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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

2014年度入試結果(3月24日現在)

2014年度入試結果      (確定版)
<大学入試>
(国公立大学)
富山大学医学部医学科           1名(進学先・第一志望)
一橋大学社会学部             1名(進学先・第一志望)
首都大学東京都市教養学科人文社会系    1名(進学先)
横浜国立大学経済学部           1名(進学先)
埼玉大学経済学部             1名

(私立大学)
早稲田大学先進理工学部          1名(進学先)
早稲田大学社会科学部           1名(進学先)
早稲田大学文化構想学部          1名
東京理科大学理工学部           1名(進学先)
中央大学理工学部             1名(進学先)
青山学院大学経営学部           1名(進学先)
法政大学工学部              1名(進学先)
創価大学工学部              1名(進学先)
國學院大學文学部             1名(進学先・第一志望)
駒澤大学グローバルメディアスタディーズ学部1名(進学先)
帝京大学看護学部             1名(進学先)
武蔵野美大造形学部情報デザイン学科    1名(進学先)
学習院女子大学国際コミュニケーション学科 1名(進学先)
青山学院大学理工学部           1名

<高校入試>
都立西高                 1名(進学先・第一志望)
星稜高(私立・石川県)          1名(進学先・第一志望)
聖徳学園高                1名(進学先・第一志望)
都立光丘高                1名(進学先)
目黒学院高                1名(進学先)

<中学入試>
頴明館中                 1名(進学先・第一志望)

大学受験生28名(うち国公立受験者15名)、高校受験生5名、中学受験生1名での結果です(今年度から受験生が多いため、基本的に進学先のみを書いております)。どの受験生のどの結果に対しても、彼ら、彼女らがこの一年を真剣に苦しみ抜いた結果ですので、合格であれ、不合格であれ、心から誇りに思っております。
                                 嚮心塾

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巨人の肩に乗ることもできずに、三国志を読む。

北大の合格発表がサーバー落ちで確認できないため、時間つぶしでブログを書いています。

先日、ある受験生にかなりしっかり話をしました。その子は本当に努力を重ねる子なのですが、自分に自信をもてておらず、
そのことからだいぶ精神的に参っている状況でした。この大学受験でそれなりのところに合格しなければ自分の人生はもう終わりだ、というように思い詰めて、そのせいでかえって実力を発揮できない、という失敗を重ねてしまっていました。

その子に僕が話したのは、「中高時代に、どんなに『賢い』子に対してコンプレックスを抱くようなことがあっても、ここからは君の勝ちだ。なぜなら、これだけ高度に発達した学問体系に対して、もはや『賢さ』故のbreakthroughなど、期待されないからだ。たとえば、ノーベル賞受賞者も『賢くって独自の誰も思いつかないような革命的なモデルを思いつきました!』みたいな人は出なくなっていて、むしろ愚かさ、言葉をかえれば愚直にひたすら努力できるかどうかが問われる時代になっている。だからこそ、君のような努力を継続的に人間こそ、この時代の勝ち組だよ!」という話をしました。

ノーベル賞受賞者は決して賢くない(もちろん、それは彼らの偉大さを否定するものでは全くありません。)、というのは当たり前の話だと思うのですが、この認識はなかなか社会には共有されないようです。

話は変わりますが、僕は中1から中2の時に三国志にはまりました。最初は三国志のカードゲームから興味を持ち、吉川英治のものを読み、さらに飽き足らずになくなったおじいさんの書棚にあった何かマニアックな漢詩つきの講談本まで熟読というか、暇さえあれば読み返していました。もうすっかり忘れてしまいましたが、武将の名前も出てくる人はほぼすべて覚えていました。そのせいで、その後ファミコンゲームでもコーエーの三国志シリーズがはやったのですが、僕にとってあのゲームはクリアして喜ぶものではなく、比較的有名ではない武将の能力のパラメーターを原作での登場場面と照らし合わせてどう評価付けをしているか、その評価付けにいちゃもんをつけるというマニアックな遊び方をしていました。

そこまで僕が三国志にはまっていたのはなぜかと言えば、とにかく「この時代に生まれたかった!」あるいは「生まれる時代を間違えた!」ということだったのです。三国志の時代であれば、己の体力、武芸、知力だけで勝負ができました。しかし、この時代はどんなに喧嘩が強かろうと、銃を持っている人にはかないません。それとともに、どんなに賢かろうと、ここまで発達した学問を修めなければ話になりません。scienceとtechnologyが発達する前の段階で僕が生まれていれば、それこそ孔明とはいわなくても郭嘉とか陸遜くらいには、かなりいい勝負ができたのではないかと思っていたのですが、「巨人の肩に乗る」(先人の業績をふまえる)ことで初めて勝負が始まる現代においては、僕の飽きっぽさ、努力の足らなさでは、ある程度はできたとしても所詮世界一にはなれない、とわかってしまいました。それが前のエントリーで書いたいわゆる「○○五輪」系の努力の方向も僕はとる気になれなかった理由です。それが(社会の中での大学による厳しい差別を目の当たりにしていたので(そんなの、新聞や本を読めばわかりますよね。どこどこ大学卒が経歴の紹介で一生ついてくるわけですから。小学生でもわかる理屈です。))「東大に入れればいいや。」という低い目的意識になり、先のエントリーで吐露したような情けない中高生生活になってしまっていた理由でもあります。

もちろん、この判断は今から思えばいろいろと間違っています。たとえば、数学においてブルバキの登場以降、ブルバキズムをふまえないで数学は語れないものの、ブルバキズムを経て勉強を進めていけば、当然それに対しての批判やもっと偏らない目で数学の全体像を見ようという姿勢が阻害されるように、「巨人の肩にのる」努力をしながらも、その巨人を疑う、という姿勢を貫ける人間こそが、学問の奴隷にならずに学問の新たな一歩を進められる人間です。僕にそれを引き受けるだけの能力があったかどうかは別として、その可能性を目指しもしなかったのは明らかに僕の失敗でした。もしあの当時の僕のような中学生が目の前にいたら、「この人間の発達させた学問体系に対して違和感を感じるからこそ、それを勉強しなければならない、僕はそれで失敗した。だからこそ、君は頑張りなよ!」というアドバイスを僕はするつもりです(なかなかそういう中学生や高校生に巡り会えないのですが)。ただ、その当時、僕はそんなことを相談できる相手がいませんでした。親からは園児の頃から「何を言っているかわからない」とよく言われていましたし、学校の先生も信頼できる人は数少ないながらいたとはいえ、この問題を打ち明けて相談できるほどの信頼をしては裏切られるのが怖くて、話さずにいたところがあります。

だからこそ、僕は塾でそのように学校の勉強も打ち捨てて、「三国志」(もちろん三国志でなくても良いのです。何かしら、自分がそれに強く引きつけられる、ということはそこに自分の人生をかけて取り組むべき根本的な問題がある、ということです)を読んでいる子に、「勉強しなさい!」という決まりきった文句ではなく、「なぜ君はその本が好きなの?」という問いかけをしていきたいのです。それは、あの頃の僕を孤立無縁なままに見殺しにしないため、でもあり、そのような子に少しでも自分で考えるのとは別のアプローチを提示できるのであれば、それは必ず人類全体への大きな貢献につながると思っています。

それとともに、手持ちの武器で戦略を練る、という三国志時代のような原始的な取り組みも案外この社会では必要であるようです。たとえば、大学入試のように時間がきつい中で難易度の高い問題を解く、ということになってくるとこれは学力だけでは決まらなくなってしまいます。高い学力の子も解き方を間違えれば得点が取れませんし、持っている学力は合格ぎりぎりでも、それをどのように駆使するかによってはバチッと合格することもできます。そのような思考法自体は、大学受験を終えても必ず一人一人の人生において必要になってくるので、その点でも受験生を最後まで鍛えていきたいと思います。


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努力する、ということ(続き)

何日か前に、努力をさぼる子への叱責の話を書きました。それくらいでやめておこうかとは思ったのですが、
僕自身についてもやはり苦い反省を込めて書かねば卑怯でしょう。僕自身も、小中高ときわめて努力をしない子でした。

勉強であれ、スポーツであれ、自分がやろうと思ったものに関しては努力をしなくてもある程度のレベルに達することは僕にとってきわめて容易でした。もちろん、それで勉強であれあるいはスポーツであれ学校内で満足するのではなく、全国レベル、あるいはワールドクラスを目指す、という選択肢をとらなかったのは、僕の井の中の蛙ぶりでしょう。しかし、中高生の頃の僕というのは、何を頑張っていいのかが本当にわからなくて、みんなが要求するものはたやすくできるけれども、しかし自分がそれをどこまでも追求する気にもなれない、というひねた子供でした。だからこそ、僕は(今では本当に恥ずかしいことだと反省しているのですが)努力をするふりをよくしていました。このブログを中高生時代の同級生がどこまで見ているかはわかりませんが、おそらく彼らの知る僕のイメージは「努力家」ということになっていると思います。しかし、僕は努力をしていませんでした。同級生に見えるところでは勉強をしたりしていましたが、それは彼らに「彼が勉強できるのは努力をしているからだ。」と納得してもらうためのものでしかありませんでした(実際に受験生になるまで、学校の休み時間くらいしか勉強していませんでした。帰宅してからは学校の勉強などする暇を惜しんで、本を読んでいました。)。これは部活についても、言えます。僕は中学に入ったときは運動ができなかったのですが、徐々にできるようになり、持久走に関しては学年でもトップ10に入るところまで行きました。これも、「自宅近くの公園で走る」などの努力をしたというように同級生には言ってきましたが、部活で走っているうちに、より良い足の筋肉の使い方、体重移動の仕方などの走り方がわかってきただけです。実際に自主的に部活以外で走ったのは、おそらく一度か二度しかなかったと思います。運動にせよ、勉強にせよ、それらの全体を自分がどのように認識しており、どのように認識とアウトプットにずれがあり、それをどのように修正していけば良いか、ということを考えるだけで方法を誰かに学ばずとも、できるようになりました。

もちろん、それらの「努力したふり」というのは何も嫌みでやっているのではなく、皆が努力してもできないのに自分が努力せずにできてしまう、という事実に対して、僕なりに悩んだ上での一つの結論でした。人に見せる努力をできる限りすることで、彼らが努力しようとする動機を削がないようにしたい、という配慮でした。(そのような不毛な配慮をすることなく、もっと高みを目指す、ということをなぜ目指さなかったかと言えば、僕はその方向にも可能性がないと絶望していたのです。それについてはまた近いうちに書きたいと思います。)

開成の同級生(もちろん東大の同級生も)がもつものですら、そのように「不自由な能力」にしか見えなかった僕にとって、教え始めてからは本当に衝撃でした。これほど目の前にある事実に気がつかないままに生きているのか、と。これほど努力を重ねては失敗することができるのか、と。

そして、目の前の生徒の問題を自分の問題としてとらえざるを得なくなったとき、それは、僕のちっぽけな優越感を打ち砕き続けました。誰かに劣ったと思ったことは、生まれてから一度もないし、おそらくこの先もそんなにないだろう。しかし、何だ、この無力感は。皆が自分の可能性を必死に信じて努力しているのに、それを努力しないでできる僕は、彼ら彼女らに何か手助けをできるかと言えば、何一つできていない。その意味では僕もまた単に「自分のことはできる」というだけで、彼ら、彼女らに対して少しでも何かが貢献できている訳ではない、という意味では無力に等しいのだ、と。努力が見殺しにされ、誠意が踏みにじられるような才能の違いという、この世界に存在する残酷なギャップを広げることには自分が寄与してしまっているとしても、そのギャップを乗り越えようと努力し続ける目の前の一人一人を少しも手助けすることができないではないか、というあの無力感、絶望感を僕は今も忘れることができません。それとともに、自分の能力に心なく依存し、努力をすることに目を背けては生きてきた自分の情けなさ、自分一人についてのことができるということで、それ以上の責任を担おうとしてこなかった自分の小児性についても。

あれから、20年近くが経ちました。あのときよりも、はるかに一人一人の受験生に様々なことができるようになってきたことは確かであるとはいえ、しかし、あのとき噛み締めた無力さを味あわずに済む年を僕はまだ一度も迎えたことがありません。今年の皆の懸命の努力も、明日からの前期試験の発表でそれぞれにとって一つの結果が出てきます。しかし、中には必死の努力にも関わらず、目的を果たせない受験生もいるでしょう。しかし、今の僕には、彼らを笑うことは、ほんの一部分たりとも、できません。なぜなら、それは、僕自身の無力さでもあるからです。

人間は無力であり、人間は自分に与えられた分を弁えずに多くを望んで努力しても、失望ばかりを得るのでしょう。僕は自分の社会的選抜に関しては、そのようなことを感じれなかったとしても、塾生一人一人の結果を自分の責任であると思うが故に、同じ無力さ、同じ失望を共有してきました。しかし、にも関わらず、人間は努力を止めません。だからこそ、人間は美しいのであると思います。それは、敗北を礼賛しては「奴隷の道徳」を強要することではなく、我々が決して打ち勝つことのできない各々の死に対して、どのように準備するかを教えてくれるからです。ソクラテスは「哲学とは、死ぬための準備だ。」と言いました。あるいは、ルソーは「人間達は、死ぬことを恐れて、生きることを忘れている。」と言いました。どのような競争に打ち勝とうと、最後には100%死ぬ我々にとって、敗北を恐れずに努力し続けることは、死を恐れずに生きることに通ずるのでしょう。

あの頃の僕に、その人間のジタバタの美しさを伝えてくれる大人たちが極めて少ないとしてもいてくれたことで、僕自身が
勘違いした人生を少しは送らずに済んでいるのかもしれません。僕も、塾生一人一人に、それを伝えていきたいと思います。明日からの結果がどうであれ、ですね。

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ビットコインについて

現在、世間をにぎわしているビットコインについて、現時点での僕の考えをまとめておきたいと思います。

まず、不正なのか、それともセキュリティの脆弱さ故なのかはわかりませんが、一つの取引所がこのように破綻しただけで、鬼の首でもとったかのように「だからこんな怪しいものは信じちゃだめだ!」という結論に至るのはもったいない。ましてや、ほかの詐欺事件(円天とかですね)と比べるというのは無理解故の悪意すら感じます。円やドルに比べてビットコインが「怪しい」要素が果たしてあるのかどうか、素人考えながらいくつかの論点に分けて書いていきたいと思います。

①もともと実体のないビットコインが価値を持つなんておかしいのか。
というビットコインへの批判は、そのまま円やドルにも当てはまります。現代の貨幣は金本位制などの何らかの物質的価値に担保されることのない、信用貨幣です。であるが故に、「アメリカ政府が出しているから安心」「日本政府が出しているから安心」という考えは(たとえそれらの政府が巨額の徴税権をもっているとはいえ、それを帳消しにしてあまりある債務を抱えている以上は)あまり正しくないと言えます。さらに、です。各国の貨幣流通量がそのときの中央銀行の政策によって大きく変動するのに対して、ビットコインはどのようなカーブを経て、最終的にどのような量へと収束するかも定められています。つまり、「今不況だからとりあえずお札刷ろうぜ!」というアベノミクスだのヘリコプター・ベン(前FRB議長のベン・バーナンキのあだ名ですね。)だのの影響を受けない訳です。一国の経済状況に左右されて大規模な金融緩和が各国政府の権限で無秩序に行われる、ということ自体はこのアベノミクスを「成功」と各国の中央銀行がとらえれば、ますます増えていくでしょう。それが世界全体にどのような信用の低下を引き起こすかについては未知数のままに緩和合戦になっていくとして、そのような各国の貨幣よりもビットコインの方が怪しい、というのは単に私たちが今までの習慣からお札やコインを「お金」だと思っているという以上の根拠はないことであると思います。

②そもそもビットコインは貨幣の代替物なのか。
将来的な総量が決まっていること、あるいは「採掘」というアナロジーが暗示するようにビットコインは貨幣との比較だけでは語れません。むしろ、金やプラチナなどの稀少金属との比較で語る観点が重要であると思います。採掘や精錬にはコストがいるものの、そもそも地球上にそんなに多くは存在しない(かつピカピカしていてきれい)であるが故に、一定の価値の象徴として、これらの金属は長年に渡って貨幣経済の基礎となってきました。金本位制を本格的に人類が手放したのはいつとみるべきでしょうか。最終的な決別がニクソンショック以降、と考えればまだ40年くらいしか経っていません。これらの稀少金属の軛(くびき)から貨幣を自由にせざるを得なかったのは、それらに担保された財政規模では間に合わないような債務を現代の国家が担わなければならなかったでしょう。単純に言えば金(きん)をもっている以上に紙幣を刷らないと間に合わないくらいにお金を使うようになった、ということです。
ただ、一方でこれらの希少金属にも大きな難点がありました。それはまず埋蔵量に限界があること(限界があるからこそ、稀少金属であるわけですが、しかしそれでは足りないような財政規模に現代の国家はなってきました。)、次にやはりモノですから、そもそも保有するのにもコストがかかります。さらには取引コストも実際に金を移動しなければならないとしたら、大変なことです。
ビットコインはこの金やプラチナなどの稀少金属の問題点を解決するために考えられた制度であると言えるでしょう。取引コストの少なさ、タイムラグの少なさなどはその点で見事に解決できていると思います。もちろん、ビットコイン自体が信用を得るためにその埋蔵量に限界を作ることは当然必要であった訳ですが、このシステムがうまくいくのであれば、第二、第三のビットコインを作っていけば、人工的な、そして取引コストのきわめて小さい稀少金属の代替物を用意していくことができるわけです。その意味で、まさに稀少金属の稀少性のみに注目し、(いわゆる細密な電子部品に使われる「レアメタル」のように実用性があり、かつ稀少であるがゆえに高価な金属とは違って)実用性がない稀少金属は仮想通貨で代替しうる、という大きな社会実験となっている訳です。

世界史を見ても、たとえばヨーロッパの価格革命のように、ヨーロッパで産出される銀の量で銀の価値が決まっている状況に新大陸から大量の銀が流れ込み、銀の価値が大きく下落する、ということがありました。たとえば各国の中央銀行が発行する貨幣が技術的制約(お札をこれ以上刷れないという技術的制約はないでしょう)というよりは信用の最大値による制約を受けていて、逆に金やプラチナなどの稀少金属が流通量の最大値による制約というよりは技術的な制約(どこまでも深く掘れば金やプラチナを今よりもさらにとることはできるでしょう。ただ、それだけの技術があるかどうか、さらにはそれだけのコストが金やプラチナの価格に見合うかどうか(当然大量にとれれば稀少性は減るので))を受けているとすれば、ビットコインについては将来到達すべき最大値が示されているという点で流通量の最大値による制約を、また「採掘」に(少なくとも現段階では)コストがかかるという点で、技術的制約をもっています。それら二つが二つともにビットコインの稀少性を担保しているとすれば、僕たちが円やドル、あるいは金やプラチナをビットコインよりも信用するための、少なくとも理性的な理由はない、ということになります。


③さて、これから生じると考えられるであろうビットコインの問題点
さて、ここまではビットコインの可能性について書いてきましたが、当然問題点があります。それについて、これからおそらく問題になるであろう点をいくつか挙げていきたいと思います。
1)「技術的制約」についての見通しの不確かさ。
コンピューターの発達によってビットコインの「採掘」の技術的ハードルが下がれば下がるほどに、ビットコイン自体への信頼性も下がっていきます。また、そもそもアメリカのような超大国がスパコンを使ってその「採掘」に没頭していったとすれば、個人の採掘の「余地」などなくなるでしょう。保有するコンピューターの性能の差は、ビットコインにおいても貧富の差となり、富める国はますます富み、貧しい国はますます貧しくなるでしょう。技術的なことは僕にはよくわかりませんが、しかしコンピューターの性能が日進月歩で進む以上、現在の理論的な「技術的制約」が今後何十年にも渡って予測通りに制約であり続けるかはわからないのではないでしょうか。
2)そもそも貨幣は国家と強く結びついている、ということ。すなわち各国の中央銀行の(恣意的な)信用創造に対して、代替の選択肢を用意してしまうビットコインを歓迎する政府はない、ということ。
これについては、わかりやすいのではないでしょうか。少なくとも、この試みを保護したり推進したりする動機が
そもそもどの政府にもありません。
3)パソコンとインターネットを必要とする以上、デジタル・ディバイドによる貧富の差がさらに拡大していくこと。
4)稀少性、というだけでそもそも価値を担保できるのか。
これは頭で考えればわかるけれども、それをモノで媒介できないときにどこまでそれが受け入れられるのか、ということでもあります。貨幣の歴史を考えれば、貝とか布とか、「お!きれい!」という感覚的なものが先に立つところから生まれて生きている訳です。あるいは金や銀にしてもあんなピカピカしたものでなければ、いくら稀少であってもこのようにあれらを基礎とした経済ができたかは疑問です。案外、人間は頭で考えるよりも見て奇麗だと思ったり、感性に左右されるところがあります。もちろん、今のお札や硬貨を奇麗と思う人が多いかどうかは意見が分かれる訳ですが、すくなくともモノとして存在している以上は、そこに対するフェティシズムも可能になります。頭で稀少性を理解するだけでそれが、どこまで広がるかは、人間の偶像崇拝の歴史を見ても、限界があるかもしれません。

などなど、まあ問題点はいくらでもあります。ただ、大切なのは、こういう取り組みの意味をしっかり考えていくことだと思います。現在の貨幣経済が歴史の終点ではなく、現在の貨幣経済にも必ず大きな失敗があるわけです。その欠点に気づき、修正し、考えていくための一つのチャレンジとして、僕はビットコインを「何かうさんくさいもの」とみるのではなく、そのよいところを汲み、悪いところを反省しては、次につなげていくことが大切かな、と思います。

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