
今日は嚮心塾毎年恒例の「年内最終日だし、終電まで勉強しようぜ!」企画中です。
みんな、この時間を過ぎても必死に勉強を頑張っています。
先日、高校の同級生との集まりに参加してきました。もちろん、大人数なので、一人一人と深くは話せないという憾(うら)みはあったものの、様々に学ぶところがありました。
その中で言われた嬉しい言葉に、「柳原には中高時代からさんざん説教をされてきたけれども(僕は同級生にも平気で説教をするような子でした。)、その説教というのは今思い出すに八つ当たりやグチや説教したいから説教するという自己満足というのがないからこそ、素直に聞くことが出来た。」というのがありました。もちろん、実際にそうだったかどうかは過大評価してもらっている部分もあるとは思いますが、僕にはこの言葉に思い当たる部分があります。
それは、僕が一番多く説教をしている相手は、僕自身であるという事実です。僕は何よりも自分の怠惰さを憎み、
自分の不公平さを憎み、自分の無責任さを憎んでいます。ドラマ『リーガルハイ』で「人間の弱さを愛せ!」という台詞があり、それは本当に素晴らしい台詞だったと思いますが、それとは裏腹に僕は何よりも自分の人間的弱さを憎んでいます。何故、憎むのか。それが他の人の弱さを愛する唯一の道であると思うからです。自分の弱さが存在しないかのように振る舞う人間には、他の人の弱さを理解し、ましてやそれと丁寧に付き合っていくということはできないでしょう。かといって、それを全て肯定すれば、それは共に悪影響を及ぼし合うだけでしょう。自分の中の弱さを直視し、しかし、それを許さず対峙するというのは、矛盾した自己をどこまでも抱え続けるということです。しかし、そのような取り組みこそが弱さを理解し、愛しながらも弱さと同化しないという唯一の道であると思います。
そして、自分を最も刺し続けている言葉を、自分にも言い聞かせるつもりで放つとき、他の人にとっても、それを深く受け取ることが出来るのだと思います。逆にそうでない言葉は、どのように美しかろうと、結局は人の内面へと届かない言葉です。
そのようなことを、18年ぶりに会った同級生に言われるという喜びがあろうとは!
僕は小さな頃から、それこそ2,3才くらいから、家族にも友達にも自分の本当の考えは話しても分からないから、彼らにわかる話をしなければ、というように割り切って生きてきたわけですが、そのような僕の思いこみというのは、やはり僕を卑小な殻へと閉じこまらせてしまっていたのかな、と反省もしました。もっと心の底から、話せば良かったのです。相手に伝わろうと、伝わらなかろうと。content(内容)は伝わらなくても、attitude(姿勢)は伝わるのでしょう。
作家の中村真一郎さんが彼の親友であり続けた評論家の加藤周一さんについて、彼らがまだ学生だったときに加藤さんが自分の全身全霊を込めて、人生と芸術との関係について中村さんに問いかけてきたとき、自分はその問いに対する答えを濁してしまったことを振り返って後悔している文章を読んだことがあります。そして、中村さんは自分の書いたあまたの小説を、「そのときの加藤さんの問いにどう答えるか」ということだけをただ考えて書いてきて、能の舞台の下に埋められている壺のように、目には見えなくても必ずその思いが自分の作品には込められているのに、それを評論家の誰にも指摘されたことがない、ということも書いていました。
中村真一郎さんと加藤周一さんも、また、すれ違い続けた人生だったのでしょう。「心からの友」、「50年来以上の親友」、「文学活動(「マチネ・ポエティック」)上の盟友」であったとしても、です。しかし、それを笑うことは僕にはもうできません。すれ違い続けた二人の関係は、決して心の底から出会うことがないままに終わったのでしょう。しかし、「すれ違い続けた」という事実は残ります。contentは伝わらなかったとしても、attitudeは伝わり続けていたのでしょう。それ以上の「出会い」を、神にあらざる僕達人間は果たして望むことが出来るのでしょうか。
18年ぶりに会った旧友の先の言葉は、僕の抱えるcontentを誰かに伝えることができないとしても、僕がそれを伝えようとするattitudeを捨てるわけにはいかない、また一つの理由になりました。本当に有り難うございました。
嚮心塾も、どのように苦労しても、どのように工夫を凝らしても、所詮はcontentを伝えるための装置になるのには程遠く、attitudeくらいしか伝わらないのでしょう。すれ違い続ける努力の日々なのは、わかり切っています。しかし、僕はそれを少なくとも「悲劇」とは定義しませんし、努力をやめるつもりもありません。「心の底から出会おうとしては、すれ違い続けることだけが、人生だとしても、しかし、そこで出会おうとする努力をやめないことこそが大切なのだ。」と、2,3才くらいの僕に、あるいはせめて小学生や中学生の頃の賢(さか)しらな僕に伝えられれば、もう少しまともな人間になれたのではないかとも後悔しています。しかし、そのような様々な(とりかえしのつかない)失敗も含めて、次に活かしていけるように日々頑張りたいと思っています。
みんな、この時間を過ぎても必死に勉強を頑張っています。
先日、高校の同級生との集まりに参加してきました。もちろん、大人数なので、一人一人と深くは話せないという憾(うら)みはあったものの、様々に学ぶところがありました。
その中で言われた嬉しい言葉に、「柳原には中高時代からさんざん説教をされてきたけれども(僕は同級生にも平気で説教をするような子でした。)、その説教というのは今思い出すに八つ当たりやグチや説教したいから説教するという自己満足というのがないからこそ、素直に聞くことが出来た。」というのがありました。もちろん、実際にそうだったかどうかは過大評価してもらっている部分もあるとは思いますが、僕にはこの言葉に思い当たる部分があります。
それは、僕が一番多く説教をしている相手は、僕自身であるという事実です。僕は何よりも自分の怠惰さを憎み、
自分の不公平さを憎み、自分の無責任さを憎んでいます。ドラマ『リーガルハイ』で「人間の弱さを愛せ!」という台詞があり、それは本当に素晴らしい台詞だったと思いますが、それとは裏腹に僕は何よりも自分の人間的弱さを憎んでいます。何故、憎むのか。それが他の人の弱さを愛する唯一の道であると思うからです。自分の弱さが存在しないかのように振る舞う人間には、他の人の弱さを理解し、ましてやそれと丁寧に付き合っていくということはできないでしょう。かといって、それを全て肯定すれば、それは共に悪影響を及ぼし合うだけでしょう。自分の中の弱さを直視し、しかし、それを許さず対峙するというのは、矛盾した自己をどこまでも抱え続けるということです。しかし、そのような取り組みこそが弱さを理解し、愛しながらも弱さと同化しないという唯一の道であると思います。
そして、自分を最も刺し続けている言葉を、自分にも言い聞かせるつもりで放つとき、他の人にとっても、それを深く受け取ることが出来るのだと思います。逆にそうでない言葉は、どのように美しかろうと、結局は人の内面へと届かない言葉です。
そのようなことを、18年ぶりに会った同級生に言われるという喜びがあろうとは!
僕は小さな頃から、それこそ2,3才くらいから、家族にも友達にも自分の本当の考えは話しても分からないから、彼らにわかる話をしなければ、というように割り切って生きてきたわけですが、そのような僕の思いこみというのは、やはり僕を卑小な殻へと閉じこまらせてしまっていたのかな、と反省もしました。もっと心の底から、話せば良かったのです。相手に伝わろうと、伝わらなかろうと。content(内容)は伝わらなくても、attitude(姿勢)は伝わるのでしょう。
作家の中村真一郎さんが彼の親友であり続けた評論家の加藤周一さんについて、彼らがまだ学生だったときに加藤さんが自分の全身全霊を込めて、人生と芸術との関係について中村さんに問いかけてきたとき、自分はその問いに対する答えを濁してしまったことを振り返って後悔している文章を読んだことがあります。そして、中村さんは自分の書いたあまたの小説を、「そのときの加藤さんの問いにどう答えるか」ということだけをただ考えて書いてきて、能の舞台の下に埋められている壺のように、目には見えなくても必ずその思いが自分の作品には込められているのに、それを評論家の誰にも指摘されたことがない、ということも書いていました。
中村真一郎さんと加藤周一さんも、また、すれ違い続けた人生だったのでしょう。「心からの友」、「50年来以上の親友」、「文学活動(「マチネ・ポエティック」)上の盟友」であったとしても、です。しかし、それを笑うことは僕にはもうできません。すれ違い続けた二人の関係は、決して心の底から出会うことがないままに終わったのでしょう。しかし、「すれ違い続けた」という事実は残ります。contentは伝わらなかったとしても、attitudeは伝わり続けていたのでしょう。それ以上の「出会い」を、神にあらざる僕達人間は果たして望むことが出来るのでしょうか。
18年ぶりに会った旧友の先の言葉は、僕の抱えるcontentを誰かに伝えることができないとしても、僕がそれを伝えようとするattitudeを捨てるわけにはいかない、また一つの理由になりました。本当に有り難うございました。
嚮心塾も、どのように苦労しても、どのように工夫を凝らしても、所詮はcontentを伝えるための装置になるのには程遠く、attitudeくらいしか伝わらないのでしょう。すれ違い続ける努力の日々なのは、わかり切っています。しかし、僕はそれを少なくとも「悲劇」とは定義しませんし、努力をやめるつもりもありません。「心の底から出会おうとしては、すれ違い続けることだけが、人生だとしても、しかし、そこで出会おうとする努力をやめないことこそが大切なのだ。」と、2,3才くらいの僕に、あるいはせめて小学生や中学生の頃の賢(さか)しらな僕に伝えられれば、もう少しまともな人間になれたのではないかとも後悔しています。しかし、そのような様々な(とりかえしのつかない)失敗も含めて、次に活かしていけるように日々頑張りたいと思っています。



