嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

受験を振り返って2012③

早稲田大学社会科学部合格(進学先)
早稲田大学文学部合格
明治大学文学部合格
成蹊大学現代社会学部合格  K・S君(西武文理高)
 受験生活を通して感じたことはまず、学問に王道は無しということです。
僕は本当に合格することを望んでいたので、学校の友人達に「こういう効率の良い勉強方法があるよ」と言われると、すぐそっちに飛びついて行きました。そのたびごとに先生に注意されていました。先生からの指導は地道なもので本当に効率がいいものなのだろうかとさえ思いましたが、今になると恥ずかしいことです。
 結局予想外の問題が出たときに一番強い奴はどういった奴かといいますと、まさしくすべての基礎となる地道な勉強をやってきた奴です。それに気が付けた自分は良かったと思いますが、方法論に走ろうとしている人は是非考えてみてください。
 あと塾の中心である先生に対しての感想ですが、誤解を恐れずに述べるのなら今までの人生の中で見たことがない種類の人でした。ニュータイプかもしれません。
 他の当塾の人達も言っているように自分たちがいかに考えずに生きてきたかを思い知らせてくれるということですが、ここまで先生自身が自分をさらけ出しつつ、誤解を恐れず自らが考えへの橋になるということを体現するのは大変難しいことです。その点においても、先生は全年齢対象だと思っています。ちなみに僕は先生の生き方や言動全てにおいて賛同している訳ではなく、たとえば批判的な目を向けたとしてもそれに対する目をしっかりと返してくれるところをすごいと思っています。
 取り敢えず雰囲気でも興味深いな、すごそうだなと感じた方は、是非会って話してみることをお薦めします。
 この塾のスタイルとして、先生からだけではなく生徒からも学ぶことが出来ることがあります。あと、やる気はなくてもその足がかりは用意してくれますが、やる気がある生徒はなおその実力を伸ばすことができます。
 良いところを挙げるとキリがないのでこの辺にしますが、結論として勉強は当たり前のこととして、教えてくれるのはそれだけじゃないよ、ということです。先生、塾の皆さんありがとうございました。この塾に通っていてよかったです。

国際基督教大学教養学部合格(進学先)  K・Y君(桐朋高卒)
この一年を振り返ると、とても苦悩したような気もするし、案外楽しく気楽に過ごしたような気もします。そこらへん、人間って面白いなと思います。その時は人生のどん底みたいに苦しいのに、いざ終わってみると、案外大したことなかったかな、みたいな。ある意味、愚かというのでしょうか。まぁそんなことはどうでもよくて、とにかくこの一年を振り返ってみたいのですが、この1年を振り返って何かモノを言うことが、どうも難しいみたいです。僕にとってこの1年は、よく分からない1年でした。今までの僕は、例えば高校での部活動を通して僕はこうゆうことを学んだ!とか、受験勉強を通して僕はこうゆう風に成長した!とか、どや顔で語っていたのですが、この一年は、そういった意味づけ的なのをすることできません。出来ないというか、する気にならないというか。経験として、確かにこの一年は存在していて、というのも、この1年間で僕が悩み、考えたことは、言語化しなくとも今の自分の中に存在していて、恐らく今の自分の思考やら行動やらの基盤となっていると思うので(多分)、わざわざそれを言葉にするのもどーかなー、と。むしろ言葉の範囲内に留めてしまうと、せっかくの経験が陳腐なものになってしまうような気がして。こんな風に屁理屈たれていますが、実際にはただ面倒くさいだけなんですけど。でもまぁ、先生に「振り返れ」と言われたので、今年1年を頑張って振り返ってみます。
この1年で、僕は「生きること」と初めて真剣に向き合ったような気がします。あくまで、“ような気がする”だけですけど。人間、誰しも80そこらで皆死にます。死なない人なんていません。つまり、人間のゴールは死です。そうすると、僕は、人間は死ぬために生きているのか、という風に考えてしまうことが多々ありました。この考え方は、間違っている気がするけど、でもどこがどう間違っているのか、僕にはよく分かりません。何のために生きるの?という質問に、僕は答えられません。僕たちは、何の為に、どのように生きるべきなのでしょうか?この命題は、一生付き合っていく必要のある命題だと思います。そして、一生かかっても、明らかにならないものだとも思います。でも、向き合わなければいけない。そして、厄介なのは、向き合いつつも、日々暮らしていかなければならない。お金を稼ぐためにやりたくもない無意味な仕事もしなければいけないし、家族や人間関係などにおける世俗的な諸問題に取り組まなければいけない。学生の僕には、それらをこなすことがどれほど骨の折れることか、体感したことはないので、想像するしかありませんが、“生”と真剣に向き合いながら、日々しっかりと暮らしていくことは、恐らく大変なことなのだろうな、と思います。先生を見ていると、痛感します(笑)。僕の両親はまだまだ健康で、経済的にも全く苦のない生活を今は送らせてもらっていますが、いずれは完全に自立しなければいけなくなります。僕が怖いのは、その自立の必要性に迫られるあまり、“生”と向き合うことを、おろそかにしてしまうことです。気づいたら社会人にならなければいけない、わぁどうしよう兎に角どっかに就職しなきゃ、みたいなことは絶対に避けたい。生きることと、暮らすこと、両方を大事にしたいと思います。じゃあどうすればそれが実現するのか、それはよく分からないです。具体的な将来のことは、まだまだ定まっていませんし、努力の方向もいまいち分かりません。でもまぁ、この一年で真剣に生きるための土壌ができたと思うので、これからはパラパラと種を蒔きながら、徐々に成長したいと思います。あぁでも、徐々にとか言っている時間はないかもしれませんね。危機感は必要だと思います。でも楽しく過ごしたいから、そこらへんは適当に(笑)。
合格体験記として、全くふさわしくない文章を書いてしまったような気がします(受験自体には一切触れていません笑)。でもまぁ、こんな受験生もいたんだなぁぐらいに感じてくれると、嬉しいです。
ここまで書いて思うのは、この文章で、僕は、すごく出来た真面目な好青年みたいに自分を描いてしまいましたが、実際にはそんなことなくて、怠け者だし、二度寝とか大好きだし、つまり言いたいことは、この文章のなかの僕は、僕のほんの一面でしかない、ということです。まぁ誰かに向けて書いているわけではないので、そんなことは案外どうでも良いことなのかもしれませんが。
最後に、嚮心塾について。嚮心塾は、僕にとって、全てをぶちまけることのできる唯一の場所です。先生は、別に何か具体的な解決策などをくれるわけではなく(たまにくれますが)、基本的に話を聞いて一緒に悩んでくれます。僕自身、解決策を求めて先生に話しているのではなく、ただ何となく話して、何となく先生の意見を聞く。その程度のことですが、僕にとってはとても大事なことです。なぜ大事なのか、よく説明できないですが。もっと色々先生について書きたいのですが、面倒なのでやめときます。これから入塾するつもりの方は、実際に先生と付き合ってみないと、先生のことは分かりません。自分にとって意味のある塾だ、と思うかは人それぞれですし、別に意味のある塾だと思わないことがいけないことだとは思いません。ただ、実際に先生と話してからでないと、何も分からないですよ、ということです。終わらせ方が分からないので、この辺で切ります。先生、1年間ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。
                                                        

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受験を振り返って2012②

中央大学法学部政治学科合格(進学先) 
東京学芸大学中等教育国語科合格  N・D君(都立駒場高卒)

はじめに、今まで何かと支えてくださった方々に感謝の意を表したいと思います。

家族、学校の先生、友人、そして誰よりも、柳原先生に。

第一志望校には残念ながら合格できませんでしたが、嚮心塾での二年半で得られたものは僕の一生の財産になりました。


僕が嚮心塾を知ったきっかけは姉の紹介でした。高2の夏、自分一人で勉強していくことに限界を感じ、指導してくれる人を求めていたのですが、大手予備校は月謝が高いので経済的に余裕が無く、何より大人数での授業は難聴である僕には無理でした。そこで個別指導をしてもらえる塾を探していたところ、姉から「こういう塾があるよ」と聞き、柳原先生とお会いしました。
嚮心塾は先生のアドバイスを元に参考書などを自主的に進めていき、疑問点があれば先生に質問する、というスタイルをとっています。これが自分に合っており、先生から一対一で丁寧に説明してもらえるので入塾を決めました。
先生とは基本的に筆談でしたが、入塾当初、先生から「確かに筆談は話すのと比べて手間がかかるけれど、僕はそれを嫌がったりはしないので、君も質問することを遠慮しないで下さい。」と言われた時は、正直救われたような気持ちでした。僕自身、相手に対して気を遣ってしまう性格なので先生からそう言ってもらえたことは本当に有難かったです。
志望校などを先生と相談していくうちに明確な目標ができ、勉強に打ち込めました。先生の説明が明快で、教科書では得られないような発想を与えてくれたので、こんなにも勉強が“楽しい”と感じられた時はありませんでした。さらに、自分の力が伸びていることが自分で分かるのはこの上ない喜びでした。
最初は先生のアドバイスに沿って勉強を進めていましたが、慣れてくると次第に「この方法でいいのだろうか」と疑問が生じてきて、その都度先生に「こうするのはどうか」と相談し、勉強法をより良いものに改善していきました。こうした試行錯誤を通して判断力を養うことは、単に数学や英語など個々の教科を勉強すること以上に重要だと思います。このプロセスの中で“物事を自分で考える力”身に付けられたのは非常に大きかったです。

高3になってからは定休日以外ほぼ毎日塾で勉強していました。スポーツ漬けだった中学時代とは対照的に、一日の大部分を勉強して過ごしていました。このときの志望校は京都大学でしたが、秋の時点でもまだまだ実力差は大きく、とりわけ数学と英語が極端に苦手だったため、ひたすら基礎を強化する日々でした。そうしてセンター試験を迎えましたが、対策不足もあり結果は散々なものでした。その後二次試験での挽回を狙い京大法を受験したけれども、案の定落ちました。ここから僕の浪人生活が始まりました。
まず、現役の頃の反省から取り組みました。全体的に学力不足だったことは勿論ですが、自分自身を達観してしまう癖があり、現役時の実力をみて「浪人になっても構わない」と少なからず思っていたことが敗因の一つだったと思います。本気で“勝つ”ことを信じている人間しか受からないのだと気付きました(例外もありますけど)。浪人時代の生活は、朝は家で世界史を二時間ほどやり、ランニングなどトレーニングをして、昼食を食べた後塾に行って20時くらいまで勉強し、家に帰ってから夕食、そして夜12時半まで単語暗記といった具合でした。また、塾費のため週二で家庭教師のバイトもしていました。このペースを夏まで維持していましたが、夏が終わるあたりから朝の勉強時間をそれまで通り確保するのが難しくなり、自分の意志の弱さを思い知らされました。そこで、秋の京大模試が終わった後はセンター試験に集中するため朝から塾で勉強しました。苦手だった数学と対策不足だった地理を中心に取り組みました。ですが、ここに失敗がありました。何回かセンター過去問を解いてそこそこ点を取れていたことに安心して生物の対策を怠り、学習不足だった分野が本番で出題され、思いのほか時間をくってしまいミスを連発しました。地理も過去問の点数は安定していたけれども、小手先のテクニックにこだわりすぎ、本番では知識不足が露呈して予想していたような点を取れませんでした。先生がいつもおっしゃっていた「常に最悪の事態を想定して勉強する」ことの大切さを痛感しました。結局今年もセンターの点数がボーダーラインに達しなかったので志望校を落とすことも考えましたが、一年間真面目に勉強してきたという自負はありましたし、あとで後悔しないよう京大受験を決めました。そして京大対策を始めましたが、その時の問題点は数学でした。この一年間で思うように伸びず、模試でも数学はいつも最悪な点数でした。今改めて反省すると、数学の勉強法がしっくりこないままとにかく問題を解いていたので、あまり身に付かなかったのだと思います。センター後の1ヵ月でやっと数学の勉強法が分かってきました。しかし、時すでに遅し。やはり時間が足りず、本番は数学で失敗しました。もちろん結果は不合格です。
「君は聴こえない分、人の2倍3倍努力しなさい」という先生の課題は果たせなかったと思いますし、僕の勉強不足が招いた結果です。後悔はしていませんが、京大に心残りがないかと言ったら嘘になります。それでも京大を受験したことは僕を大きく成長させてくれました。先生から教わった受験時の心構えは人生のあらゆる場面で応用できるもので、様々な教えが生きてくるのはむしろこれからだと思います。嚮心塾で培った“考える力”を大学で存分に発揮して、人間としてさらに成長していきたいです。

もう一つ、嚮心塾に入って良かったことは、柳原先生という「知の巨人」に出会えたことです。勉強関係のこと以外にも哲学からサブカルチャーまで様々な事柄に対して造詣が深く、先生のお話の一つ一つに新たな発見があり勉強よりもむしろそのお話の方が面白かったです。時事問題や本の内容について先生にご意見を求めると、批評家やジャーナリストの言うようなありきたりな答えではなく僕が今まで考えもしなかったような視点から説明して下さり、自分の浅慮さ、人間としての小ささを痛感させられ物の見方を広げるきっかけとなりました。そして、年下だからといっていい加減に扱わず、真剣に向き合って下さったことが嬉しかったです。

これから受験に臨む皆さんに言いたいことは、できるだけ早い段階から自分の将来のイメージを作り、大学で何を学びたいかを考えておいた方が良いということです。
僕が進路を最終的に法学部に決定したのは高1の終わり頃でしたが、今振り返ると、小学生の時にはもう決まっていたように思います。法学部にした理由は、小さい頃から世の中の理不尽さ(政治家・官僚の不正、弱者の境遇など)に不満を抱いていて、高校生になってからは本気で「この国を変えたい」と感じるようになり、政治について深く学ぶには法学部に行くのが最適だと思ったからです。
まだ遊び盛りの学生のうちから将来の方針を決定するのは難しいかもしれません。しかし、だからといって「大学生になってから考えればいい」と安易に割り切ってしまうのも自分の人生に対して無責任な態度だと感じます(自分の人生だからほっといてくれ、と言うならばもう何も言いません)。部活や趣味などに打ち込んでいる中でも自分の将来について思いを馳せ、大学で何をしたいか、何をすべきかを熟慮した上で進路を決定し、受験勉強に取り組んで欲しいと思います。
「どこでもいいから偏差値の高い大学・学部に行きたい」というのは、無機質な受験勉強に自分を駆り立てる手段としては良いと思いますし、そういう向上心を持つことは大切です。しかし、それだけでは非常に浅薄でつまらない動機だと思います。なぜなら、大学に行くことの目的が欠けているからです。合格した後には何が残りますか。満足感と解放感、あるいは虚栄心しか残らないのではありませんか。大学でも勉学に励む自信はありますか。
実際は、大学合格を“終点”と勘違いし、怠惰な生活を送る(もちろん、バイトやサークル活動などに勤しむのは構いませんが、あくまでも勉強が学生の本分ですし、必要以上に飲み会やコンパに参加するのはどうかと思います。たとえ人間関係を築くために不可欠だとしても)人がほとんどでしょう。大学合格とは人生における一つの“区切り”に過ぎません。ある区切りで一息ついたら次の目標を設定し、その目標を達成すべく努力し続けていく、というのが人間として生きていく上で必要なことだと思います。ただ、全員がそういう人間になれるわけではない(僕も然り)のは分かります。それでも、自分自身を少しでも研磨していこうとする意志は常に持つべきです。
また、「勉強なんて意味がない!」とか「受験勉強なんてくだらない!」とか言う人もいますが、それはたいていの場合、ただの現実逃避ではないでしょうか(あなたがそう思わざるをえなくなってしまう周りの環境や受験システム及び社会にも責任はありますが)。「意味が無い!」と断じる前に、なぜ自ら意味を見出そうと努力しないのですか。勉強の意味を見つけられないのはあなたの想像力の問題ではなく、気持ちの問題です。必死に意味を探していけば必ずそれを見出せると思います。ここで勉強の意味を考えることすら面倒臭いなどと言っていては結局何も出来ないままに終わるでしょう。自ら考えることを放棄した時点で、人間は人間でなくなります。“考えること”が人間を人間たらしめる最も重要な要素です。あなたが人間であるならば、あなたがあなたでありたいならば、決して“考えること”を止めないで下さい。勉強することの意味を探し続けて下さい。
嚮心塾には、教育の視点から国を変えたいと考えている人や、医者となって人を救うことを目標としている人など、目的意識をしっかり持ち受験勉強に励んでいる生徒がいて非常に刺激になりました。大学が求めているのはこういう人たちです。目的があれば大学でも勉強に励めます。目的を持たず大学に入り何となく過ごし、受験勉強の中でせっかく鍛えた“自分の頭で考える力”を大学で衰えさせてしまうことほど馬鹿なことは無いと思います。その“考える力”が本当に必要とされるのは大学生、社会人になってからです。受験と違いマニュアルの無い世界でいかに自分の能力を発揮できるかどうかは“考える力”にかかっています。
限りある人生の中でおそらく最も“自由”が許されるであろう大学時代を“好き勝手なことをする”で終わらせず有意義なものにするためにも、明確な目的意識を持って大学に行って下さい。

まだまだ未熟な人間が何かと偉そうに言いましたが、僕の経験や考えが、皆さんが勉強を進めていく上での、または生きていく上での一助となれば幸いです。周りのふわふわした空気に流されず、自らの生きる意味を考えながら勉強し、“真の受験生”になって下さい。そして、大学でも自分を成長させることができるように自己鍛錬を欠かさないで欲しいです。何はともあれ、皆さんが栄光を手に入れられるよう願っています。

東京大学理科Ⅰ類合格(進学先)
慶應義塾大学理工学部合格
早稲田大学基幹理工学部合格 M・Y君(創価高校卒)
自分の受験生生活(?)を振り返ってみたいと思います。高3の現役のとき、自分は受験を完全になめきっていました。塾をさぼってゲーセンに通う日々を過ごし、学校の授業は寝るか内職をする毎日。しかし、学校の定期試験では試験の数日前から勉強して学年でも上位の成績をとっており、11月に駿台で行われた東大実戦模試ではA判定をとっていました。自分はなんだかんだで東大に合格するのだろうと過信し、日々をなんとなく過ごしていました。が、当然世の中はそんなに甘くなく、不合格。
 それでも落ちてからしばらくは、自分はたまたま得意教科の数学でケアレスミスをしたから落ちたのだと思っていました。その状態で自分は浪人生の4月から8月まではK予備校に通いました。K予備校はとても厳しいことを売りにしていたのですが、逆に厳しすぎて勉強にやる気がでませんでした。初めの頃は「どうせ次こそは受かるだろう」と思っていたので余計にやる気がありませんでした。しかし、K予備校に通っているうちに、自分が予備校にさせられている勉強に疑問を持ち、「ここに通っていたら受からない。」と感じ、8月で辞めて、この塾に通うことにしました。そして、自分が「たまたま」ケアレスミスをしたから落ちたのではなく、ケアレスミスをする可能性を減らす努力や、万が一数学で失敗した時の為に他の教科にも力を入れて勉強することを怠ったから落ちたのだとこの塾で先生と話す中で自覚し、そうしたことに力を入れて勉強しました。普通の大手予備校では細かい(無駄な)知識はいくらでも教えてもらえますが、本番の試験で実際にどのように対処するか(上手くいった時はどのように見直すか、上手くいかない時はどのように問題を捨てるか等々)をじっくり教わることのできる機会はまずありません。この塾では先生に上のようなつっこんだ質問をしてもそれぞれの生徒の立場に立ったアドバイスをもらえるのが非常に良かったです。
 浪人生としてこの塾に通った中での最大の収穫は、こうした勉強の中で培った、失敗を予知し、回避する能力や失敗してもその中でベストを尽くす為の立ち回り、といったことだと思います。(東大の受験はまさにそうした能力が問われるものでした。)
 また、この塾で様々な「ユニーク」な人たちと一緒に過ごし、多くの話が出来たのは素晴らしい経験だと思います。自分という人間の小ささを思い知らされたと同時に、様々な物の見方を知ることが出来、また「考える」とはどういうことかを考え直すきっかけにもなりました。勉強や学校のことで思い悩むことがある人は、この塾で話してみると良いかもしれません(何という勧誘(笑))。

慶應義塾大学医学部合格(進学先)
北海道大学医学部合格    
防衛医科大学(補欠)
順天堂大学医学部1次合格
日本医科大学医学部1次合格 K・H君(西武文理高卒)
私が受験生活をすごしてきた中で重要だと感じたことは「強い意志を持つ」ことです。どうして自分が勉強しているのか、どうして医学部を目指しているのかなど、自分なりの理由でいいので考える必要があると思います。私は二年と少しこの塾に在籍していましたが、高3一浪時にはただ漠然と日々を過ごしていました。やはり受験に対する認識も甘く、自分で勉強することも余りなかったために成果を上げることが出来ませんでした。この塾は基本的に本人の自主性に任せるタイプの塾であり、自分の分からないことを先生に尋ねる勉強スタイルなので本人の意思が大変重要だと思います。私の意志がしっかりと固まったのは、一浪目の十月。そこから先は少々のことではへこたれずに努力を重ねることができ、また勉強だけでなく先生や他の生徒達と会話をすることで多くの異なる考え方に触れることが出来、人間的にも成長できたと思います。
受験はばかばかしいことかもしれませんが、人生の分岐点でありこの先を決める大切なことなので、しっかり考えて時間を浪費しないためにも自分なりの「答え」を見つけて、努力してほしいです。

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受験を振り返って2012①

受験を振り返って2012①

大阪大学医学部医学科合格(進学先) A・Y君(広島学院高卒)
今回、進路変更を決め、三年ぶりに受験をすることになりましたが、受験勉強のあまりの下らなさから全くやる気が起きず、困っていました。
とは言え、受験から逃れるわけにも行かないので、本気になれる場所を探した結果、ここしかないと思い、入塾を決意しました。通ったのは四ヶ月程ですが、受験が終わった今感じるのは、ここのような勉強する場所があることは本当に有り難いということです。
決してここの先生は完璧だとか言いたいわけではありませんが、このような場を探している人は多いと思います。

早稲田大学政経学部合格(進学先)
上智大学経済学部経営学科合格
上智大学総合人間学部心理学科合格 A・Y君(都立富士高卒)
2年間の受験生活での一番大きな収穫は、“考える力”が身についたことだと思います。塾に入るまでは、他の人よりは色々考えていると正直思っていました。しかし、もちろんそれは大きな間違いで、先生や塾生と話すことで周りの人の考えを知ることができ、自分の底の浅さに気がつきました。現役生の持てなかった時間的精神的余裕も、浪人生になると生まれ、他人の意見を取り込むだけでなく、自分の中で更に深く考えられるようになりました。もちろん自ら考えようと努力することは、受験勉強にも役立ちます。自分に足りないもの、必要なもの、時間の使い方などを考え、先生や周りの人と話して反省し、また考える。この繰り返しが勉強の効率を高め、自分の弱点をつぶすことにつながるからです。受験で大きく成長できたと思いますが、やはり知識の浅さ、考えの足らなさを感じます。大学では今までのように考えを深めるための環境は整っていないため、自ら考えを深め、広げることができるように努力し、継続しなければならないでしょう。受験生もそうでない人も受験だけを目標とするのではなく、その先も見越して考え、塾に通うことができればより良い成果が得られるだろうと思います。

一橋大学商学部合格(進学先)
早稲田大学文化構想学部合格 S・N君(都立富士高卒)
僕が一橋大学を目指した理由は、現役時代に僕が通っていた予備校のチューターが一橋生で、その人に勧められたから、というとても不純なものです。その程度の動機なので、現役の時は、本心では早慶でも全然良い、なんて思っていて勉強も単調で中途半端なものとなり、当然の事ながら一橋には落ちました。
私大もほとんど落ち、大学受験という大一番でさえしっかりできない自分の無能さに恥ずかしさと危機感を覚え、自分を叩き直すために浪人を決意しました。
結論から言うと、この塾は、自分を見つめ直すには最適な場所でした。自習が中心であるため、自分に不足しているものが何かを見つけ、それを克服するためには何をどのようにやったら良いか考えていかなければなりません。また、塾内での先生と生徒との会話も受験勉強にとどまらず、僕が様々な物事を考える上でとても良い刺激になりました。
何事も真剣に向き合うと、その問題点が鮮明になっていくことを強く実感しました。この一年間では自分の弱点を克服することは、ほとんどできませんでしたが、それが明確になっているだけでも、少しはマシな大学生活を送れるかなと思います。
結果的に第一志望の大学に合格できたことはとても嬉しいですが、それ以上に、自分の生き方について多少なりとも軌道修正できたことが大きな収穫だと思います。

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現実から、目をそらすな。

 今年は過去最多の人数の受験生(21人)で、てんやわんやの一年でした。その中で、思うように結果が出せなかった受験生ももちろんいるものの、全体として必死に頑張り、納得のいく結果を出せた受験生が多かったように思います。その結果は僕が誇るべきものではなく、やはり一人一人の受験生の努力の結果であると思っています。
「そんな綺麗事を言っても、うちの子は一年間必死に努力しても志望校に合格できなかった。努力だけで何とかなるわけがなく、才能やその他環境の要因もあるのだ!」と言いたい方もいらっしゃるかもしれません。しかし、僕はそれこそ、東大理Ⅲや京大医でもない限り、努力をすれば、必ず合格できると思っています。ただ、その「努力」の内実こそが問題であるのです。
 さぼっている受験生や予備校や塾に通っているだけで勉強している気になっている受験生は論外としても、懸命に自分で努力しているつもりなのに力が伸びないときには、自分自身が勉強する努力にかまけて、自身を観察する努力をさぼっていないか、チェックすることが大切です。たとえば得意な教科ばかりに時間をかけて、苦手なところに目を背けて手つかずになっていないか、あるいは1つの教科の中でも得意な分野にばかり時間をかけて、苦手な分野をほったらかしにしていないか、などを絶えずチェックし、自分の勉強に偏りがないかどうかを気をつけながらやっていかねばなりません。「得意な教科(分野)で点さえとれれば十分合格点に達する!」という淡い期待が裏切られるのが一発勝負の受験であるからです。
 結局いくら長い時間勉強をすると言っても、自分の願望を事実とすり替え、「こうであってほしい!」を「こうに違いない!」と思いこんでいるようでは、やはり「努力をした」とは言えません。自分の中の身勝手な願望を疑い、検証し、受け入れたくない事実を直視した上で、足りないところを埋めていく、という姿勢こそが本当の努力であるわけです。それをしないで「毎日15時間勉強したのにだめだった!努力が足りないとは言わせない!」というのは、非常に甘えた態度でしょう。
 もちろん、そのように自らの状態を絶えずチェックし、苦手なことにも勇気を出して取り組む、という姿勢を自ずからできる受験生というのは、優秀だとされる受験生の中でも実は、ごく稀な存在です。たいていの受験生は自分が既に得意であるものをbrush upすることには熱心であるものの、苦手なものを丹念な努力で克服しようとすることにはなかなか取り組めずにいます。しかし、そこで彼ら彼女らの勉強する意志を自らのささやかな全能性の中にとじこもらせるのではなく、たえず足りないところを克服することへと向けさせていくことこそが、指導者の役割ではないでしょうか。(実際に今年の受験でも、今年の入試でも東大に合格した受験生は数学と理科が得意でしたが、英語と国語に関しても点を取れるように勉強していくことの必要性をよく分かり、苦手ながらも懸命にやっていました。今年は数学でも理科でも思ったようには点数をとることはできませんでしたが、国語と英語で予想以上にしっかりと点を取ることが出来、無事に合格できました。一橋大に合格した受験生は、数学の中でも整数問題が直前まで苦手でしたが、直前に整数問題が苦手なまま受験してはまずい!ということで整数問題を繰り返し様々な問題を解きました。その成果があって、本番では数学が難しかったものの、唯一完答できたのはその一番苦手な整数問題でした。)

 「人間は、ありのままの現実ではなく、自分が見たいような現実を見る。」ということが人間の本質的な傾向だとしても、そのようなごまかしは結局どこかで破綻するわけです。受験などはその破綻が「不合格」という形でまさに明らかになるわけですが、そのようにクリアな形で現れなくても、現実をごまかしたが故の破綻は、必ずや人間社会に取り返しの付かない部分として蓄積をしていくのだと、僕は思っています(もちろん、全ての不合格がごまかしの結果であるなどとは言えません。懸命に現実を見据えた努力を重ねても、届かないことは確かにあります。しかし、そのような姿勢からはその次の一手が生まれてくるのだと思います)。
 だからこそ、たとえば受験勉強という、期間限定の矮小な努力だとしても、その中で徹底的に現実を直視し、足りないところを埋めていく、という作業に集中して自己を鍛えることは、とても大切なことだと思います。そこすらごまかしの積み重ねで努力した気になっている人々には、解決するのがより困難な現代日本の抱える様々な諸課題を解決する力は、いや、そもそもその存在に気付く力すら、もちえないと確信するからです。

 努力をした気になって、自分をごまかしたまま受験をするのではなく、自らの足りないところを直視し、徹底的に鍛える一年を、受験生の皆さんとすごせるのは(もちろん非受験生の皆さんとであればなおさら)、大きな責任を感じざるを得ないと共に、この上ない喜びです。 そのような研鑽の場としての、嚮心塾に興味をもって参加していただけるとうれしいと思っております。            2012年3月10日 嚮心塾塾長 柳原浩紀

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