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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

予備校を信じすぎるな。

先に公開した巻頭言は、新高3生を対象に書いた文章ですが、それだけでは舌足らずだな、と思い、補足としてこの文章を書きます。合わせてお読みいただけると、有り難いです。

「先生を信じすぎるな!」と言いました。では、頼りになるのは塾や予備校でしょうか。それもまた難しいところです。なぜなら、塾や予備校は営利目的でやらざるを得ないからです。ただ、その当たり前のことを批判する前に、まずは塾や予備校を弁護してみましょう。

学校というのは、ある意味一人一人の先生が受験生の結果を出さなくても、学校の先生の評価に関わるところではありません。生徒の合否に先生の生死はかかってない、と言い換えればよいでしょうか。もちろん、進学に熱心かつ生き残りをかける一部の私立高校であれば、かなりえげつない話もよく耳にはしますが、しかし、だからといって「成績が上がらないからこの高校をやめる」というやめ方は少ないでしょう。これには、大学受験には高校卒業資格が必要であり、そして高校をやめた上でこの資格を高卒認定試験でとる、ということにはかなりわずらわしさが伴うという理由があります。
それに比べて、塾や予備校は文部科学省からの補助金もなく、全て自前で利益を出していかねばつぶれてしまうとので、どうしても営利目的にならざるを得ないわけです。もちろん、学校の先生がこのような事実をふまえずに、塾や予備校を「営利目的だ!」と非難するのは僕は浅薄だと思います。私立の学校でも文部科学省の補助金が生徒一人頭年間5万円出ている学校(生徒数1200人の高校で年間6000万円は自動的に入ってくるわけです。)と比べて、塾や予備校を「営利目的だ!」と言っても何の意味もないと思うからです。それを批判するなら、私立の学校も何なら公立の学校も文部科学省からの補助金を全て返納して、それでもなお学校経営が成り立つように努力して成立させた上で、「ほら、営利目的でない経営ができるではないか!」と批判をしないとフェアではないように思います。

 さらには大手の予備校に限って言えば、もはや社会的インフラとなっていると言えるでしょう。たとえば予備校の行う模擬試験やセンターリサーチがもしなくなったら、今のような受験生と大学とのマッチングはもっと暗中模索のものとなり、結果として他の大学に入る力はあるのにもかかわらず、高望みをして不合格になってしまう受験生が山ほどでることになります。そのような社会的損失を防ぐための装置として、予備校は民間企業として、本当に貢献しているといえるでしょう。現在のようにある程度効率の良い出願作戦を練ることができるのは、大学入試センターのおかげではなく、間違いなく予備校のおかげです。

しかし、塾や予備校には営利を求めるあまり陥りやすい決定的な構造上の欠陥があります。その一つ目は、とる講座の数によって料金が変わる、ということです。どのように天才的な先生の、すばらしい講義を毎日欠かさず聴こうとも、決してそれだけでは勉強の力はつきません。自分に何が足りないかを悩み、考え抜くことで勉強の力もまた伸びていくからです。それこそ、「知らない知識を知っていく」だけであれば、多少の効率の差はあれ、本人の努力でまかなえるところであるわけです。しかし、予備校ではまずそのような努力が必要な生徒達には「入門講座」を勧めます。講義をとってもらうことで収入を得ている以上、彼らもまたついついそのようにせざるをえないわけです。結果として、「授業をまじめに聞いている」ことに満足し、月々高いお金を払うものの、結局何も力がついていない受験生が増えるということになってしまいます。
もちろん、「○○講座以上なら、いくつ講座をとっても同一金額!」というシステムを採用する予備校もあります。しかし、これも明らかに問題があります。一つは、携帯料金のパケホーダイとは違って、予備校の講義は一つ一つを用意するのに正比例して講師の人件費その他の経費が確実に増えているわけです。携帯でのデータ受送信量が増えることがそのシステム整備にかかる費用と正比例しないのとはわけが違います。それでも「いくつ講座をとっても同一金額!」が可能なのは、一講座辺りの受講費用を元々かなり高く設定しているからでしょう。

次に予備校の問題点として、一人一人の勉強の進み具合を把握して、的確なアドバイスをする、ということが
できる人が少ないこともあります。これは学校と同じですね。ただ、こうした欠点を補うために、チューター制度を導入している予備校は多いでしょうが、これはこれで問題です。まず問題の一つ目は、受験の計画や相談を受けるチューターは実際に隅々までその受験生に勉強を教えていないが為に、どうしても一般論、もっと狭くは自分の体験談になりがちである、という欠点があります。また、さらには、このチューター制度を売り物にするのは難しい(たとえばどんなに優秀で熱意のあるチューターがいても、チューターとだけ話し合って勉強していき講義をとらなくなると、予備校はもうからなくなります。)ので、チューターとしてもできる限り受験生に講座を取らせなければならなくなるわけです(もちろん、ここに先の欠点である、チューターが直接は勉強を教えていない、という不安感がさらにこの商業主義に正当化を与えます。チューターとしては、一人一人の生徒の勉強上の問題点を自分では解決できていないという不安感を、「その子のレベルに合った」講義を受講させて何とか乗り越えようとさせることで、自分の良心と予備校の圧力とを両方とも満たすことができるわけです。しかし、それはチューターの自己満足であり、本当にそのやり方で、その受験生が合格できるかは別問題であるわけです)。

予備校の収益構造が講義に頼っている以上、やはり受験生の力を鍛えることと予備校が存続することとは必ずギャップが生まれてしまう。そのことを私たちは認識しなければならないと思います。そして、それは予備校だけの罪ではありません。端的に言えば、受験生の側の甘さという名のニーズに、予備校側が合わせてきた結果であると思います。
 英単語や古文単語を覚えること、教科書レベルの知識の確認、さらにはそのレベルでの問題集を解くこと、その部分での努力を一人でできないことを、全ての受験生は恥ずかしいと思わねばなりません。もちろん、その情けなさを自分で認めてそこから始めて頑張りたい、というのであれば、嚮心塾でも是非応援し、一緒に頑張りたいと思っています。しかし、その努力を自分でできない弱さを、お金を払うことで他の大人に何とかしてもらおうと思うのなら、そもそも大学受験などしなければよい。そこに自分の弱さに対する恥ずかしさも感じずに、誰かにお金を払って何とかしてもらおう、という姿勢に沿って、予備校業界のサービスが発達してしまっているわけです。僕は、そのような予備校にお金を払わないでほしい、とまず親御さんたちには言いたいと思っています。自分の子どもが自分で頑張りもせずに、親が予備校にお金さえかければ大学に進学できると思ったら、大間違いです。そのような浪費は、決して子ども達のためになりません。

もちろん、そうはいっても、ほとんどの人にとって、一人でする受験勉強には限界があります。だからこそ、嚮心塾はそのような「頑張りたい」と思ってもそのやり方がわからない人たち、あるいは実際に懸命に頑張っているけれどもなかなか結果に恵まれない人たちの力になりたいと考えています。

(追記)
僕はもちろん、「予備校は講義だけやれ!チューター制度なんかいらない!」と言っているのではなく、むしろせっかくよい制度を用意しているのに、旧来の収益構造と、チューター制度を大学生に任せるという軽視、受験生のニーズという名の甘え、などの理由から、うまく機能していないことを残念に思っています。たとえばケンブリッジで教えている友人から聞いた話では、ケンブリッジ大学でもlecturer(講師)とtutor(個別指導教員)を分けていて、それぞれ前者が世界トップレベルの講義を、後者が学生達のその徹底的な理解を助ける、という役割分担をしているそうです。そういう意味では日本の予備校も形式は似ています。ただ、ケンブリッジの場合、tutorになる先生方もまた、トップレベルのきわめて優秀な先生方も多く、しかもその先生方が継続的に学生を教育していくわけです。さらにはそのlecturerとtutorが、お互いがお互いの役割と各々の重要性を深く理解し、尊敬しあえる関係であるのだと聞いています。(注:CambridgeとOxfordが同じシステムでこのシステムを総称してTutorial Systemと言うらしいのですが、Cambridgeではこうしたシステムをsupervision,先生をsupervisorと呼び、Oxfordではシステムをtutorial,先生をtutorと呼ぶそうです。なので、厳密にはここではsupervisorになるわけですが、日本の予備校と比べやすいので、これ以降もtutorと書かせていただきます。これもご指摘ありがとうございます。)

翻って日本の予備校に足りないのは、チューター(tutor)がプロフェッショナルでないこと、講師(lecturer)がチューターと全面的な協力体制にないこと(講師とチューターで一人一人の学生をどう鍛えていくかについての議論などおそらくできていないでしょう)であると思います(もちろん、予備校の講師が日本トップレベルの研究者ではない、という欠点もごく一部の例外となる先生を除いてはあるわけですが。これはまた長くなりますので、別の機会に書きたいと思います。)。

もちろん、あちらで数百年かけて生まれた伝統と同じようなものを、すぐに日本でも、というのは難しいでしょうし、形だけをまねしても違うものになるのは、上のように見てきたとおりです。しかし、制度として確立するのが難しくても、1つのやり方として、僕は、一人の教師がlecturerとtutorを兼ねる、ということは大切だと思っています。それが全ての基本であり、始まりです。そして、それはlecurerとtutorの協力が価値のある制度として評価され、既に成り立っているあちらにも、何らかの形でフィードバックをもたらすことができるものであるとも、また考えています。(僕自身は、どちらかというとlecturerよりはtutorの方にとても自分の関心が強いので、本当はそちらに専念したいのですが。「この人と役割分担をしたらケンブリッジにも負けない体制を築ける!」と信頼できるlecturerの方と共に仕事ができるその日まで、物理でも数学でも勉強しなくては、と思っています。)

(追記その2)
と紹介したら、先ほどその友人からメールをいただいて、「ほとんどのlecturerやprofessorは、tutorも兼ねていて、仕事・役割としては分担されているけど、人間はオーバーラップしている。」と教えていただきました。有り難うございます。感服しました。さすがはケンブリッジ!もう既に嚮心塾方式を遙か前から導入していたとは!(何だかすみません。僕もlectureできるように、勉強頑張ります。)

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受験を振り返って2011(2011年度版合格体験記です)

今年度の受験生(+在塾生)に自分の受験や塾のことを振り返った感想文を頂きましたのでご紹介致します。また、届き次第、順次ご紹介いたします。(3月10日現在)

☆Y・K(大学受験生)大阪大学医学部医学科合格
自分の受験生活をふりかえってみると、とてもこの一年間の話だけでは語り尽くせないものなのだが、まずはこの一年間どのように過ごしたかを書きたいと思う。
 高校生という身分が終わり、浪人生という社会的な身分としてはとても立派なものではないが、そんなことを気にせずこの一年間を勉強だけに集中させてもらえたのは親と嚮心塾の先生のおかげであると思う。今では、この環境がとてもよかったと感謝している。浪人が決まってすぐは、浪人の息子に対して生活費を出す親の気持ちを考えると一分一秒も惜しんで勉強しなくてはならないとは考えていた。しかし、卒業から一ヶ月も経って次第にその気持ちを忘れ、朝起きられずに昼から塾に行くような生活になり、しまいには昼夜逆転し、塾へ行く回数も減っていく始末だった。そのような生活リズムが夏まで続いた。そして8月頃のある日、先生から、「これからは2日に一回は来なさい。」と言われてその言葉を守っていると、自分だけで勉強するよりはるかに多くのことを学べていることに気がついた。先生に質問をすると多くのことを学べるなんてことは高校生のときから分かっていたが、先生に会う頻度が高い方がより良いということに、このとき気がついたのだ。それからは、病気になったり用事がある日以外は毎日朝から晩まで塾で勉強をした。そして、朝の8:30までに塾に来られない日が2日続いたら丸坊主にすることを先生に誓い、坊主にならないために苦手だった早起きの練習をした。この塾にも朝は苦手だという風に自分に言い訳をして、寝坊してくる生徒は多い。自分もその一人であったが、この誓いを立てて、朝起きられるかどうかは自分の意志の問題であるとわかった。それと同時に早起きできないような意志の弱い奴は最難関校を受かるレベルには到底及ばないことを悟った。
 しかし、この夏までに効率が悪いなりにも勉強はしてきたので模試の結果はかなり良いものになるだろうと期待していた。しかし、夏の最後の模試はひどい結果で返ってきた。この当時はまだ東北大医学部を目指していたが、東北大はおろか、その他の志望していたほとんどの医学部の合格可能性は最低のEランク、つまり実質的に合格可能性0という結果であった。そして、このときの結果と自分の実力を考えてこんなはずはないと思ったが、さすがに不安になり、親も目標を下げた方が良いと提案してきた。しかし、この結果を見て、どのような失敗をしたか先生と丁寧に反省していったところ、自分の致命的な習慣があることがわかったのだ。それはある程度実力がついたから模試で単に満点を目指そうとしていたことである。つまり、どんなに難しい問題が出てきても、それを真っ正面から受け止めて、簡単な問題を解かずにいたのだ。先生は「満点を取る奴は、初めから満点を取るつもりでやるのではなく、1点でも多く取ろうとしてやった結果、満点を取るのである。」と教えてくれたが、そんなことを意識して問題を解いたことはなかった。
 そしてもう一つ教えてもらったのは、「100回やっても100回とも良い点を取る奴のほとんどは、どんなに時間がきつい試験でも、時間を余らせるような時間配分で解いている。」ことである。この二つの他にも、先生と相談してこうしよう、ああしようということを教科ごとに決めた。こうして反省しきった後の東北大模試では化学は1位、他の教科も見違える程よくなり、数学の採点ミスが無ければtop30に入ったかもしれなかった。
 しかし、10月になって先生が物理が苦手(本当に難しい質問には答えられない程度なのだが)なことに嫌気がさし、先生に「物理をもう少し勉強した方が良いのではないか?」と提案したのだが、そのときの先生は様々なことに悩んでいてタイミングが悪かったために、不機嫌になって、その日帰るときにいつもの「それじゃあね」を言わずに帰ってしまった。今までどんなことでも自分が足りないと思ったことに対して努力を惜しむことなく教えてくれたのに、その先生自身がその努力を惜しんでいる風に感じ、悲しみと同時に怒りを覚えた。それから一ヶ月は先生が「物理の勉強」をしっかりする時間を作ってあげるために一切質問をやめ、会話も最小限しかしなかった。この時は、「俺が質問しなければ、物理を勉強する時間くらい作れるだろ!」と怒りながら、その一方で、今までしていた多量の質問が出来なくなったことで先生に頼らないで自分だけの力で勉強するという覚悟をした。その1ヶ月間を自分だけで徹底的に足りないところを探して、その解決策を探し、参考書も自分だけの力で探しいいものを見つけた。先生とは討論することは何度もあっても、このような形で先生から自立しようとしたことは一度も無かったが、先生を100%信頼するだけでなく、自分の力でも自分の足りないところを見つけようとする大切さを学んだ。
 そして、11月になって慶應医学部に本気で入りたいという思いが強くなってきて、慶医に受かるため、計画を自分だけで綿密に練り上げたが、やはりこの計画だけは失敗できないと思い、一ヶ月の沈黙を破り、先生にこの計画で良いか相談した。その前の1ヶ月は自分だけでひたすら不安を持ちつつ突き進んできたので、先生と計画を相談し終わった後は、心からその計画をやれば受かるという確信を持てた。
 12月になり、いよいよセンター試験の準備を始める時期になり、周りの高校生も冬休みで塾に朝から来るようになった。そんなときに、一人の高校2年生の生徒が「塾始まる前から塾を開けてくれるなら、自分も朝から勉強したい。」と言い出したので、とりあえず朝8:30から塾を開けることになった(先生から塾の鍵を借りていたので)。その子は、朝が得意なタイプで、後から聞いたのだが、毎日朝4時から勉強しているというのだ。その子にあわせるために、苦手な朝もしっかり起きるようにして寝坊もすることなく朝8:30から夜の10:30まで勉強をする生活が始まった。ただ、もっともその子に驚かされたことは、その子は塾で一睡もしなかったことである。姿勢もめったに崩すこともなく、ただひたすら机に向かって勉強していたのだ。その子は高2にして『数ⅠAⅡBスタンダード演習』、『数ⅢCスタンダード演習』(ともに東京出版)というレベルの高い参考書を終わらせ、学校の模試の偏差値は100を超えたこともあるというのだ。その子に、「そんなに勉強してたら東大でも京大でも受かるね。」と言ったら、「そしたら僕の学校の子はみんなそうですよ。」と言うのである。自分が卒業した西武文理という学校は、全く進学校ではなかったので(周りの友達が極端だったのかもしれないが)、テスト一週間前に勉強を始める奴は「ガリ勉君」の異名を与えられるような雰囲気だったので、高1から少しずつ勉強を始めただけの自分ですら、あの学校の中では勉強している方だとされて、自分でも、自分はかなり勉強している方だと思いこんでいた。その高2の子にその話を聞いてから、自分の愚かさを悟った。もし高校生の時にそんな奴と会っていたら、今の自分はもっと出来る奴になっていたと思った。
 そのような衝撃を受けてから1月になり本格的にセンター試験の勉強に集中し始めたが、1月1日から2週間は誰よりも勉強した自信がある。勉強時間もかなり多い方だと思うが、センター試験2週間前という適度な緊張感のおかげで集中力が異常に高まり、密度の濃い勉強が出来た。
 センター試験が終わり、採点した結果総合で92%とれていた。実はこの中で一番失敗したのは英語で、自信のあったリスニングもまさかの34点で、センターリスニングを甘く見ていたことを反省した。まさかリスニングでこけると思っていなかったが、そのまさかを常に考えていくことの重要さを実感した。しかし、その得点は東北大医学部はもちろんのこと、後期の医学部もおさえられる点数であったので、とりあえず成功ということにした。このときは先生も自分も東北でいいと思っていたので、親もかなり早めに志願書を郵便局に届けた。その次の日、ある受験生がセンターの点数が悪かったので、阪大医学部をあきらめるという話をしていたので、先生に「自分の点数で阪大を目指すと、どういう判定がでますか?」と聞いたところ、点数的には問題はないという。国公立で二次試験に国語のない医学部の中で最も難しい大阪大学の医学部は昔から少し興味を持っていたので、今から阪大に変えようと相談したところ、「後期のおさえがしっかりしているから、前期でチャレンジしても面白いかもしれない。」というので、親にそのことを話したら、「もう志願書出しちゃったよ!なんでもっと早く相談しなかったの?」と激怒されて、もう無理かとあきらめていたが、親が郵便局に電話して、なんとかその志願書を取り戻してくれた。しかし、そうはいっても阪大は難しいので、過去問をやってどれぐらい点数がとれるか見てみると、かなり相性が良く合格点を超えた点数もとれたので、前期を阪大で出すことに決めた。そのときから阪大までの1ヶ月は鬼のように勉強した。何しろ、この1年で大阪大学の過去問なんてほとんどやったことがなかったので、どのような傾向の問題が出るのか全くわかっていなかったので、ひたすら過去問研究をした。慈恵も慶医もそっちのけで、阪大の過去問を解いた。そのためか、慈恵も慶医も落ちてしまった。そして阪大の2日前、ある衝撃的なことに気付いてしまった。それは…秘密です。100回受けたら100回受かる人の核となる考え方に気付いてしまった。先生にこのことを言ったら、「ようやく君もそのレベルまで来たか。」と言っていたが、試験の二日前で、もう今更だよなんて思っていた。そして試験当日、数学、英語、理科の順番であったが、その数学の出来は最悪で、いつもなら最低3つは完答できるのが、一つしか完答できず、その上1つはほぼ空欄、他の3つは(1)ぐらいしかまともに解けなかった。しかし、この1年間鍛えてきたという自信のおかげで、「自分がこんなにわからないのだから、他の受験生も苦しんでいるはずだ。」と思って試験中も動揺することなく解ききった。ただ数学が悪かった分、英語取りかで取り返そうと思っていたが、まさかのその2科目ともいつもより難しく、さすがに落ちたかもしれないと思った。
 その日の試験が全て終わった後、先生に電話をして、「あまりにも結果が悪かったので、次の日の面接休んでいいかな?」なんて冗談を言ったら、「他の受験生も今年の試験は難しかったと言っていたので、面接で取り返すつもりでやれ!」と励まされた。
 その日までは忙しすぎて面接の練習や話す内容もあまり決めてなかったので、その日中に先生と話し合って良い内容を作り上げた。次の日の面接はそのおかげで何とか乗り切ったが、その日から合格発表の日までは気持ちが落ち着かず、後期に向けても集中できなかったので塾に何の音沙汰もなく、1週間ほど遊んでいた。
 そして発表の前日、ようやく塾に行って、後期の勉強を始めて、先生と面接で話す内容もじっくり考えて、次の日を迎えた。発表は朝9:00から。先生は朝10:00に塾に来るというので、塾で一緒に見るのかと思って、それまでは見ないようにして10:00に塾についてドアを開けた瞬間、「受かってた!!おめでとう!!」と先生が言ったので、思わず「よっしゃー!!」と叫んでしまった。それから先生とがっちりと握手を交わし、改めて受験票の受験番号と間違いがないかどうかを見て、ネットで発表された合格者の番号と一致していることを確認し、再び叫んだ。しかし、それでも自分が阪大医学部に受かっていることの実感がわかずにいたが、次の日合格通知が来て、それを見たとき、自分が合格したことを心から感じた。


 この一年だけを振り返ると、自分が優等生であるように聞こえてしまうが、自分はもともと天才とかそういった類の人間ではなく、平凡な子どもだった。小4の時、まだ先生が家庭教師をしていた頃に先生と出会って、中学受験の面倒を見てもらった。第1志望は海城中学校だったが、あの当時の自分の学力でここを目指しているなんて言ったら周りの人たちに笑われるような学力しかなく、結局合格したのは西武学園文理中学校だけであった。
 合格したと言っても、本当にまぐれで入れたようなものである。というのは、本当にゲームが好きで、休みの日なんか朝からずっとゲームをやり続けて、塾や先生の授業が終わると自分一人で勉強する事なんてほとんどなかったからである。中学に入ってもそのような生活は変わらず、成績は毎回35人中25番くらいしかとれなかった。そして、中2でモンスターハンターと出会った。今となってはPSPのゲームとしてブレイクしているが、これは元々PS2のゲームで、特殊な機械を買ってネットにつなぐことによって多くの人とゲームができるシステムで、中2ながらネットゲームの面白さに惹かれてひたすらのめり込んでいった。こんなことを言うと気持ち悪がられると思うが、親とお墓参りに行った時に、ゲームの中のレアアイテムが出ますようにとお願いをするほど、このゲームに対して中毒になっていた。中2の3学期くらいにPSPでモンスターハンターが出て、クラス中にそれを流行らせて友達と遊びまくった。幾度となく学校の近くの友達の家でお泊まり会を開いてモンハンをやり、次の日の学校に寝坊していくこともあった。こんなエピソードもある。学校の試験2日前にモンハンが発売するという時に、さすがに周りの友達は買うのを控えたが、自分はその日中に買い、試験があるにもかかわらず、その2日間で20時間も遊んでいた。しかし、このときの試験の結果はさんざんなものになると友達からは予想されていたが、実際は数学のテストで90点近く取ることができた。もちろん、英語や世界史などの暗記教科はボロボロだったが、試験前日は自分の好きな教科の数学だけは徹夜で勉強したので良い点が取れた。このときの友達はみんな「こいつは天才だ!」と騒いだので、すごく気持ちよく、短時間の勉強で結果を出すことの楽しみを知った。それからというものの、基本的に試験の一日前でどれくらい点数をとれるかということに挑戦した。さらに、このやり方でいい点がとれるならギリギリまでゲームができるという気持ちもあった。しかし、試験はそんなに甘くなく、数学はそのやり方で暮らす1位もとれたが、他の教科はてんでダメだった。中3は他の教科はクラスの中でもビリの方だったが、数学のおかげでなんとかクラス順位は10番~15番にのることができた。もちろん、それでもゲーマーであり、行きや帰りの電車の中でも友達とゲームをしたし、放課後友達とマックでモンハンをやるなんてことは頻繁にあったことである。
この頃は、学校から帰った後、塾(このときには嚮心塾ができていた)に行くのも面倒になり、3ヶ月くらい休塾させてもらった。休みの日はゲームをしてばかりで、ほとんど本も読まず勉強もしなかった。父親はゲームしすぎると怒るが、母親は健康に悪いからやりすぎるなとは言うものの、ゲームを没収して勉強を強要することもしなかった。先生も注意はするものの、そんなに厳しくは叱らなかったが、小4から教えてもらっているので、この先生がどんなに自分に厳しく努力してきた人なのか知っているので、そんな先生の存在がどこかでゲームをやっているときに、自分が腐っていくのを感じさせていた。そのせいか高1になると、しっかり塾に通おうと思い、しっかりと勉強の計画を立て、目標を立てようと思った。そして、目標は何が良いか考えていた時に、今まで自分を見下してきた奴らにぎゃふんと言わせてやろうと思い、西武文理の中で歴代トップレベルの大学に受かることを思いつき、東京医科歯科大学に合格することを目標にした。
 それからはそれなりに勉強をするようになり、無理なくクラスで10位以内、数学と英語は1位を独占するようになっていった。しかし、高2で再びモンハンの新しいのをやり始めたので、学校の成績はクラス3位以内には入っていたものの、受験勉強はおろそかになっていた。昔ほどやりまくることはなかったが、たまに塾をさぼって友達と遊ぶこともあった。
 そして、高3になり、さすがにゲームはやめて、受験勉強を本格的にやり始めたが、その頃には勉強しなくても学校の試験なら1位をとれるくらいには実力がついていたが、それでも東京医科歯科大なんて、夢のまた夢、という状況だった。しかし、何のために勉強するのかまだわからない状態で、勉強一筋という生き方をしたくないという思いから、学校の友達と仲良くしたり、文化祭に全力で参加したりと、好きなようにすごした。その結果、センターで失敗し、前期、後期もダメで、慶應の理工すら落ちる、というさんざんな結果で終わった。自分でもそんな状態からよく1年で阪大医学部に合格できたもんだな、と思う。

ただ、受験生活を終えて一番深く感じたことは、何のために勉強するかなんて結局わからないままだ、ということだ。何のために勉強するかということがわからず、勉強しないで遊んでいる人は多いが、それでも頑張って何かに向かって突き進むことが自分を鍛えることになると知ってほしい。


☆U・R(大学受験生)京都大学理学部理学科合格
受験勉強の意味とは何か。もちろん、良い大学に入り、良い職に就くことでありますが、『古文・漢文』が将来役に立たない、『数学』の公式は覚える意味がない、と思ってしまうこともあります。受験勉強で身につくのは知識ですが、身につけるのは考え方。試験時に問題を深々と考えている暇なんてありません。人生においての、重大な選択も選ぶ時間なんてそんなにないのではないかと思います。ではどうすればいいのかといえば、普段から考え、誰もが納得する正解でなくとも、自分なりに理解しておくことだと思いました。そういう意味が受験勉強にはあるのだと思います。
 でもわからないことなんてざらにあります。大学受験は終わりましたが高校の範囲でも半分理解できていないことが多々あります。とても悔しいです。大学に入っても、わかる努力をやめたくはないです。
 わかる努力は普段から考えることだと思いますが、何事にもきっかけが必要です。何かといえば、この塾に来てみてください。自分がいかに考えなく生きているかがわかると思います。実体験です。それで落ち込まないで逆に糧にして頑張ってください。

☆T・S(高校受験生)東亜学園高校合格
僕はほとんど自ら家で勉強する性格ではなかったので、時間に縛られず気軽に通う事の出来るこの塾は、自分にとって非常に良い環境になっています。
僕は最終的に推薦入試という形で高校が決まったのですが、僕が推薦入試を受けると決めるまでは先生がしっかりと一般入試に向けた計画を立て、課題を出してくれました。また、僕がそう決めた後は、一転して毎日推薦入試に向けた作文や面接の練習をしてくれました。
そして、この嚮心塾で最も魅力的なのは、先生が学校の授業や入試についての知識だけでなく、聞いておけば将来ためになるようないろいろな事を教えてくれるところです。僕は嚮心塾以外の塾に通った事がないのでハッキリとはわかりません、駅前で良く見かける有名な塾などではそのような事は教えてくれないと思います。
 この塾には「絶対合格!!」というような厳しい雰囲気がないので、そういった空気が苦手な人、時間に縛られるのが嫌いな人、自分で勉強の管理が出来ない人(この塾に入る前は実際僕がそうでした。)にはうってつけの塾だと思います。先生もユーモアがあってとてもおもしろい人です。ぜひ来てください。

☆O・K(高校受験生)錦城学園高校合格
僕が入塾してから受験のまじめな話をするまでは、あまり信じていませんでした。学校生活にいろいろな事があり、人を信用できなくなっていました。そんな感じで三年生になりました。部活にあけくれ、勉強などしない日もあったと思います。そして夏休みに入り、少し受験に向けて心が動き、勉強を頑張るようになりました。
 しかし、結果が出ず諦めてしまいました。そんな時、先生の話を聞いてまたやるようになりました。しかし、結果は出ませんでした。そして、そのたびに諦めて勉強をしなくなってしまいました。そして「(勉強を)やっても結果は出ない。だから、やる必要がない。」と自分で勝手にそう思いこんでしまいました。それが1月まで続きました。1月の終わりに先生と親とで三者面談をしました。そして親とも何度も話しました。そして、1月の終わりから受験まではまじめにやろうと思いました。先生のことを信用して、最後まで諦めず勉強しました。
 結果は行きたかった学校には入学できませんでした。しかし、最後まで努力したことには後悔していません。この塾で学んだことは、最後まで諦めずにやり抜くことです。そして将来の夢も持つことができました。夢は体育教師になることです。これからこの塾で学んだ事を活かして、この夢に向かって頑張っていこうと思います。僕はこの一年間、何度も諦めてしまいましたが、受験が終わってからは。もったいない事をしたと思いました。これから僕のように諦めてしまい、勉強やいろいろな事から逃げてしまいたいと思うかもしれません。そんな時でも前へ一歩踏み出す勇気があれば、必ず結果は出てきます。だから、諦めず頑張ってください。

☆T・H(在塾生)
こんにちはー。
この塾には個性豊かな人たちが沢山います。
静かで、勉強がしたい!という人から、私のような、あまり勉強が好きではないおふざけキャラのような人など、本当に色々います。
又、塾にいる間、先生がポロリポロリとこぼす豆知識。4月~8月など、ある意味ゆったりとした時は、たっぷり先生のギャグがとぶこともあります。
やるべきことはちゃんとやり、休憩するスペース(ソファと沢山の本❤)もあります。
さらに!!
先生はONE PIECEにとてもくわしいです。ですから、ONE PIECEファンにはもってこいです!
生徒一人一人に計画があり、苦手なところや性格をつかみ、じっくり教えてもらえます。
ぜひ来てください。

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2011年度合格実績(3月10日現在)

                    2011年度入試結果        (3月10日現在)
<大学入試>
(国公立大学)
大阪大学医学部医学科              1名(進学先)
京都大学理学部理学科              1名(進学先)
(私立大学)
東京慈恵会医科大学医学部(1次試験合格)    1名
慶應義塾大学理工学部              1名
東京理科大学理学部               1名
明治薬科大学薬学部(特待A合格)       1名
学習院大学法学部                1名
専修大学法学部                 1名
拓殖大学工学部                 1名

<高校入試>
(私立)
東亜学園高校                 1名(進学先)
錦城学園高校                 2名(進学先)




大学受験生10名(うち国公立受験者5名)、高校受験生3名、中学受験生1名での結果です。(合格校の右の人数は延べ人数です。)どの受験生の、どの結果に対しても、彼ら彼女らが一年間苦しみ抜いて頑張った結果ですので、合格も不合格もその全てを誇りに思っています。

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先生を信じすぎるな。

今年度は、(中・高・大の)受験生が過去最多であったため、てんてこまいで、3ヶ月に一度書き換えるこのパンフレットも、ほぼ半年間放置してしまい、本当に申し訳ありませんでした。

さて、この時期に現高2、新高校3年生が学校の先生に最もよく言われる言葉として、「塾や予備校に行くな。毎年、学校の勉強を頑張っている受験生が合格する。逆に、塾や予備校に通って、学校をバカにしてる子は落ちている。」があります。実際にこの言葉を信じて、次の一年を学校と自分の力だけで勉強しようとしていらっしゃる新受験生の人も多くいると思いますが、僕はこの言葉をうかつに信じてはならないと考えております。

なぜそう思うのかと言えば、まず高校の担任の先生が自分のクラスの生徒一人一人の受験勉強の進み具合を正確に把握することなど、ほぼ出来ていないであろう、という理由からです。自分が教えている科目一つについてだけでも、生徒一人一人、たとえば1クラス40人だとしてその40人のそれぞれについて、○○さんはどこが得意でどこが苦手か、だからその苦手な部分をどのようにつぶしていくか、ということを全員について把握できている先生はきわめて稀なのではないでしょうか。ましてや、受験とは最低でも3教科、国公立であれば5教科以上の勉強の完成度のバランスが非常に重要なわけです。自分の担当している科目ですら、一人一人完璧には把握できていない先生方が、さらに他の科目とのかねあいを考えながら、どのように受験生に正確なアドバイスが出来るのかは、きわめて疑問です(たとえば、数学が好きで、数学ばかり頑張って力がついている子に対して数学の先生は「これはすごい!この子は合格するな。」と思ってしまうことが多いのではないでしょうか。しかし、「誰にも負けない無敵の数学力」をつけたくても、一般に難しい大学ほど数学の合格ラインが低いものです。なので、数学をそのレベルまで到達させる努力を、他の教科(英語・理科)に向けて鍛える方が遙かに合格する可能性は上がるわけです。もちろん合格だけが全てではありませんが、しかし、大人はそのような目の前のものに集中したがる子ども達の視野の狭さを広げてあげる役割をしなければならないと思います)。その意味で、一人一人の各科目の勉強の進み具合をトータルでチェックしてくれて、相談に乗ってくれる大人がいることは、受験生にとってはかけがえのない機会ではないでしょうか。しかし残念ながら、それをできる高校の先生はかなり稀な存在であると僕には思えます(僕はそのように受験生の全教科について把握しようとしている高校の先生の話を寡聞にしてまだ聞いたことがありません)。
もちろん、そのようなことを本当にやろうとすれば、先生方にとっても、かなりきつい作業になることは確かです。嚮心塾では実際に勉強を教えるだけでなく、僕が受験生一人一人の勉強の進み具合をその子に必要なすべての教科に渡って把握し、相談やアドバイスをしております。それを今年度は大学受験生12人に対して行ったわけですが、本当に大変な一年間でした。これを40人に対して出来るか、と言われれば、全教科それなりには勉強している僕でも、まだ自信が無いところです。ましてや、一つの教科だけを教える高校の先生方にできるとは思えません。
 そして、理由の二つ目は、「そんなこと言っても、学校の勉強だけで合格している受験生は毎年出ている!」と学校の先生方がおっしゃるときのその「具体例」としてあげられる受験生はきわめて特殊な「例」だということが挙げられます。学校の授業だけ受けていても、その予習復習を徹底的にこなし、さらにはわからないところは徹底的に調べ、そしてそれでも足りないところは問題集や参考書で勉強し、わからないところは学校の先生に聞けば、確かに東大・京大でも合格できます。しかし、それを実際にこなせる受験生が一体何%いるのでしょうか。多くの受験生はそこまで勉強のやり方がわからないでいます。どこまで徹底したらよいのか。逆にどこまでスピードを上げたらよいのか。どの部分はさらっとやる方が良くて、どの部分はしっかりとやらなければならないのか。これらを自分で分析をしてできる受験生というのは、ごく一部のきわめて優秀な、自分でもう既に勉強のやり方を鍛えてきている子達です。その子達が学校の授業だけで事足りているから、「みんな学校の授業さえきちんとやっていれば合格できる!」と先生が強弁するのは論理の飛躍でしょう。その、「きちんと」をどこまでやればよいのかがよくわからないのが、大多数の受験生であるわけですから。本来学校の先生が「塾や予備校に頼らずとも、学校の勉強をしっかりやっていれば、必ず合格できる!」というのであれば、それを信じて勉強をしてきた子達の進路調査をして、本当にそれができているかをご自身でチェックするべきでしょう。一人二人の優秀な子を見て生じる、自分の願望も交えた印象論のせいで、毎年毎年多数の新たな受験生が受験に失敗することについては何とかしなければならないと思います。

きつい口調になりました。しかし、これは声を大にして言わねばならないと思うぐらい、このような誤った指導で、しっかりと実力のつかないまま受験生としての一年を終わらせてしまう高校生が毎年山ほどいるのです。その子達の人生にとっても、あるいは本来様々な可能性のあるはずである若い世代がそのような先生方の貧困な思いこみの犠牲になるのをこの社会の一員として、何とかしていきたい。そのように切に願っております。(学校の先生がもし「塾や予備校は営利目的だ(もちろん、そのような塾や予備校が多いことは確かです)。学校の授業だけで合格できる!」と断言するのなら、自分の受け持ちの生徒の指導や、指導が無理なら少なくともその生徒にとって必要な全教科の勉強の進み具合や現時点での課題などを一年間しっかりと把握し続けて、指導していただきたい。それをしないで、「学校の授業だけで合格できる!」と言い張るのは、僕には無責任な態度にしか思えません。)

その上で、そのような「何となく勉強する」という一年ではなく、必死に勉強する一年を過ごしたい受験生は是非、嚮心塾に来ていただきたいと思っております。「やる気はあるけど勉強のやり方がわからない」という方とこそ、徹底的に自己を鍛える一年をともに過ごせるとうれしいです。
根拠のない学校の先生の意見に左右されたり、決まり切った予備校のサービスを享受するのではなく、自分の頭と手で勉強の仕方を作り上げていきませんか。そのために、嚮心塾は全力でサポートをしたいと思っております。
その上で、徹底的に勉強を重ねてきた受験生は僕のアドバイスに対しても、「そのやり方は一般的にはよいが、もうちょっと自分はこうした方がよいのではないか。」と疑問を差し挟んでくれるようになります。そのようになってくると、自分で勉強のやり方を鍛え、本当に素晴らしい実力がついてきたと言えるでしょう。その意味でも、その「先生」が仮に僕であったとしても、「先生を信じすぎるな。」と僕は言いたいと思っております(もちろん、自分が初学者であるのにもかかわらず勉強のやり方に文句を言うのはあまり生産的ではないこともつけ加えておきますが。しかし、そのように疑問をもつことは大歓迎です。)。
2011年3月3日 嚮心塾塾長

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