
ご報告がだいぶ遅くなってしまったのですが、先日、なんとこの小さな嚮心塾で、あの受験数学の新たなバイブル、Focus Goldの筆頭著者である竹内英人先生に特別授業をしていただきました!数学のアクティブ・ラーニングの授業をしていただき、塾生たちも本当に楽しみ、喜んでくれていました。何よりも、僕自身がとても勉強になりました。本当にありがとうございました。
生徒たちがまず個別に問題を解き、それを元に話し合い、そして他の生徒達に説明をするというこの形式には様々な形での気づきが生徒たちにもたらされていると思いました。以下、アクティブラーニングが効果的であるポイントとして気づいたことを書いていこうと思います。
①他の生徒達がどのように考えているか、を聞くことができる。それによって自分が押さえられていない勉強のポイントについて気づくことができる。
これはどの先生も実感としてあると思うのですが、どのようにわかりやすい説明をしても、それを生徒たちが100%把握しようとする姿勢を持てていないケースが大半です。これは「実際に100%身につかない」のが問題だという意味ではなく、そもそも100%身につけようと聞き手の側の生徒たちは思っていない、ということがあります。そのように講義の「大事なポイントだけ」を取捨選択して彼らは効率よく勉強しているつもりでありながら、それを的確に取捨選択することができるのはそもそもかなり優秀な子でなければ難しいため、結果としてポイントを外した勉強しかできなくなります。
しかし、アクティブ・ラーニングにおいては一つの問題について同じ生徒とディスカッションをするので、自分と同じ生徒たちがどこまで理解している、あるいはどういうことを重視している、ということを感じ取ることができます。そして、それは教師から学ぶときよりも遥かに学習効果が高くなります。実際に自分と同じ立場である受験生がそれらのポイントをしっかりと重視することによって成果を上げていることを実感できるからです。これはアクティブ・ラーニングの効用の中でもまず第一に大きいことであると思いました。(同輩から学ぶ、という意味で「peer study効果」とでも呼べるでしょうか)
実際に塾でも僕が「長文でも英文の品詞分解まで徹底的にできることが大切だ。」「数学の定理や公式で教科書にある範囲は全て導出できることが重要だ。」と口を酸っぱくして言っていたとしても、変に受験情報に耳年増になっている受験生ほどに高をくくって「そんなことしないでも、できるようになるでしょ。。」と手を抜きます(こういうのは教師がいくら言っても、聞いてもらえません。。)。そのようなときには、僕はその子よりも実力のある先輩の受験生が実際にどのようにやっているかをその子に見せてもらうような機会を作ります。そして、実際にその子よりもその教科ができる受験生が、そのような努力を徹底していることを見せられると、そのような受験生も仕方なくやるようになります。教師の100の言葉より、同じ受験生の1の実践ですね!
アクティブラーニングはこのpeer study効果が極めて大きいと思います。
②アウトプットの機会を多く取れる。他の受験生のアウトプットを聞くことができる。
勉強において、どうしてもインプットの時間が長くなれば、自分が理解できているかどうかをチェックしにくくなります。みんなの前で自分が理解しているはずのことをプレゼンテーションすれば、必ず自分の理解の足りなさに気づくことができるようになります。また、自分の理解をそのままアウトプットしようとした結果、それが相手に伝わらなければ、自分の論理にどこか飛躍があるかどうか、というチェックも働くようになります。
これだけだとそもそもその問題を解けるような、グループの中でも勉強のできる子だけにメリットがあり、説明を受ける側の勉強のできない子にはメリットがないように思えるかもしれませんが、勉強のできない子側にも他者のアウトプットを聞ける、ということは大きなメリットがあります。それは数学の答案や解説の作り方を構成論的に聞ける、ということです。問題集の解答、あるいは講義での講師の説明というものは過不足の内容に、かつ順番が前後しないように整理された後のものです。そのような答案を最初から作ろうと思えば、当然「そんなに過不足なく、構成まで考え抜いて数学の答案を書くことなんてできない!」と思えてしまいます。
しかし、同じ受験生がする説明は、どんなにできる受験生であってもたどたどしく、順番が前後したり、紆余曲折する中で、だんだんと筋道が明晰になっていきます。そのような説明を聞くことで、その問題ができなかった受験生にとっても「なるほど。できる受験生であってもこのように前後しながら考えていって、構成を後から整えていくもので、最初から解答のような完璧な答案が書けるわけではないのだな!」ということがよくわかります。そのことは今はまだその問題が解けなかった生徒たちにとってもまた、問題集の解答のように一分の隙もない代わりに消化しにくいものよりも、その問題の考え方へのヒントを得やすいと思います。
③間違いを恐れずに「試行錯誤」ができる。
生徒たちにとって、試行錯誤を阻害する最大の要因は、「正解」です。どのように試行錯誤をしたとしても、正解を覚えたほうが早い、となってしまえばその試行錯誤の時間をなくしていってしまいます。そして試行錯誤の際に一番重要であるのは、自分の間違いを恥ずかしがったり隠したりしない、ということです。間違いには必ず間違えただけの理由・必然性があります。その理由や必然性を自分で理解しないままに、「正解」を覚え込もうという勉強をすればするほどに、ほんの少しの変化をつけられただけで対応できなくなるような薄っぺらい学力になってしまいます。逆に自分の間違いがどこまでは有効な考え方であったのか、どこからズレが生じて間違いになってしまったのかを逐一理解していくことが自分の理解を深め、どのような問題にも対応できる実力を身につけることにつながっていきます。
そのためには、自分の間違い方をポイッとゴミ箱に捨てるようにdeleteしてしまうのではなく、しっかりと残し、それがどこまでは有効で、どこからは外れてしまったのかをさらけ出し、蓄積していくことが大切です。そしてそれが生徒同士のやり取りで行うアクティブ・ラーニングにおいてはその「間違いを隠さない」「間違いを恥ずかしいものと認識しない」ということにおいて、講義や演習形式の授業よりもさらに生徒たちに心理的ハードルが低い、というところがとても優れていると思います。これは一つには、他の生徒は「正解」を抱えていないからであると思います。それに対して、どうしても講義形式、演習形式において先生は「正解」を抱えています。その「正解」を抱えていない、ということが生徒たちの試行錯誤をのびのびとさせることにつながります。
これに関しては嚮心塾でもかなり苦心していて、そもそも「間違いは恥ずかしいことではない」「間違いを隠して正解を覚えるのではなく、自分の間違いがどうして間違いであるのかを理解していくのが勉強」ということをそれこそ「こんにちは」と同じ頻度くらいで、繰り返し繰り返し生徒たちには話しています。また、普通の塾よりはその意識も共有されているとは思います。しかし、どんなにその権力関係を掘り崩そうと努力しても、教師と生徒の間には一定の権力関係ができてしまうため、これも生徒同士で話し合うよりも僕との関係性において「間違いをさらけ出せ」ているかといえば、それはやはり限界があります(このために、わざとこちらが間違えたり…などと「正解」を抱えないように色々工夫をしています。)。この点でもアクティブ・ラーニングは優れていると言えます。
⑤「理解する」とは何かを疑い、体得することができる。
塾では中1〜大学生までに授業をしていただいたわけですが、特にこの形式の授業が必要なのは若い世代であると思いました。理解が追いつかないほどたくさんの問題を解かされてしまった結果として、「理解する」というのは「問題を解いて答えが合う」ことだと勘違いしてしまった状態が続けば、学年が上がれば上がるほど勉強についてはどうしようもなくなってきてしまいます。せめて、それがアクティブ・ラーニング形式の授業を通じて「『理解する』というのは他の同年代、もしくは下級生の子たちに理解してもらえるような説明ができること」というような、「理解する」のより正しい近似としての目標設定が早い段階からできていれば、その後の勉強方法が大きく変わってくると思います。その点でもアクティブ・ラーニングは特に小中学生くらいから行うことが一番効果的であるとも思いました。
⑥「教科書が進まない」「範囲が終わらない」批判について
これはまあ、終わらないでしょう。その点ではこの批判は正しいといえます。しかし、その「範囲を終わらせる」が現状どれほど受験生の役に立っているのか、と言えば極めて怪しいと思います。ここまでに書いたとおり、受験生の理解を犠牲にする形で形式上終わらせるとしても、それは教師側・学校側の自己満足に過ぎません。もしくは「カリキュラム未消化」を糾弾されないための自己保身にすぎないようにも思います。
塾でも毎年浪人生を教えているわけですが、たとえば数学に関してだけでも「教科書レベルはもう隅々まで大丈夫なので、その先からやろうか!」と言える受験生などほぼいないです(もちろん、高3以前から塾に通ってくれた子にはそこを徹底しているので、浪人時には大丈夫なのですが)。。東大や医学部を受けたい、と言っていても、です。
僕はむしろ反転授業方式で教科書を読み進めて、わからないところを質問で解決していく、という形で授業を進めていって、一通り終わったらその単元について問題を解いてディスカッションをしていく、というのも良い形なのでは、と思いました。
ともあれ、今は高校生にとって多くの時間を占める学校の講義があまり役に立てていない状況であるわけで、そのためには少しでも多くの学校でこのアクティブ・ラーニングを導入することで受験生たちが自分たちの理解のたりなさを実感できる機会ができると良いと思っています。
などなど、とても勉強になりました。少しでもより良い教育をできるように、学ばせていただいた多くのことを活かしていけるように、必死に頑張っていきたいと思います。
それとともに、この形式の授業が多くの高校で広まっていくことは日本の教育にとって必ずプラスになると思っています。
竹内先生、本当に有難うございました!
生徒たちがまず個別に問題を解き、それを元に話し合い、そして他の生徒達に説明をするというこの形式には様々な形での気づきが生徒たちにもたらされていると思いました。以下、アクティブラーニングが効果的であるポイントとして気づいたことを書いていこうと思います。
①他の生徒達がどのように考えているか、を聞くことができる。それによって自分が押さえられていない勉強のポイントについて気づくことができる。
これはどの先生も実感としてあると思うのですが、どのようにわかりやすい説明をしても、それを生徒たちが100%把握しようとする姿勢を持てていないケースが大半です。これは「実際に100%身につかない」のが問題だという意味ではなく、そもそも100%身につけようと聞き手の側の生徒たちは思っていない、ということがあります。そのように講義の「大事なポイントだけ」を取捨選択して彼らは効率よく勉強しているつもりでありながら、それを的確に取捨選択することができるのはそもそもかなり優秀な子でなければ難しいため、結果としてポイントを外した勉強しかできなくなります。
しかし、アクティブ・ラーニングにおいては一つの問題について同じ生徒とディスカッションをするので、自分と同じ生徒たちがどこまで理解している、あるいはどういうことを重視している、ということを感じ取ることができます。そして、それは教師から学ぶときよりも遥かに学習効果が高くなります。実際に自分と同じ立場である受験生がそれらのポイントをしっかりと重視することによって成果を上げていることを実感できるからです。これはアクティブ・ラーニングの効用の中でもまず第一に大きいことであると思いました。(同輩から学ぶ、という意味で「peer study効果」とでも呼べるでしょうか)
実際に塾でも僕が「長文でも英文の品詞分解まで徹底的にできることが大切だ。」「数学の定理や公式で教科書にある範囲は全て導出できることが重要だ。」と口を酸っぱくして言っていたとしても、変に受験情報に耳年増になっている受験生ほどに高をくくって「そんなことしないでも、できるようになるでしょ。。」と手を抜きます(こういうのは教師がいくら言っても、聞いてもらえません。。)。そのようなときには、僕はその子よりも実力のある先輩の受験生が実際にどのようにやっているかをその子に見せてもらうような機会を作ります。そして、実際にその子よりもその教科ができる受験生が、そのような努力を徹底していることを見せられると、そのような受験生も仕方なくやるようになります。教師の100の言葉より、同じ受験生の1の実践ですね!
アクティブラーニングはこのpeer study効果が極めて大きいと思います。
②アウトプットの機会を多く取れる。他の受験生のアウトプットを聞くことができる。
勉強において、どうしてもインプットの時間が長くなれば、自分が理解できているかどうかをチェックしにくくなります。みんなの前で自分が理解しているはずのことをプレゼンテーションすれば、必ず自分の理解の足りなさに気づくことができるようになります。また、自分の理解をそのままアウトプットしようとした結果、それが相手に伝わらなければ、自分の論理にどこか飛躍があるかどうか、というチェックも働くようになります。
これだけだとそもそもその問題を解けるような、グループの中でも勉強のできる子だけにメリットがあり、説明を受ける側の勉強のできない子にはメリットがないように思えるかもしれませんが、勉強のできない子側にも他者のアウトプットを聞ける、ということは大きなメリットがあります。それは数学の答案や解説の作り方を構成論的に聞ける、ということです。問題集の解答、あるいは講義での講師の説明というものは過不足の内容に、かつ順番が前後しないように整理された後のものです。そのような答案を最初から作ろうと思えば、当然「そんなに過不足なく、構成まで考え抜いて数学の答案を書くことなんてできない!」と思えてしまいます。
しかし、同じ受験生がする説明は、どんなにできる受験生であってもたどたどしく、順番が前後したり、紆余曲折する中で、だんだんと筋道が明晰になっていきます。そのような説明を聞くことで、その問題ができなかった受験生にとっても「なるほど。できる受験生であってもこのように前後しながら考えていって、構成を後から整えていくもので、最初から解答のような完璧な答案が書けるわけではないのだな!」ということがよくわかります。そのことは今はまだその問題が解けなかった生徒たちにとってもまた、問題集の解答のように一分の隙もない代わりに消化しにくいものよりも、その問題の考え方へのヒントを得やすいと思います。
③間違いを恐れずに「試行錯誤」ができる。
生徒たちにとって、試行錯誤を阻害する最大の要因は、「正解」です。どのように試行錯誤をしたとしても、正解を覚えたほうが早い、となってしまえばその試行錯誤の時間をなくしていってしまいます。そして試行錯誤の際に一番重要であるのは、自分の間違いを恥ずかしがったり隠したりしない、ということです。間違いには必ず間違えただけの理由・必然性があります。その理由や必然性を自分で理解しないままに、「正解」を覚え込もうという勉強をすればするほどに、ほんの少しの変化をつけられただけで対応できなくなるような薄っぺらい学力になってしまいます。逆に自分の間違いがどこまでは有効な考え方であったのか、どこからズレが生じて間違いになってしまったのかを逐一理解していくことが自分の理解を深め、どのような問題にも対応できる実力を身につけることにつながっていきます。
そのためには、自分の間違い方をポイッとゴミ箱に捨てるようにdeleteしてしまうのではなく、しっかりと残し、それがどこまでは有効で、どこからは外れてしまったのかをさらけ出し、蓄積していくことが大切です。そしてそれが生徒同士のやり取りで行うアクティブ・ラーニングにおいてはその「間違いを隠さない」「間違いを恥ずかしいものと認識しない」ということにおいて、講義や演習形式の授業よりもさらに生徒たちに心理的ハードルが低い、というところがとても優れていると思います。これは一つには、他の生徒は「正解」を抱えていないからであると思います。それに対して、どうしても講義形式、演習形式において先生は「正解」を抱えています。その「正解」を抱えていない、ということが生徒たちの試行錯誤をのびのびとさせることにつながります。
これに関しては嚮心塾でもかなり苦心していて、そもそも「間違いは恥ずかしいことではない」「間違いを隠して正解を覚えるのではなく、自分の間違いがどうして間違いであるのかを理解していくのが勉強」ということをそれこそ「こんにちは」と同じ頻度くらいで、繰り返し繰り返し生徒たちには話しています。また、普通の塾よりはその意識も共有されているとは思います。しかし、どんなにその権力関係を掘り崩そうと努力しても、教師と生徒の間には一定の権力関係ができてしまうため、これも生徒同士で話し合うよりも僕との関係性において「間違いをさらけ出せ」ているかといえば、それはやはり限界があります(このために、わざとこちらが間違えたり…などと「正解」を抱えないように色々工夫をしています。)。この点でもアクティブ・ラーニングは優れていると言えます。
⑤「理解する」とは何かを疑い、体得することができる。
塾では中1〜大学生までに授業をしていただいたわけですが、特にこの形式の授業が必要なのは若い世代であると思いました。理解が追いつかないほどたくさんの問題を解かされてしまった結果として、「理解する」というのは「問題を解いて答えが合う」ことだと勘違いしてしまった状態が続けば、学年が上がれば上がるほど勉強についてはどうしようもなくなってきてしまいます。せめて、それがアクティブ・ラーニング形式の授業を通じて「『理解する』というのは他の同年代、もしくは下級生の子たちに理解してもらえるような説明ができること」というような、「理解する」のより正しい近似としての目標設定が早い段階からできていれば、その後の勉強方法が大きく変わってくると思います。その点でもアクティブ・ラーニングは特に小中学生くらいから行うことが一番効果的であるとも思いました。
⑥「教科書が進まない」「範囲が終わらない」批判について
これはまあ、終わらないでしょう。その点ではこの批判は正しいといえます。しかし、その「範囲を終わらせる」が現状どれほど受験生の役に立っているのか、と言えば極めて怪しいと思います。ここまでに書いたとおり、受験生の理解を犠牲にする形で形式上終わらせるとしても、それは教師側・学校側の自己満足に過ぎません。もしくは「カリキュラム未消化」を糾弾されないための自己保身にすぎないようにも思います。
塾でも毎年浪人生を教えているわけですが、たとえば数学に関してだけでも「教科書レベルはもう隅々まで大丈夫なので、その先からやろうか!」と言える受験生などほぼいないです(もちろん、高3以前から塾に通ってくれた子にはそこを徹底しているので、浪人時には大丈夫なのですが)。。東大や医学部を受けたい、と言っていても、です。
僕はむしろ反転授業方式で教科書を読み進めて、わからないところを質問で解決していく、という形で授業を進めていって、一通り終わったらその単元について問題を解いてディスカッションをしていく、というのも良い形なのでは、と思いました。
ともあれ、今は高校生にとって多くの時間を占める学校の講義があまり役に立てていない状況であるわけで、そのためには少しでも多くの学校でこのアクティブ・ラーニングを導入することで受験生たちが自分たちの理解のたりなさを実感できる機会ができると良いと思っています。
などなど、とても勉強になりました。少しでもより良い教育をできるように、学ばせていただいた多くのことを活かしていけるように、必死に頑張っていきたいと思います。
それとともに、この形式の授業が多くの高校で広まっていくことは日本の教育にとって必ずプラスになると思っています。
竹内先生、本当に有難うございました!



