
学習塾をやっていると、自らの力の足りなさ故に、塾生の子が何かをしっかりと頑張り通す姿勢を身につけることなく、挫折していくという悲しみを味わうこともあります。よく、医師について、「何人殺した(と思える)かが、良い医師の証だ。」などと言われますが、僕もまた、その言葉と同じように、そのような挫折を自分のものとして感じ、それを本人のせいや親御さんのせいにするのではなく、自分自身のせいととらえることで、僕自身がさらなる力をつけ、同じような失敗を次は防ぎたいと思うことが何よりも大切だと考えています。現にそのように振る舞い、たとえば塾を開いてからのこの5年の間でも、少しずつ力はついてきたと思っています。しかし、唯一、このような子供達の挫折をそのせいにしたいと僕が強く思うものが、テレビゲームとゲーム会社です。
未成年の薬物摂取や飲酒、禁煙についてこれほどまでに厳しい日本の社会が、ゲームに関してはほぼ野放しに子供達に買い与えられる/子供達が買えるようになっているというのは、僕は非常に恐ろしい片手落ちであると考えています。現にたばこの広告については、欧米のまねをして、ようやく規制がされてきましたが、テレビゲーム、携帯ゲーム機についての広告の規制など、まったくありません。それが、どれほどまでに恐ろしい現状を生み出しているのかを、小学生以上のお子さんをお持ちのご家庭であれば、よくご存じであると思います。
しかし、自分のお子さんのゲーム漬けの現状に眉をひそめる親御さんも、それが少年時代という過渡期の一過性のものであると考え、あるいは、同級生がみなそのような状況である中で自分の子供だけゲームをやめさせて仲間はずれになったらかわいそうだと考え、厳しくやめさせることはできていないのが大多数であると思います。しかし、このような対応を僕は実際に子供達に接して彼らの意見を聞いている者として、非常に危険な対応であると思わざるを得ません。なぜなら、ゲームをしない大人達はあまりにも今のゲームについて知識がなさ過ぎるからです。
まず、現在人気のゲームはたいてい「クリア」という概念がきわめて希薄になってきています。大筋のストーリーの中で「クリア」というものがあったとしても、「追加クエスト」を行うとレアアイテムを手に入れられ、さらにその追加クエストが通信によってかなり長い期間更新されるようです。僕も小学生の時には、ドラクエをやっていたのですが、僕らの世代では「終わった(クリアした)ドラクエのレベルを上げる」という行為はある意味、友達の居ない寂しい子が暇つぶしにしていて、しかもそれが友達にばれたら、ばかにされるような類の行為でした。しかし、今は「終わったドラクエをやり続ける」のが当たり前であるのです。ゲーム会社はこの不況の中でゲームを売る、という目標を一本のソフトでどこまでもやりつくすことのできる「お得な」ソフトにすることで、達成しようとします。しかし、その結果として、子供達の目に映るのは、ゲームの中の世界だけ、ということになるのです。ゲームの中での達成感のために、他のことに対してはきわめて消極的になってしまいます。
さらには、携帯ゲーム機の進化があります。携帯ゲーム機は登場したてのときに比べて、遙かに画像も良くなり、どこにもちこんでも隠しながらゲームが出来るようになってきてしまっています。家でゲームをするのと同じようなqualityのゲームが出来るので、家で親に「ゲームやりすぎだ!」と怒られたなら「公園にいって遊んでくる!」と言って、公園で携帯ゲーム機で遊ぶことも出来てしまいます。このようなゲームをする場所に限りがないことの恐ろしさを、どれほどの親御さんが把握できているでしょうか。端的に言えば、学校などの拘束がなく、親が子供に直接目をかけていない時間の全ては、ゲームにつぶれている可能性すらあるのです。
このような危険なものを「どのように使うかは消費者の自己責任」として、野放しにされているというのが僕は現代の子供達の悲劇であると考えています。その、かわいそうな彼らの現状について、大人達にもっと理解を深めてほしい、というのが普段子供達と接している僕の願いです。そして、そのようなゲームを次から次へと生み出しては大量に広告をしているゲーム会社は、やがて日本社会が若い世代が現実と向き合わないが故に崩壊する時になってはじめて、自分達のしてきたことの意味が分かるのではないでしょうか。
そのようになる前に何とかしていきたいと思っては、日々生徒達には嫌がられる毎日を送っています。
嚮心塾(きょうしんじゅく)を、そのようなゲーム三昧の日々からの隔離され、勉強その他のやらねばならないものに向き合うための施設として、機能させていきたいと考えています。それが上手くいく場合もありますし、逆に
無力に終わる場合もありますが、あきらめずに、やっていきたいと考えています。
未成年の薬物摂取や飲酒、禁煙についてこれほどまでに厳しい日本の社会が、ゲームに関してはほぼ野放しに子供達に買い与えられる/子供達が買えるようになっているというのは、僕は非常に恐ろしい片手落ちであると考えています。現にたばこの広告については、欧米のまねをして、ようやく規制がされてきましたが、テレビゲーム、携帯ゲーム機についての広告の規制など、まったくありません。それが、どれほどまでに恐ろしい現状を生み出しているのかを、小学生以上のお子さんをお持ちのご家庭であれば、よくご存じであると思います。
しかし、自分のお子さんのゲーム漬けの現状に眉をひそめる親御さんも、それが少年時代という過渡期の一過性のものであると考え、あるいは、同級生がみなそのような状況である中で自分の子供だけゲームをやめさせて仲間はずれになったらかわいそうだと考え、厳しくやめさせることはできていないのが大多数であると思います。しかし、このような対応を僕は実際に子供達に接して彼らの意見を聞いている者として、非常に危険な対応であると思わざるを得ません。なぜなら、ゲームをしない大人達はあまりにも今のゲームについて知識がなさ過ぎるからです。
まず、現在人気のゲームはたいてい「クリア」という概念がきわめて希薄になってきています。大筋のストーリーの中で「クリア」というものがあったとしても、「追加クエスト」を行うとレアアイテムを手に入れられ、さらにその追加クエストが通信によってかなり長い期間更新されるようです。僕も小学生の時には、ドラクエをやっていたのですが、僕らの世代では「終わった(クリアした)ドラクエのレベルを上げる」という行為はある意味、友達の居ない寂しい子が暇つぶしにしていて、しかもそれが友達にばれたら、ばかにされるような類の行為でした。しかし、今は「終わったドラクエをやり続ける」のが当たり前であるのです。ゲーム会社はこの不況の中でゲームを売る、という目標を一本のソフトでどこまでもやりつくすことのできる「お得な」ソフトにすることで、達成しようとします。しかし、その結果として、子供達の目に映るのは、ゲームの中の世界だけ、ということになるのです。ゲームの中での達成感のために、他のことに対してはきわめて消極的になってしまいます。
さらには、携帯ゲーム機の進化があります。携帯ゲーム機は登場したてのときに比べて、遙かに画像も良くなり、どこにもちこんでも隠しながらゲームが出来るようになってきてしまっています。家でゲームをするのと同じようなqualityのゲームが出来るので、家で親に「ゲームやりすぎだ!」と怒られたなら「公園にいって遊んでくる!」と言って、公園で携帯ゲーム機で遊ぶことも出来てしまいます。このようなゲームをする場所に限りがないことの恐ろしさを、どれほどの親御さんが把握できているでしょうか。端的に言えば、学校などの拘束がなく、親が子供に直接目をかけていない時間の全ては、ゲームにつぶれている可能性すらあるのです。
このような危険なものを「どのように使うかは消費者の自己責任」として、野放しにされているというのが僕は現代の子供達の悲劇であると考えています。その、かわいそうな彼らの現状について、大人達にもっと理解を深めてほしい、というのが普段子供達と接している僕の願いです。そして、そのようなゲームを次から次へと生み出しては大量に広告をしているゲーム会社は、やがて日本社会が若い世代が現実と向き合わないが故に崩壊する時になってはじめて、自分達のしてきたことの意味が分かるのではないでしょうか。
そのようになる前に何とかしていきたいと思っては、日々生徒達には嫌がられる毎日を送っています。
嚮心塾(きょうしんじゅく)を、そのようなゲーム三昧の日々からの隔離され、勉強その他のやらねばならないものに向き合うための施設として、機能させていきたいと考えています。それが上手くいく場合もありますし、逆に
無力に終わる場合もありますが、あきらめずに、やっていきたいと考えています。



