
引っ越しネタが続いてしまって恐縮ですが、今回も引っ越しの話です。
この25年くらいで特にインターネットの発達により大きく社会は変わった、というのが一般的な見方であるわけですし、この解釈はこの解釈で一理あるわけですが、ほぼ何も発達していないところも多いと僕は思っています。
その一つが、引っ越し屋さんです。
いやいや、見積もりをネット上で複数の見積もりをいっぺんにとれるようになった!とか引っ越し帰りのトラックを利用したり同じ方向への引っ越しするトラックの空きを利用して安く引っ越しを頼めるサービスが生まれたり、といわゆる「情報」の部分ではこの業界も大きく変わったとはいえます。ただ、肝心の荷物を運ぶ、という段階になってくると、やはり鍛え抜かれた引っ越し作業員の皆さんの筋肉とチームワークに頼らざるをえないわけで、これに関してはこの25年くらいで何も変わっていないところであると思います。
一般に情報技術の発達による「革命」はハード面での発達を置き去りにしているのが、現在の状況である、と言えるのかもしれません。ネットでクリック一つで自宅に届く、といえば非常に先進的な経済のように思えますが、そこで運んでくれるのはクロネコヤマトや佐川急便のお兄さんの身体です(もっともアマゾンはドローンを使った配達サービスの実験をしているらしいので、これもまだ変化する余地があるかもしれません。)。引っ越し屋さんしかり、ですね。雨の日に我々が使うものも傘や合羽と、これも何十年、下手したら百年ほど変わっていないのかもしれません。
だからこそ、「情報(特に視覚情報)」面での発達によってこの社会の発達を測ろうとすればするほどに、それでは社会の進化の度合いを過大評価することになります。アマゾンの巨大な倉庫で働く人(これも最近は機械化されているそうですが)、それを運ぶ宅急便の配達員の人、引っ越し屋さんの作業員さん、そういった物理的な「作業」を軽減するような革命というのはほとんど起きていない、という視点を忘れないことが大切であると思っています。
だからこそ、逆にこれからの技術革新においてブルーオーシャン(未開拓の分野だからこそ先行者利益が得られる分野)は、そのような物理的作業をいかに軽減できるような装置を作っていけるか、というところになるわけです。その点ではアマゾンのドローンを使った配達サービスなんかはかなり筋がよいことになります。食洗機などもその流れではやはりひとつの革命でした。逆に「日本にGAFA(google,amazon,facebook,apple)が生まれないのは何故だ!」と言っては情報産業にこれからもイノベーションが起きる、とそちらに投資ばかりをしているのでは大局を見誤っている、とも言えるでしょう。
そのような文脈を踏まえていれば、この洗濯した後の衣類をたたむ機械、というのは将来的にビジネスとしてとても大きく膨らんでいく可能性があった、と言えるでしょう。かつての全自動洗濯機や食洗機が(主として女性の)家事労働を減らすことに繋がったのと同じように、です。まず全世界で必ず必要となる機械であり、しかも先に述べた物理的な「作業」を軽減する方向に、という意味ではこの社会の発達の中で取り残されている部分のレベルを上げることにもなったはずです。これをたった一種類の衣類をたためないがゆえに出資元の大企業がお蔵入りにしてしまい、この機械を作ろうとしていたベンチャー企業が破産手続きをせざるをえなくなる、というところに、日本の企業の二匹目のドジョウを狙うこと以外にはできない大局観のなさが現れている、と言えるでしょう。このようにして、日本社会はせっかく生まれた有望な芽を育てることができず、そしてどんどん地盤沈下していくしかない、という本当に残念な一例になってしまっています。
もちろん、どこに革新的なものがあるのかを見つけることは極めて難しいことです。外部から見ればこのようにどうしようもなくアホな失敗を、今私達が目の前でしていないかといえば、決してそうではありません。だからこそ、私たちは必死に目を凝らし、その意味を考え、その上でどのような取り組みに対して自分が命をかけて伸ばしゆこうとするのかを必死に考えていかねばならないわけです。自分のそのような伸びゆく芽を見逃す愚かしさを恐れるからこそ、必死に勉強してはこの一瞬一瞬を大切にしていくしかありません。
太宰治が「『キリストの時代に私達が生きていれば、決してキリストを殺させやしなかった。』と言っているお前がまさに現代において目の前の「キリスト」達を殺しているのだ。」ということを書いていました。人間は自分とは違う思想に対して違和感を感じ、それを排斥する理由を見つけようと躍起になってしまうものです。その異物を排斥するための理由が、「常識」です。だからこそ、常識を疑う力をつけていくために、一人一人を鍛え抜いていかねばならないですし、そのことの遠い帰結が実はイノベーションの土台となっていくのだ、と思っています。(もちろん、その「常識」を疑えない人が会社組織あるいは官僚組織において出世しやすい、という社会構造上の問題点がそもそもこのような愚かな失敗を量産している、ということについてはまた別の機会に書きたいと思いますが。まずは、疑える人が増えることが必要である、と思っています。)
この25年くらいで特にインターネットの発達により大きく社会は変わった、というのが一般的な見方であるわけですし、この解釈はこの解釈で一理あるわけですが、ほぼ何も発達していないところも多いと僕は思っています。
その一つが、引っ越し屋さんです。
いやいや、見積もりをネット上で複数の見積もりをいっぺんにとれるようになった!とか引っ越し帰りのトラックを利用したり同じ方向への引っ越しするトラックの空きを利用して安く引っ越しを頼めるサービスが生まれたり、といわゆる「情報」の部分ではこの業界も大きく変わったとはいえます。ただ、肝心の荷物を運ぶ、という段階になってくると、やはり鍛え抜かれた引っ越し作業員の皆さんの筋肉とチームワークに頼らざるをえないわけで、これに関してはこの25年くらいで何も変わっていないところであると思います。
一般に情報技術の発達による「革命」はハード面での発達を置き去りにしているのが、現在の状況である、と言えるのかもしれません。ネットでクリック一つで自宅に届く、といえば非常に先進的な経済のように思えますが、そこで運んでくれるのはクロネコヤマトや佐川急便のお兄さんの身体です(もっともアマゾンはドローンを使った配達サービスの実験をしているらしいので、これもまだ変化する余地があるかもしれません。)。引っ越し屋さんしかり、ですね。雨の日に我々が使うものも傘や合羽と、これも何十年、下手したら百年ほど変わっていないのかもしれません。
だからこそ、「情報(特に視覚情報)」面での発達によってこの社会の発達を測ろうとすればするほどに、それでは社会の進化の度合いを過大評価することになります。アマゾンの巨大な倉庫で働く人(これも最近は機械化されているそうですが)、それを運ぶ宅急便の配達員の人、引っ越し屋さんの作業員さん、そういった物理的な「作業」を軽減するような革命というのはほとんど起きていない、という視点を忘れないことが大切であると思っています。
だからこそ、逆にこれからの技術革新においてブルーオーシャン(未開拓の分野だからこそ先行者利益が得られる分野)は、そのような物理的作業をいかに軽減できるような装置を作っていけるか、というところになるわけです。その点ではアマゾンのドローンを使った配達サービスなんかはかなり筋がよいことになります。食洗機などもその流れではやはりひとつの革命でした。逆に「日本にGAFA(google,amazon,facebook,apple)が生まれないのは何故だ!」と言っては情報産業にこれからもイノベーションが起きる、とそちらに投資ばかりをしているのでは大局を見誤っている、とも言えるでしょう。
そのような文脈を踏まえていれば、この洗濯した後の衣類をたたむ機械、というのは将来的にビジネスとしてとても大きく膨らんでいく可能性があった、と言えるでしょう。かつての全自動洗濯機や食洗機が(主として女性の)家事労働を減らすことに繋がったのと同じように、です。まず全世界で必ず必要となる機械であり、しかも先に述べた物理的な「作業」を軽減する方向に、という意味ではこの社会の発達の中で取り残されている部分のレベルを上げることにもなったはずです。これをたった一種類の衣類をたためないがゆえに出資元の大企業がお蔵入りにしてしまい、この機械を作ろうとしていたベンチャー企業が破産手続きをせざるをえなくなる、というところに、日本の企業の二匹目のドジョウを狙うこと以外にはできない大局観のなさが現れている、と言えるでしょう。このようにして、日本社会はせっかく生まれた有望な芽を育てることができず、そしてどんどん地盤沈下していくしかない、という本当に残念な一例になってしまっています。
もちろん、どこに革新的なものがあるのかを見つけることは極めて難しいことです。外部から見ればこのようにどうしようもなくアホな失敗を、今私達が目の前でしていないかといえば、決してそうではありません。だからこそ、私たちは必死に目を凝らし、その意味を考え、その上でどのような取り組みに対して自分が命をかけて伸ばしゆこうとするのかを必死に考えていかねばならないわけです。自分のそのような伸びゆく芽を見逃す愚かしさを恐れるからこそ、必死に勉強してはこの一瞬一瞬を大切にしていくしかありません。
太宰治が「『キリストの時代に私達が生きていれば、決してキリストを殺させやしなかった。』と言っているお前がまさに現代において目の前の「キリスト」達を殺しているのだ。」ということを書いていました。人間は自分とは違う思想に対して違和感を感じ、それを排斥する理由を見つけようと躍起になってしまうものです。その異物を排斥するための理由が、「常識」です。だからこそ、常識を疑う力をつけていくために、一人一人を鍛え抜いていかねばならないですし、そのことの遠い帰結が実はイノベーションの土台となっていくのだ、と思っています。(もちろん、その「常識」を疑えない人が会社組織あるいは官僚組織において出世しやすい、という社会構造上の問題点がそもそもこのような愚かな失敗を量産している、ということについてはまた別の機会に書きたいと思いますが。まずは、疑える人が増えることが必要である、と思っています。)



