
夏休みを前にして、塾では受験生がペースを上げてきています。一方で、まだ勉強のペースが上がらずに
中間試験や期末試験の延長でしか、受験というものを想像できていない状態の受験生もいます。こうした子達に、受験というのがそれらの定期試験とは違って、どれほど恐ろしいものであるのかを伝えるのが毎年苦労するポイントです。
嚮心塾は勉強の内容だけでなく、勉強方法、さらにはその他なんでも聞いてもらうための塾です。そして、一つ一つの勉強の内容を聞くだけよりは、自分がどう勉強してよいかわからない教科の勉強方法を聞くこともまたお薦めしています。しかし、だからといって、「効率の良い勉強方法を教えてください!」と言われると、それはそれで困るものがあります。なぜなら、一人一人の認識の仕方が違う以上、ある人にとっての効率の良い勉強は、別の人にとってはすかすかで時間の無駄であるような勉強になってしまうからです。
なので、一律に「こうした方がよい。」ということは言えません。その子にとって、これが一番よいだろう、と提案をしてみたものの、その子の認識の仕方を僕自身が誤解していたが故にその勉強方法ではうまくいっておらず、それで力がついていない、という失敗はこれだけ長いこと教えていても、まだまだあります。
そういう意味では、こちらが提案した、ある勉強方法に対しての違和感をこそ、大事にしてほしい、と僕はよく生徒達に言っています。「このやり方でベストだ!という提案はだいたい思い込みであり、実際にそれでうまく行かないことが多いとしても、その提案に沿ってとりあえず進めていく中で、「もっとこうした方がいいんじゃないか」「このやり方でこういう部分はうまくいっているけれども、こういう部分はうまくいっていない。このうまくいっていない部分についてはどうしたらよいか」と勉強方法についてのこちらからの一つの提案に対して、実際にそれを進めていく中で一人一人の生徒がその勉強方法への違和感を表明してくれると、それをもとによりfitした勉強法をこちらで提案していくことができます。逆に、そのような違和感を我慢してしまい、「先生が言ったことなんだから、これで正しいはずだ!」と我慢を重ねられてしまうと、なかなか力がつく勉強ができません。この点が勉強というものの難しさです。一人一人の認識の仕方や前提となるものが違いすぎる以上、一般的な方法を絶えずreviseしていく必要があるのです。
それゆえ、僕は「効率の良い勉強法、教えますよ!」という塾をあまり信用しません。一般的に通用するとされているそれを教えることで解決できるケースなど、ごくわずかであり、そのような一つ一つの勉強法をどのように修正していくかこそに、教育者の手腕が問われると思うからです。一方で、「効率の良い勉強法を教えてください。」という保護者やご本人のご要望もあまり評価しません。それは、すなわち、ある方法を教えてもらって劇的にうまくいくことを期待しているだけであり、その方法で現実の自分がうまくいかないときに、それをどのように埋めていくかという努力をする気のない姿勢であるからです。端的に言えば、そのような姿勢の子は、最初から正解を与えてもらおうとする姿勢自体を変えていかなければ、決して自分の力を伸ばすことはできないでしょう。
もちろん、原則はこうだとしても、実際の現場はさらに難しいところです。そもそも全く自分で創意工夫を重ねた経験のない子に、こんな話をしても急にできるようになる訳がありませんので、そこはある程度方法を教える必要があります。しかし、その提案した方法と現実のその子の状態とのずれに気づけているかどうかについても、絶えずこちらとしてはチェックしながら、どこかでそれを指摘するタイミングを探していかねばなりません。本人の中で、より良い方法はないか、と悩んでいないのだとしたら、ある方法への違和感を聞いたり、より良い方法を模索したりというこちらの努力はすべて無意味となります。
サッカーの日本代表がワールドカップで負けたせいで、ザッケローニ監督の指導法が手のひらを返したように叩かれ続けている訳ですが、たとえば監督の指示や規律を無視するような選手の自主性を、規律を重視してすぐさま注意して、その芽を摘んでしまえば、表面上は規律があり意志が統一されたチームになりますが、選手の自発性は全く出てこなくなるでしょう。一方で、ただ任せているだけでは、正解にたどり着くのに極めて時間がかかるでしょう。日本代表監督に限らず、少しでも教育に携わるものであれば、この二つの両立というジレンマに悩んだ経験が必ずあると思います。そのジレンマに悩んだことのない人間の「もっと規律を!」「もっと自主性を!」というかけ声は、不毛な後付けの結果論にすぎないと思います。
その意味で、嚮心塾では一人一人に最適な勉強方法を的確に初回から教えることはできません。というより、それはどんな神のような教師にも不可能であると思っております。その上で、その子が勉強をしていく中での違和感を大切にし、その違和感から、次の勉強方針を練っていく、ということに関しては、「これが決定版だ!これ以上の方法は提案できない!」などと開き直っては真理に蓋をすることなく、徹底的に探求していきたいと思います。
そのような場としての嚮心塾に、ご興味があれば、是非ご見学、あるいは体験入塾をご検討いただければありがたいです。
中間試験や期末試験の延長でしか、受験というものを想像できていない状態の受験生もいます。こうした子達に、受験というのがそれらの定期試験とは違って、どれほど恐ろしいものであるのかを伝えるのが毎年苦労するポイントです。
嚮心塾は勉強の内容だけでなく、勉強方法、さらにはその他なんでも聞いてもらうための塾です。そして、一つ一つの勉強の内容を聞くだけよりは、自分がどう勉強してよいかわからない教科の勉強方法を聞くこともまたお薦めしています。しかし、だからといって、「効率の良い勉強方法を教えてください!」と言われると、それはそれで困るものがあります。なぜなら、一人一人の認識の仕方が違う以上、ある人にとっての効率の良い勉強は、別の人にとってはすかすかで時間の無駄であるような勉強になってしまうからです。
なので、一律に「こうした方がよい。」ということは言えません。その子にとって、これが一番よいだろう、と提案をしてみたものの、その子の認識の仕方を僕自身が誤解していたが故にその勉強方法ではうまくいっておらず、それで力がついていない、という失敗はこれだけ長いこと教えていても、まだまだあります。
そういう意味では、こちらが提案した、ある勉強方法に対しての違和感をこそ、大事にしてほしい、と僕はよく生徒達に言っています。「このやり方でベストだ!という提案はだいたい思い込みであり、実際にそれでうまく行かないことが多いとしても、その提案に沿ってとりあえず進めていく中で、「もっとこうした方がいいんじゃないか」「このやり方でこういう部分はうまくいっているけれども、こういう部分はうまくいっていない。このうまくいっていない部分についてはどうしたらよいか」と勉強方法についてのこちらからの一つの提案に対して、実際にそれを進めていく中で一人一人の生徒がその勉強方法への違和感を表明してくれると、それをもとによりfitした勉強法をこちらで提案していくことができます。逆に、そのような違和感を我慢してしまい、「先生が言ったことなんだから、これで正しいはずだ!」と我慢を重ねられてしまうと、なかなか力がつく勉強ができません。この点が勉強というものの難しさです。一人一人の認識の仕方や前提となるものが違いすぎる以上、一般的な方法を絶えずreviseしていく必要があるのです。
それゆえ、僕は「効率の良い勉強法、教えますよ!」という塾をあまり信用しません。一般的に通用するとされているそれを教えることで解決できるケースなど、ごくわずかであり、そのような一つ一つの勉強法をどのように修正していくかこそに、教育者の手腕が問われると思うからです。一方で、「効率の良い勉強法を教えてください。」という保護者やご本人のご要望もあまり評価しません。それは、すなわち、ある方法を教えてもらって劇的にうまくいくことを期待しているだけであり、その方法で現実の自分がうまくいかないときに、それをどのように埋めていくかという努力をする気のない姿勢であるからです。端的に言えば、そのような姿勢の子は、最初から正解を与えてもらおうとする姿勢自体を変えていかなければ、決して自分の力を伸ばすことはできないでしょう。
もちろん、原則はこうだとしても、実際の現場はさらに難しいところです。そもそも全く自分で創意工夫を重ねた経験のない子に、こんな話をしても急にできるようになる訳がありませんので、そこはある程度方法を教える必要があります。しかし、その提案した方法と現実のその子の状態とのずれに気づけているかどうかについても、絶えずこちらとしてはチェックしながら、どこかでそれを指摘するタイミングを探していかねばなりません。本人の中で、より良い方法はないか、と悩んでいないのだとしたら、ある方法への違和感を聞いたり、より良い方法を模索したりというこちらの努力はすべて無意味となります。
サッカーの日本代表がワールドカップで負けたせいで、ザッケローニ監督の指導法が手のひらを返したように叩かれ続けている訳ですが、たとえば監督の指示や規律を無視するような選手の自主性を、規律を重視してすぐさま注意して、その芽を摘んでしまえば、表面上は規律があり意志が統一されたチームになりますが、選手の自発性は全く出てこなくなるでしょう。一方で、ただ任せているだけでは、正解にたどり着くのに極めて時間がかかるでしょう。日本代表監督に限らず、少しでも教育に携わるものであれば、この二つの両立というジレンマに悩んだ経験が必ずあると思います。そのジレンマに悩んだことのない人間の「もっと規律を!」「もっと自主性を!」というかけ声は、不毛な後付けの結果論にすぎないと思います。
その意味で、嚮心塾では一人一人に最適な勉強方法を的確に初回から教えることはできません。というより、それはどんな神のような教師にも不可能であると思っております。その上で、その子が勉強をしていく中での違和感を大切にし、その違和感から、次の勉強方針を練っていく、ということに関しては、「これが決定版だ!これ以上の方法は提案できない!」などと開き直っては真理に蓋をすることなく、徹底的に探求していきたいと思います。
そのような場としての嚮心塾に、ご興味があれば、是非ご見学、あるいは体験入塾をご検討いただければありがたいです。



