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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

空虚さを満たすために学んではならない、ということ。

何かの対象について、私たちが理解を求められるとき、私たちは捨てられています。何かを学ぶときには、自分を捨てるしかありません。自分を捨てることを恐れて何かを学ばないというのが極めて幼稚な態度であり、それがいつものおもちゃと違うおもちゃで遊ぶことにすら、逡巡を覚える幼児のそれと同じであることにはもちろん異存がありませんが、どうしても現代人というのは、自分自身をもたないことの言い訳として、学問その他のものを空虚な「自分」という空間に充填(じゅうてん)する、ということが多いようで、それは幼児の、違うおもちゃにすら手を伸ばしにくい逡巡を、笑うためだけの自分になってしまうと思います。

たとえば、僕の中には、死の間際まで新たな外国語を勉強していた森有正を尊敬する気持ちがある一方で、聖書を原書で読もうとしてギリシャ語を勉強しようとしてはその勉強の際の「正しい努力をしている!」という高揚感に恐ろしくなり、勉強を打ち切った太宰治のその感覚がない人に勉強の効用など語られたくはない、という思いがあります。

人間がこれまでに生み出した学問の体系を学ぶことは、ある意味で幼稚で原始的な「自我」を乗り越える、一つの手段となるでしょう。また、そのような努力を絶えずする人間にとって、幼稚で原始的な自我を保存する人間、というのは人間の可能性を尽くせていない人々に見えてしまいます。このように言うとひとごとのようですが、僕自身、人生の多くの時期をそのような見方でずっと生きてきたところがあると思います。

しかし、塾は、そのような場にしてはならないと思ってきました。嚮心塾にはまだまだ多くの欠点や限界があるとは思いますが、それがどのような限界を抱えているとしても、塾は通っている子、あるいは卒塾生の一人一人の駄目なところを愛している、というところは一つの特徴なのではないかと思います。これは、駄目なところを許している、ということではありません。そのような欠点を乗り越えたり改善できたりしていくための塾ではあるものの、しかし、なかなかそうできない自分を憎むようには洗脳したくない、という姿勢でやってきました。

ここは難しいですね。目的論的世界観は世界を理解する方向へとは突き動かすものの、そこから世界は生まれ得ない、ということでしょうか。翻って人間の教育には理非曲直をどこまでも丹念に追っては矯正していくことと、一方でその相手の存在を無条件に肯定することとの両方が必要になります。これは、どっちもやればよい、という単純なことではなく、自分自身で理非曲直を考えられるためには、自分の存在を肯定されている、ということ精神的余裕が必ず必要になりますし、かと言ってその存在を肯定されているだけで理非曲直を学ぼうとしないままでいると、人間が腐ってきます。その子にとって、今、何が必要か、ということは絶えず変化し続けるが故に接していくのは極めて難しいことであるのです。

「学ぶ」ということが自らの幼稚さを引きはがし、自らのとらわれていた偏見を乗り越えさせてくれるものであろうと、
それをしない人々が何故それをしないかを深く理解していかねば、教育を成立させることは難しいのです。僕自身もそれがわからずに、今までにたくさんの失敗をしています。しかし、失敗を重ねては、少しずつ勉強をしたがらない子達が感じている勉強することの怖さ、恐ろしさ、ということがわかってきたように思います。それは今までの自分ではいられなくなってしまう、という潜在的な恐怖であるのです。「生えている草木を根っこから引き抜いては別のところに植える」ような指導にならぬよう、かといって、そのままいずれ枯れる場所で怠惰に生え続けることを許さぬよう、気をつけていかねばなりません。

このように、最後は教育の話につなげる、というのは僕の中ではずるい逃げ道です。僕は学問を憎んでいるし、また同じくらい愛しています。この学問への愛憎の二項対立が止揚するところが「教育」であるので、教育の話につなげれば、きれいにまとまるわけです。しかし、僕はもっと自分の学問への「憎」の部分を詳しく書かねばならないと思っています。そここそが、おそらく僕がほかの人類と違う意見を持っているが故に、開陳するに値する部分であると思うからです。ちょうど、ルソーの『学問芸術論』のように。まあ、あれはあれで、かなりずるい書き方、多くの人を敵にはまわしにくい書き方だったと思いますが(知識人はさんざん敵にまわしましたが、非知識人を味方につけられる書き方でした。)。そう思ってその「憎」の部分を書き始めてはみたのですが、まあ失敗でした。またしっかり書いてみたいと思います。

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STAP細胞騒動と将棋の電王戦のつながりから、学ぶべきもの。

塾は新体制でスタートしています。まだまだ、一人一人の状況を把握するために時間を使うことが多いものの、そこでの行き違いがあれば結局的確な指導していくことはできないでしょうから、丁寧に様子を見ている毎日です。

さて、この1月からのSTAP細胞騒動もまだまだ続いています。小保方さんを揶揄してはその未熟さ云々を取りざたするのも
簡単でしょうし、そこから研究者の置かれている劣悪な環境と成果を出さねばならないプレッシャーについて、社会学的に考察するのも出尽くしているでしょう。あるいは週刊文春のように完璧にゴシップとして、というのも出尽くしています。
これぐらい、様々な(しかし月並みな)見方が出尽くしている今だからこそ、語るべきことがあるように思っています。

僕はそもそもこの小保方さんの論文をなぜ、理研の超一流の研究者達が信じて共著者になったのか、というところに関心があります。「生物学の歴史を愚弄する」とまでコメントされてrejectされたものを、なぜ超一流の研究者が信じたがったのか、というその理由です。もちろん「iPS細胞の山中先生に遅れを取っている意識で功を焦った」などという憶測も当然ある訳ですが、そういうドロドロしたことはおいておいて(そんなことは別にその状況に置かれている人間なら誰でも感じるものでしょう。そこに理由を求める、という追求の仕方は事実の一面を鬼の首でもとったかのように喧伝するという意味で酷でしかなくそのような「反省」からはあまり何も学べないのではないでしょうか。)、彼ら超一流の研究者にとって、小保方さんの研究、論文がどう見えたからこそ、それをサポートしようと思ったのか、ということを考えたいと思っています。

僕の推測では、小保方さんの研究の方向性を聞いたときに、ベテランの研究者の方々は、自分自身の生物学的偏見を反省させられたのだと思います。つまり、(植物細胞と違って)動物細胞でそんなに簡単に初期化が起こるはずがない、という生物学的常識からは明らかに外れた実験結果と報告を受けて、それが自分たちの信じてきた生物学的常識とは大きく違うものであるからこそ、無限の可能性を感じたのでしょう。そこで、まさか小保方さん自身が研究の作法やその他常識的なことをふまえていなかった、という可能性を失念して、その自分たちの偏見が剥がれる興奮へと身を委ねてしまったのだと思います。

これに似た話があります。それは現在進行中の将棋の電王戦の話です。コンピューターがとうとうプロ棋士よりも強くなってしまった!という興味本位で語られることが多い訳ですが、それにまつわるドワンゴの川上会長と谷川浩司日本将棋連盟会長との対談で、「人間からすると悪手にしか見えないものをコンピューターは選んで、しかもそのまま進めていくとコンピューターが確かに有利な局面になる、ということがある。たとえば飛車先の歩をつくことなどは、人間の将棋指しにとっては疑いようのない常識として皆が信じているものだけれども、コンピューターは飛車先の歩をつくことにさしてこだわりはしない。その意味でも我々が「常識」としていたことが実は偏見であり、コンピューターの指す将棋から我々人間も学ぶことができている。」という興味深い話を聞きました。コンピューターの将棋に関しては評価関数と探索部との組み合わせからなり、その探索部に関してはとうに人間の能力を凌駕しているものの、評価関数に関してはまだまだ改善の余地があり、それに関しては(プロ棋士のような鍛え上げられた)人間の直観、というのはかなりすぐれた評価関数であることは、電王戦にも出場したプログラマー、やねうらおさんが仰っている通りでしょうが、そのように、人間のプロ棋士の「鍛え方」「発達の仕方」とは違うやり方で発達してきたコンピューター将棋ソフトは、やはり人間の常識を超えて人間には見いだしにくい最善手を見つけるようになってきている、というのは極めて興味深いことです。すなわち、それは、将棋というゲーム一つをとってみても、我々の考える将棋だけが将棋ではない、ということであるからです。「人類の将棋研究の歴史を愚弄する」かのようなコンピューターによる指し手が、人類の将棋研究の歴史自体に新たな可能性を開いている訳です。

理研の偉い先生方にとって、小保方さんとはまさにこの「コンピューターによる指し手」のような地平を開くように見えたのではないでしょうか。だからこそ、彼女の未熟さうんぬんは重々承知の上で、その研究の方向を進めていくことで生物学の中に凝り固まった常識という名の偏見を乗り越えることができると思った、それ故にチェックが働きにくかったのかもしれません。ここで重要なのは、この両者のアプローチについての透明性の違いです。たとえば、コンピューターによる将棋ソフトでの評価関数は盤面上の三つの駒同士のすべての関係に対する点数の線形和でその局面を評価しているそうです。もちろん、これが三つの駒の関係でよいのか、4つ、5つ、などすべての自陣の駒関係についてでなくてよいのか、さらにはその評価の点数を本当に足し合わせるだけで良いのか、などとまだまだそれが本当に最適な近似になっているかどうかは改善の余地があるとはいえ、「私たちが「将棋」と定義しているもの」になんとか近似をさせようという努力の賜物である訳です。

一方で小保方さんに限らず、若い研究者というのはその「○○学」とは何かという定義に対しての偏見は極めて少ないところはコンピューター将棋ソフトと共通するものの、ではそこにどう近似していくか、ということに関しては一人一人の内部に委ねられているわけです。ベテラン研究者達がその実態を知って、「彼女は研究者としてあまりに未熟」と切って捨てるのは簡単ですが、それは彼女なりの「生物学」への近似、もしくは再定義であったのでしょう。その意味で「ねつ造」の意図がご本人にあったわけではないのかもしれません。ただ問題は、そのような彼女のアプローチは少なくとも「生物学」の別ルートからの近似になるための最低限のルールを踏まえているかどうかをほかの研究者によってチェックされないままにきてしまったことであるのだと思います。将棋に話を戻せば、二歩やその他のルールを踏まえることなく、「この局面での最善手をコンピュータソフトが見つけた!」と騒ぐようなものであるかもしれません。

と、問題を定式化した上で、大きな困難が残ります。果たして研究者はほかの研究者の認識の仕方をチェックすることなどできるのでしょうか。たとえば、電王戦第二局でやねうらおさんのソフト「やねうら王」が勝負直前に「バグ修正」と言ってさしかえられたところ、明らかに強くなったということで、プロ棋士からクレームがつき、ほかのソフト開発者からも「電王戦のレギュレーション違反だ!」と非難されたことがありました。これはやねうらおさんの説明によると、探索部をbonanzaメソッドからstockfishに変えただけで、ご本人としては強くなるとは想定していなかった、とのことでした。このように、プログラムの各部分について、何を使っているかを明確にわかる将棋プログラムにおいてすら、それがトータルでどのような影響を及ぼすかは開発者にとってもすべてをわかりえないところがまだある訳です。ましてや、一人一人の研究者の認識の仕方を脳みそを開いてソースコードのように確認できる訳でもなく、また、部分について確認できたとしても、全体としてそれがバグをおかしていないかどうかはわかりません。

つまり、このようなSTAP細胞騒動はこれからも、必ず起きていく、ということです。もちろん、こうした騒動はコストが非常に高いわけで、そういう意味では大学院での教育で基本的なところを徹底しては再発防止を目指す、ということが一番良いのでしょうが、しかし、その程度で防げるものではありません。大きな妄想やねつ造は人間が常識から離れて新しい見方を生み出そうとする以上、必ずつきまとう失敗であると思います。しかし、そのように失敗や妄想をもちろん鵜呑みにするのではなく、かといって、鬼の首でもとったかのように叩くのでもなく、自分たちの常識を疑うための一つの仮説として、継続して検証し続けていくことが大切なのだと思います。(カール・ポパーの「すべての医学は仮説にすぎない。」という言葉が胸に沁みますね。人類の学問の成果すべてが、一つの仮説にすぎない、という厳しい現実に、私たちの精神はどのように耐えていけば良いのでしょうか。ましてや、その学問の成果に人生をかけている人々にとっては。しかし、その事実をやはり忘れられる日が来ることを期待しすぎてはいけないようです。)

それとともに、偏見から自由になった!という感動すら、また別の偏見を生み出してしまうというこの現実の恐ろしさに対して、私たちはどこまでも油断をすることができないようです。
まあ、こんなことはこれからも起きるのです。そういうことが起きないよりは起きる方が(○○学的常識を覆そうという運動があるという意味で)健全です。どうか、小保方さんを責めるのではなく、いろいろ失敗していきましょうよ。
そうした失敗が、1000年、2000年後くらいに反省として蓄積されては残っていければよいのではないかと思います。

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2014受験を振り返って(その3)

H・M君(都立立川高3)     首都大学東京都市教養学部人文学科合格
 「後悔先に立たず。」自分の受験生生活を振り返ったとき、この言葉が一番当てはまると思った。何の後悔か、と問われても私は明確にこれといったものを示せない。受験校の選択、入試直前の追い込み、あるいは自分のこれまでの人生までひたすら後悔した。私はMARCHも早慶も一橋も落ち、後期の首都大学東京に受かったが、合格を知った時、喜びは自分でも驚くほどあっさりと私の中から消え去った。「これはお前の望んだ結果か?」というささやきが聞こえた気がした。
 私は自分が努力家であると思う。事実、高2のころから学校が終わったら塾に来て勉強していた。高3の時は言うまでもなく、現役の高3の中でも勉強時間は多かったはずだ。嚮心塾の形態上、「サボり」が多いことを危惧する人は多いが、それは結局学ぶ人に依り、現に私はサボらなかった。また、私は頭が良い方だと思う。高校受験を経た人は分かるかも知れないが、都立自校作成校(都立の上位校)にも受かっている。高校でもぎりぎり上位には入っていた。昨今の学生間では容易に「天才」が作られるが、私もその「天才」の枠には入っているだろう。
 ここまでこの文章を読んでくれた人は「ネガティブ」と「ナルシスト」という相反する印象を受けるかもしれない。実際、その印象は当たっている。私は常に自分を卑下しながら、内申では人より高みにいると考えていた。「君には劣るよ」と言いながら「国語の点数は俺の方が上だ。」と考えていた。「受験、厳しいなー」と言いながら「MARCHくらいならうかるでしょ」と私は考えていたのだろう。
「受験を舐めていた。」ありふれた言葉だが、これが私の感想であり、伝えたいことだ。猿も木から落ちるし、河童の川流れは起こるものだ。猿や河童が受験を前にした私の後輩やベテラン塾講師かも知れないと皆さんに忠告し、何より猿や河童であった過去の私をこれからの戒めとすることで、私は反省を終えようと思う。


T・Y君(桐朋高)      横浜国立大学経済学部合格
 高1の最後に文理分けをするまでは、好奇心から全ての教科を納得のいくところまで完璧にこなしてきました。しかし、受験に使用する科目を選択することになったときに、今までの勉強を否定されたように感じてしまいました。今思うと、評価を伴わない努力を無駄である、と感じるところに自分の弱さがあるのだと思います。その後は、受験勉強と今までの勉強への姿勢との違和感から勉強に興味が無くなり、ほとんど勉強をしなくなりました。高3の夏頃になって、受験勉強をしないでクラスにいる居心地の悪さから、勉強を始めました。やってみると、2年のブランクがあるわりには、意外にできることに気づき、「半年で京大あたりに受かったら、すごいんじゃね」と考えて、本気で勉強を始めました。7,8月で基本的なことを一通り終えると、「後は自分でできる」と勝手に考えて、嚮心塾にも通わなくなりました。ここからかなり伸びた自信はありますが、結局京大には落ちました。落ちたときは、プライドを守るためだけに受験をしてきた自分には何も残っていませんでした。その後、「浪人か進学か」というよりも「どのような姿勢で浪人すべきか」ということに悩み続けているとき、ある友達の話を聞きました。彼は、一橋に下げればほぼ合格できるが、東大だと五分位の学力をもっており、やりたい学部が東大にあるため東大を受験し、落ちた後は、すぐに後期に受けた横国へ進学することを決めていました。自分よりも優秀な人間が、第二志望の学校への進学を明確な目標をもって即決しているのを知ったとき、はじめて友達との(勉強やスポーツがどんなにできる友達にも感じたことのない)「差」を感じました。そして、大学名と将来の安定のためにもう一度受験する自分がむなしくなり、これが絶対に越えなければいけない壁ではない、と思い、進学を決めました。
 受験をしていると、勉強の目的が本質からずれていき、大学名という結果のみを求めてしまいがちです。そのまま合格すればいいのですが、落ちたときにはそういう人には何も残ってなく、むしろ努力をしたのにも関わらず自己否定に向かってしまいます。(そして、それは努力の量が多ければ多いほどにです。)今、受験に向かっている人達は、自分が落ちることなど少しも考えていないと思いますが、今のうちに受験への姿勢を考えておくのもいいことだと思います。

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