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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

永遠に続く改善。

今年度も始まって一ヶ月ほど経ちました。また新年度を始めるに当たって、一人一人をしっかりと理解しては、必要な勉強をどのように受け入れてもらえるのかを試行錯誤していく時期が始まっています。

よく「正しい勉強方法を教えてほしい」「勉強の仕方さえ分かればできるようになるはず!」というような勘違いをされている方も多いのですが、その子にとってどのようなやり方が「正しいやり方」であるのかを見つけては提案していくことというのは、難しいことではあるものの、ある程度経験を積んだ教師であれば不可能なことではありません。それができていないときというのは、教師の側の思い込みを生徒に押し付けているだけになってしまっているだけだと思います。

むしろ教育のうち、本当に難しいのは正しいやり方をその子については同定できたとして、それをどのように信じてもらい、徹底してもらえるか、というプロセスです。特に生徒自身が「これが正しいやり方だ!」という先入観があったり刷り込みを受けていたり、というときにはこれが本当に難しいものです。

結果としてその誤った方法から始めながらも徐々に修正し、改善していくことで段々と納得してもらっていく、というような迂遠なプロセスを経ていかなければならないことも多いのです。これも学校や他塾でもっときちんと正しい勉強法を教わっていれば、このような回り道をしなくて済むはずなのに、という悔しい思いを強く持つ機会がどんどん増えています。

とはいえ、open-mindedでこちらの提案する方法をできるだけ受け入れてくれる子に対しては改善作業がいらないか、と言えばそれも違います。ある瞬間に最適なアドバイスは、次の段階では足かせになることもまた多いのです。一つ一つの成功体験を拠り所にしながらも、それに安住しないように絶えず疑い、考えてもらうことをしていかねばなりません。これはこれで改善作業をずっと続けざるを得ないのです。

このようにして、入り口のレベルは違えど、一つ一つ、一人一人に改善作業を延々と続けていく塾が嚮心塾だと思っていただけると、だいぶわかりやすいかと思います。もちろん改善作業を続けていく、というアプローチは根本的な問題には立ち入らない、という欠点にも陥りがちです。しかし、たとえば誤った勉強法を信じてきた高校生が、一つ一つの改善の努力から、自身の従来の勉強法の根本的な過ちに気づく瞬間、というのも教えていると出会えるものです。そのような奇跡のような瞬間のために、引き続き全力を尽くしていきたいと思います。そのような場としての嚮心塾に興味をもっていただけたら嬉しい限りです。

                 2023年5月8日 嚮心塾塾長 柳原浩紀

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「おもてなし」をしよう。

今年も国公立前期試験の結果が出ました。今年は勉強が苦手な頃から嚮心塾に通って頑張ってくれていた子たちがしっかりと合格できた年でもあり、塾としても最低限の責任は果たせたのではないか、と思っています。一方で、それでも力になれなかった子たちもいるわけで、そこには改めて自身の力のなさを痛感しています。

さて、入試で確実に合格する、というのは本当に難しいことです。今年は共通テストが極めて難しく、時間がきつかったために、思うように力を出しきれない受験生がたくさんいました。そのように理不尽な試練に遭ったとき、それでもたじろがない力を鍛えていくためにはどうしたらよいのかというのは、受験指導に携わりながら常に感じ続けている難題です。

もちろん様々なリスクヘッジのためのオプションを考えたり、という戦略面で対策できることも多いのです。しかし、そうした戦略面での指導を同じようにしていても、結局それをうまく使いこなせる子とそうでない子の違いは何なのか。そこに関しては毎年頭を痛めては必死に悩むところです。

その中で気づいたのは、結局入試において、自分が窮地に追い込まれた時、そこで踏みとどまることのできる受験生というのは、結局自分の苦手なこと、弱いことと必死に取っ組み合い、向き合ってきた子である、ということです。一人一人にとって「何が苦手か」というのは「何が得意か」と密接に結びついています。だからこそ、苦手なことを上達しようと必死にもがき苦しむ、というのはこれまでの自分自身を絶えず否定し、分裂させていこうとすることにも等しいのだと思います。そのような苦しい作業にしっかりと取り組んできた子たちこそ、「予想もしなかった試練」という外界との出会いに、必死に心を砕くことができているのでは、と考えています。

ジャック・デリダが「自分自身を分裂させることがもてなしの条件である」というように、他者に対して常に自己のアイデンティティを疑い、中断しては向き合う心の用意があることが不測の事態という外界へのしなやかさを鍛えるようです。だとすれば、受験勉強とは絶えずそのような矮小な自己を「自己」と強弁することを疑っては、自己のアイデンティティと思っていることを分裂させ、足りない部分を鍛えていく作業なのかな、と思います。

自己の欠点という外界をもてなし続けることが、不測の事態という外界をもてなす準備へとなるのでしょう。そのための場としての嚮心塾にお越しいただけることを心からお待ちしております。

                                2022年3月10日 嚮心塾塾長 柳原浩紀

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「努力」に逃げ込むな。

 今年度の入試も終わりました。結果は悲喜こもごもではありますが、どのような結果であれ、一年間の自分の努力の結果であるので、それを受け入れて次のステップへと進んでほしいと思っています。

 自分にとって辛い結果の受験になってしまえば「努力しても報われない!」とついつい思ってしまうかもしれません。しかし、受験に長く関わる以上断言できるのは、努力は必ず報われる、ということです。だからこそ長い時間勉強してもうまくいかない理由は、ある(自分にとっては取り組みやすい)努力をすることで、(自分にとっては取り組みにくい)努力からは目を背けているからであると言えるでしょう。このような受験生の場合、長い時間勉強するという「努力」は、本当に自分にとって必要なものへと目を向けてそこを苦手でも埋めていくという努力をしないがための逃避手段となってしまっているわけです。

このように受験勉強は正しくやらなければ力がつきません。そして、受験勉強において「正しい」方向とは、どれだけ自分の苦手なことから目をそらさずに埋めていこうとしていけるか、です。ここにおいては、どのように優秀な受験生であっても、受験生という不安な立場の中で正しい判断をできないまま、自己満足に陥りがちです。その結果が入試において残酷にも出てしまう、ということが多いのだと思います。
だからこそ、受験生が正しい方向の努力をできるように、嚮心塾では日々一人一人について悩み抜いて指導しています。一人一人の受験生が鍛えるべきポイントから外れていないか、仮に今外れているとしてそれをどのように納得して修正してもらえるか、ということを考え、提案をしていきます。もちろん、こちらのアドバイスを最初から全面的に取り入れられるようなお子さんであれば最短距離で勉強ができるわけですが、多くのお子さんは既に勉強してきた方法に固執したり、根拠のない俗説を信じていたり、となかなか虚心坦懐にアドバイスには従っていただけない場合が多いからこそ、生徒と僕との信頼関係の中で、どこまでは伝えうるかを絶えず測りながら、彼ら彼女らの直すべき核心へと踏み込む瞬間を準備しています。

生徒たちの現実から目をそむけるための努力を、厳しい現実へと立ち向かうための努力に変えられるように。そのためにのみ、嚮心塾は存在すると思っています。そのような研鑽の場としての嚮心塾に是非学びに来ていただけることを心待ちにしております。
                               2019年3月10日 嚮心塾塾長 柳原浩紀

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