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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

「努力」に逃げ込むな。

 今年度の入試も終わりました。結果は悲喜こもごもではありますが、どのような結果であれ、一年間の自分の努力の結果であるので、それを受け入れて次のステップへと進んでほしいと思っています。

 自分にとって辛い結果の受験になってしまえば「努力しても報われない!」とついつい思ってしまうかもしれません。しかし、受験に長く関わる以上断言できるのは、努力は必ず報われる、ということです。だからこそ長い時間勉強してもうまくいかない理由は、ある(自分にとっては取り組みやすい)努力をすることで、(自分にとっては取り組みにくい)努力からは目を背けているからであると言えるでしょう。このような受験生の場合、長い時間勉強するという「努力」は、本当に自分にとって必要なものへと目を向けてそこを苦手でも埋めていくという努力をしないがための逃避手段となってしまっているわけです。

このように受験勉強は正しくやらなければ力がつきません。そして、受験勉強において「正しい」方向とは、どれだけ自分の苦手なことから目をそらさずに埋めていこうとしていけるか、です。ここにおいては、どのように優秀な受験生であっても、受験生という不安な立場の中で正しい判断をできないまま、自己満足に陥りがちです。その結果が入試において残酷にも出てしまう、ということが多いのだと思います。
だからこそ、受験生が正しい方向の努力をできるように、嚮心塾では日々一人一人について悩み抜いて指導しています。一人一人の受験生が鍛えるべきポイントから外れていないか、仮に今外れているとしてそれをどのように納得して修正してもらえるか、ということを考え、提案をしていきます。もちろん、こちらのアドバイスを最初から全面的に取り入れられるようなお子さんであれば最短距離で勉強ができるわけですが、多くのお子さんは既に勉強してきた方法に固執したり、根拠のない俗説を信じていたり、となかなか虚心坦懐にアドバイスには従っていただけない場合が多いからこそ、生徒と僕との信頼関係の中で、どこまでは伝えうるかを絶えず測りながら、彼ら彼女らの直すべき核心へと踏み込む瞬間を準備しています。

生徒たちの現実から目をそむけるための努力を、厳しい現実へと立ち向かうための努力に変えられるように。そのためにのみ、嚮心塾は存在すると思っています。そのような研鑽の場としての嚮心塾に是非学びに来ていただけることを心待ちにしております。
                               2019年3月10日 嚮心塾塾長 柳原浩紀

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2019年度入試結果(確定版)

             2019年度合格実績      確定版
       
<大学受験>
(国公立大学)           
北海道大学医学部医学科           1名(進学先・第一志望)
東京医科歯科大学医学部保健衛生学科看護学専攻1名
                 
(私立大学)
北里大学医学部医学科              1名(進学先)
立教大学経済学部                1名(進学先)
青山学院大学文学部               1名(進学先)
中央大学商学部                 1名(進学先)
共立女子大学国際学部              1名(進学先)
明治薬科大学薬学部(特待合格)         1名(進学先)
埼玉医大医学部医学科              1名
岩手医科大学医学部(1次合格)         1名
東邦大学医学部(1次合格)           1名
東京医科大学医学部(1次合格)         3名
杏林大学医学部(1次合格)           1名
聖マリアンナ医大医学部(1次合格)       1名
立教大学文学部                 1名
学習院大学文学部                1名
成城大学法学部                 1名


<高卒認定試験>
全科目合格                1名

<高校入試>
立教英国学院               1名(進学先)
桐朋女子高                1名(進学先)
国学院久我山高              1名
西武文理高                1名

<中学入試>
海城中                  1名(進学先)
武蔵野大学中               1名(進学先)
桐朋中                  1名

大学受験生15名(うち国公立受験生6名、医学部受験生8名)、高校受験生2名、中学受験生2名での結果です。彼ら彼女らがこの1年を真剣に悩みながら頑張った結果ですので、どの受験生のどの結果にも誇りをもっています。
                             2019年3月10日 嚮心塾塾長 柳原浩紀

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嚮心塾は英語民間四技能試験に対応しません!

センター試験後継の英語民間四技能試験は多くの致命的な問題点を抱えたまま、来年度から実施されてしまうことになってしまいます。それに対して英語教育・英文学の先生方が反対の署名を届けたばかりですが、この問題については社会の基盤を掘り崩すような大きな改悪であるのに、社会の関心があまりにも薄すぎると思っています。
(問題点の整理に関してはこのブログが比較的まとまっていると思います。)

あまりにも多くの問題点があるずさんな変更であるために、その問題点についていちいち指摘しにくくわかりにくい、ということもあるのですが、それ以上にことをめんどくさくしているのが、「入試」改悪であるということです。

我が子の受験について心配されている親御さんは、「我が子の人生の大事に変更がなされる」と聞けば、それがどのような変更か、改正か改悪かを考える前に、まず「うちの子はそれで大丈夫か」「うちの子はその試験にどう対応するか」ばかりを考えます。これにはまた、教育産業もひどいもので、このような親御さんの不安を「ビジネスチャンス!」とばかりに煽り立てて、「新テストに対応できます!」と売り込もうとします。このようにしてどんなにおかしな改悪であったとしても、それに抗議することよりも前に、「対応」することに忙しく、結果として抗議もせずに黙々と従う、という失敗をおかすことになってしまいます。

このような奴隷根性の日本人が香港のデモを見て「香港加油!」とか言うこと自体が烏滸がましいというか、ちゃんちゃらおかしい話でして、「お前たちもこっちを応援してないで、もっと自分の戦うべき相手と闘ったほうが良いのでは?」と香港の人たちからも心配されてしまうと思うのですが。。(もっと日本人は「怒る」ことを覚えたほうが良いと僕は思っています。)

英語の習得にどこまでスピーキング・リスニングが必要であるかはそもそも何のためにその外国語を学ぶのか、とリンクしているため一般論を話すのが難しいところではありますが、基本的な英文法の徹底無くして英語が上達することは不可能です。これだけは断言ができると思います。それを徹底した上で、自分の鍛えたい分野をさらに特化して鍛えていく、ということが理想なわけですが、このような入試改悪を「ビジネスチャンス!」と見ては利益誘導を図る教育産業やそれと癒着した文科省には、同じ教育に携わるものとして本当にうんざりします。しかし、彼らはどだいそういうものです。私企業が利益を最大化するためにあらゆる手を使うことを「文科省なら拒絶してくれる」と勝手な期待をするのも、どだい人任せな態度でしかありません。

僕が何よりも問題であると思うのは、このような利益誘導をしっかりと情報を集めては批判をすることもなく、「変化」に「対応」しなきゃ!と唯々諾々とその準備をしていく教師・保護者・受験生です。闘うべきときに闘わずに、そのような恣意的な改悪を防げるわけがないではありませんか。

嚮心塾は、「新テストに対応します!」などと口が裂けても言いません。それは英語の習得にとって、明らかに
失敗であると思うからです。英文法を叩き込み、品詞分解を徹底し、(大学受験レベルなら)目に触れる英文全ての構造を分析できるようになってからでも、スピーキングやリスニングをしっかり鍛えることは決して遅くはありません。
ましてや、こんな適当な採点と基準の民間試験もまざった新テスト対策なんて、という感じですね。(もちろん、英検やtoeflはある程度しっかりしたテストです。)そこに関しては子どもたちの学力をきちんと鍛え続けていけるように、頑固にやっていきたいと思います。

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「楽しむ」ためには。

トップアスリートがよく使っていることから、大切な試合や受験など、いわゆる本番でのパフォーマンスを上げるために、「楽しみなさい!」というアドバイスはよくされるようになったと思っています。

しかし、このアドバイスはある意味無責任です。そりゃ人生の掛かった本番で「楽しむ」ことができれば、心もリラックスしてパフォーマンスも上がるでしょうが、しかしそれが簡単にできたら苦労しないわけで、「楽しんでね!」というアドバイスは人生の掛かった本番でそのようには思えない人にとっては何も役に立たないし、そのように思える人にとってのみ、よいアドバイスというだけのものであるかもしれません。

なのですが、昨日教えていて、では「楽しめない」とはどういう状態かといえば、「一つの方向や判断基準に自身を押し込めているとき」なのだ、と説明すれば良いと気づきました。人間自体が多様であり、たとえば一つの方向にむかって、それ以外のものを切り捨ててでもその一つの方向で何かを成し遂げようとしているときはどうしてもその成否だけが気になってしまうものです。しかし、そのように研ぎすませていく瞬間にも、人間の認識は必ずその目的に資するものとは別のものを
とらえてしまいます。そのとらえたものを「無駄だ!」と考えれば考えるほどにどんどん焦ってテンパっていくでしょうし、逆に「なるほど、これは面白いねえ。」とその一つの方向から外れたものを評価できるのであれば、それは段々と「楽しむ」ことに近づいている、と言えるでしょう。

つまり、「楽しむ」とは「味わう」ということです。だから、「楽しみなさい!」はもっと精密に話せば、

「人生をかけた勝負の中で、それでも自分が望む方向へと一生懸命やろうとしてもうまくいかないことは出て来るし、自分が実現したい方向性以外の方向性も出てきてしまう。しかし、それらを無駄と感じては今追求している方向性へと何とか戻そうとすればするほどに、そのような「目的」から外れた自分に対する焦りや苛立ちというまた別の「方向性」が生まれてしまい、自分がどんどん分裂してしまう。だからこそ、そのうまくいかないこと、無駄なことをじっくりとあじわいなさい。その勝負に勝つ、という目的地を忘れて、あたかもあてのない散歩をするように。最初設定した目的地への前進がうまくいっていないことも含めて、あなたの散歩であり、あなたの人生なのだから。逆に一つの方向へと自分の意識を向けようと思えば思うほどに、人間とはそのようなものではない、という根本的な拒絶感の根強い抵抗に疲れ果てては、結局集中できないままに終わることになるはずです。」

ぐらいでしょうか。長い!
なるほど、これはみんな「楽しめ!」ぐらいしか言わなくなりそうなものです。
しかし、楽しめる人は最初から楽しめるし、そうではない人はこの言葉一つだけでは難しいでしょう。
だからこそ、自分がしんどくてたまらないとき、自分がどうにもうまくいっていないと感じているときにこそ、
この「一つの方向」だけで自分を評価していないか、そこに自分の魂を押し込めては味わうことを忘れてはいないか、を
自分でチェックすることがとても大切です。

話を広げれば、自分を一つの方向へと駆り立てない、自分を一つの座標軸だけで評価しない、ということはこのように本番でのパフォーマンスを上げるだけでなく、長期的な生き方の面でもとても大切なことです。
僕も教育に携わるようになって長いですが、ほとんどの「やる気のない」子というのは、
親や教師が用意した一つの方向でしか評価されないことに倦み疲れている子であると思っています。

もちろん家の中の煙に気づいた瞬間に「火事だ!逃げろ!」と叫んだ後くらいは、一つの方向に向かっていないと死んでしまうわけです。緊急避難的に一つの方向に向かわなければいけない瞬間というのも人間には多々あります。しかし、根本的にはそれを長期間、しかも自分の意志ではなく他者の意志で行うことは人間にとっては不可能です。

その不可能なことをやらせようとして失敗しているのが、たとえば現在の教育のありようなのではないか。
大学受験がこの日本社会において「緊急時」であることは僕はそんなに間違っていないとは思いますが、では
その勉強をいつからやるか、というときに高3から?高2から?いやいや、これだけ高校受験で生徒を宿題と小テストで虐待する「自称進学校」と母集団の質の高さ以外に教育機関としての能力の低い「都立トップ校」しかない(最後の砦の豊島岡ですら高校受験を辞めます。。)のだとしたら、無理やり中学受験で入れるしかないのでは?
そうしたら、小6から?いや、小4から?

というように、どんどん「一つの方向」へ子どもたちが努力する期間を長くさせようとしていってしまっているわけです。
ましてや、「高校のときは勉強をサボって浪人してから頑張る」ことも許されなくなるような入試改悪が進んでいる将来は、さらにそうなっていきます。

このようにしておいて、「思考力を鍛えろ」というのは他者が無理やり食べ物を口につっこむ期間を10何年も続けていながら、「よく味わえ!」というのと同じでしかありません。控えめに言って虐待、もっと率直に言えば、長い目で見た自殺であるとすら思います。

そのような中で、「学校でやる勉強をやってください!」と何も知らない親御さんからはリクエストされるものの、事実学校の勉強が何も力がつかないレベルの作業や苦行でしかない(僕らが学生の頃は高校の授業は「受験に役に立たない」ものでしたが、現在の高校の授業は宿題が多すぎて「受験勉強の足を引っ張る」ものです。学校の勉強を頑張ることと受験勉強の準備をすることは多くの高校において明確に反対の方向であると思います。)中で、なんとかそのムダを省き、「一つの方向」へと押し込められている子達の精神を少しでもリラックスさせてあげた上で、何とかその一つの方向へと自分から取り組むことができるように、闘い抜いていきたいと思っています。

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内面へと切り入るために。

いやあ、ブログ書くの、すっかり忘れてました!
忙しいにもほどがあるだろ!というくらい6月はバタバタしていた(もうすぐ6月が終わる…)のですが、それもようやく落ち着いてきました。また少しずつ書いていきたいと思います。

教える、ということには生徒の内面に切り入る瞬間を必ず必要とします。
表面を撫でるだけで知識をつけるだけで合格できれば、一番良いのですが、入試というのは極限状況であり、
そのような人生がかかった勝負ではどのように粉飾しても必ずボロが出ます。だからこそ、本当に合格する確率を上げたければ、そこでボロが出てもなお戦えるように、地金(じがね)の部分を鍛えていかねばならないわけです。

しかし、それが本当に難しい。
「あなたの地金、鍛えさせてくださいね。」「わっかりましたー!」とスムーズにいけばよいのですが、
そんなことは一度もありません。

それは当たり前でその「地金」の部分というのは多くの人にとって、自分が触られたくない、考えたくない、
そもそも存在していることに気づきたくもない部分であるからです。そのように存在すら黙殺したくなるような部分が、
しかし、いずれ彼や彼女にとって極限状況で時限爆弾のように爆発してしまわないように、それを何とかまず存在に目を向けさせ、認識してもらい、さらには少しでも変えられるように、とやっていかねばなりません。

「時限爆弾」というたとえを使いましたが、このように生徒の内面に切りいる瞬間というのは、まさしく爆発物処理班のような気持ちです。どこか一本でも切断する線を間違えたら爆発する!という緊張感の元に手探りで話していく必要があります。

もちろん、爆発物処理班との違いは、爆発物処理班と爆弾の間には信頼関係はないですが(本当のカリスマ爆発物処理班の方にはあるのかもしれませんが)、教師と生徒の間には時間をかけて信頼関係を作っていくことができる、ということです。しかし、そのように時間をかけて、丁寧に信頼関係を築いていき、「さて、ここらでそろそろ踏み込んでいくか!」という途端に「もう辞めます!」と言われてしまったりもします。内面へと切り入ることがただ難しいだけではなく、そのためにどれほどの信頼関係が必要であるのか、さらにはその必要な信頼関係を築くことに汲々としては切り入る前に終わってしまうということのないように、と様々な難しさがここにはあるわけです。

このように書くと、あたかも僕が熟練の爆発物処理班(もうこのたとえ、わかりにくいですかね?)であるかのように聞こえるわけですが、実際にはなかなかうまくいくものではありません。
今回も、丁寧に時間をかけて、その上で徐々に勉強のクオリティを上げていけるようにどのタイミングで切り入るか、と準備をしていた子にさっさと「辞めまーす。」と言われ、本当に落ち込みました。

自分自身の人生観、価値観が変わるような努力ができなければ、受験勉強をする意味などない!とまあ僕自身は思っているわけですが、それは別に受験生に強要しても仕方がありません。ただ実際には、そのような自分の価値観を温存するようなやり方は「合格する確率を0.01%でも上げる」ような準備をしていこうとすることと根本的には矛盾します。untouchableな弱点を温存したまま戦うことになるからです。

しかし、ほとんどの受験生は自分自身の人生観・価値観を変えないように努力するわけで、このあたりが本当に難しいところです。だからこそ、疎まれても嫌われても、このように入念に準備しているのにさっさと捨てられても、こちらの準備が無駄になることばかりだとしても、引き続き、内面へと切り入る瞬間のために準備をしていこうと思います。

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