、僕はここまで「推そう!!」とはならないです。)
端的に言えば、どくんごは全ての人々にとって「希望」そのものであると僕は思っています。自分のやりたいことをやろうと生きていく際に立ち上がる様々な制約の一つ一つに対して、徹底的に真摯に向き合い、何とか彼らなりの回答を出そうと何も揺るがせにすることなく取り組んできた、その結晶がどくんごのあの舞台であるのだと思っています。
観客の側における芸術と生活との乖離、商業演劇の可能性と不可能性(殆どは補助金漬け、キャラメルボックスですら、続き得ないわけです。。)、一つの演目をどこまでブラッシュアップできるか、という商業的にはうまくいきようのないチャレンジへの取り組み、その目的のための年間80公演、さらには鹿児島から釧路までの旅公演。
全国各地への旅公演を30年続けてきた、という事実に象徴されるように、彼らは自分たちが面白い!と信じる芝居をどう実現するかを追求し、そこで直面してきた一つ一つの乗り越えるべき課題をどのように乗り越えるか、を模索してきた結果、このような独自の存在に辿り着いた、ということです。
演者自身がすべて手作りの美術やセットやグッズ。チラシ、ポスターデザイン、その全てが演者の手作りであるということ。これらはあの芝居が観客の目に触れるまでにそれぞれの稽古以外にどれほどの時間を積み重ねて実現しているのか、の現れでもあります。それはまた、あの練度の稽古にかかった時間も含め、とてつもない時間と努力の結晶です。(もちろん、これは他のどの劇団であっても多かれ少なかれ似た状況でしょう。)
そして、彼らにとって理想とする芝居のために各地に自前のテント劇場を建てる、という解決策は、新たに悪天候や土地を借りる交渉といった舞台の外の要素との闘いを彼らに強いることになりました。これらをも取り組むべき対象として丹念に取り組み続けてきているわけです。
これらをざっくりまとめて言えば、自分たちがしたい芝居に必要なすべてを役者さんたちが自前でやっていく、という点では(言葉は悪いですが)高校や大学の演劇部のようなものです(大学はもう分業体制に別れるかもしれませんが)。役者は役者、美術は美術、として分業をするのが「プロ」であるのだとしたら、アマチュアリズムの塊です。しかしそれを、どこまでも本気で、どこまでも妥協なく、そしてどこまでも協力してやっていった結果として、それは「ただ、板の上に載せてもらってその上で演じる」役者のどのような「名演」ともまた違うものを我々に伝えてくれます。
その「違うもの」とは何か。私たちは何を求めるつもりだったのか、ということに気付かされる、ということです。
私達が求めていたものを実現していくためには、あまりにも「整備された道」とそれ以外のものとの落差が大きすぎます。
だからこそ私たちは、自分が求めていたものを実現するために、と信じて、あるいは信じられなくなってからは必死に自分に言い聞かせては、その「整備された道」を行くことで何とか自分は志を失ってはいない、という外観を保ち続けようとします。
しかし、そのように意固地に「既に挫折している」ことを認めないままになされるすべての努力を通じて私達自身が心の蓋を閉ざし続けようと、そのような整備された道など最初から打ち捨てては、愚直に自分たちの信じる道だけをやり続けてきた彼らの舞台を見れば、それはこじ開けられざるを得ないわけです。そこに解放感、希望を見出す人もいれば、不快感を感じる人もいるでしょう。
その「整備されていないが、しかし自分達が信じる道を行く」とは、物理的、経済的な側面だけではなく、伝達、という側面においてもです。彼らは理解をしてもらうことを、正確には理解をしてもらいに行くことを捨てて、「これが面白い(intresting!)!」を徹底的に作り上げていきます。それなのに/それだからこそ、その結果として何かが観客にも伝わる瞬間が生まれる。しかも、何かを伝えようとする作品よりも。ここにおいても希望を感じさせてもらえることについては、僕が毎年書いている他のどくんご観劇記事(去年のはこれです。)でも書いたところです。
このように、どくんごは、「道なき道」の方向へと正しいものを感じては生きるすべての人にとって、希望です。
だからこそ、彼らとツアーを一緒にした若い役者さんたちが触発されて、
テント芝居ブームが再燃している、ともいえるでしょう。
(今年はベビー・ピーも小金井公園で(どくんごの一週間前に)、マタヒバチも秋以降に恐らく関東どこかでやる予定です。)
そして、それは役者さんだけに限りません。様々な方向で整備された道に乗っかろうとするのではなく、
道なき道を行こうと、もがき苦しんでいるすべての人にとって、どくんごは一つの希望であると思っています。
もちろん、かれらのとてつもない努力に自分の夢を託してはおしまい!ではなく、自身の信じる道を追求するために、こういう先達がいるのだ!という心の支えや叱咤激励として。
だからこそ、多くの人に、そして特に若い人たちに見てもらいたいと思っています。
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