
ご無沙汰をしております。あれこれと苦闘している間に、あっという間の五月が過ぎ、六月になってしまいました。
このブログも更新が遅くなって申し訳ありません。
先日、元塾生の子が高校卒業資格を得るために、もう一度勉強をし直したい、と相談に来てくれました。その子は色々と失敗を重ね、その失敗がさらに自分の思いを理解されないことにつながり、やけにならざるを得なかったりと本当に苦しい思いをし、また周りにもそのことで迷惑をたくさんかけてきました。しかし、そのことに目を向ける余裕など、少しもなかったのでしょう。ただ、久しぶりに会ったその子は、そういった彼の周囲で彼を必死に支えてくれる家族の頑張りに、ようやく気づき、自分も頑張らねばならないと決意したようでした。
彼のその気づきを、「何を今さら」と言うことは簡単です。ただ、僕にはそのような気づきは何よりも尊いもの、人類の存在価値などほぼそういう瞬間にしかないのではないか、などとついつい思ってしまいます。そして、その気づきを具現化するために全力を注ぎたいと思います。
去年や今年の合格実績を見てしまうと、嚮心塾は受験塾ではないかとついつい思われがちですが、そして、たとえばそれなりに勉強をする習慣と根性のある層の学校の近くに塾を移転し、そこの学校の生徒を1年間僕が計画を立てて指導していけば、おそらくその学校の合格実績は驚異的なレベルにまで跳ね上がる、という自信も僕にはあります。(まあこれはたいしてすごいことではなく、一人の受験生のトータルの勉強を常に正確に把握しながら、その子に今足りないものを(一教科だけではなく総合的に考え、アドバイスをするというスキルを鍛えた指導者が、日本の高校にも予備校にもほぼ皆無であるというだけなのですが。)ただ、それは経営的には遙かに今より安定し、うまくいくのでしょうが、さんざん道に迷った彼が、このように相談に来てくれていることはなかったと思うと、やはり嚮心塾の目指すべき方向ではないと思います。
一方で、嚮心塾が学び直しを目的とするフリースクールを目指すのか、といえばそれだけではだめだと思います。たとえば塾から医学部に合格した卒塾生の誰もが「暗黒の」中高生を過ごし、「こんな成績から難しい大学なんて無理だよ!」と一度は(あるいはずっと)言われたことのある子達でした。現在の塾にも医学部を目指す再受験生がたくさん通ってくれています。去年の卒塾生にも見事に合格した医学部再受験生がいました。僕は、「学び直したい」「やり直したい」と思う気持ちは、高卒認定試験であれ、医学部再受験であれ、その両者に学力上の大きな差はあるものの、どちらも尊いものであると思っています。そして、そのどちらも尊い、ということを互いに机を並べて感じながら勉強する場が、この社会には必要であるとも思います。
なぜそれが必要と思うかと言えば、僕は人間とは愚かなものだと考えるからです。先の2つの「やり直し」はわかりやすく、また共感や感動を呼びやすいのかもしれませんが、私たちは日常の中で無数に間違った判断を下し、しかもそれについて何ら反省することなく生きているわけです。たとえばこの塾で「やり直し」に成功した塾生も、その後は社会的にうまく行き、「あの頃は…」としたり顔に語れる日も来る(あるいは、もう来ている)かもしれません。しかし、人生はそんなに甘くはないし、人間の知性はそんなに賢いものではありません。「やり直しに自分は成功した!」と思っていながらも、また新たな失敗を今まさに生み出しつつあるかもしれないわけです。
しかし、失敗をすることなく進んだ子よりも、その自分の失敗を乗り越えてやり直してきた子の方が、自らの誤りを認めることに対して心が準備されている、と言えるのではないでしょうか。それも、さまざまな自分以外のやり直しを共に机を並べて、互いの人生を感じあっては勉強してきた子の方が、ますますそのような自らの誤りに対しての敏感さと、やり直しの大切さを身にしみて分かっていると思います。
もちろん、人類の進歩もさまざまな「やり直し」が必要とされるのでしょう。自分達が当たり前としてきた前提を根底から覆すことのできるのは、そのような「やり直し」を何度もしてきた人達でしょう。決して失敗無く、何もかもがうまくいってきた人達ではありません。その意味で、「失敗がなかった人」をエリートと呼んで、その人達に何かを任せようとする仕組み自体に、もう(というか、常に)限界があるわけです。
嚮心塾はやり直しをするための塾です。これは再受験生以外お断り、ということでは全くありません。受験生が受験に合格するために努力することのほとんどは効率が悪く失敗ばかりです。その失敗を圧縮して、合格に結びつけることが僕の仕事ではありますが、その失敗をゼロになるように最適のやり方を初めから教えることをしてはならないと考えています。むしろたくさん勉強し、たくさん失敗をする中で、そこからやり直す力を付けていき、かつ(他のどの塾や予備校よりも早く)受験に間に合う、というとできすぎですし、僕の力量もまだまだその理想からは遠いところにあるのですが、そのような塾が理想です。ウサギよりも速いカメ養成所、といえばいいのでしょうか、それを目指してまだまだ精進していきたいと思います。
このブログも更新が遅くなって申し訳ありません。
先日、元塾生の子が高校卒業資格を得るために、もう一度勉強をし直したい、と相談に来てくれました。その子は色々と失敗を重ね、その失敗がさらに自分の思いを理解されないことにつながり、やけにならざるを得なかったりと本当に苦しい思いをし、また周りにもそのことで迷惑をたくさんかけてきました。しかし、そのことに目を向ける余裕など、少しもなかったのでしょう。ただ、久しぶりに会ったその子は、そういった彼の周囲で彼を必死に支えてくれる家族の頑張りに、ようやく気づき、自分も頑張らねばならないと決意したようでした。
彼のその気づきを、「何を今さら」と言うことは簡単です。ただ、僕にはそのような気づきは何よりも尊いもの、人類の存在価値などほぼそういう瞬間にしかないのではないか、などとついつい思ってしまいます。そして、その気づきを具現化するために全力を注ぎたいと思います。
去年や今年の合格実績を見てしまうと、嚮心塾は受験塾ではないかとついつい思われがちですが、そして、たとえばそれなりに勉強をする習慣と根性のある層の学校の近くに塾を移転し、そこの学校の生徒を1年間僕が計画を立てて指導していけば、おそらくその学校の合格実績は驚異的なレベルにまで跳ね上がる、という自信も僕にはあります。(まあこれはたいしてすごいことではなく、一人の受験生のトータルの勉強を常に正確に把握しながら、その子に今足りないものを(一教科だけではなく総合的に考え、アドバイスをするというスキルを鍛えた指導者が、日本の高校にも予備校にもほぼ皆無であるというだけなのですが。)ただ、それは経営的には遙かに今より安定し、うまくいくのでしょうが、さんざん道に迷った彼が、このように相談に来てくれていることはなかったと思うと、やはり嚮心塾の目指すべき方向ではないと思います。
一方で、嚮心塾が学び直しを目的とするフリースクールを目指すのか、といえばそれだけではだめだと思います。たとえば塾から医学部に合格した卒塾生の誰もが「暗黒の」中高生を過ごし、「こんな成績から難しい大学なんて無理だよ!」と一度は(あるいはずっと)言われたことのある子達でした。現在の塾にも医学部を目指す再受験生がたくさん通ってくれています。去年の卒塾生にも見事に合格した医学部再受験生がいました。僕は、「学び直したい」「やり直したい」と思う気持ちは、高卒認定試験であれ、医学部再受験であれ、その両者に学力上の大きな差はあるものの、どちらも尊いものであると思っています。そして、そのどちらも尊い、ということを互いに机を並べて感じながら勉強する場が、この社会には必要であるとも思います。
なぜそれが必要と思うかと言えば、僕は人間とは愚かなものだと考えるからです。先の2つの「やり直し」はわかりやすく、また共感や感動を呼びやすいのかもしれませんが、私たちは日常の中で無数に間違った判断を下し、しかもそれについて何ら反省することなく生きているわけです。たとえばこの塾で「やり直し」に成功した塾生も、その後は社会的にうまく行き、「あの頃は…」としたり顔に語れる日も来る(あるいは、もう来ている)かもしれません。しかし、人生はそんなに甘くはないし、人間の知性はそんなに賢いものではありません。「やり直しに自分は成功した!」と思っていながらも、また新たな失敗を今まさに生み出しつつあるかもしれないわけです。
しかし、失敗をすることなく進んだ子よりも、その自分の失敗を乗り越えてやり直してきた子の方が、自らの誤りを認めることに対して心が準備されている、と言えるのではないでしょうか。それも、さまざまな自分以外のやり直しを共に机を並べて、互いの人生を感じあっては勉強してきた子の方が、ますますそのような自らの誤りに対しての敏感さと、やり直しの大切さを身にしみて分かっていると思います。
もちろん、人類の進歩もさまざまな「やり直し」が必要とされるのでしょう。自分達が当たり前としてきた前提を根底から覆すことのできるのは、そのような「やり直し」を何度もしてきた人達でしょう。決して失敗無く、何もかもがうまくいってきた人達ではありません。その意味で、「失敗がなかった人」をエリートと呼んで、その人達に何かを任せようとする仕組み自体に、もう(というか、常に)限界があるわけです。
嚮心塾はやり直しをするための塾です。これは再受験生以外お断り、ということでは全くありません。受験生が受験に合格するために努力することのほとんどは効率が悪く失敗ばかりです。その失敗を圧縮して、合格に結びつけることが僕の仕事ではありますが、その失敗をゼロになるように最適のやり方を初めから教えることをしてはならないと考えています。むしろたくさん勉強し、たくさん失敗をする中で、そこからやり直す力を付けていき、かつ(他のどの塾や予備校よりも早く)受験に間に合う、というとできすぎですし、僕の力量もまだまだその理想からは遠いところにあるのですが、そのような塾が理想です。ウサギよりも速いカメ養成所、といえばいいのでしょうか、それを目指してまだまだ精進していきたいと思います。



