嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

「3+1=5」を褒められるか。

ご無沙汰をしております。今年のどくんごも本当に、本当に素晴らしかったので是非その感想も書きたいのですが、まずはしばらく書いていなかったリハビリ代わりに教育のことについて書こうと思います。

紹介が遅くなってしまったのですが、友人の谷口君のウェブ連載がとても良い記事だったので紹介します。いつも読んで勉強させてもらっているのですが、彼のこのお子さんへの指導の仕方には、リアルタイムで聞いたときに本当に感心させられました。詳しくはこちらをどうぞ。

このような話をすると、プロセスが重要であることは比較的理解されやすいとしても、学習の結果が出ていないことへの焦りからどうしても否定的な意見も出てくるものです。「プロセスを理解するのが必要なことは当たり前だろ!その上で結果も合っているに越したことがないじゃないか!」というようにです。しかし、子どもたちというのは大人がどこに重点を置いて見ていてどこを本当は気にしているのかに対して極めて敏感なものです。だからこそ、「プロセスも大事だけど結果が合ってなければ意味がない」というリクエスト自体が建前は別として結局「結果が合っている」かどうかしか大人たちは気にしていないし、チェックもしていないということを敏感に感じ取った子どもたちは、「結果さえ合っていればいい!(だから答えを写す!)」などと間違った学習をしてしまうことにつながります。

ここで問題となるのは「プロセスも答えも両方合っているのが一番良いはずだ!」という何もかもを同時に実現することを求める態度です。これは、プロセスや考え方が合っているかどうかを見るという極めて面倒な作業を教える大人側が回避したいがために便宜上行われているに過ぎない指導方法を、結果の面から正当化したに過ぎない態度です。式をチェックすればいい!と思うかもしれませんが、正しい式を書くことができていたとしても理解ができていないことなどは日常茶飯事です。だからこそ、「プロセスも結果も合っているのが一番良いはずだ!」という態度は容易に「結果が合っているのだからプロセスも恐らく合っているのでしょう。。」というように、結果だけからプロセスの正当性を類推するという態度に堕していき、悲劇を生んでいくのです。

そもそも新たなものを学ぶときに、あれこれと何もかもに気をつけて学ぶことができる、というのはかなり限られた優秀な子です。それに関しては我々大人たちもまた、自分にとって新たなものを学習する際には、何もかもに気を配りながら学んでいく能力はないと思いますし、その点において子ども達のその緩やかな歩みを決して笑うことはできないと思います。だからこそ、まず何が大切で、それができるようになったら、次に何が大切で、とステップを踏んでいくことが大切であるのです。その点においても、谷口君の娘さんへの指導は、本当に素晴らしい指導だと思いました。

もちろん、入試への準備などを考えれば「答を合わせる」ことが重要であるのは当たり前です。しかし、教えていて常々思うのは、受験生たちが「理解しているけど計算ミス」と分類しているものの中に、いかに理解していない部分がまだまだあるのか、仮にそれらを理解しているとしても極めて煩雑な方法で答を合わせているものがあるのか、そういったプロセスの点で改善しなければならない点があまりにも見過ごされてきているという事実です。実は「答を合わせる」ためにも、どこまでもプロセスを徹底的に理解し、改善していく必要がある、ということ自体が伝わることが勉強の面での改善にも役立ちます。「大事なのは答えではなく、そこに至るプロセスだ」という姿勢の徹底こそが、結果として答を合わせることにもつながっていくと思います。

そして、この問題はAI(人工知能)の発達によってさらに複雑な問題になってしまったように思います。AIの発達によって、私たちはそこに至るプロセスを理解することなく答を知ることができる時代に生きることになりました。答をどのように導いたのかについてはAIは完全に人間の想像力や理解力を超えてブラックボックスであり続けるわけですが、しかしどのような賢い人間が考えるよりも「正しい」答を恐らくAIが提示していることは確かです(それは先の将棋電王戦で佐藤天彦名人がPONANZAに為す術なく敗れたことからも、あるいは囲碁で柯潔九段が為す術なく敗れたことからもわかるでしょう)。しかし、私達がその「正しい」答を採用するかどうかを考える際に、私達の推論能力ではその正しい答に至ることができないとしたら、私達はどのようにその正しい答を吟味することができるのでしょうか。あるいはその正しい答を選ぶことをどうやって正当化できるのでしょうか。

もちろん、そこで理由を考えることこそがAIの出す答えを人間が選び取るときのツールになりうる、などという楽観的なことは言えません。人間の理性は様々な正当化を生み出すことができるので、理屈がついているということが直ちに正しい結論へと到達できていることにつながるかどうかはわからないからです。しかし、一方で、理由を考える事、プロセスを考えることを人間が答をAIに与えられるから、という理由で放棄するのだとしたら、それこそSFが描いてきたディストピアのように人間が気づかなかった初期条件の違いやその他からAIが引き出す誤った答やあるいはAIにとって有利(で人間にとって不利益)な答に対して、それを信じるしかなくなる、という状況に陥ることになります。

これからどんどんブラックボックスとしてのAIによって答えだけが先に与えられ、それを教師として人間が学習を進めていく際に、しかし、その結論を人間がどのように吟味するのかについては、確実な手段がないと言えるでしょう。しかし、その中でプロセスを突き詰めていくというその思考方法は少なくともそのような時代における一つの踏むべきステップになると言えると思います。もちろん、そこで「理由」を求めることが全体として見れば局所的な「偏見」を生み出し、我々がより良い解へと到達することを遠ざけてしまうという失敗はあるかもしれませんが、そのような失敗を乗り越えてなお、理由を求め続け、プロセスを重視していくことの重要さがさらに増していくのではないかと思います。

正しい答が出せないあるいは「正しい」答を出したつもりがそれが誤答であることをすぐに思い知らされるという意味では、AIの進んだ時代に生きる我々は実は、「3+1=5」と答える幼児と同じ立場にあるとも言えるのです。名人や世界ランク一位という我々にとっての(同じ集団に属すると言挙げするのも烏滸(おこ)がましいほどの)天才たちも、AIから見れば幼児レベルになった時代が現代であるのです。大切なのは、私達の出した答が正しくないとしても、それならどのように正しいものを求めていくかという方法を学ぶこと、そのような方法が既存のものとしてなければそれを模索し続けること、そして何よりもまず、正しいものとは何かを探し求める姿勢を諦めないことであるのだと思います。最後のことについて言えば、人間全体が、あるいは個々の個人が、仮に自分の力では正しい結論にたどり着けないとしても、それでもそのような事実から目を背けることなく、結論の正しさを愛せるかどうかこそが一人一人に求められているのだと思います。そして、そのような時代であるからこそなおいっそう、答えを目指そうとするプロセスへと目を向ける教育こそがなおさら子どもたちにとっては必要とされるのではないかと思います。我々は理由を考え続けることを通じてしか、「正しさ」を認識できないからです。

褒めるべき「3+1=5」に正しい反応と指導ができるように、何より正しいものを求めようとする彼ら彼女らの心と頭の動きを局所的な「正解」によって押し殺してしまうことのないように、今日も必死に生徒たちの思考へと耳を澄まして教えていきたいと思っています。

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