嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

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開発支援と教育の相関について

途上国支援というのは、本当に難しいもののようです。先進国でうまくいっているモデルをそのまま輸出しようとしても、それがうまくいくだけの様々な条件がその支援の受け入れ先になければそもそも無意味でしょう。ペシャワール会の中村哲さんがアフガニスタンにおける国連の支援の仕方を批判し、井戸掘り用のボーリングの大型機械を持ってきては、結局それでは岩が多すぎて掘れなくなると、国連の支援はそこで止まってしまう。だからこそ、自分たちが手堀りの井戸を掘っていく方が役に立つのだ、と言っていた話を聞いて、目から鱗のように思っていましたが、こうした問題というのは今から40年前くらいには心ある開発支援の研究者にとっては常識であったことを最近知りました。古くから認識されているその問題がいまだにあまり改善されていないのは、そもそも「開発支援」というものが広がりすぎた先進国と途上国との貧富の差を暴力的な手段によって縮めようという動機を削ぐために、先進国の善意の姿勢を見せるものであり、本気で救おうとは思っていないこと、あるいはその開発支援への善意は疑うべくもないとしたとしても、そもそも自分たちの成功モデルから離れにくい開発支援をする先進国側には、現地の状況に合うような支援、ということが一から手探りで考えていかねばならないという点で、自身の育ってきた文明を目の前の現実を認めることで完全に否定しては止揚するような弁証法的思考を必要とするから難しいのかもしれません。

平たく言えば、道路が整備されていないところに、トラックを送っても無駄でしょう。かといって、輸送用トラックを利用するために道路を整備する、というその方法が現地に本当に最適なやり方であるかは地形その他によって大きく変わってくることであると思います。あるいはアフガニスタンのように固い岩盤が多いところではそれを掘削するための機械、という無理を押すよりは多くのスコップを用意する方が有用であるのかもしれません。大切なのは、「私たちの国では農業はこうやってうまくいっている。だから、このやり方でやらねばならない!」「工業の発達のためには、まず○○が必要となる。だからこそ、それを何が何でも準備していかねばならない!」という自分たちの成功事例が現地に本当にふさわしいのか、それを進めていくことでうまくいく部分とうまく行かない部分とを見極めては、時に自分たちの成功を疑う必要がある、ということです。それは局地的、限られた時代において成り立った一つの成功例でしかなく、それを目の前の状況にあてはめることは(仮説として最初に導入してはそれと現実とのずれを絶えずチェックしては修正していくのなら良いのですが)どこでもいつでも通用する真理として、無理を押せば結局は途上国の産業や社会に思いもよらないダメージを残すことになります。

教育、というのもこの開発支援に似ています。どこまで、本来のものを尊重するか、逆にどこからは強制的に新たな手法を導入していかねばならないか、そこが非常に難しい訳です。教育で言えば、その子のこれまでの人生でできあがった人格、そこに育った家庭が与えている影響と家庭の教育方針、というものが先にある訳で、そこに対してどのようにこちらがアプローチをするかが極めて難しいのです。もちろん、一からすべてを決められるのであれば、ある程度楽です。「まずはこういうところから鍛えた方がよい。」ということ自体は、ロジックで組んでいくことができます。しかし、そこにはご家庭の教育方針もあり、ベストの戦略がとれるかどうかは極めて難しいところです。そこで、ご家庭の方針に何らかのこだわり(すなわち不自由さ)があれば、それと衝突しないようにしながらしかし、できる限り最善の戦略を組んでいかねばなりません。

しかし、それだけではありません。すべてのご家庭から塾が「受験勉強の方針についてはすべてを塾に一任する」というお約束をいただいたとして、それで僕がベストの戦略を練れるかどうかも、また難しいところです。なぜなら、肝心の受験生本人の精神にとって、その努力が意味のあるものであると認識されているかどうか、逆に言えばほかの方向の努力ではなく、なぜ今この努力をしなければならないかを自分自身で本当にわかっているかどうかで学習効果が全く変わってしまうからです。(この辺りは今年の合格体験記でもK・Y君が書いてくれていました。彼の一浪目の初めに僕が指示した勉強の内容と二浪目の初めに僕が指示した勉強内容はほぼ同じです。しかし、一浪目の初めには彼がその勉強の意味をよくわかっていなかったため、ほとんどその勉強の効果が出ませんでした。)自分では意味のないことを、しかし型通りに練習させられることで、後からその意味を獲得させるという教育方法は、もともと極めて賢い子、即ちこれだけ情報があふれる中でも一つ一つの意味を考えることをあきらめずに生きられている子か、あるいは能や狂言、歌舞伎のように伝統芸能の世界で言ってみれば「血筋故に逃げ場がない」という中でしか難しいのではないかと思います。

もっと近道がないかと試行錯誤してみては失敗し、やっぱり学問に王道はない、と気づいては地道な努力を重ねていく、というルートを通じて、自分がやるべきことの意味を自覚していく、というプロセスを経て初めて教育というのは意味をなします。そのような受験生が自ら気づく、というプロセスを無視して、「俺、この勉強法でうまくいったから、ほら、まねしてごらんよ。これ、最高だろ?」という、勉強ができるだけの凡百の大学生の「指導」がいかに本来の指導と離れているか、ということでもあります。

もちろん、このような受験生自身が様々なやるべきことの必要性に気づく、というプロセスを省くために「あの凄い先生の言っていることは絶対正しいから、それに従っていれば間違いない!」と信じてもらっては、それで理想的な勉強の進め方で進めていく、ということもまた可能でしょう。しかし、このやり方はどうしても受験生が自分で考えることをしなくなります。教師が一人一人の生徒に一生付き添える訳ではない以上、教師が生徒にすべきことは教師の言うことをも正しいか正しくないかを判断しようとする姿勢を生徒の中に育てることではないでしょうか。

このように考えていくと、教育ということのあまりの難しさに、本当に恐れ戦きます。こんな難しいことを普段、皆がどうやっているのでしょうか。皆がどうやっているかをいちいち意地悪く言わないとして、こんな難しいことを僕がどうやっていけばよいのでしょうか。全く試行錯誤の毎日です。

だからこそ、時には彼ら彼女らの生来のものをそのままにしすぎて、失敗し、時にはそれに手や批判を加えすぎて失敗し、というこの多くの失敗の中から、少しでも今、彼ら彼女らにとって必要なものを、できる限り精密に提示し、かつそれを理解してもらえるような能力を鍛えていきたいと思っています。そのためには、僕自身、あるいは今までの卒塾生への指導での成功体験をいかに僕自身が疑い、批判してはステレオタイプなそれらの教訓を目の前の「まったく別の生徒」という現実へと無理矢理あてはめない、ということこそが重要であると思っています。

開発支援に話を戻せば、こちらはさらに難しい訳です。そもそも途上国の開発支援に先進国が乗り出せるのは、彼らが彼らのやり方で成功を収めてきているからです。それなのに目の前の現実に接して、自身の技術を疑い、自身の文明を疑い、自身の歴史を疑っては、新たな気持ちで目の前の現実と格闘する、ということは、つまり自分自身の精神の中に、少なくとも産業革命以降の西欧の「成功」の歴史と同じ重さのものをもっては均衡をとらねばならないということになります。しかし、現地を踏む人にその心配はいりません。現地でその取り組みに悩めば、そしてそれがどれほど難しいことであるかを理解すれば、そのような(西欧近代の歴史を「成功」と見るという一つの)偏見は、少なくとも通用しないことを思い知らされるでしょう。問題は、現地を見ない人が開発支援を語ることであるのだ、と思います。教育について(自分の子が社会的に成功するかどうか以外には)心と頭を悩ませてこない人々が教育を語るのと同じように、ですね。

この「教育」という極めて難しい試みの最前線にて、まだまだ探求を続けていきたいと思っています。

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2014受験を振り返って(その2)

K・N君(桐朋高)                      富山大学医学部医学科合格
振り返ってみて思いついたのは、受験とは自分との戦いであるという事です。どういう事かというと、自分の出来ない所を細かく見つけて、そこを得意になるまでやり続ける事がとても大切であるという事です。自分のできない所をやり続ける事はとても辛くてストレスがたまる事です。なので、どれだけ出来ない所を我慢してやり続けられるかが受験の勝負所だと思います。僕の場合は、後半の辛い時期に他人に頼ってみたり、何か理由をつけて塾を休んだりして自分に甘えてしまったので、第一志望は受けられませんでした。その事を今でも後悔しています。次に何か辛い事や人生における壁にぶち当たったら、全てを捨てて後悔ないように取り組んでいきたいです。また、受験にはどうしても運が絡んできます。実際テスト直前にやった事が、テストに出てくる事もありました。なので、自分の出来ない所を埋めるという作業は、自分の運を広げるという作業でもあると思います。

K・Rさん(創価高)                早稲田大学先進理工学部合格
国立大学に現役時落ちてしまい、浪人するために塾を選ぶとき、この塾とほかの大手予備校とまよいました。予備校では朝から授業があり、高校の延長のようなものだと思いました。確かに、周りに同じ志の人がたくさんいる環境のほうがいいのかな...と思いましたが、高校の自分を超えるためには環境を変えなくてはならないと思ったことと、得意科目と苦手科目の差が私はとても広く(化学数学がよく、英語国語がびっくりするほど苦手)全員で全科目同じレベルの授業を受けるよりは、科目別に対策できるこの塾を選びました。
勉強に関しては細かく見られるので、自分で気づいて いながらも、直せずにいた弱点を指摘していただいたり、この勉強の仕方でいいのかと疑問に思ったときに、すぐに答えてもらえて、安心して勉強ができました。特に苦手科目の現代文などは毎回私がキレ気味に、この文章何言ってるかわかんないんですけど!?と聞いても、わかりやすいように、先生の意見も少し混ぜながら教わりました。私は現代文を敵のように思ってましたが、少しは良さを感じれるようになったと思います。
この一年、勉強だけでなく、いろんな目標をもったひとや、いろんな性格の人を塾で見て社会勉強にもなるなあと思っていました。
志望校にはとどきませんでしたが、この塾で苦しみながらも勉強を乗り越えて、すっきりした気持ちでいます。一年間お世話になりました。

H・Mさん(杉並学院高)                        國學院大学 文学部外国語文化学科合格
私が塾に通い始めたのは、高3の春からでした。私は高校受験を失敗していたので、一般入試ではなく、入学時から指定校推薦を狙っていました。しかし、高3になる前に指定校推薦をとれないかもしれないと分かり、一般入試を考えるようになり、入塾させて頂きました。それまでの私は、定期試験の前しか勉強しておらず、勉強することにすら慣れていませんでした。そんな私のふわふわした気持ちを引き締めてくれていたのは、塾に通っていたみなさんの一生懸命勉強している姿や、柳原先生でした。先生は次々にやるべき事を教えて下さったので、それに必死でついて行きました。そのおかげで勉強することにもすぐに慣れ、勉強する習慣がつきました。

結局、私は指定校推薦をとることができませんでしたが、別の推薦入試を見つけ、一つのチャンスだと思い、受けることを決めました。一次試験は、小説の要約と自己PRでした。全て先生が添削して下さり、一次試験に合格。二次試験は英語の筆記と面接でした。それから一般入試のこともしっかり踏まえた上で、英語を中心に勉強していきました。勉強の進度や使う教材など、全て先生に任せていました。そして二次試験は、これで合格していなかったらどうしよう、と思うほどでした。

私が合格できたのは、本当に柳原先生のおかげだと思っています。本当にありがとうございました。

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それでも続けていく。

今年の国公立前期試験の結果はかなり厳しかったです。いつもなら勉強が間に合っている子、間に合っていない子が見えているので大体予測がつくのですが、今年は力が伸びて手応えがある子達まで合格に至らなかった子が多く、改めて受験の厳しさを僕自身再確認させられました。
 
物理屋さんが書いていらっしゃるように、この仕事というのは一人一人の受験生とお別れするために全力を尽くす仕事であるわけです。永遠にその人と別れるためにその人のことを愛する(という言葉が不穏当であるなら「思いやる」)というこの営みは、思いやりを交換や貿易、資本へと引きずり下ろす、様々な構造主義的無神経さ(構造主義によってこの秘密が暴かれたというだけでこれらは構造主義の罪ではない、という言明は無責任です。暴いた後の我々は、それを意識せずには人を思いやれないわけですから。)とは無縁の、愛や思いやりの本質を失わない行為なのではないかと思います。

しかし、まあ、これはしんどいですね。毎年、特にこの時期には、こんな辛い仕事などやめたくなります。

まあ、しかし、それでもやめる訳にはいきません。この社会の中で形にならないもやもやを抱えては、生き苦しくて悩んでいる子達にとっては、嚮心塾は最後の砦であるようです。僕は、彼ら彼女らの悩みを聞き、形にならない思いを吐露してもらい、その上で彼らの努力が(狭い範囲の評価基準しか持たない)こ8の社会と折り合いをつけていくその道筋を共に模索していくよりほかないようです。

自分が一番辛いときこそ、その自分を支えにしている人々のことを思い出して自分の責務を確認すると、自分が生きねばならないという事実を思い出します。僕にとってはこれが、自分が生き続けようと思う唯一の動機です。

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2014受験を振り返って(その1)

Y・K君(都立小石川中等教育)       青山学院大学経営学部合格

僕がこの塾に通おうと決めたのは、扉を開けてから3秒でした。中高でろくに勉強をしてこなかった自分にとって、塾の空気感や空間的なimprovisation、塾長の揺るぎない存在感(何とも表現し難い圧倒的な何かを感じた)ということからしか塾を選べなかったのです。勉強することは、至って簡単でした。何故ならペンを握って覚える物を覚えてしっかりステップを踏んで修正していけばいいのですから。しかし、僕は勉強を自分で難しくしていたのです。勉強に対して「直感」や「好み」はほとんどが自分の力にならず、「自分に合わない」「なんか集中できない」なんていうのは、目の前の勉強に向き合おうとしていない情けない姿でしかありません。それを僕は2年間の受験生活の中で数多く行っていたのです。受験勉強に限らず、どんなことを行うにも結局は自分自身がどのように目の前で直面している事と向き合えるか、だと実感しました。今思えば、柳原先生がどれだけ効率良く、様々な方面からのアプローチを僕にして下さっていたか、その時にそれらを拾えず吸収できなかった自分に深く反省しています。
 やはり自分は力不足だったのでしょう、いや力不足なのです。結果、早稲田に行くことは叶いませんでした。僕は2浪目で初めて合格というものを体験するのですが、正直結果が分かった時、さほど喜びは湧き起きず、「あーなるほど、こんな感じか。」という気持ちでした。恐らく多くの人々は合格の瞬間から、その時までの勉強に対する自分の多くの欠陥を自然と忘れて新たな道を歩み始めてしまうのでしょう。「あの頃の欠陥を忘れるな。」という思いを自分の中に持つことは、重要なんじゃないかと僕は考えます。この言葉は、トラウマとして受験を位置づけることだったり、いつまでも受験のことを口に出すような輩の考えとは全く異なり、目の前に見えていた欠陥を見過ごし清算するようなことは、大学生活という名の「次のステップ」に得体の知れぬ安心感を覚えていつの日かまた以前と同じ壁にぶつかることに繋がりかねないし、自己の成長の妨げになると(というよりぶつかるまで退化しているのではないかと)考えるからです。大学に行くこととは、あくまでも「次のステップ」なのであって、それ以上でもそれ以下でもない。だからこそ、明日をどのようにして生きていくかを毎日懸命に自分のやりたいことになぞらえて考えていくことが必要になってくるのではないでしょうか。
 ここまで書いてみて、やはり自分はまだまだ未熟だなあと感じます。でも、ここに入る前はある程度言えたとしても実に中身のない話しか出来なかったのです。塾には行ってから本当に色々な事を考え、柳原先生に考えるための機会を与えてもらったりと本当に有意義な日々であったなと、感謝の思いでいっぱいです。こうした体験は受験というものがそうしてくれたなんてことはほぼ無いと言っていいと思います。もし受験のお陰だとしたら、僕は今頃余の大学生にinspirationを感じ、interestingな活動に魅せられているはずですから。
やはりこうして受験を終えた今でも、僕は受験オタクや受験に異様なほど熱心な親がつまらない人間に見えて仕方なく、理解に苦しみます。勿論この現代社会において高学歴を望むのは正しい選択にならざるを得ないと思いますが、そんな彼らからinterestingな方向性のidentityを微塵も感じられないというのは、果たして僕の感性が問題なのでしょうか。もっと育ててあげるべき感性があると感じます。しっかり向き合おうとする医師があるならば、この塾では勉強を通して自己を見つめる機会を数多く与えられ、自分自身を成長させることが出来る場所になると思います。何と言っても、自己の成長のために親身になって真剣に考えて下さる先生がいるというのは大きいです。
 この2年間、多くの方々に支えられた生活でした。やはり柳原先生には本当に様々な迷惑をかけた2年だったのでどう言っていいかよく分かりませんが、まず、ごめんなさい、そして、本当に感謝しています。
 少し前までPerfectionistを目指そうとしていたのですが、それは何年かかっても無理なようです。だからこそ、日々自分の進化のために慢心せず、傲慢にならず、誠実にcreativeにいきるために奔走していこうと思います。 

(高校受験生)
H・Tさん(成蹊中)    都立西高校合格

私は小中高と一貫校だったため、受験する必要がなかった為何度も先生に受験をするのはどうかと聞いていたのだが、先生は成蹊にいることのメリットとデメリットを教えて下さり、毎回成蹊にいた方が良いという結論に至っていた。そのため、様々な理由から受験をすると決め、本格的に受験勉強に取り組んだのは中3の11月からだった。私はみんなは一年間勉強してレベルの高いところに受かるのだから、4ヶ月ではそこまで上の学校は目指せないだろうと考えていたから、都立でも国分寺あたりにしようかな、と思っていた。だが先生は、そんなに低い目標じゃだめだ、受かるから西高や日比谷高にしなさい、とおっしゃった。その時の私は正直全く信じられなかったし、志望校を結局は下げるだろうな、などと考えていた(先生はあくまでも本気)。しかし、勉強していくうちに、西高でもいけるかな、と思うようになっていった。こう思えたのは先生のおかげだと思う。先生は私がどれだけ成長するかを的確に予測し、正しい目標を与えてくださった。もし違う塾なら、「さすがに西は難しいからもっと安全なところを受けろ。」と言われただろう(実際、色々なところに言われた)。要するに言いたいのは、先生は一人一人を本当に(他の塾では分からない所まで)よく分析し、指導して下さるということだ。今思えば、1月の模試でD判定だったのに、それでも全く気にせず最後まで勉強できたのは先生の指導を信頼していたからなのだろう。先生は1ヶ月でいくらでも伸びるとわかっており、そうおっしゃっていた。また、これは改めて思うのだが、高校受験は本当にぬるい。ただ最後まで真剣に勉強したかだけで合否が決まるし、詰め込むように覚えても受かるのだ。だが、これは大学受験には通用しない。このことは同じ机で大学受験生と勉強したからこそ、感じることができたし、分かった。だから私はこの塾の環境にいられることを感謝している。受験をしたことで大学受験のための勉強を止めてしまった。だが、受験をしたことで自分の欠点がよくわかった。何より、それまでの私のままで勉強していたら大学には絶対受からなかったと思う。のんびり勉強し、まあ、塾いってるしなんとかなるでしょー、と思っていたし、それでもってまあなんとか仕事について…などと思っていた。でも、実際そんなに甘くない(まだ事の全てをわかったわけではないが)。このようなことが学べたのは受験をした最大のメリットだと思う。
 最後に適切な指導をして下さった柳原先生とわかりやすく教えて下さった3人の先生方、本当にありがとうございました。また、この塾に通わせてくれ、受験のことを信じられないくらい調べてくれたお母さんや家族にも感謝したいと思う。

T・K君(荻窪中)    星稜高校合格

ここで勉強したのは短い時間だったが、今までの塾とは違ったスタイルで、自分に合っていたと思う。解く問題数を多くしていくにつれ、分かる問題が増えてきて、勉強しなくちゃ!勉強が楽しい!と思えるようになっていたし、勉強するクセがついた。また分からない問題をすぐに質問できて分かりやすく教えてもらえたので、ニガテが減っていった。自分のやりたい勉強を自分のペースで出来るので、コツコツと実力を高め、学習をしていく事ができた。

(中学受験生)
T・M君       穎明館中学合格

ぼくは5年生の頃から行きたい中学校が決まっていました。しかし、6年生になってもあまり勉強しなかったので、模試でも合格率が20%しかありませんでした。過去問でも最初の頃は全然点がとれませんでした。途中からやっと合格最低点に届いたり、届かなかったりしたけど、それでも「本当に大丈夫なのか」ととても不安でいっぱいでした。でも、苦手な地理や年表、生物、物理など今まで避けてきた分野を勉強していくごとに点数が上がっていき、ついに最高得点に届くこともたくさんありました。苦手でいやだった分野を克服したおかげで、ぼくは5年生の頃から「行きたい!」と思っていた中学校に行くことが出来て、とてもうれしいです。

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後悔をしないために。

今年度の国公立前期試験の結果も出ました。今年は受験生一人一人の力を伸ばせたという実感のある一年でしたが、それでも受験結果はなかなか厳しく、今のところ苦戦しています。それでも、今日行われる後期試験のために、皆最後まで残って必死に勉強していました。

結果を保証する、ということは極めて難しいことです。ここからの新年度で、一年間お預かりする受験生が多い訳ですが、一人一人に対して、どのように鍛えていくべきかが見えているとしても、そしてそれを一年間の中でどれほど徹底的にやっていったとしても、それでも難関大学の入試では確実に合格する、ということが言えません。運やその場での出来もあれば、自分が想定していない状況に直面したときに勇気を持ってそこにチャレンジする姿勢がなければその難関を突破することはできません。

「チャレンジ」という言葉を使いました。これは、何が最適な振る舞いであるかは状況状況で刻々とかわっていくため、ある時点での「最適」が別の時点での最適となるかどうかはわからない、ということをふまえた上でこの瞬間の最適な行動とは何かを考え抜く、ということです。時間軸に座標をつけては、その各時刻における最善策を用意しようとも、その受験生の力によって何が最善であるかは変わりますし、問題の難易度によっても変わります。だからこそ、その瞬間にその問題に直面している受験生自体が、(ある程度の類型となるようなケースについてのケーススタディはもちろん前もって準備できるものの(そしてここに関しては嚮心塾は一日の長があるとは思いますが))その場で自分の判断で勇気を持って一つの作戦を選ばねばなりません。これがどれほど、難しいことであるのかは、なかなかに受験生以外にはわからないことであると思います。

その意味で、今年も僕の力が足りずに第一志望の学校へと合格できなかった子が少なからずいたことは、僕自身の、そして塾の力不足です。そのことについては、申し開きができません。しかし、その第一志望の不合格というきつい状況を目の当たりにしても、歯を食いしばって後期試験の直前まで必死に努力を重ねる彼ら、彼女ら塾生を僕は誇りに思います。あるいは、高校受験でどこも合格できなくても、最後まであきらめずに受け続け、ようやく受かったこのその不屈の努力を僕は高く評価します。

本当に絶望的な状況に直面したときにこそその人間の真価が問われるという意味では、彼ら、彼女らはもう既に一流である訳です。口を酸っぱくして言い続けてきたことが、彼らの中で確信へと変わっていくこの瞬間こそが、すばらしいと思います。

もちろん嚮心塾は全ての塾生の第一志望への合格を目指しています。それがあまりにかけ離れているだけでなく自分でもそんなにはそれを信じていない場合を除いて、一人一人についてあきらめたことは一度もありません。ただ、第一志望に合格することだけが目的であるのなら、不合格は後悔しか残さないでしょう。しかし、一年間必死で努力したことを、結果だけから振り返って後悔することほど愚かなことはないと思います。人生は続いていく訳ですし、その中で、自身の努力や姿勢を問われることはさらに増えていきます。だからこそ後悔のない一年にできるように、もちろん結果を出すことも含めて徹底的に準備していきたいと思います。
すべての受験生の第一志望の希望を叶えることは今のところ、嚮心塾にはできていません。その意味ではこの時期にどの予備校も美辞麗句で語るようなこともこちらも言えれば良いのですが、そういうわけにもいきません。どんなに努力しても、それでも第一志望に不合格になるかもしれないのが受験の、特に難関校受験の怖さです。しかしそれでも、決して最後まで合格の可能性を僕があきらめずに懸命に努力し続けることだけはお約束できると思います。僕は誰をも、あきらめません。残念ながら、結果を後悔するようなことがあったとしても、ここですごす一年間に後悔をさせたくはありません。そのような場での研鑽に、興味をお持ちの方は是非お問い合わせいただけるとありがたいです。
                             2014年3月12日 嚮心塾 塾長 柳原浩紀

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