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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

なぜ「元劣等生」は受験本番に強いのか。

たまには受験のことも書きます!様々な受験生を教えていて思うのは、「本番に強い」子とそうでない子というのがやはり分かれる、ということです。もちろんこちらでもそのような「本番に強い」子はどういうところが強いのかを分析して言語化し、それをどのような生徒にも教えられるように、ということを心がけていますが、それでもやはり個人差が出てきます。

端的にいうと「本番に強い」子の特徴というのは、元劣等生が多い、ということが言えると思っています。元々成績が悪かった子が勉強して知識や理解が追いついてくると、入試本番ではとても強いです。逆にコツコツ勉強してきて、ずっと良い成績をキープしてきた子、というのは本番に弱いところがあります。

これはなぜか、といえば、入試本番では「自分の期待や予想以上に、問題が解けない」ことが圧倒的に多いからです。そのようなときに、元々あまり成績が良くなかった子、というのはそのような「絶望的な闘い」をすでに中学生や高校生のときに様々な試験で経験しているので、「まあ、解けるのがどれか探してそれだけ解こう!」と思うことができます。そして、入試においてはその「まず解ける問題を探して解く。」が唯一の正解であり、「解けない問題を(本当は解けるレベルの問題だから)粘って解く」は絶対の禁忌事項です。元々成績が良くなく、だからこそ「全部はできるはずのないテスト」を散々受けてきた子、というのはそのような絶望的な闘いにある意味慣れているからこそ、入試本番においていちばん大切なそのような解き方が自然に身についている、と言えるのでしょう。

逆にコツコツ勉強をしてきた優等生は、「テストは解けるもの」というイメージがあります。もちろん、東大のように合格点が半分くらいのような入試であれば、すべての問題が解けるわけではないことは事実としては知っているつもりですが、しかしそれでも「全く解けないテストの中で一問でも二問でも解ける問題を探して解いていく」ということに関しては圧倒的に経験値が足りません。だからこそ、頭では「解けない問題を飛ばして解こう!」という戦略はわかっていたとしても、「解けないで飛ばしている問題が最後まで解けなかったらどうしよう…。」という思いが最後まで意識から消えずに、目の前の問題に集中できずに失敗する、というケースが多いようです。

だからこそ、こちらで受験に対してしていく準備としては、特に優等生タイプの子ほどにそのように「絶望的な闘い」の中でどのように点数をかき集めていくか、そもそも何も解けていない状況で目指すべき目標は「合格点を取る」ことではなく、「まずはどれか解ける問題を一問でも解く」ことであることの理解をどこまで徹底できるか、ということになってきます。その点では「合格しよう!」という思いは邪魔でしかありません。「合格しよう!」と思えば当然「合格点まであと何点足りないから、最低何問は解かなくては!」と自分に縛りをかけることになり、そして頭が働かなくなります。目の前の一問一問に集中できるように「落ちてもいいから一問は解こう。」とどこまで本気で思えるかが勝負です。(これはたとえばスポーツとかとも似ていますね。テニスで言えば「勝ちたい!」と思うのではなく、目の前の一ポイント一ポイントに集中している方が結果として勝てる、というのと全く同じことです。逆に「勝ちたい!そのためにあと何ポイント!」と思うと失敗します。)

そして、もちろんこれには受験生本人だけの問題ではありません。親御さんや教師など周りの大人からの期待、プレッシャーを掛けること、などのすべてがそのように「絶望的な闘い」を切り抜けようと受験生がもがくときに、必ず足を引っ張ることになります。逆に「結果はどうでもいい」ということを(仮に本心では違うとしても)お子さんに見せられているかどうかで、受験生がその「絶望的な闘い」で最後まで諦めずに戦い抜けるか、それとも途中で精神的に限界を迎えてしまうかが大きく別れてしまうと言えるでしょう。

ということを考えると、ずっと成績が良いというのも考えものだと僕は思うのですが…。まあ自然に成績が良くなってしまう子はわざわざ下げる必要はないとして、中高一貫だったら進級さえできれば逆にそういう「絶望的な闘い」での度胸というのはつくので、あとは勉強を真剣にやる時期さえ来れば、それはそれで本番に強く、かつ実力もある子になれると思います(もちろん、勉強しないで合格できることはないです!)。

もちろん、これは受験だけのことではありません。真摯な人ほどにうつ病に陥りやすいこともこの一例です。受験が自分の予想通りうまくいかないのと同じように、人生も自分の予想通りうまくいきません。自分が努力と善意をもって生きていれば、何とか穏やかに暮らせるくらいにはなるはずだ、というささやかな希望は、くだらないものによって容易に踏みにじられていくのが人生です。だからこそ、この「(受験とは、あるいは人生とは)うまくいかないものだ。」という姿勢を早くから学んでは粘り強さ、しなやかさを身に着けていくこと、というのはとても大切だと思います。

均質な理想空間をどこまでも敷き詰めていくことで問題を避けようという、「地表をすべてアスファルトで固めれば車が通りやすいでしょ!」的な発想には必ず人間の予期せぬ限界がある、ということを学ぶことが本当の賢さであると思います。
是非、お子さんがずっと優秀で非の打ち所のないままに学校期間を終える、ということが理想だと考えておられるご家庭ほどにこのことを理解していただければ、と思っています。

それとともに、僕自身もその受験本番で起きる「不測の事態」「絶望的な闘い」に受験生を備えさせるためにも、今日も受験生の受験勉強をあれこれ邪魔していき、鍛えていきたいと思います(もちろん、勉強はそれ以上に鍛えます!)。

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呪(のろ)うことは祝(いわ)うことであること。

昨日の東大の入学式での上野千鶴子先生の祝辞が話題になっています。僕も全文を読んで内容も本当に素晴らしいし、これを聞いて反発している新入生も、勉強をしていく中でその反発を覚える自分のアホさに気付けるようになってくれればいいな、と思います。(もちろん、そうならない可能性の方が圧倒的に高いのが、恐ろしいところですが。一般に東大生が偏りのない見方が出来るかと言えばそれは全く違いますし、むしろ自分たちが受験勉強をくぐり抜けている、という成功体験から自分たちの偏見や幼稚さにすぎないものが少なくとも一顧だに値するかと思い込むような幼稚な態度をとってしまう子たちが多く、そしてそれは大人になってからもあまり変わらない、というのが事実です。東大出身者(これは京大でも早慶でもあまり変わりはしませんが)は「知的エリート」のような社会的認知をえながらも、ほとんどは実際には「自分」(がこれまでに身に着けてきた偏見)を疑うことができないという点では知的エリートではありません。)上野先生の祝辞はこちらから全文が読めます。

論点がいくつもあるので、この祝辞に含まれている論点について述べていくだけでもブログのネタに毎日困らずに連載できてしまうわけですが(笑)、さすがにそれはあざといですし、普段このブログで書いていることとも重複が多い(特に「自分の成功を自分の努力のおかげと思うな。」ということは繰り返し書いていると思います)ので、一点だけについて書きたいと思いました。それは、この上野先生の祝辞に対して「内容が素晴らしいことは間違いがないが、入学生を祝う入学式の祝辞としてふさわしかったか。」という批判について、です。

結局このような祝辞は東大生を選別を受けてきているという「原罪」を入学生に背負わせることであり、それを入学式でやるのか、という批判については、僕はそのような呪いの言葉こそが意気揚々と大学に入ろうとしている子達にとっては一番の良い薬であり、最高の贈り物であると思っています。もちろん、それをうざったいと思う学生が多いことは事実として、そのように呪われる言葉から、少しでも自身のありようについて考えざるをえないこと、さらには自身は考えないとしてもそれを問題視ないし、留保をつける存在がいるのだ、という事実をつきつけられることこそが、自身の認識の枠組みを問い直すきっかけになると思うからです。

たとえば、(これは上野先生も祝辞で触れていましたが)僕自身が入学した20数年前から今もずっと東大では東大男子はどこのサークルでも入れるのに、女子はインカレサークルには入ることができません。インカレサークルの方が圧倒的に多いため、東大女子は東大のサークルにほとんど入れないのです。これは東大男子は他大の女子にチヤホヤされたいところからそうなのでしょうが、今でこそそれが問題視されるものの、依然として改められていないことです。
(僕自身は、この理不尽な仕組みに入学当時憤慨しましたし、だからこそ絶対にそのようなインカレサークルには入らないことは決めて、東大女子も入れるサークルに入りました。それと同時に何の疑いもなくインカレサークルに入る同級生を軽蔑もしていました。しかし、その思いを同級生の男性の誰かに伝えても、ほぼ誰も理解してもらえなかったことをよく覚えています。まあそのせっかく入ったサークルも「東大」という内側は疑いえないアホさにうんざりして行かなくなるわけですが。)

そのような排除の仕組みに対して、疑問を投げかけることは内側からはどうしても出てきにくいため、この上野先生の祝辞のような「呪い」があって初めて、考える切っ掛けをもらうことができると思っています。

それとともに、このような「呪い」の言葉を投げかける、ということは根本的には相手を信頼している、という姿勢の現れでもあります。今はわからなくとも、いずれわかってもらえるときが来るのではないか、そのためならば今は嫌われ、憎まれ、厭われようとも、それでもこの「違和感」を伝えなければならないのではないか。そのような懸命な思いを伝えるためには、ただ「おめでとう!」ということよりも何万倍もエネルギーがいることであり、だからこそ何万倍も愛情のこもった言葉であるのだと思います。これはたとえ、アホな東大出身者がこの祝辞の意味をわからないままに、その視野の狭い生涯を終えたとしてもなお、上野先生の愛情に価値が有ることには変わりがない、と僕は思います。「祝(いわ)う」とはどのような行為かが、相手を愛する気持ちが入っているかどうかによって定義されるのであるとすれば、このような「呪(のろ)いの言葉」の中には形式的なお祝いの言葉の何万倍も相手を愛する気持ちが込められているからこそ、何よりも「祝(いわ)いの言葉」であるのだと思います。

もちろん、この素晴らしい祝辞を話す上野先生も彼女の持つ別の内側の論理(移民排除)を北田暁大先生から批判された(『終わらない「失われた20年」』(筑摩選書))こともあったり、と現実には内側の論理のもつ暴力性というのは一筋縄にはいきません。ある暴力を告発する人が別の暴力には積極的に加担してしまう、というのは私達人間が視野が狭く愚かであるからこそ、どのような知性を持つ人にとっても容易に陥りやすい過ちであるのだと思います。(もちろん、これに関しての上野先生の反省は知的誠実さの現れであると感心しました。)

しかし、だからこそ、そのような内側の論理に陥らないように、何とかその自分の暴力性を直視しては乗り越えようとする姿勢こそが人間性の必要条件であると僕は考えています。僕自身の目標としても、「東大合格者何人!」とか「医学部合格者何人!」とかには全く興味がないのですが、「自分を疑うことのできる東大合格者何人!」とか「自分を疑うことのできる医学部合格者何人!」とかにはとても意味があると思いますし(自分を疑う賢さがある子は受験勉強なんかやらないものなので…。逆に言うと受験勉強を抵抗なく出来る子は、あまり頭がよくありません。これはかつての僕自身も含めて、ですが。)、それがかなえられるように、まずは僕自身が自己を徹底的に疑い続ける姿勢を貫いては、自身を鍛えていかなければならないと思っています。

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対話の可能性について。

自分の見方と違う見方を理解するのは難しいことです。それは僕自身も「そのような見落としをしないように」と心がけながらも、いともたやすくその失敗に陥ることからもよくわかります。それほどに人間というのは与えられた環境に応じて「自分の見方」が決まってしまう(すなわち、「自分の見方」がいかに自分のものではないか、ということでもあるのですが)のだと思います。

ただ、人間の理性には限界があるからこそ、そのような失敗についつい陥りがちではあるとしても、それでも自分の見方と違う見方を理解しようと思えているかどうか、というのは一つ重要な違いであると思います。その自分の見方とは違う見方を理解しようと思えているかどうか、によって対話ができるかどうか、ということが大きく変わってきます。

前までは僕はこの違いを「知性の違い」と捉えているところもあったのですが、どうやら知性ではないのですね。
極めて高い知性を、違った立場の意見を理解しないで自己の見方を正当化するためだけに使う人々がどれほど多いかを考えれば、それは明らかです。

大切なのは「自分の見方」「自分の考え方」として自分が守っているものが、自分の環境や立場、職種、その他の要因によって決まっているだけかもしれない、ということにもっと疑いを持つことであると思います。
その姿勢がある人同士ならば、対話ができます。しかし、それは自分の理性には限界があることを前提としていなければならない以上、実はかなり厳しい前提でもあるわけです。

そういった中で、どのような生徒、どのような親御さんとも対話をしていこう!という姿勢で塾をやってはいるわけですが、なかなかに難しいご家庭もあります。対話をするには、「自分」とされるものを疑わなければならない。しかし、「自分」とされるものを疑うことができるのは、ある程度精神的に余裕がある状態になければならない、ということになります。

結局、「自分」とされるものを疑い続けるためには、外部からの定義をどのように積み重ねていったとしても、自身はそれによっては定義され得ない、という覚悟が必要であるようです。それはまた、永遠に自己を定義し得ない、という苦しみでもあります。それを引き受ける、ということは恐らく殆どの人にとってはしんどすぎることでもあるのでしょう。僕自身も「早く外部から定義をしてもらいたい。」という願望は常に抱えながら、生きているところはあります。

対話が難しいのは、外部からの定義に従い、自分ではないものに自己を投影して生きているためだとしても、それがその人の人生すべてであるのであれば、そのような相手とどのように対話ができるかを探ろうとも、それは絶望的に難しいです。
それでも、こちら側でやれることはないのか、こちらが「対話の可能性を探る側」として自分自身を定義することで損なってしまっている対話の機会はないのかどうか、を懸命に探し続けていきたいと思っています。

それとともに、そのように外部からの定義に飛びつくこと無く、自ら自身の人生を定義しようともがき苦しむすべての人の力になれるように、僕自身ももっと努力をしていきたいと思っています。

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2019受験を振り返って(その4)

H・T(都立西高卒)   進学先:北里大学医学部医学科
他合格校:東京医科歯科大学看護学類、埼玉医大医学部医学科

 私はこの塾に10年通いました。自分でも怖いです。途中、河合塾にも通いましたが、とりあえず今年の受験にしぼって書きたいと思います。

 私が医学部を目指し始めたきっかけは、周りに勧められたからでした。元々文系科目が得意だったし、教師や声優になりたいと考えていましたが、(要約してしまえば)周りに反対され、それを説得することができず、医学部を目指すことになりました。医学部を目指す人は(口では違うことを言っていても)「親が医者だから」「安定していて儲かるから」という理由で志望している(もちろん、医師がかっこいいと思ったから、患者さんを一人でも多く救いたいから、ということはよく言われますが、それはたまたまドラマや本で医師がかっこよく演出されがちなだけで、他の職業でも唯一無二の存在として人を救うことは可能だし、自分の進路を意識し始めて数年で医師だけが魅力的だと自信を持ってその道を目指すことができるのは本当にすごいと思います。)。だから、皆が一様に疑いもなく医学部を目指すことに大変違和感を感じていました。もちろん、医師という職業の尊さやキャリアが中断しがちな女性にとって魅力的な職業であることは十分理解していたのですが、それでもたった一度きりの人生なのに、「安定した職業」の中から将来の進路を決めることが、私にとってはとても難しかったです。だから自分が「女子だから手に職をつけるべき」という理由で医学部を目指すのは納得できなかったですし、絶対に受かりたいと自らの意志で思うこともできませんでした。自由に文系の道に進む友達が羨ましかった時期もありました。何度も先生や親と話したり、勉強中「自分はこれでいいのか。」と悩み、先生に同じ相談を何度もしました。懲りずに同じ悩みをぶつける私にむきあってくださったことに本当に感謝しています。
結局、私が心から医師を目指そうと思えたのは一浪目の途中からだと思います。(浪人中に親にはいろいろな面で迷惑をかけたので、申し訳ないという気持ちはあるけれど…。)

 私が受験生活で一番きつかったのは「忘れやすい」ということでした。何度同じところを復習しても忘れてしまい、そんな自分が嫌でしたし、周りは難しい問題に取り組んでいるのにいつまで基本的なことをやっているのだろう…としんどかったです。このことを塾で何度も先生に相談(愚痴?)しました。その度に先生はよく話を聞いて下さり、覚え方を工夫したり、理解することの大切さを教えて下さりました。自分があきらめそうになっても、解決方法を根気強く一緒に探して下さるので、気持ちを持ち直すことができました。

 勉強面でも大変お世話になりましたが、様々なことの相談に乗って頂けたらのは本当に助かりました。(良くも悪くも)塾に行くことで精神的にも安定していた部分もありました。

この塾の良いところは、様々な人や知識に出会えること、そして勉強がただの「受験勉強」で終わらないということだと思います。授業形式ではなく、能動的に勉強するため、自ら考え、理解して勉強することの大切さを学んできました。例えば、昔講師の方に「簡単に、『分かった』と言うな。」と怒られたことがあります。小学生の私にはその大切さがわかりませんでしたが、それをずっと覚えており、「わかった」とすぐに言って何となく理解した気にならないよう気をつけました。このような勉強に対する姿勢は進学後も活きてくると思います。

今年は国立を目指して勉強してきましたが、センターで失敗し、私立に懸けて受験しました。センターの結果や受験の途中でわかってくる私大の合否に一喜一憂している暇はなく、ただひたすら目の前の入試のために毎日勉強しました。毎日続く受験は精神力、体力の両方が削られ、気づいたらフラフラになっていて、自分でも驚きました。受験を通して誇れることはほぼありませんが、1,2,3月の受験期は、本当にもがいて勉強できたと思います。(思い出して泣きそうになるくらいに笑)

私は塾の医学部受験生の中で、出来る方ではありません。それでも3月の後期の入試まで欠かさず塾に来て、自分の出来なさを受け止めて復習を重ねた結果、合格できたと思います。何年も医師を目指し勉強する中で、自分の出来なさと向き合うことはとても大変なことです。それでも、不合格が続いても、そこから最大限学んで次に活かし、あきらめないことが次の一歩に繋がるのだと思います。

 この受験を通して、勉強は本人の意志が伴わなければいくら周りが背中を押しても意味がないと感じました。実際自分で医学部を意識して勉強し始めてからは、勉強しているときの感覚が違い、身につき方も違いました。

10年という歳月はとても長く、ここに書ききれないほど多くのことを学んできました。それらをうまく言葉で表現できないので、とても残念です。私がまだ小さかった頃に先輩方や講師の方におっしゃって頂いた言葉は今でも覚えています。私は他の生徒に比べてご迷惑をおかけすることも多かったと思います。特に、先生と先生のご家族にはただただ頭が下がる思いです。また、母には不安な思いをさせ、迷惑をかけてきてしまいました。それでも毎日お弁当を作って私を応援し続けてくれたことに本当に感謝しています。

今は、子どもと関わることと医師という仕事が両立できるような道を自分で見つけ、それを目指しています。本当に悩んで迷ってきた3年間でした。

私は今まで多くの方々に支えられてきました。
今回、それが合格という形で少しはお返しできたかな、と思います。

長い間、お世話になりました。本当に、本当に、ありがとうございました。

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沈黙の大切さについて。

昨日の話の続きと言えば続きなのですが、結局みんなに興味が有ることをとっかかりとして話そう、としていく姿勢だったはずなのに、だんだんとみんなが興味あるものを追うことだけに忙殺されてしまい、そしてそれ以外の問題意識を失ってしまう、という失敗が多いように思います。

学問とは何らかの問題意識から始まったものであるのにもかかわらず、何かの学問をする、というのもそのように問題意識を失わせることにも繋がりがちです。ある部分について考えることだけを繰り返されるからこそ、それ以外の部分に関しては、ただ自分が評価できないというだけではなく、「このように日々必死に頭を働かせている自分が理解できないということは考える価値の無いものなんだ!」という乱暴な類推をしてしまいがちです。もちろんある分野について必死に頭を働かせて自分の足りなさを思い知っては努力している人、というのはその分野についてはとても鍛えられているわけですが、しかしそれはその部分に関してだけであり、別の部分に関してもそのように一部について鍛えたことが転用できるかといえば、それはかなり怪しいと思っています。

このことがある専門分野についての碩学(せきがく)が別の分野に対してもつ意見に価値はあるのか、というよく我々が直面する難しい問題にもなっていると思います。もちろんこれは、だからといって専門分野をもたない人のほうがより幅広い分野について正しい判断ができる、ということでもありません。

人間はどこまでいっても愚かであり、一生勉強し尽くしても一つの分野すら極められないだけでなく、ましてや他の分野まで鍛えることなど、という話でもあります。だからこそ、我々にとって必要なのは、自分がそのような「素人判断」をしていないかどうかについて、絶えず慎重になるしかない、という姿勢です。

しかし、更に難しいのは、一方で、素人判断が偏見に凝り固まった「プロ」の見方を覆し、新たなブレイクスルーへと繋がることもまた、あるということです。

つまり、まとめれば、

「私たちは自分がよく知らない分野についても自分が知っている分野の類推が有効であり、そこで何らかの有益な判断をなしうる、という思い上がりを捨てねばならないとともに、自分がよく知っている分野については自分の専門的な知識からした判断が門外漢の判断よりも必ず正しいと言えるかといえば必ずそうというわけでもなく、更にだからといって何も専門性を持たなければ正しい判断ができるわけでもない。」

ということになります。つまりこれは、「人間にはほぼ何もわからない。」と言っているのと同じようなものです。

こう考えるとソクラテスの言う「無知の知」というのは、人間にとってとてつもなくよくできた、極めて残酷な檻(おり)であるようにも思えます。「無知の知」から一歩でも出ようとする人間はことごとく間違いに陥るしかないのにも拘(かかわ)らず、それ自体は実は何も生み出しません。

賢しげに何かを語ろうとする知識人の足を引っ張る哲学者、という構図(「哲学者とは人類のまどろみを邪魔するうっとうしい虻である」)は、それこそソクラテスの頃からの定番なのですが、結局私達に必要なのは、「ほぼ何もわからないけれども、何とかわかろうとしていく。」という態度であるのでしょう。

だからこそ、何かがわかったかのように饒舌に語り出す前の沈黙、じっと見つめては悩むその沈黙を大切にしていかねばならないのではないかと思っています。その沈黙を共有できることが僕は賢さであると思うし、その沈黙に陥らざるをえない感覚が理解できない人は、どのように饒舌に論理を組み立てようともあまり賢くないと思えてしまいます。

生徒たちに、これをどのように伝えるか、ですね。しっかり頑張っていきたいと思います。

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