嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

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2015年度受験を振り返ってその2

T・Aさん(穎明館高3)         慶應義塾大学看護医療学部合格(進学先)
                     聖路加看護大学看護学部合格

私は、元々塾に通う気がありませんでした。学ぶなら教科書や参考書を見て自分の力で学びたかったし、私個人の考えですが、授業の様にもう一度他人から学びなおすのは時間の無駄だと思ったからです。そんな時、先輩からこの塾について聞き、自分で学び、分からないところを質問するというこの塾のスタイルが自分にはとても合っているなと思い、通い始めることにしました。
私は特に英語が壊滅的に苦手で、他の教科もすべてやり直さなければ全く受験に太刀打ち出来ないぐらいの学力でしたが、柳原先生は何から手をつけていいのか、どの教材を使うべきか、的確に教えて下さいました。だからこそ、自分にとっての最短ルートで学ぶことが出来たのだと思います。
自分では解けない問題を質問した時、先生は私がどこが分からないのかをしっかりとらえて説明して下さいました。私は、他人に説明してもらう際、聞きたいのはそこの説明じゃないんだけどな....と思うことがしばしばあったのですが、先生に質問した時はそう言う事がありませんでした。
また、成績が足りず、学校の先生には諦めた方がいいと言われ、自分でも不安になっていた中、柳原先生はずっと前向きな言葉をかけてくださいました。先生の言葉がなければ、きっと志望学部を受けずに終わっていたと思うし、もっと妥協し続けていたと思うので、先生には本当に感謝しています。結局志望学部には合格することは出来ませんでしたが、自分の受験勉強生活に悔いはありません。
本当にありがとうございました。

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開塾10周年にあたって。本当にありがとうございます。

ちょっと気が早いのですが、書こうと思っていてバタバタして書けないとまずいので、早めに書きます。

今年の5月1日で嚮心塾も開塾10周年になります!
塾を開いた当初には、2年もつかなあ、という状態でしたが、まさか10年間も続けることができるとは思いませんでした。これもひとえに、僕の才能とたゆまぬ努力のおかげです。ありがとうございます。

という自称「天才」芸風を(「天才プログラマー」やねうらおさんのように)維持したいのですが、この10周年という節目に関しては、やはりそのように茶化して終わることができません。こんな変な塾が10年間も続けることができたのは、ひとえにこんな変な塾をご紹介頂いた卒塾生並びに卒塾生のご父母のお陰です。そのことに関しては、本当にいくら感謝しても感謝しすぎることはありません。本当にありがとうございます。

なぜ(僕らしくなく)しおらしく書くかといえば、「嚮心塾を他のお父さん・お母さんや友達に紹介する」ということのとてつもない難しさを想像するからです。まず、名前で引かれます。「嚮心塾」という名前だけ見せられたら、どこの怪しい団体かわかりません。次に「月謝が安くて全教科教える」というのがかなり怪しい塾のパターンです。この市場経済においては「高品質のものは高価格である」という刷り込みを皆が受けている以上、「全教科指導して月々2、3万円」というのはまず間違いなく詐欺のパターンです(詐欺じゃありませんよ、念のため。)。さらに、塾のホームページというものがありません。ネット上ではこの貧弱なブログのみ、しかも塾の仕組みや様子について(「今日も受験生が頑張ってます!」的な内容)よりは、僕が考えたことについて書き散らしているだけのブログです。この時点で、紹介を受けた多くの人が断念するのではないでしょうか。
 
さらに、塾に実際に来るとすればそれはそれで、ますますハードルが上がります。まず、嚮心塾は塾の看板を出していません。以前は出していたのですが、今はもうやめました。さらに、塾の中に入ればお世辞にも綺麗とはいえない環境です。もちろん、塾の子達がみんな懸命に勉強している姿はある意味で壮観であるとは言えるでしょうが、それに気づく前に嫌になってしまう親御さんやお子さんも多いと思います。

自分で書き並べてみると改めて、商売をする気があるのか、と気づかされるひどさですが、このような塾をお友達に勧めるのは、とてつもなく勇気がいる行為であると思います。下手したら友達をなくすレベルです。しかし、そのような卒塾生やそのご父母の皆さんの勇気あるご紹介があって初めて、こんな塾も10年間続けることができました。もちろん、このような奇妙な塾にしているのは、僕自身の確信犯的な行為でもあります。その僕のわがままを、仕方がないな、と思いながらも見捨てずにいていただけたことに対しては、今回のように言葉にしないまでも、片時たりとも感謝の念を忘れたことはありません。本当にありがとうございます。

愛とは比較可能なものではなく、唯一無二のものです。たとえば、様々な条件を比べてこれがより良いな、と思ってそれを選んでいるうちは、それは愛ではなく打算であるのでしょう。嚮心塾を始めるにあたって、「どのような生徒がどのように困っていたとしても受け入れる」という覚悟で塾を開いた以上、僕は塾生の一人一人を(東大・京大や医学部に入りやすいから、あるいは逆に勉強のできない子を選ぶ方が商売としてニッチを満たすものになるからなどという理由で)「選抜」することを放棄しました。その意味では、どんな塾生も「愛する」ことを選んだ、と言えるでしょう。塾に通う子にも同じ姿勢でこの塾を選んでほしい、とまでは贅沢を言いませんが、嚮心塾の様々な短所に気がついたときに、短所が存在するという理由だけで長所に目を向けない子よりは、様々な短所があるとしてもこの塾の長所は自分にとって大切なのではないかと思って嚮心塾を選んでほしい、という思いは変わらず持ち続けています。そのような決意は、一人一人の子供達にとって、何かを愛するという行為の端緒であると思うからです。幸福な子供時代を過ごした子供達にとって、これからの人生は長く、厳しく、辛いものであるからこそ、その中で自分が大切にしたいと思うものを守っていく覚悟を鍛えていく場でなければならないと思っています。嚮心塾に通うことを選ぶ、ということそのものが一つの教育的効果をもたなければ、そこでなされる教育がいかに意味があろうと、無意味であると僕は考えています。

そのような教育の場をこの10年間維持できた、ということ自体が僕には一つの奇跡であるように思えます。もちろん、これから先にどうなるかは全くわかりませんが、初心と感謝の気持ちを忘れずに、もっと精進していきたいと思います。本当にありがとうございました。これからもまだまだご迷惑をおかけすると思いますが、それに少しでも報いることができるように必死にやっていきたいと思います。

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2015年度受験を振り返ってその1

O.H.君(日大二高卒) 武蔵野美術大学造形学部建築学科合格(進学先)
               多摩美術大学環境デザイン学科合格
               長岡造形大学建築・環境デザイン学科合格

僕の浪人生時代を振り返り、まず第一に頭に浮かんだのは自分の逃亡癖の露見ですね。この逃亡癖、かなりのクセ者で、正直なところ苦い受験生時代のことなど何一つ思い出したくもなく、今すぐにでもこのアンケート用紙をグシャグシャと握りつぶし、クズ籠に放り込みたい気持ちで一杯です。ですが、それだと何のための受験勉強だったかさっぱり分からなくなってしまうので、どうにか書いていこうと思います。
今までの人生の中で、僕は努力らしい努力というものをしたことがありませんでした。そんな人間が大学受験、とりわけ美術系大学の受験なんてものをしようとするとどうなるか。白状すると僕は簡単にパニックに陥りました。高校生になるまでにまともにデッサンすらしたことのなかった自分はまず基礎的な鉛筆の使い方から勉強したわけで、これで美術系大学を志望するなんて、どれだけ世間知らずだったのだろうかと今では思っています。美術の分野だとたとえ受験勉強といってもなかなか先が見えず、自分の周りを見れば、自分より才能があるなという人達だけでした。毎日が不安で、自分の努力が正しい方向へと向かっているのかと考えてばかりいました。
こんな状態が長く続くとストレス耐性皆無である僕はどうやら極度のネガティブ思考になるらしく、勉強もデッサンもまともにできなくなり、全力で逃げ出すようになりました。もはや逃げることに体力を使っていたようにも思います。
この逃亡中の自分はとてつもない駄目人間で、時おり勉強していないことを親のせいにもしていたりもしました。もしも柳原先生と出会っていなかったら僕は受験勉強はおろか、人としても終わっていたように思います。嚮心塾に通うようになってからもこの逃亡癖は続きましたが、以前よりもずっと軽いものになりました。この塾では誰もがなり振りかまわず努力していて、ここで僕は初めて努力というものを学ぶことができました。塾での時間は、新しい発見の連続で、今まで自分がどれだけ考えなしに生きてきたのかと恥ずかしさを噛み締める毎日でした。先生からは考えて生きることの大切さを学び、そして先生が勉強面でのバランスを真剣に考えてくれたからこそ、僕もデッサンに集中することができました。
あれだけ尽力して頂いたにもかかわらず、第一志望に合格できず、申し訳ない気持ちで一杯ですが、これからは自分のことを選んでくれた大学でこの塾で学んだ努力を実践していきたいと思っています。
嚮心塾、貴重な時間、ありがとうございました。

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進学先としての学習院大学がお薦めな理由。

毎年毎年、受験生に学習院大学をお薦めしては、その親御さんに「そんなGーMARCHでも影が薄い大学、絶対に許しませんからね!」と怒られる、という経験ばかりですので、この機会にそのお薦めの理由をブログに書いてまとめておきたいと思います。

学習院大学がお薦めの理由
①教授の質が(異常に)高い。
学習院大学といえば、誰を思い出しますか?そう、田崎晴明先生ですよね!その圧倒的な実力、ユーモア、幅広い(Perfumeに限らない)教養、わからないことに対する謙虚な姿勢、そして教育にかける情熱、どれをとっても本当に素晴らしい先生だと思います。Caltechの大栗博司先生の『数学の言葉で世界を見たら』という今度出る本でもわかる通り、一流の物理学者というのは数学もめちゃくちゃできるわけですが(大栗先生は数学科の先生でもあります)、田崎先生も大学で物理を学ぶ人のために大学範囲の数学の教科書を自力で書いて、しかも無償で配布されています(先ほどのWebページにあります。)!数学の教科書を書くことができるという実力だけでなく、それを既存の数学の教科書がわかりにくいので、自分で書いて配布してしまおうというその姿勢は本当にすばらしいと思います。
他にも数学なら飯高茂先生がつい最近まで教えておられました。どの学部でも粒ぞろいだとは思うのですが、特にこの学習院大学理学部の教授の豪華さといったら、下手に早慶に行くよりよっぽど良いのでは、と思ってしまうくらいです。
 また、文系でもたとえば学習院大学の法学部の先生は、ちょっと前まではほぼ僕が東大で習っていた先生(東大名誉教授)ばかりでした。東大を退官して学習院にというおきまりのコースから「東大の養老院」と言われたりするわけですが、そもそも若手の先生たちもこれから東大教授になると見られている人(優秀とされている先輩たち)ばかりです。だからこそ、「東大教授は実力がある」という命題がもし正しいのなら、学習院大学でもほぼ同等の教育を受けられるということになります。しかも、東大より少ない学生数で、です。

②付属の高校が少ない。
「先生は大切だけど、周りの学生のレベルも大事だからね。」というのがよく言われることです。
しかし、学習院大学の学生のレベルは本当に見劣りがするのでしょうか。たとえば学習院大学は付属の高校が2つしかありません。それに対して、たとえば早稲田大学は付属・系属の高校が7校、慶応大学は付属の高校が5校あります。その付属上がりの大学生が多いことを考えれば、そして付属上がりの大学生が一部の上位層を除いて受験生ほどには勉強をちゃんとしてきていないことを考えれば、そんなに平均的なレベルは変わらないと思います。(話は脱線しますが、僕は大学受験を本当はすべての高校生に義務化すべきだと思っています。18歳くらいで必死に努力した経験、というのはやはりとてもその後の人生にとっても大きいと思います。もちろん、スポーツ、芸能活動、将棋(中村太地さんは早実→早稲田政経ですね)、囲碁、その他の自分を大学受験以上に研鑽しなければならない他のことで忙しい中での進学であればよくわかるのですが。そういう特例のみを認めるべきだと思います。実際には「付属校ビジネス」に大学側が走っては系列校を(無分別に)増やしていくということが、特に最近は多いと思います。早稲田や中央のことですが。このまま、すべての中学か高校が早稲田か慶應の系列になってしまったら面白い(!)ですね。(横浜駅SFの)すべての駅が横浜駅になってしまうかのように。)

そもそも、「周りのレベルが低いと刺激が少ない」という理由で勉強をしないような大学生自体が、間違っているといえば間違っています。そんなことを言えば、日本では、東大か京大以外は進学する意味がありません。刺激を与えられる層というのは、どんなに失敗しても東大入試や京大入試で落ちようのない層であるからです。そのような層は早慶には決していません。さらに言えば、これから東大京大を蹴ってHarvardだのYaleだのに進学する層が増えていけば、今度はそっちを目指すのでしょうか。一つ言えることは、他人から刺激をもらわねば頑張れない人間は、おそらくどこに行っても二流である、ということです。これを理由として学習院を蹴るなら、そもそも早慶も蹴らねばなりません。東大や京大だって世界中から集まるIvy Leagueに比べれば刺激が少ないでしょう。優秀な同級生を求めて、そこまで行きますか?僕は、そのような動機で進学している時点で、どこに行こうと二流であると思います。日常の中で、努力をしなければいけない理由や問題を自分で見つけてはそれに取り組むことが何より大切ではないでしょうか。

③就職に強い。
「そんなこと言って就職に強くなければ」というのもまた、どこの大学を出たかが就職のための必要条件となっている日本では重要だと思います。しかし、学習院大学の就職内定率は2013年度で96.5%です。これは、早稲田大学の学部での就職内定率95.7%と比較しても見劣りがしないといえるでしょう(ちなみに、青山学院大で80.4パーセント、立教大学で79.6%です。)。さらに、この「就職内定率」は母集団が問題になります。ほとんどの学部生は大学院に進むか就職活動かを天秤にかけながら、就職がうまくいかなければ大学院に進みますが、その場合は(結果として大学院に進んだということで)母集団から外してカウントしているでしょうからです。全学部生に対しての就職希望者の割合は学習院大学で78.2%、早稲田大学で68.6%なので、院進学に流れる割合も学習院の方が10ポイントくらい低い中でのこの就職内定率はかなり高いといえるのではないでしょうか。

④まとめ
ということで、学習院大学はお薦めです。なので、塾で塾生にお薦めした際に、是非僕に石を投げないでいただけるとありがたいです。大切なのは、①の要素については調べにくいのでなかなか親御さんにわからないのも当然だとは思うのですが、②や③の要素については公開されている情報である程度調べられるわけで、それを調べないで自分のもっているイメージと世間で通用している名前だけで判断されてしまうことであると思います。もちろん、この僕の主張も、もっと細かく調べていけば様々な欠点が見つかるかもしれません。そのように「名前で門前払い」ではない建設的な議論は大歓迎なのですが、あまりにも門前払いを食ってしまうことが多く、そこに関しては残念に思っています。

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保育園の卒園式

今日は下の子の保育園の卒園式でした。上の子の時も感じたのですが、親にとって保育園の卒園式ほどに感動的なものはない、と僕は思っています。もちろん、小学校の卒業式、中学・高校の卒業式、大学や専門学校の卒業式と、自分の子供の成長を節目として感じさせてくれるものはこれからもあるのでしょう。しかし、保育園の卒園式は文字通りその何年かを子供と共に生き抜いた、という思いでいっぱいになります。

誰しも子供を小さいときから保育園に入れたくはありません。でも生活のため、あるいは学業のために我が子を保育園に入れざるを得ないわけです。自分の子供に対して親としての務めを100%果たせていない、というそのその後ろめたさから、せめて一緒にいる時間は精一杯接しようとしても、現実は厳しいものです。日々の仕事の中で、どうしても忙しければ忙しいほどに子供に対しては十分に努力を尽くせないことばかりになります。子供と接することのできる短い時間にすら、仕事の疲れから、親としてしっかりと向き合えていないことだらけであるといえるでしょう。

だからこそ、保育園の卒園式では親たちは子供たちに「おめでとう」という気持ちをもつ前に、「ありがとう」さらには「ごめんね。」という気持ちが強く出ます。こんな「親」としては駄目な親であるのに、それでも子供達は先生達と一緒に頑張って何年間かを乗り越えてくれた、という思いで一杯になります。だからこそ、ただ成長を喜ぶ、あるいは別れを寂しがる、ということではなく、自身の存在の根底が揺すぶられるかのように、皆が号泣してしまうのだと思います。

僕自身はですって?もちろん、大いに泣きました。僕自身の10代は、自身がいかに完璧な人間であるかに絶望して、自身の死ばかりを望む毎日でした。それから20年以上を経て、僕は自分がいかに不完全であるのか、いかに何もできていないのかを思い知らされる人生を味わっています。保育園や家庭では、親として何もできていないことを、塾に戻れば教師として何もできていないことを日々味あわされていきます。それらは僕にとって、耐え難い苦しさであり、どうしようもない恥辱であり、自身が存在していることが申し訳ないくらいの消え入りたい情けなさを味あわされる一方で、それを何とかするために生き続けようと決意する理由になっています。

森有正がかつて「ヘーゲルの弁証法とは、哲学的な術語(term)ではなく、生きる過程そのものなのだ。」と書いていました。そのように生きる過程としての弁証法を味わえている、ということに感謝して、少しでもマシな親や教師になれるように、引き続き頑張っていきたいと思います。

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