
受験もいよいよ、この秋から一部の大学入試が始まります。また予備校などの模試を受け、そこで一喜一憂しては大きな不安を抱えながらも、毎日を必死に勉強に充てています。その中でも、模試の結果のせいで自分に自信がなくなり、勉強も手に付かなくなってしまうという失敗をしてしまう受験生も多いのではないでしょうか。
しかし、模試は準備が既に出来ている受験生にとっては自分の勉強の点検という意味で、少しは意味のあるものですが、そもそも自分の勉強(これは未習分野ということだけでなく、既習分野の復習という意味もです。)がまだ全範囲に渡って終わっていない受験生にとっては、単なる時間の無駄でしかないでしょう。これもまた、高校の先生は一人一人の生徒の実力の全体像をあまり把握できていないが故に、「模試をとにかく受けさせる。」→「そこで成績が出ず自信をなくす。」→「高校の先生もその模試の結果を鵜呑みにしては志望校を下げるようにアドバイスして結局受験生のモチベーションが下がっていく」という悪循環に入っていくことが多いようです。しかし、たいていの大学は基本的な内容を全範囲に渡って穴のないように勉強していくだけで、合格ラインには達します。一部の難関大学・学部についてはそうは言い切れませんが、それらの大学を受験する際にもやはりまず大切なのは「基本的な内容において、穴の無いようにしていく。」という作業です。
ですから、どうか、模試の成績という不確かなものや、それをベースにした高校の先生や予備校のチューターのアドバイスというさらに不確かな2次情報を信じては、諦めて努力の手を緩めるような愚かしいことはしないでいただきたい、と僕は塾生だけでなく、全ての受験生に伝えたいと思っています。
模試の結果という不確かなものを鵜呑みにすることなく、ただそこで出てきた結果の中で反省し復習すべき内容のヒントをもらったものについては虚心坦懐に復習していき、入試の前日まで徹底的に自分を鍛えたものだけが、入試に合格することが出来ます。数多くのA判定も、逆に数多くのE判定も、単にそれだけでは全く無意味であり、それらからどれほどの教訓を得て、自分の足りないところを丹念に埋めて来れたかだけが、本番での合否を決めるわけです。受験生は、それが良い雑音であっても悪い雑音であっても、途中経過に一喜一憂することをやめ、丹念に自身を鍛え続ける毎日を過ごしていきましょう。
もちろん、非受験生のみなさんも、同じことです。模試の判定に対して一喜一憂することはありません。しかし、同時にそこで自分の弱点が見えるのであれば、一つ一つ丹念に埋めていかねばなりません。模試の判定から描かれる、肯定的であれ否定的であれ、不確かな将来に怯えている暇があれば、その中に現れている現在の自分の問題点と向き合い、乗り越えていくことこそが大切であるのです。学年が上がれば、自動的に「受験生」になれるわけではありません。そのように自分の足りないところに気付いては、そこをしっかりと埋めていく作業を繰り返す中で、だんだんと「受験生」になっていけるわけです。最初はとてもつらい作業だとしても、そのように自己を鍛えていく習慣を今から少しずつ鍛えていくことが大切です。
自らの可能性を狭く限ってしまうきっかけとなるような様々な周囲の声も結局は、周囲の人の悪意からではなく、彼ら彼女らの認識の限界からきてしまっているわけです。たとえばその子の学力や勉強の進捗状況を精密に判断することの出来る教師であれば、そのような失敗は犯しません。しかし、残念ながら生徒に先生は選べませんし、そもそも高校の先生は、自分が受験についてそれなりに何かを知っていると思ってしまっています(少数のいわゆる「力のある先生」ですら、彼らが知っているのは受験についてではなく、「唯一の担当する受験教科の学習内容」についてです。一人一人の生徒の受験の全体像が分かってはいません)。
しかし、その言葉にいちいちショックを受けている暇はありません。前を向いて、自分が今できていないことを一つ一つ丹念に埋めていくことに専念していきましょう。そのために嚮心塾でも全力を尽くしていきたいと思っています。 2012年10月4日
しかし、模試は準備が既に出来ている受験生にとっては自分の勉強の点検という意味で、少しは意味のあるものですが、そもそも自分の勉強(これは未習分野ということだけでなく、既習分野の復習という意味もです。)がまだ全範囲に渡って終わっていない受験生にとっては、単なる時間の無駄でしかないでしょう。これもまた、高校の先生は一人一人の生徒の実力の全体像をあまり把握できていないが故に、「模試をとにかく受けさせる。」→「そこで成績が出ず自信をなくす。」→「高校の先生もその模試の結果を鵜呑みにしては志望校を下げるようにアドバイスして結局受験生のモチベーションが下がっていく」という悪循環に入っていくことが多いようです。しかし、たいていの大学は基本的な内容を全範囲に渡って穴のないように勉強していくだけで、合格ラインには達します。一部の難関大学・学部についてはそうは言い切れませんが、それらの大学を受験する際にもやはりまず大切なのは「基本的な内容において、穴の無いようにしていく。」という作業です。
ですから、どうか、模試の成績という不確かなものや、それをベースにした高校の先生や予備校のチューターのアドバイスというさらに不確かな2次情報を信じては、諦めて努力の手を緩めるような愚かしいことはしないでいただきたい、と僕は塾生だけでなく、全ての受験生に伝えたいと思っています。
模試の結果という不確かなものを鵜呑みにすることなく、ただそこで出てきた結果の中で反省し復習すべき内容のヒントをもらったものについては虚心坦懐に復習していき、入試の前日まで徹底的に自分を鍛えたものだけが、入試に合格することが出来ます。数多くのA判定も、逆に数多くのE判定も、単にそれだけでは全く無意味であり、それらからどれほどの教訓を得て、自分の足りないところを丹念に埋めて来れたかだけが、本番での合否を決めるわけです。受験生は、それが良い雑音であっても悪い雑音であっても、途中経過に一喜一憂することをやめ、丹念に自身を鍛え続ける毎日を過ごしていきましょう。
もちろん、非受験生のみなさんも、同じことです。模試の判定に対して一喜一憂することはありません。しかし、同時にそこで自分の弱点が見えるのであれば、一つ一つ丹念に埋めていかねばなりません。模試の判定から描かれる、肯定的であれ否定的であれ、不確かな将来に怯えている暇があれば、その中に現れている現在の自分の問題点と向き合い、乗り越えていくことこそが大切であるのです。学年が上がれば、自動的に「受験生」になれるわけではありません。そのように自分の足りないところに気付いては、そこをしっかりと埋めていく作業を繰り返す中で、だんだんと「受験生」になっていけるわけです。最初はとてもつらい作業だとしても、そのように自己を鍛えていく習慣を今から少しずつ鍛えていくことが大切です。
自らの可能性を狭く限ってしまうきっかけとなるような様々な周囲の声も結局は、周囲の人の悪意からではなく、彼ら彼女らの認識の限界からきてしまっているわけです。たとえばその子の学力や勉強の進捗状況を精密に判断することの出来る教師であれば、そのような失敗は犯しません。しかし、残念ながら生徒に先生は選べませんし、そもそも高校の先生は、自分が受験についてそれなりに何かを知っていると思ってしまっています(少数のいわゆる「力のある先生」ですら、彼らが知っているのは受験についてではなく、「唯一の担当する受験教科の学習内容」についてです。一人一人の生徒の受験の全体像が分かってはいません)。
しかし、その言葉にいちいちショックを受けている暇はありません。前を向いて、自分が今できていないことを一つ一つ丹念に埋めていくことに専念していきましょう。そのために嚮心塾でも全力を尽くしていきたいと思っています。 2012年10月4日



