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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

第16号 歴史を学ぶ意味について

第16回 歴史を学ぶ意味について

先日、コンラート・ローレンツの『攻撃』を読み返していたら、このような記述に出会いました。「生物の行動様式についてはいわゆる反復説(注1)は成り立たない。各個体は様々な過程を経て生み出された行動様式を、生まれた瞬間から身につけている。」という記述です。この本でローレンツはハイイロガンを例に取り、ハイイロガンの友好的なあいさつが実は敵対的な威嚇から発達したにもかかわらず、生まれたばかりのガンのひなはもう既にその「あいさつ」の意味(友好的であること)を知っていて、卵からかえるとあいさつをする、という話でした。(注1:反復説とは「個体発生は系統発生を繰り返す」という学説で、「一個体の発生の初期にその種が下位の種から発生してくるときに通過したプロセスを必ず通過する」という考えで、ほ乳類、鳥類、は虫類などで胎児の初期の形状が似ていることなどがその例としてあげられます。まあ、この説が正しいかは確かめようがないものの、「上手いこといって結構当たってるね!」的な学説です。)

これがとても興味深い記述だと思った理由は、人間にも同じようなことがあてはまるのではないか、と思ったからです。いわゆる一般的な理解の仕方として、人間は長い年月をかけて蓄積してきた行動様式(すなわち「文化」ですね)を個体にとっての環境としての社会に蓄積し、それを個体の成長過程において教育を通じて学び取っていく、というイメージがあると思います。(ロックの言うような『白紙(タブラ・ラサ)』という状態はちょっと極端だとしても、このようなイメージは比較的共有されているのではないでしょうか。「何も知らない子供」とか「大人は人生経験を積んでいるから」などという常套句はよく聞きますね。)

しかし、僕は、ローレンツがハイイロガンについて教えてくれているように、人間の赤ちゃんもまた、「おぎゃあ!」と生まれた瞬間にはこの人間のいい面も悪い面も含めてのさまざまな発達の影響を受けているのではないかと思います。その意味では生まれたばかりの赤ちゃんもまた「現代人」であり、良いものであれ、悪いものであれ、様々な前提、人類のたどってきたこの歴史をふまえてしまっているように僕は思います。もちろん、ここで言っているのは、今の時代の赤ん坊が生まれたときから携帯電話やインターネットを使いこなせる、という荒唐無稽な話では決してありません。ただ、それらのものを利用している我々の間に生まれる赤子は、そもそもそのようなものがない時に生まれる赤子とは、どこかが決定的に違ってしまっているかもしれない、ということです。ちょうど、威嚇に近い行動を「あいさつ」と定義づけた後に生まれてくるハイイロガンのひなのように、です。

もちろん、これは失われた過去を美化して懐かしむためにこのようなことを言っているわけではありません。そのような変化には良いも悪いもなく、実際に起きてしまっていることです。威嚇をあいさつに転化できたハイイロガンの中で同種同士の殺し合いが減ったかどうかは分かりませんが、もしそうだとしたらプラスの側面でしょうし、一方で同種同士での争いがなくなる分だけ、異種に対しては闘争力をなくしたハイイロガンは劣位に立たざるを得なかったかもしれません。このように行動様式の変化自体には必ずプラス面とマイナス面があるでしょう。人間の将来に関しては、バラ色の未来を声高に語る少数の有力者と、暗い未来をぼそぼそと語る多数の有力ではない人、という構図が続いているのでしょうが、そのどちらも一面的であり、様々な変化は、間違いなくその両面とももたらすでしょう。ですから、そのような変化がどちらにころぶかを固唾をのんで見守っているという姿勢はあまり意味がありません。大切なのは、我々は生まれた瞬間から「現代」に条件付けられていて、様々な可能性を考え、あらゆる可能性を尽くしているつもりでありながら、その行動の意味が生成してくる過程を理解することなく、その行動の意味を信じて生きているがために陥る失敗もあるのではないか、と考えていくことであると思います。

そして、だからこそ、人間の外部に蓄積された過程としての「歴史」を学ぶ意味があると思います。もちろん、残された歴史には嘘も山ほどあるでしょう。また、歴史から有利な行動様式を学ぼうとしたり、不利な行動様式を学ぼうとしたりしても、それはポパーが『歴史主義の貧困』で丁寧に述べてくれていたように、やはりさらなる失敗を招くでしょう。私たちが歴史を学ぶ意味は、「自由な行動・意志の主体としての自己」にとっての判断材料を求めるためではなく、自己をそのように「自由な行動・意志の主体」であると思いたがる自分自身が、いかに人類のこれまでの歩みによって条件付けられ、自らの「自由意志」などごくわずかな一部分にしか許されないということを学ぶことにあるのだと思います。

難しくなりましたので、ぶっちゃけて言いますと、「自分が自由であるという前提の元に、自由な自分が次の行動のために使える材料として歴史を学ぶ」のではなく、「自分がどれだけ不自由であり、条件付けられているのかに気付くために歴史を学んだ上で、次の一歩には私たちの当たり前としている常識の外にも自由があるかどうかを考えていく」ことが大切なのではないかと思います。

ハイイロガンに話を戻しながら考えていくと、「威嚇→あいさつ」という行動様式の変化自体、攻撃衝動を友好関係へとつなげていくというすばらしい発明であるものの、これはこのような行動様式を共有しない異種の動物にとっては通用しないわけです。すなわち、彼らは威嚇のようなそぶりをあいさつと認識して無防備でいたとしても、異種の動物には単なる威嚇にしか見えず、彼らが無防備になった瞬間に「威嚇」と認識していた異種の動物に殺されてしまう可能性があるわけです。「このような悲劇を、動物たちは防ぐすべを知らないけれども、私たち人間は防ぐすべを知っている!」と言うほどに、私たち人間が自らの行動様式のなりたちを意識し、そのなりたち故の利点と欠点とについて常に自覚的であるとは、僕にはどうも思えません。異種の動物が示す「威嚇」を、自分たちの常識に従って「あいさつ」と解釈しては、「それはもしかして威嚇かもしれない!私たちのあいさつは威嚇から発達してきたのだけれども、それと彼らの文化とは、違う発達の仕方をしてきているかもしれない!」と慎重になるハイイロガンを、「バカだな。そんなの、あいさつにきまってるじゃん。常識のないやつだなあ。」と笑うハイイロガンが多い、そのような恐ろしい光景を、僕は人間社会に暮らしていて、様々な場面で感じたりしています。(たとえば、これは言葉に関してですが、僕は自分のpartnerを「女房」や「家内」、「奥さん」などとは呼びにくいのです。これらの語が慣用的にはpartnerを指すことはもちろん知っているものの、それらの原義からして、これらの語は女性差別か、百歩譲っても不正確な言葉であると思うからです。このような言葉は日本という社会の発達の中で、その中で女性がどのような役割を担ってきたか、あるいは担わされてきたかによってできあがった言葉です。しかし、話し相手に分かるために僕が自分のpartnerのことを「僕の家内が」と言い直さなければならないとき、僕はこの日本社会の負の歴史に従属せざるを得ません。もちろん、単なる言葉狩りになるのではまずいのです。しかし、そのような言葉を「言いにくい」という感覚が一般にないことこそが一番の問題であると思います。その行動様式(としての言葉)を生まれる前に身につけるか、生まれた後に身につけるかは人間の方がハイイロガンよりも複雑な行動様式の分だけ、ものによって違うものの、身につける際にはその行動様式自体への吟味を持ち得ないというこの仕組みこそが、ハイイロガンと同じように本能的であるように感じます。)

僕は、「人間は生まれたときには純真無垢で何の条件付けも受けておらず、成長して行くにつれ自然と社会の中で歴史について学んでいく。」という歴史観ではなく、「人間は生まれ落ちた瞬間から、この我々が通ってきた道(歴史)によってひどく影響された個体であり、その利点と欠点を自覚していっては他の可能性を探るために、私たちは積極的に歴史を学ばねばならない」という歴史観を、もちたいと思っています。自分たちが知らず知らず受けている制約を自覚し、自由になるためにこそ、歴史を勉強するという姿勢を、どの分野についてももっていきたいと思います。

「何でも自然の中に答えがある!」的な安易な自然主義は危険ですが、私たちがもし「個体発生は系統発生を繰り返す」という生物体としての自身の外見を契機に、このように考えることも少しは意味があるのではないでしょうか。「人類(あるいは○○人)という種の系統発生」に絶えず、思いを凝らすために、歴史を学びたいものです。
                     2010年7月20日 嚮心塾 塾長

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第15回 『ヒカルの碁』って名作ですよね。

僕は小さい頃から比較的、本を読んできた方だと思います。でも、いつからかは分かりませんが、気がついたときには
「僕はこう考えるけど、君はどう考えてるの。」という姿勢で様々な本を読むことが多くなりました。それには、一つには自分の考えをぶつけて話し合える相手というのが、親や友達、先生を含めて、18歳ぐらいまで誰一人いなかったからという理由があるように思います。考えの一端を話しては嫌がられる、ということに怯えて、あまり話さずニコニコしている、ということの多い少年時代でした。

そのような中、本の著者は僕にとって、唯一の話し合える相手でした。しかし、それも最初はごく幼稚な形で、「この人、僕と同じ意見を持ってる!この人は有名な思想家だし、僕ってすごいかも!」というように、誰かに話しても理解してもらえないことを、本の中に見つけることで、自分を肯定してもらうために、読んでいたところがあります。(僕が古典とされる本を読むことを皆さんにお勧めしているのは、そのように周りには自分の意見に賛同する人どころか理解する人さえいなくても、自分の考えが間違っていない場合もある、ということを子供達に知ってもらいたいと思うからです。)そのトレーニングのせいか、僕は全国1位はおろか、中高と自分の所属していた学校ですら、「学年1位」というのをとったことがないまま学校生活が終わったのですが、だからといって「全国1位」や「学年1位」の子に対して、劣等感を抱いたことは一度もありませんでした。陸上の十種競技の選手が100m走でウサイン・ボルトには勝てないからといって、その選手がボルトよりも劣ったアスリートであるとは思えなかったからです。むしろ、人生は十種どころか、千種競技、万種競技、いやそれ以上であることは間違いがないわけで、画一的に100m走(としての受験勉強)に努力を絞ることの出来る同級生の愚かしさを笑うような、ひねた子供でした。(このような僕の態度が、自らが「全国1位」のような困難な目標をもったときに必ず起こりうるであろう挫折を避けるための、自己防衛本能のようなものだったという分析ももちろん、可能であるとは思います。しかし、同時に僕はそれが単なる僕の強がりや負け惜しみを超えて、僕自身の人生を規定するテーマを暗示していたようにも思います。おそらく僕は、「1位」をとるためには、生きられないのです。僕はそれを「目標」とは感じない人間なのだと思います。むしろ、「人生とは一体何種競技なのだろう!9839億3094万2398種目までは確認したが。」という関心の持ち方をしていく傾向が僕にはあるようです。もちろん今は、そのように多様な人生の中で、あえて何か一つを選んで、その中で世界一になろうと懸命にもがく大人達を、決して笑いなどしません。心から応援したいし、力になりたいと思っています。)

そのような自己肯定をもう必要としないぐらい自信がついてくると、今度は僕の読書が、「自分と同じものを感じ、自分と同じように考えているから、この人はすばらしい!」という姿勢に変わってきました。それを僕はF・二ーチェやJJルソー、太宰治、ベルクソン、ドストエフスキーに感じました。僕とは違う感性を持つ人たちの著作でも、たとえば、森有正や有島武郎、E・ゾラ、G・オーウェル、K・ポパー、K・マルクス、J・ジョイス、B・ラッセルなどの著作はどれも本当にすばらしいと思います(いつかまた、このブログでも本の紹介を書いていきたいと思います)。ただ、自分には一つの根源的な傾向があることを自覚することが大切で、そのフィルターを通して、様々な考えが価値のあるものかどうかを検証していく、という過程を踏むことが必要だと思います。どのような本も客観的には読めないものです。ですから、「自分が根本的に一番大切だと考えること」を中心に据えた上で、それとの関係によって他の考えに価値があるかどうかを吟味していくという過程がどうしても大切です。もちろん、その検証を通じて、「自分が根本的に一番大切だと考えること」自体も、それでよいのかどうかを吟味していけるのだと思います。

さて、長くなりました。読書の意味として、「孤独の中で自分の意見を信じるため」に読む時期、「自分の意見を一つのフィルターとして、価値のある考えを探していきながら、自分の意見自体を絶えずよりよいものにしていこうとする」時期があることを、僕の拙い読書遍歴の中から書きました。自分の意見や考えをさらにより精密に正しくしていくためには、最低限でも一生涯勉強を続けることが必要です。しかし、そのように読めば読むほどに、「自分がこれをみんなに伝えなければ!」と思うことは、大体誰かが書いていることに気がついていきます。それも、絶望的なくらいにしっかりと表現されていたりして、もちろんそれを現在の状況に適用するなどの「流用」には意味があるとは思いますが、様々に本を読めば読むほどに、「人類は有史以来、すでに認識され、反省までされた失敗を繰り返している」と絶望してしまったりするかもしれません。

だから、僕は今、自分が本を読むことを通じて考える理由を、「自分の意見をより正しいものに鍛えていく」ためとともに、「過去と未来をつなぐ(by『ヒカルの碁』という漫画の台詞です。)」ためであると考えています。過去のものを未来に伝える、というのは本が「古典」として残っていればよいというものではないのです。それらの本の価値を理解する人間が一人もいなくなってしまえば、それらはただの「インクのシミのついた紙」になってしまい、じゃまなものとしていずれ処分されてしまうのです。全世界的な電子図書館をグーグルが進めるアーカイブ化によって実現したとしても、それらの本の価値を理解する人間が一定数いなければむしろそれは膨大な情報量の中に埋没し、誰も顧みることのない状況は紙媒体の本以上に、徹底的になるでしょう(「検索」を通じては、本との偶然の出会いはないからです。)。

もちろん、「過去と未来をつなぐ」ためにのみ、現在を存在させてはなりません。私たちが生きるこの瞬間瞬間は、すぐに「過去の一部」となっていくのですから、将来の人類にとって「過去」から知恵を汲む必要がないと判断させてしまうような言説や学問しか現在生み出していないのなら、やはりそれは私たちにとっての「過去」のみをいくら大切にしていようと、結果として過去を損なうことにつながってしまいます。懸命にこの瞬間瞬間を悩み苦しんで、考えていく。そのことこそが、過去と未来をつなぐための最低限の必要条件であると思います。そして、これは決して、学問や芸術だけの問題ではありません。学問や芸術という名の結晶を生み出すための土壌としての考え方や感性は、日々懸命に悩み苦しんで生きることからのみ、生まれると思うからです。

この現在の僕の読書に対する考え方が、この先どのようにまた変化していくかも、また楽しみにして、これからも勉強を続けていきたいと考えています。
2010年 6月7日 嚮心塾塾長

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通信第14号

バイオエタノールについては、もてはやされ、さらにその問題点が指摘され、ということが一巡した感じはありますが、それが化石燃料に頼り続けるという我々の文明や歴史自体へのreviewにつながっていないのは依然として同じであると感じています。

第14回 そんなの解決じゃねぇ!(小島よしお風に)

いやぁ、お久しぶりです。不死鳥のように復活!なのですが、半年もサボってしまって、すみませんでした。

 さて、タイトルとどうつながるのかをご説明しないまま、まずはバイオエタノールについての話から始めちゃいます。バイオエタノールって何ぞや、という方に説明を簡単に致しますと、バイオエタノールとは植物由来の燃料で、トウモロコシ、サトウキビ、その他小麦の収穫後の茎などから作ることができるそうです。そのバイオエタノールを、それを利用できるエンジンの付いた自動車に入れると、ガソリンの代わりになるというすぐれもので、原油の値段が現在のように高騰したり、原油のとれる量自体に限界があることがわかっている現在、かといって燃料電池(水素を空気中の酸素と結びつけて水にすることでエネルギーを得ます)はまだまだ実用可能となるにはほど遠いこの現状の中、当座の策として急浮上してきたのでした。(バイオエタノール先進国のブラジルではもうずいぶん前から普及しているみたいです。僕も10年以上前にマンガでそれを読んだ覚えがあります)さらにこのバイオエタノールにはもう一つ「良い点」があります。それはその原料となる植物が成長する過程でCO2(二酸化炭素)を吸って光合成をしてきているので、バイオエタノール自体は燃やせば燃やす程CO2を排出するものですが、今の地球温暖化防止の枠組みでは、その排出量から原料となるサトウキビなりトウモロコシなりが生育するのに必要としたCO2を引いて計算することができるのです(この計算方法を採用していて良いのかは、はなはだ疑問が残るものではありますが)。即ち、バイオエタノールを使えば、その生育する間のCO2吸収量分だけ石油や石炭などの化石燃料を使うよりもCO2の排出量を「減らした」ことになるわけです。このような理由からバイオエタノールは燃料不足と温暖化対策の救世主として脚光を浴びています。

 もちろん、新しいエネルギーを様々に工夫していこうとすることは、とても難しい問題であるが故になかなか完全な解決策など見つからないのは当たり前のことです。その欠点をあげつらうだけで、実際にエネルギーが足りないという問題を解決しようとしないのは無責任でしょう。しかし、その点を考慮しても、やはり僕はこのバイオエタノールには大きな問題があるように思えてしまいます。まず考えねばならないのは、食料にまわすことのできる穀物を燃料に用いるというそのことの意味です。単純に考えて、燃料としてのバイオエタノールを用いる人々(即ち自動車を用いる人々)よりは、トウモロコシを食べる人々の方がより貧しいのは明らかなことです。だとすれば、バイオエタノールを人間の食べられる穀物から作れてしまうということは、貧しい人々の日々の糧を奪っては、先進国の人々の自動車の燃料になるということにはならないでしょうか。食物と燃料とでは明らかに食料の方が人間が生きていくのに必要でしょうが、しかし、その当たり前の優先順位よりもむしろ、どちらにお金があるのかが優先されるのが市場社会というものなのですから、燃料としてのバイオエタノールを先進国が安く買いたたいたとしてもまだそれが、市場にはのらない半自給自足社会での食料としての穀物の価格よりも高くなるということにはなり、結局食料用の穀物が減っていってしまうというおそれがあります。最近の穀物価格の上昇はこの懸念がそれほど取り越し苦労ではないことを示しているように思います。
 次に考えねばならない点は、たとえば第一の問題点が何とかクリアできて、人々の食料生産をバイオエタノール生産よりも必ず優先するという仕組みを国際的に何とか作ることができたとします(これ自体がかなり不可能に近い話ではありますが)。そののちに、小麦を収穫後の茎など、本来は廃棄するものからバイオエタノールが作られるのなら、それはそれで食料不足をさほど招かずにうまくいくのではないか、という主張もなされると思います。しかし、このような取り組みがうまくいったとしてもそれは第二の問題、即ちそれが堆肥として地味を肥やすために今まで使われていたのであれば土壌の荒廃を招くという結果を招いてしまいそうです。植物を残さず有効利用しているつもりがやがて不毛な土地ばかりができてしまい、そもそもその頼みの植物さえ生えてこなくなってしまうという笑えない結果を引き起こしてしまうかもしれません。石油が買えず、燃料の足りない途上国限定の燃料としてバイオエタノールを使うという心ある取り組みも生まれていますが、石油を買う事ができないために燃料不足に苦しむ途上国でバイオエタノールを作るということは、確かに先進国でそれを用いること以上に有意義ではあるものの、しかし結局は途上国の土壌の荒廃や森林の伐採を招いてしまうのではないでしょうか。途上国には石油が回らない仕組みそのものを変えて行かねばならないと思います。     
 第三に、そもそも石油や石炭、天然ガスという化石燃料と呼ばれるものは生物の死骸が長い年月を経て高圧や高温によって変質してできたものであるのだとしたら、バイオエタノールを作るためにエネルギーを費やしながらそれをエネルギー源として使っていくというのは、今までは自然の力で作られていたエネルギーを今度は人間の使わせてもらっているエネルギーを使って作り出そうとするということです。それは少なくとも石油や石炭、天然ガスを採掘するよりも遥かに少ないエネルギーで植物をバイオエタノールに変えられるのでなければ、エネルギー収支が赤字になってしまうでしょう。仮にそれができたとしても、何か地球ができてから今までに死んでいった生命でできたその貯金を使い果たしそうになってきたので仕方なくその場で生命を殺してやりくりをしているようで、それが解決策になっているようには僕にはどうも思えません。
 そもそも、化石燃料を使い果たすとはどういう意味を持つのかについて、私たちは考えていかなければなりません。生物の死骸から我々の今用いている化石燃料が生まれているのだとしたら、我々は親の遺産を食いつぶすように地球の生命のあらゆる歴史を食いつぶしているわけです。それが足りなくなったから今生きている他の生物を燃料に変えていこう、というのでは他の生物に対して配慮がなさ過ぎるように思います。

 
 このように、バイオエタノールが解決する問題点とバイオエタノール自身が招く問題点とを考え合わせてみると、僕は学校で質量保存則やエネルギー保存則を習ったとき、「あ、つまり僕がどのように生きようとどんなにがんばろうとそれらは全て徒労でしかないということなんだ。」という深い絶望を感じたことを思い起こします。もちろんそれは、「閉じた系」という考え方が人間の仮説にすぎないということを忘れて現実のありようであると見なすという幼稚な思いこみではあったのですが、しかし、そのことが僕にとってはとても考えさせられるきっかけになったことは確かです。そして、現在の人類に足りないのはひとえにこの絶望であるようにも思います。死によって全てが終わるという言説もまた、一つの仮説に過ぎないのかもしれません。しかし、その仮説は僕にとっては、死後の世界に天国や地獄であれ、六道輪廻であれ、何らかの因果応報によって自分にとっての世界が続いていくと考えることよりも、自分の人生にとって遙かに実りの多い仮説であるように感じます。また、宇宙に目をやれば、もしこのどこまでも広がり続けるとされる宇宙の中で意識を持つ生命体が私達だけだとしたら、私達はどれほど大きな責任を負っていると言えるのでしょうか。もちろんこのように考えることから、その「他の存在者への優越」を誇るという幼稚な姿勢も、最初は現れるでしょう。しかし、その後に来るものはどうにもしようのない孤独と絶望、そして責任の意識でしょう。生命の誕生が「意識」という第二の生命を誕生させたのがただ我々においてのみであるとしたら、我々は全宇宙のその存在を費やしてでも、その与えられた責任とは何かを考えざるをえないわけです。人類は、その責任に、ひどく耐えかねている。それが「宇宙開発」の隠れた動機なのではないかとさえ僕は考えます。

 そして、「問題に取り組む」とはどういうことかを考えて行かねばならないと思います。たとえば以前、僕が尊敬している方の一人が、自分の子どもが小さい頃にさんざんに不注意でガラスのコップを落として割ったことをふまえて、ガラスや陶器ではない割れないコップをお子さんたちに用意した、というお話を聞いたことがあります。その話を聞いたとき、僕はその方の創意工夫とねばり強い努力に本当に感心するとともに、「しかしそれは問題の解決ではない。」(そんなの解決じゃねぇ!)と強く思いました。それではガラスのコップを落として割ってしまっている子どもたち自身がそれを深く反省し、落とさないような人間になるわけではないからです。
 また以前、この通信の第5号でもご紹介した無洗米も、あのフィギュアスケートの荒川静香選手の広告でおなじみの金芽米の会社の社長さんが米のとぎ汁が海を汚しているということに心を痛めて開発したものだそうです。その社長の心の動きや創意工夫の努力には本当に頭が下がります。しかし、それはやはり問題の解決ではない(「そんなの解決じゃねぇ!」)のです。なぜなら、それは「水(下水道)に流してしまえば、後は誰かが何とかしてくれるだろう」と無責任に思いこむ私たち自身の無責任さ、一旦水道が出来てしまえばそれの来し方行く末を考えない私達の無責任さなどがそれによって何か変わるわけではないからです。
 このように小島よしおさん風に「そんなの解決じゃねぇ!」と言ってばかりの僕自身もまた「そんなの解決じゃねぇ!」ことに気づかず、大失敗したことも、もちろんたくさんあります。たとえば、去年の夏頃、僕は今いる自分の娘(当時三歳でした)の下に、もう一人子どもがほしいと思っていました。なぜならうちの娘はとても天真爛漫なところはよいのですが、弱いものへの思いやりがいまいち欠けていると思っていて、そこで下に弟妹ができれば、その点が改善されると思ったからです。そのことを僕の師匠に話したところ、「そんなの問題への取り組みじゃねぇ!」と喝破されました。この場合でいけば、たとえそのことで上の娘が弱い者への思いやりをもてるようになったとしても、僕の娘が目の前に弱い者がいなければ弱い者への思いやりをもてない、あるいは僕が自分の娘に弱い者への思いやりを伝えられない、という問題の解決には決してならないのでした。
 
 バイオエタノールに話を戻せば、先進国が資源を使ってしまって途上国にまわらないのであれば、それをまわるようにしていかねばならないですし、そもそも燃料が足りないのなら、使う量を減らして行かねばなりません。それらの根本的取り組みは、確かにとても困難であるでしょう。しかし、他の解決方法を探ることは結局その問題の解決にはならず(「そんなの解決じゃねぇ!」)、その問題を先送りしていくだけなのではないでしょうか。
私たちは、誰か他の人のブレイクスルーだけでは、何も本当には自分の問題が解決しないということを自覚しなければならないのだと思います。金芽米の会社の社長さんのブレイクスルーは、彼にとって一つの問題への取り組みと解決法であったこと、そしてそれがこの社会にとってこの上もなく貴重で有り難いものであったことは間違いがありませんが、しかしその成果に私たちが頼りさえすれば問題が解決すると考えるのはやはり、問題を先送りにしてしまうことになる(「そんなの、解決じゃねぇ!」)ことになってしまいます。アダム=スミスのいうような「分業に沿って、各々が各々の持ち場で努力してさえいれば自然とよりうまくいく」という考えはまた、彼の意図を超えて、「本当は自分に関わる問題でも自分が解決しなくていいかもしれない」という淡い期待を生み出してきたのかもしれません。しかし、その淡い期待を捨てなければ、一つ一つの問題への真の取り組みは始まらないように思います。
 そのような先送りの歴史の一つの成果として、このような現在の人間の文明が発達してきたのかもしれないとしても、また僕自身も先にご紹介したようにそのような問題一つ一つをがっきと受け止めることを忘れてしまうという鈍感さの中に沈んでしまうという過ちも多いのですが、それでも、自戒を込めて、小島よしおさんのように「そんなの解決じゃねぇ!」と言っては、本当の解決とは何かを考えていかなければならないと思っています。先送りによっていくら他に発達する部分が増えようと、それは肝心の問題については何の解決にもならないということをもういくら何でも気づかねばならないほどに、私達は犠牲を重ねてきてしまっています。
 どんな問題も他の誰かに任せておくだけではだめだというのは、一見面倒ですが、しかしそれはどんな問題も自分に出来る事が何もないわけではない、という事でもあります。沖縄の反米軍基地闘争に携わった阿波根昌鴻さんが世界人権連盟議長のボールドウィンさんに「核戦争を止める方法がありましたら、教えてください」と聞いたとき、彼の「みんなが反対すればやめさせられる。」という答えに心から納得したそうです。その単純な答を、「そんなこと誰でもわかる」と鼻で笑うことなく、深く感じ入る事の出来るその篤実さこそが、むしろより深い賢さの現れであると思います。
      2007年12月6日

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通信第13号

かなり長いのですが、僕にとっては今までの文章では一番思い入れの深いものです。僕はドストエーフスキーの一連の作品を読み、作家になることをあきらめました。正確には、僕の伝えたいことを彼がこんなにわかりやすく書いてくれている以上は、自分が作家になる必要を感じなくなったと言えます。もちろん、それは過去の判断で、現在は僕自身も小説ではないにせよ、文章を書いて伝えるという取り組みもやはりしていかねばならないとも考えています。



第13回 「お一人様での、お仕事お勉強等は、お一人席にて、お願い致します。」

 前回で発行の遅れをお詫びしておきながら、今回はさらに間があいてしまい、申し訳ありませんでした。そこで出血大サービス、今回は特別拡大バージョンにてお送り致します。(サービスになっているのでしょうか…)

 長々しい文章も、とっかえひっかえのイメージも、書いても書いても現実を描けていないという無力感に情けなさを感じながら、それでも何とか表現することをあきらめてはならないと自分を奮い立たせては書いているものです。全ての言葉は衒いのためにしか存在しないと看破する賢い人や賢がる人に笑われようと、それでも言葉を紡ごうとする人々の姿勢に僕はとても勇気づけられてきました。僕の言葉が誰にも響かず終わっていくとしても、それでも無駄に終わる言葉など、ありません。それと同時に自分の言葉を消すこともできません。僕たちは、この世界で生きて行かねばならない。この文章も、誰かにとって少しでもその一助となれるのであれば、こんなにうれしいことはありません。

 さて、タイトルにあげたのは、僕が最近出会ったとてもすばらしい文学作品です。といってもこれは、西荻窪駅北口駅前にあるコーヒーショップに張られていた張り紙です。しかし、この文章の美しさ、そこに込められた覚悟や思いやりに、本当に感銘を受けると共に、文学の、すなわち人間の永遠のテーマを表した言葉であると思いました。
 この言葉の解説をすれば、喫茶店にはよくコーヒー一杯で粘る迷惑なお客がいます。かくいうこの僕も、その迷惑なお客の常習犯です。勉強、仕事、読書、執筆などその内訳は様々であっても、喫茶店程落ち着く場所というのはなかなかありません。僕も勉強は図書館などでするよりも喫茶店でする方が断然好きです。
 しかし、このような客は店側にとっては当然大迷惑です。まだ一杯の単価が高く、長居をされることもあらかじめ計算に入れて値段設定をしている店であれば、そのようにゆったりと過ごしていくお客に快適さを提供することで常連として通ってもらいながら利益を出していくこともできます。しかし、単価が低く、お客さんの回転率で利益を出す形のチェーン店では、いくら常連さんになろうとも、結局長居されることで減る利益の方が多いでしょう。特別な喫茶店ならともかく、混んでいるチェーン店にわざわざ並んで入ろうとするお客さんは少ないのですから。
 もちろん、そのように長い時間をそこで過ごさせてもらっていることを本当に有り難く、申し訳なく思うからこそコーヒーのお代わりや食事時にはそこで食事を注文したりもして自分の客単価をあげることで少しはお店の売り上げに貢献しようともする人もいるでしょう。しかしそれでもお店にとってはさっと来て、さっと飲んだり食べたりするお客さんの方が圧倒的に儲かるだろうと思います。
 これらのことをふまえると、チェーン店の喫茶店ではやはり「お仕事やお勉強はご遠慮ください」という張り紙が多いように思います。現にこの冒頭の言葉が貼ってある喫茶店と同じ系列のお店は、どこにいってもそのような「ご遠慮ください」方式の張り紙があり、それもまた仕方がないことであるとも思っていました。それだけに、この「お一人様での、お仕事お勉強等は、お一人席にて、お願い致します。」という張り紙をみたときには、本当に感動させられたのでした。
 この言葉には、(勝手に想像するに)「せっかくこの自分の店を気に入って来てくれる常連さんを大切にしてあげたい。彼ら彼女らが勉強や仕事、読書をするそのひとときはたとえ長居をして店側が困るとしても、それでも彼ら彼女らにとって、あるいはこの社会にとっても、とても大切な時間だ。しかし、かといってそれを大切にするあまり客の回転が悪くなり、この店がつぶれてしまっては私も路頭に迷うし、彼ら彼女らだって困るのではないか。何か名案はないだろうか。……………そうだ、彼ら彼女らのように長居するお客さんが二人席や四人席を一人で占領して長居をされてしまうことはさすがにこちらも困るけれども、一人席で荷物も机の下にしまって、『ここで勉強させてもらうのは申し訳ないけれども、それでも私は勉強する場所が他にないんで、すみません。』という思いで勉強してもらえるのであれば、快く提供しようじゃないか。」という思いが込められているように思います。ここには、「もうからないから追い出しちまえ。」というのでもなく、「つぶれてもいいからやるんだ。」でもない、本当にぎりぎりの、自分の生存をかけて伝えたい思いや心意気が見事に現れていると思います。
 この短い言葉が最近の日本のどの小説家の言葉よりも「文学」という言葉に値すると思うのは、唯物論者の出した「一篇のシェークスピアは、1つの長靴にまさるのか(シェークスピアの作品がどんなに美しくても飢えで苦しんでいる人にとってはそんな詩よりも長靴の方が命が助かるという点で役に立つ、という主張)」という本質的な問いに対して、真剣に命を懸けて答えている言葉であると思うからです。もちろん「プロレタリア文学だけが文学だ」などというつもりは毛頭ありません。文学作品が、虐げられている人を直接描いていなければならない、ということではありません。しかし、この「一篇のシェークスピアは一つの長靴にまさるのか。」という問いは、芸術かそれとも生活かという二者択一を迫るものでは決して無く、むしろ人間は何のために生きるのか、あるいは生命は何のために存在するのかという根本的な問いに関わるものであると思います。(ちなみに僕は現在の日本に文学など存在しないと思っています。かろうじて価値のある物は在日朝鮮人と沖縄の人の書く物、即ち現在もなおこの社会の中で虐げられている人の書く物にしか文学が無いと思います。このように書くと、「文学」について頭の固い古い人間だと言われるかもしれませんが、言葉を換えれば現代の小説家の書く小説は人間が生きるのには必要がないものにすぎないということです。生命を最高の善として疑わないが故に、その中で生じる微細な感覚と死だけが問題であるかのように記述するというだけのものになってしまっています。つまり、ドラマなど、どこにもないというわけです。アーレントの言う「労働する動物の勝利」でしょう。)

 ここでこのテーマについて考えるために、ドストエフスキーの『悪霊』の一節から、引用してみましょう。著名な文化人でありながら新しく出てきた社会主義的な批判に対応できず、もはや彼のいうことは聞くに値しないとみんなから見られているステパン氏という登場人物が、自分の言葉が時流から外れて笑われるのを恐れてしゃべれないままに嘲笑を受けていた長い歳月を断ち切って、社会主義に浮かれる大衆に向かって演説をする場面です。ステパン氏の言葉と聴衆のやりとりをせりふだけで再構成してみます。(新潮文庫版:江川卓訳、聴衆の反論部分は※をつけて区別しています)

  「諸君!この興奮はなんのためでありますか、私の耳にするこの憤激の叫びは何のためでありますか?私は橄欖の枝をたずさえてきたのです。私は最後の言葉をたずさえてきたのであります。この問題についての最後の言葉は私の手中にあり、これによってわれわれは和解しうるのあります。」
※「引っ込め!」「静かにしろ、言わせてみろ。終わりまで言わせてみろ」
「諸君、この問題についての最後の言葉--それは寛容の精神であります。私は、すでに自身の時代を終えた老人でありますが、ここにおごそかに宣言いたします。生命の霊気は依然として息吹き、若き世代の生命の力はなお涸れてはいないと。現代の青年の熱狂は、われわれの時代のそれと同じく、清純であり、光に充ちております。変わったのはただ一つ、すなわち目的の変換、一つの美の他の美による置換えであります!いっさいの誤解の因はつぎの問いの中に含まれます、すなわち、いずれが美であるのか、---シェイクスピアか長靴か、ラファエルか石油か?」
※「それは密告か?」「誘導尋問だぞ!」「挑発者め!」
「しかしながら私は宣言します。」
  「私は宣言するものです、シェイクスピアとラファエルは--農奴解放より上である、国民精神より上である、社会主義より上である、若き世代より上である、化学より上である、ほとんど全人類より上である、なぜなら彼らはすでにして成果、全人類の真の成果であり、おそらくは、存在しうるかぎりの最高の成果だからであります!すでに達成された美の形態、いや、この達成なくしては、生きることをさえ、おそらく、私は肯んじないでありましょう……おお、なんたることだ!」
「十年前、私はまさしくこのとおりのことを、ペテルブルグの演壇上から叫んだことがあります、このとおりのことを、そっくり同じ言葉で。そしてそのときも、いまと同様、彼らは何ひとつ理解せず、嘲笑し、野次を浴びせました。愚かな人たちよ、これを理解するのに何が足りないのです?しかしながら、しかしながら、知ってほしい、イギリス人なしでも人類はなお生存しうる、ドイツがなくても良い、ロシア人などはむしろいないにこしたことはない、科学なしで結構、パンなしで結構、ただ一つ、美なくしてはいかんともしがたい、なぜならばこの世界においてなすべきことが何もなくなってしまうからです!秘密のいっさいはここに、歴史のいっさいはここにあります!科学といえども、美なくしては一刻たりとも存続しえないのです、---諸君はこのことを知っているのですか、あざ笑う者たちよ、美なくして科学は奴隷になりさがり、釘一本考えつけなくなるということを!……私は引きさがりはしないぞ!」
※「据え膳食ってるおまえらはいいだろうさ、甘ったれやろうめ!」
「私ですぞ、私ですぞ、若き世代の熱狂も、かつてと同じく、清純で光に充ちておりそれが危機に瀕しているのは、たんに美の形態を取りちがえたからにほかならないと、たったいま宣言したのは!これでも諸君は不満ですか?何より、このように宣言したのが、打ちのめされ、辱められた父親の世代であることを考えるなら、--おお、愚かなる諸君、--これ以上に公平で冷静な見方は求め得べくもないのではないですか?……恩知らずな……理不尽な諸君……どうして、どうして諸君は和解を望まないのですか!……」

ステパン氏は、美こそが人類の存在する目的だ、といいます。人間がその美をいかにもてあそび、いかにそのためにパンや生命を無駄にしてきたかということを考えれば、そのような目的を掲げることを忌まわしく感じてしまうかもしれないけれども、しかし、目的を見失ってはならないと訴えます。もちろん、この必死の訴えも、その直後に、彼がトランプ賭博で負けたカタに売り飛ばした使用人が生活に苦しみ自分が生きるためには殺人でも何でもする人間になってしまったことを暴露されることで、嘲笑を受けます。どれほどの生命が、たとえば美を目的とすることでこのように無為に失われてきたのか、その事実をあまりにも軽く見過ごしすぎている、という批判がたとえば唯物論や共産主義であるのでしょう。しかし、その事実を見つめ、考えることが必要不可欠であるにせよ、パンは、あるいは人間の生存それ自体は決して人間にとっては目的には成り得ない、そのことをステパン氏は伝えようとして、しかしそれがそこまでに強いられてきた大きな犠牲のためになかなか伝わらない様子をこの場面は描いていると思います。

 もちろん、生きる目的は美でなくてもよいのです。精神の自由のため、真理のため、愛のため、やさしさのため、など何でもよいでしょう。しかし、人間には目的がいる。それも国家だの、宗教だの、金銭だのという人工物ではない目的が必要であるのです。(それがステパン氏のいう「ロシア人などいないにこしたことはない」ということでしょう。)
 そしてそれは、必要であるだけでなくまた人間に課せられた責任でもあります。なぜ生産者としての植物を莫大に犠牲にする食物連鎖の頂点に我々人間がいるのか、我々はこの大量な消費に対してどのように責任をとることができるのか、それを考えれば、先のステパン氏の言葉を「自分が食っていく余裕のある貴族の戯れ言だ!」などと切って捨てるのは誤りであるのです。人間全体がこの食物連鎖から言えば貴族であり、はやりの言葉で言えば人間全体がニートであるのです。飢えて死んでいく人間もバリバリ働く人間も、酸素も栄養も自分では作り出せずに他の生き物が作ったものを吸い、他の生き物が作ったものを食べているのですから。その不労所得を得ているこの身をどのように用いるべきかを問うことは、我々人類という名のニートにとって、やはり考えて行かねばならないことではないでしょうか。
 そしてベルクソンもまた『道徳と宗教の二源泉』の中でこのことにふれています。「全ての生命は、人間の精神のためにある」というその言葉は、人間の傲慢さの現れでも何でもなく、生命の中で特権的な地位に生きる全ての人間にとって、その責任を感じて何とか責任をとろうとしていかなければならない一つの厳然たる事実を示しているのではないでしょうか。ゴッホはテオにあれだけ無駄飯をくわせてもらいながらも、彼のすごいところは自分の絵が売れたらその生活費や絵の具代を全て返すつもりでいたことであると思います。彼の絵は、自分の犠牲にしてきた全ての物を直視しながらも、しかしそれを使うその目的へと努力する姿のその痕跡です。
 もちろん、何も作品など残さないでも良いのです。ノーベル賞もいりません。むしろ、そんな「ほら、私の努力は無駄飯を食うのに値いするくらいすごいでしょ!」と押しつけがましく生きている人の努力よりも、「私なんてどうせバカだから」と自分で自分を決めつけていた子が「私だってがんばればできることがあるんだ!」と涙するその心の方が、よほどゴッホに通じる物があるように思います。そこでのその心の動きは、生命にとってその目的となる、精神が自由になる運動そのものであるように僕は思うのです。
 

 冒頭の「お一人様での、お仕事お勉強等は、お一人席にて、お願い致します。」という言葉に戻れば、自分の店がどこまでもうけが必要か、でもどこから先は心意気を大切にしたいかに思い悩むその姿勢は、全ての人類が日々直面し、考えねばならない問題に対する一つの、その店主なりの答えであるのだと思います。もちろん、このような例を見て元気をもらうことや感心して教えられることがあったとしても、これを模範解答としたり解答例として真似をしても意味がありません。この問題への取り組みは、本当に私たち一人一人が自分で考えていくしかないことです。しかし、僕はこのような喫茶店主さんの心意気は、たとえばビル=ゲイツ(マイクロソフトの創業者。億万長者)と比べると、よほど確かな取り組みなのにあまりにも皆が気づかなさすぎているのではないかと思います。もちろんビル=ゲイツは彼なりに悩み、彼の巨額の私有財産を投じて「ゲイツ財団」を作っては世界の貧困問題に取り組もうとしているのでしょうが、ゲイツの言葉よりも、この喫茶店の張り紙の方が、よほど深く心に届く言葉になるのはただの偶然ではないと思います。何千億円寄付しようとももう二度と取り戻すことのできないものを、破壊してしまう前に大切にしていこうとするそのさしのべられた手の温かさを感じるからでしょうか。ゲイツの寄付は、彼がお金をそれだけ稼いだときと同じように、さらっと使われている感じがします。もちろん、彼がそんな寄付すらしない多くの日本の金持ちよりはまだまともであることは確かです。
 たえざる外部にとっての、すなわち全体にとっての良いものを求めていく仕組みが自分の周りにあらかじめ存在することはまれであり、部分の利益を最大化することで結局全体や外部へとそのツケをしわ寄せする仕組みばかりがまわりに存在していることばかりであると思います。そのような有り様の中で生きざるを得ないことに心を痛めていようと、自分が心を痛めることで怠惰になればなる程に、既存の仕組みに従って生きるしかなくなっていきます。これが暴力の連鎖を生み出していきます。そのような全体に異を唱え、他のありようを模索していくその一つの姿が「お一人様での、お仕事お勉強等は、お一人席にて、お願い致します。」という文であるのです。昨今の政治状況に絶望を感じたくなる気持ちはわかりますが、そもそも用意してもらった仕組みの中で競争をすれば、それは用意をする側に賛成する方が強いのは当たり前のことです。そのようなできあいの機会の中に批判の機会があるなどと期待せずに、この喫茶店の店主さんのような言葉を一人一人が紡ぎ出しては、自分の心意気を大切に生きていくこと、それこそが社会全体の活力や批判力となるでしょうし、何よりも閉じた内部の利益を最大化することに腐心する人間達にはあらがいようのないやり方ではないかと思います。あきらめてはならないようです。               2007年4月9日
 

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通信第12号

言葉の不完全さに逃げ込んで言葉を発しなくなるのでは、やはりだめなのです。ただ、言葉の不完全さに逃げ込んで言葉を発しなくなる人々の多くは、言葉が不完全であるとは思っていない人々に痛めつけられたという苦い経験の末にそうなっているのではないでしょうか。


第12回 カステラは好きですか。

 さて、今回のお題は、「カステラは好きですか。」です。では、さっそく聞いてみましょう。好きな人!……はい、なるほど、わかりました。結構多いですね。

 でも、ちょっと待ってください。僕はこういう風に聞かれると困るのです。たとえば袋詰めのミニカステラとかを食べると口の中がぱさぱさして甘ったるくて気持ち悪くなるのですが、長崎にあるカステラの名店、福砂屋さんのカステラを食べると、「何ておいしいお菓子なんだ!」と感動すら覚えます。このような僕は、「カステラは好きですか。」という問いにどのように答えたらよいのでしょうか。たとえば、「福砂屋のカステラは好きだけど、他のカステラは嫌いです。」というような答え方しかできません。
 僕たちが何を「カステラ」と呼ぶかというときに、「卵や砂糖を原料とする外は焦げ茶色、中は黄色のあの焼き菓子」というところまでは共通の理解があるにせよ、それを好きかどうか、といわれても製法も原料もそれぞれ違うでしょうし、同じレシピでも熟練の職人さんと機械とでも違うでしょうし、何とも答えられません。その何とも答えられない問いに対して無理に答えなければならないことが多すぎる、と思うのです。「カステラによる」とでも答えるしかないではありませんか。
 
 これに関連して、先日東京で放映されたテレビ東京系列の『たけしの誰でもピカソ』を見ていて同じようなことを感じました。「芸人はこうあるべきだ!」という熱い主張の場があったのですが、それを見ていて感心したのは、ビートたけしさんが劇団ひとり(若手芸人さんの名前です)さんの「芸人は幸せなんか感じちゃだめだ。温かい家庭があるやつなんかに人を笑わせられるか。だから芸人の結婚を禁止しよう!」という(なかなか鋭い)主張に対し、「俺は好き勝手やってきた。それを許してくれる俺のかみさんはすごい。」ということから、「芸人は結婚すべきか」という問いに対して、「かみさん(奥さん)による。」(奥さんによって結婚すべきだったりすべきでなかったりする)と答えていました。次に、島田洋七さんが「最近の若手芸人は芸をきわめる前に本を出して有名になろうとする。そのせいで芸も中途半端になる。だから、芸人として大成するまで本を出すのを禁止にしよう。」と、これまた真っ当な主張をされていました。それに対して先述の劇団ひとりさん(彼の書いた小説はベストセラーになっています)が、「僕は自分のネタの世界をふくらませたらそれが物語になり、小説になったんです。」と言い、洋七さんも「そういう本はいい」と認めたやりとりを引き取って、今田耕司さんが、「若手芸人は本を出してはならないか」という問いに対して「本による」(出す本の内容によってよいか悪いかがわかれる。ただ一時的な人気に乗じたものではなく、自分の芸を磨くその延長線上ならいいということ。)とまとめていました。このまとめ方で大きく笑いをとったのも、たけしさん、今田耕司さんのみごとな手腕だったのですが、それにもましてその笑いを誘った彼らの出した結論は、まじめな問題意識からはじまったはずでも硬直化した議論に対する鮮やかな批判として、とても印象深かったのです。
 これを応用して、私たちも「国を愛する心を持つべきだ」と言われたら、「国による」(愛するに値いする国なら愛するべきだし、そうでないなら愛さないべきだ)と答えるのがよいかもしれません。子供が親に「親をもっと敬え。」と言われたら、「親による」(尊敬したいような親なら敬うし、そうでないなら敬わない)と答えればよいし、逆に親が子供に「もっと子供を大切にしろ」と言われたら、「子供による」(大切にしたくなるような子供なら大切にするし、そうでなければ大切にしない)と答えればよいでしょう。「先生の言うことはちゃんと聞け。」というのも、「先生による」(その言うことをちゃんと聞きたいと思えるような先生なら聞くし、そうでなければ聞かない)と答えれば良いですね。逆に生徒(やその親)が先生に「もっと私を(うちの子供を)大切にしてください」と言われたら、先生も「子供による」(大切にしてあげたくなるような子供なら大切にするし、そうでなければしない)と答えてもいいかもしれません。「上司の命令に従え!」などは「上司による」「命令による」などと二つも吟味するポイントがありますし、「私は勉強していい大学に入れば幸せになれますか」という質問に至っては、「私による」(私がどんな人間か)、「勉強による」(何を勉強するのか)、「『いい』による」(どんな大学が良いのか)、「大学による」(どの大学に行くのか)、「幸せによる」(何を幸せとするのか)など、つっこみどころが満載で、質問としてどうにも答えようがないでしょう。
 
 しかし、このような答え方がいくら正しいからと言って、この答えで満足する人は少ないこともまた考え合わせねばなりません。それには私たちが何かについて早く判断を確定してしまいたい、確定してしまう方が不安にならないで済む、という原因があるようです。「子は親を敬うものだ。」「生徒は先生を敬うものだ。」ということが実現していると信じないと、不安で仕方がないのでしょう。たとえば、自分の今までに出会った外国の人がたまたま5人連続で意地の悪い人だったとき、「○○人はろくな奴がいない。」と決めつけてしまえば、次に出会うその国の人に対して自分の対応をもう準備した状態で接することができるのです。しかしそれは、「6人目の○○人」としてではなく、「1人目のその人自身」として現れる相手にとっては、不可解な暴力にしかならないことになります。
 このような愚かしさは、判断する主体としての自分が目の前の相手に対して本当にひどい接し方やふるまいあるいはそのような過去を持っていないかどうかを反省することなく、「私は5人の○○人にあったがそれは全部意地の悪い人だった。」という体験を、たとえば歴史的事実よりも支配的な観点にしてしまうことから起こります。ほとんどの人にとって直接体験は、本で読んだりましてや教科書で習う内容よりもヴィヴィッドであるために、直接体験の原因が自分の直接体験していない過去の事実の中にこそあるとしても、自分の中での体験に重きを置いて、直接体験を自らを支える支配的な見方にしてしまうのです。それは、「5日晴れが続いたから、明日も晴れるだろう。」と予測することに似ています。しかし、最近5日間晴れが続いたのはその前の日に大雨が1日中降り続いたせいであるかもしれないのです。そして、最近5日間晴れが続いたことが、まさに明日雨が降る原因になる方がむしろ可能性としては高いのかもしれません。
 自分の小さな体験を固定化して信じることから、この世界の複雑な現実を類推しようとするこの人間の愚かしさは、別に非科学的なものではありません。むしろ、科学(science)というものそれ自体が、「科」という「葦の随」から天井をのぞくことになっていることも反省しなければなりません。

 「カステラは好きですか。」と聞いたのに、「カステラによる」と言われて、「何て不真面目な答えをするんだ、こいつは!」と腹をたててしまうまじめな方も、腹を立てる前にちょっと立ち止まって考えて、「この人は『カステラ』という定義で何らかの質をくくることが困難であると感じるほどに、与えられた言葉の枠組みでは自分の感じ続けている質を表現しえないことに悩んでいる人かもしれない。なるほど、このような乱暴なくくり方で聞いてしまって悪いことをしたな。」と冷静になれるとよいでしょう。
 逆のことも大切です。何を聞かれても「微妙。」としか答えない最近の若い人は、そのように自分が乱暴な言葉で複雑な現実を表すことを放棄しているという自分の無責任さを大いに反省してもらいたいと思います。現実は複雑なのですから、微妙なのは、当たり前です。いくら決めつけられることがいやだからと言って、そうやって「微妙。」「微妙。」と表現することから逃げていれば、結局場に対して責任をとろうとする側の人間は貴方のことを決めつけて判断するしかなくなるのです。頭の固い人間を嘆く前に、自分の無責任な態度がそのように頭の固い大人を作り出すことに加担していないかどうかを、もっと真剣に反省する必要があると思います。

 どうにも形にしようのないものを、どうにか形にしていきながらも、その形の不完全さを常に申し訳なく思い続けながらコミュニケーションをとっていくことこそが「対話」であると思います。「カステラは好きですか」という質問も、その質問を口火として始まる長い長い対話の一つのきっかけとして発せられるのであれば、それは意味があるのです。問題はその「カステラは好きですか」という質問が、コミュニケーションをとるためではなく、この枠以外のコミュニケーションを拒絶するため、すなわち本当のコミュニケーションを拒絶するための儀式として用いられてしまうということであるのです。新聞の世論調査、あるいは選挙ですら、僕にはそのような巧妙な「コミュニケーションの拒絶」の一つであるように思えてしまいます。
 「カステラは好きですか。」「はい」程度のやりとりを「コミュニケーション」と呼んでしまってはいないか、またはその程度のやりとりを「テスト」と呼んでしまってはいないか。私たちは反省していかねばならないと思います。
      2007年2月4日

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通信第11号

この文章をブログに載せる上で、お断りをしておきたいのは、僕はいわゆる「立ち位置」というものに全く興味がないということです。右か左かは、どちらでもよい、あるいは、どちらでもだめだと考えています。どのような立ち位置をその人がとるにせよ、真剣に悩み考え抜く、という姿勢が大切であり、「このように考えるが故に僕の主張は正しい。」ととりあえず対外的には主張したとしても、内面では「本当に自分の主張は間違っていないのだろうか。」と絶えず悩んでいることが大切だと考えています。


第11回 「愛の対義語は無関心である」のなら、「無関心の対義語は愛である」と言えるのか。

 さて、始まりました、嚮心塾通信。第11回の今回は、「『愛の対義語は無関心である』のなら、『無関心の対義語は愛である』と言えるのか。」です。長すぎるタイトルの上、意味もわかりにくくて、すみません。順を追って書いていきましょう。
 まず初めの「愛の対義語は無関心である」という言葉は、マザー・テレサの言葉です。正確には、「愛の対義語は憎しみではない。無関心だ。」という言葉であり、とても深く厳しい言葉であると僕は思います。誰からも見捨てられた人々を「神の子」と呼び、自分から率先して救おうとし続けた彼女らしさが現れている言葉であり、それと共にそのような人々を見捨てて平気である人類全体への厳しい問いかけであると思います。
 しかし、このすばらしい言葉も、ひっくり返してみて「無関心の対義語は愛である。」とすると、とたんにキナ臭くなります。この言葉は、たとえば、現在国会を通過することが間違いなくなってしまった教育基本法の改悪案を推し進める人々が心に抱いているものではないでしょうか。「国を愛する心」を育てよう、というその態度は、現在の若者が国家や政治に対して無関心であるという自体を憂うるからこそ生まれてくるものです。「国家に対する若者の無関心を何とかしたいが『無関心の対義語は愛である』からこの無関心さを直していくためには『国を愛する心』を育てなければならない!」単純化すると、このような思考回路ではないかと思います。

 しかし、この論理には、言うまでもなく飛躍があります。日本語の「愛」には大きく分けて二つの意味があるからです。それは、その対象を好きで好きで仕方がないという愛(英語のlike、あるいはこの意味のloveですね)その対象に深く関心を寄せ続け、時にはその対象をよりよくしようと批判する愛(likeの類義語ではない英語のlove)とがあるからです。先のマザーテレサの言葉が深い意味を持ったのは、loveの反対語としてhate(憎む)を想定することから、人は、誰かをhateして(憎んで)いない自分にloveがあると見なすことが多いものの、ほとんどの人は世界の悲惨に対してloveもhateもしていない状態(これが無関心、be indifferentです)であり、それこそが問題であるということを鋭く突いたからでした。つまり本来hateの対義語はlikeであり、loveではないのにも関わらず、loveの対義語はhateではなく、indifferenceだといったことにこそ、彼女の言葉の意味があったのでした。それは、loveという語の意味を、ほぼlikeの程度の強いものに過ぎないようにおとしめてしまっている各人の私的な生き方を批判する力となり、likeとその延長のloveしか持たずに生きる人間に、そうではないloveの存在を喚び起こしたのです。
 翻って、「無関心の対義語は愛である」という態度はどのようなことを意味するのでしょうか。それは、loveをlikeから切り離して、loveにはもっと深い意味がある、ということを提示するのではなく「loveは所詮likeと同じ意味なのだよ。」とすりこませようとするすりかえであると思います。たとえば、「私は日本を愛するが故にこんな腐った状況を何とか変えたい」とか、「私は日本を愛するが故に日本人のしてきたこのようなひどい過ちを許しはしない」というのは、この態度の延長からは許されなくなりそうです。上のように日本と日本人を批判し、反省するのも立派な「愛国心」であるはずですが、そのような「愛国心」が排除され、教え込まれるものに「Yes」と言うしかない人の群れを作るのがこの変更の目的であるとしたら、このことを通じて日本という社会が良くなるはずがありません。(今も昔も日本人に根本的に弱い力は、自省する力であると思います。自分から反省をするという力があまりにも弱すぎて、相手が何も言わなければそのままのさばってしまうのです。逆に相手がちょっと何かを批判すれば、その批判の当否を考えずにびくびくしてしまいます。この卑怯さが他の国の人から信頼されにくい理由であると思います。戦前の日本的な価値に勇敢さを見いだそうとするのも間違いでしょう。狂信は現実を見つめようとしない臆病さの現れでしかないのですから。)
 今までの話をまとめれば、「愛の対義語は無関心である」という言葉は、privateなloveをpublicなloveへと引き寄せようとする運動である、と言うことができるでしょう。逆に「無関心の対義語は愛である」という言葉は、publicなloveをprivateなloveへと引き寄せようとする言葉であるのです。それをふまえれば、「無関心の対義語は愛である」という言明は、公的精神復活のためではなく、むしろ、国家をも超えた公的精神の撲滅運動であると思います。
 エゴイズムの反動として愛国心が説かれるようになってしまうという構図ももちろんそれなりに的を射ているのですが、今起きている事態を理解するためには、実はエゴイズムの延長線上に愛国心があり、両者は同質のものであるという視点こそが大切であると思います。なぜ、エゴイズムの反動として、人類愛や宇宙愛が説かれないのかという問題は、およそ「反動」という作用によって我々がたどり着くことのできるレベルには本能的なものしかないという悲しさ、そこでの本能は結局生存のため以外の目的を描きえないという限界が確かにあることを示しているのです。愛国心はprivateなわがままさと同質のものであり、決して他者へのやさしさではないということを肝に銘じておかなければなりません。(自分をI(私)にするかWe(私たち)にするかの違いであり、決してYou(あなたたち)やThey(彼ら、彼女たち)への愛情ではないのです。)
 自らの意図も明確に自覚もせずに、無関心への反動として愛を強制する人々のために、教育基本法の改定はなされてしまいました。この愚かしさを、しかし、一部の政治家やその支援者の問題だけにしてはいけません。私たち全てに責任がある愚かしさであるのです。私たちは、結局戦後60年をかけても、publicと国家は同じにはならないのだという事実に気づくことのないまま、真のpublicとは何かを探すことをに目を背けてはprivateを追い求めてきたことへの反動として、「ほらやっぱりpublicと言えば、国家でしょ」と押しつけられてしまうことへの抵抗力をなくしてきたのでした。一体何人の人が、「publicとはおまえたちの押しつける国家なんかじゃない。もっと大きなものだ。そして僕や私はそのことのために生きてきたんだ。馬鹿にするな。」と断言できるのでしょうか。国家主義とは他の全てのものよりも国家を優先するのではなく、他の大切なものが見えないからこそ「国家を尊重しろ」という命令に違和感を感じない、という悲しい態度に過ぎません。そのような愚かしさを、まずは身の回りから反省していきながら、全てのprivateなものと戦い続けるしかないようです。

※この文章ではわかりやすくするために、loveとlikeの意味を分けて書きましたが、どうして相手を愛する意味であるloveに広い意味が生まれてきたのかについても、また機会があったら勝手な推測(調べろよ!とお叱りは承知の上で)を書きたいと思っています。
       2006年12月14日

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通信第10号

日付からもわかるように、この通信の間隔を空けないためにさらっと書いた文章です。3ヶ月のブランクに焦りを感じていた自分を見習って、また定期的に書いていかねばなりませんね。


第10回 感動は常に美しいのに、

 あらゆる感動は、その感動の対象が、肥えた目から見ればいかに稚拙なものであっても、美しいと思います。だから、たとえば僕は、『NANA』(マンガのです)という作品には不満も感じますし、あれを「良い」と思う人々にも不満を抱きますが、しかし、あの作品を読んだ人々のその感動は、本当に大切だと思いますし、大切にしていきたいと思います。
こう言うと、何かずるい感じがぷんぷんしますよね。「厳しく作品の評価を下すことで、強い風当たりをうけ、中には迫害を受けて苦しむ人々を後目に、上手く世の中をわたっていこうとしているんじゃないか、おまえは!」というお声が聞こえてきそうです。厳しい批判者として生きるが故の受難の歴史は、J.J.ルソーを思えば、いや、そんな遠くを見ずとも、たとえばテレビでおなじみの映画監督の井筒和之さんを思えば、当たり前のことです。そのような方々から見たら、「八方美人的なずるいこと言いやがって。」と叱られても当然です。もちろん、僕は井筒監督の怒りもおおかた正しいと思います。彼のような批判者がこの社会には足りなく、だからこそとても貴重であり必要であると、本当に心から思っています。(彼も最近は大分、画面の枠になじんでしまってはいますが。)僕自身もそのように厳しく批判をしていかねばならないと思っています。
 しかし、そうした作品への批判も、その批判を取り入れる側にとっては、やはり自分の身の丈にあった批判を取り入れることになってしまっています。自分の身の丈にあった感動を取り入れるのと同じように、です。それでは勇気ある批判もまた、「個性」を演出するアクセサリーとして使い捨てられていってしまうのではないでしょうか。その現状に対し、批判を投げかけて後は放っておくだけではなく、また別の取り組み方をしていく必要があると思うのです。
 問題は、感動は人をその中に引き入れるのに対し、批判は、その自分の内的感動と作品とのズレを目覚めさせるものであるということが理解されていないことにあると思います。自分の感動した作品に対する批判とは、自分の感動に対する批判ではなく、むしろ自分の感動を大切にしていないことへの批判であるのです。「こういう作品にあなたは自分の感動を重ねてしまっているけれども、それは本当に自分の感動を大切にしていると言えるのかい?」という問いかけこそが批判であると思います。
 ですから、批判というのは、「そんな自分じゃだめだ。」というだけでなく、「そんなものを自分と呼んじゃだめだ」というメッセージです。特攻隊の青年の遺書や、生命を救う医師の姿に感動することは美しいとしても、自分の感動を感動の対象に無理矢理重ねるのではなく、自分の感動と感動した対象とのズレに気づけるようになっていくことが、「本当に自分の感動を大切にする」ということだと思います。

 最後に、最近アランの『定義集』(神谷幹夫訳)を読んでいたら、次のような項目が二つ並んでいて、その妥協のなさに「感動」しました。それを引用しておきます。

理想(ideal):賛嘆や模倣の対象として作り出されるモデル。理想はいつも、不似合いな、ささいな現実から超脱している。人は、賄賂の効かない裁判官が家では吝嗇であることを、知るのを好まない。人は真理の探究者が権力者にへつらったことを、知るのを好まない。愛は全て、愛する対象を理想化するが、その種の盲目は憎しみから生じる盲目よりも害が少ない。人類は無垢の英雄達への賛美によって人類自身を超越している。無垢の英雄達は人が崇敬しているようには存在しなかったのだ。レオニダスは理想である。そしてスパルタもまたそうだ。

偶像崇拝(idolatrie):ある形象、それ(これがイドラ(偶像)の本来の意味である)が精神を意味することができる
。この意味において、外的な美しさは精神の均衡を表している。しかし、イマージュの中にはなにか人を魅了するものがある。また反対に、人に好かれるすべを知らない正直な人たちも必ずいる。好きなものを尊重するのは、食い道楽のようなものだ。心地よい思考を楽しもうとするこの嗜好、それが偶像崇拝の本質である。

「無垢の英雄達への賛美によって人類自身を超越」することを目指しながらも、「理想」を「偶像崇拝」せぬように、気をつけていきたいものです。                          2006年11月5日

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通信第9号

4年前のW杯直後に書いた文章です。この4年で、何が変わったのか、あるいは何も変わっていないのかはもうすぐ結果が出るのかもしれません。4年前のヒデの個性への反省に基づいて築き上げられてきた現在のサッカー日本代表チームが、今度は本田という個性に頼らざるを得ないのは、喜劇なのでしょうか、悲劇なのでしょうか。今度こそは、惨敗したとしても、本田のせいにしてはならないと思います。



第9回 サッカー日本代表を強くする方法。

 強豪国が勝ち残り、盛り上がったサッカーのワールドカップも終わりました。予選リーグで敗退した日本代表には、「情けない」「ジーコの采配がだめだった。」「ヒデがかわいそう」「もともと過剰な期待をメディアがあおったのがまずい」などと、様々な意見が飛び交っています。「これからの日本代表を強くするにはどうしたらよいか」などとスポーツ番組や雑誌などでも議論がかまびすしいようです。そこで、我が嚮心塾通信もこれに便乗して(かなり乗り遅れてはいますが)サッカー日本代表を強くするためのアイディアを二つ考えてみました。日本サッカー協会の方、とっておきのアイディアです。どちらを採用していただいても、アイディア料はとりませんので、遠慮なく使ってくださいね。

①「日本人」を増やす。
 さて、まず手っ取り早いのは、「日本人」を増やすことです。具体的には、日本に住みながら外国人扱いされてしまっている在日朝鮮人の人たちに、日本国籍も自由に選べるようにしていくのがまず初めでしょう。もちろん、日本か韓国・北朝鮮かどちらかを選べというのは彼らを痛めつけ、無理矢理こちらに連れてきて働かせておきながらそのような選択肢を迫るという自体が相手の意志を踏みにじることに他ならないのですから、二重国籍を認めてみてはどうでしょうか。もちろん、二重国籍を認めようと、「こんな軽々しく自らの罪を否定する日本という国の代表になどなりたくなんかない」と思われるのは当然です。ですから、しっかりと旧来の日本人が自らの罪を自覚した上で、「日本国民になりたいな。」と思ってもらえるような国にして行かねばなりません。単に「日本人になって日本代表になった方がもうかるぞ。」という選択肢を提供するのではなく、心底納得して、日本の国籍も持ちたいな、自分が両者の架け橋になれるといいな、などと思ってもらえるようにして行けば自然と日本代表も強くなるでしょう。

 それにとどまらず、日本は移民の流入を厳しく制限し、政治的難民ですら本国に送り返す(即ちそれは彼らの本国での逮捕・処刑を意味します)国として世界で悪名が高いのですから、この際、日本に入りたい外国の人は誰でも入れるようにし、ある程度の居住年数がたったら、希望者には日本国籍をさしあげるというのも良いのではないでしょうか。もちろん、94年のラモス瑠偉、98年の呂比須ワグナー、02年の三都主アレッサンドロのように、ワールドカップ前に日本代表に欲しい選手には、ポンっと簡単に日本国籍を与えておきながら、他の移入希望者は排除するというのでは、「あそこは本当に自分たちのことしか考えない国だから」と嫌われるのは当然です。そのような国のままでは、代表選手になることをしりごみする心ある選手も多いでしょう。ですから、どんな国からの移民希望者もあまねく受け入れて行かねばなりません。もちろん、それは犯罪やテロの増加、国民の間の格差による対立など新たな問題を招くでしょう。フランスのように。しかし、それでもそのような道を選ぶことで日本代表が強くなることは間違いありません。これもまた、フランスが良い例です。
 他にも、貧困や内戦、伝染病に苦しむアフリカからまとめて何十万人規模で移民(難民)を受け入れ、彼らのうち希望者には日本人としての国籍をさしあげて彼らがこの社会の中で生きていけるようにしていくというのも良いと思います。そうすれば、アフリカにいるままでは近い死を待つしかなかった彼らも日本人として生きることができるでしょう。そのようにして彼らのために尽くすことができれば、身体能力の高いアフリカの人々が日本代表に入ることでチームも強くなるでしょうし、またそのようにして彼らのために努力した日本という国の代表になることは彼らにとってもうれしいことと思ってもらえるようになるかもしれません。
 いずれにせよこの作戦には、日本という国が、各地域の選手が日本代表になりたいと思えるような国であることが不可欠です。アメリカの腰巾着、何を考えているかわからない国、金儲けだけはうまい国、アニメとマンガとゲームの国、自殺者が年間3万人以上いる国、近隣の人々の感情など何も考えない国、そういった国の代表に誰がなりたいと思うでしょうか。僕ならごめんです。世界中のスーパースターがこぞって、「日本のような国の代表になりたい。」と思ってもらえるような国にしていかなければ、この作戦はうまくいきません。

②サッカーを学ぶ。
「そんなの、日本代表じゃない。」という方、あるいはそうでなくても、「それはいいとこどりであり、自分たちで人を育てるという視点に欠けている」という批判をもつ方には、二つ目の作戦はいかがでしょうか。
 二つ目の作戦は、学校で勉強を教えるのを止めて、全てサッカーに必要なことのみを教えるというものです。戦術・技術から、体力トレーニング、海外のリーグで活躍するときのための語学のみを教えます。数学も国語も社会も、サッカー選手になるのに必要なだけ以外は教えません。大学の試験も入社試験も全て、サッカーで決めます。
 そんなことをしなくても、サッカーの専門学校やサッカーの大学をつくればいいではないか、と考えるあなた、甘いです。そのようなコースを作ろうと、現在元Jリーガーの何割が引退後もサッカーだけで生活できているというのでしょうか。この社会はサッカーに冷淡すぎます。そこで、何の役に立つのかわからない受験勉強など全て止めて、サッカーの実力だけでどの会社でも出世が決まるようにしてみるのです。役人もそれに準じて、中央官庁には入れるのはイタリアやスペイン、イングランドリーグで一軍で活躍した人だけ、とか、Jリーガーは都道府県庁までとか、国会議員になるには5年以上のプロの経験が必要という風にするのはどうでしょうか。このようにしてしまえば、女性や老人に対する差別が強化されることになってしまうという欠点もあるので、女性リーグ、子供リーグ、シニアリーグも国内でたくさん作り、そこでの成績でどの国民でも政治に参加する資格や職を得られるようにするのが良いでしょう。
 これなら、もちろん色々と大切なものは失うでしょうが、確実にサッカー日本代表は確実に強くなるでしょう。みんな死にものぐるいで、命がけで、サッカーをやります。サッカー以外に生きていく道がないのですから。ブラジルのサッカーが強いのは、サッカー選手になる以外の豊かになる道が少ないことがやはり大きな理由なのですから、このようにすれば日本代表がブラジル代表より強くなる可能性だってあるでしょう。
そうそう、忘れていました。この作戦の効果を増すためには、今のままの裕福な日本ではだめでした。裕福なままでは、いくらサッカーのみを立身出世の道具と定めようと、それを求めるハングリーさを欠いてしまっているのですから、効果は半減です。ですから、現在の日本の冨は全て貧困国に寄付するなりして一度貧乏になることがより一層、この作戦の効果を高めます。

③まとめ
 どちらの案も、確実に日本代表が強くなること、間違いなしです。もしこの通りに実行して日本代表が強くならなかったら、僕が責任を全て負います。サッカー協会のみなさん、早い者勝ちですよ。
 といっても、このような提案は、サッカー協会の枠を越えているのでしょうね。しかし、①に示したように、それが何の代表であれ、日本代表をよくするには、日本をよくするより他にありません。日本代表は私達の姿を映す鏡です。私達がこの小さな島国にこもって他の人達を排除した上で排他的な特権を受けている以上、日本代表だってその中からの代表に過ぎないのですから。それをせずに、小手先の手段で何かを変えうるなどと思うことが問題です。
 また、②に示したように何を「良い」とするのか、という問題もあります。サッカー日本代表を強くするのに、②の策までやろうと思うサッカーファンはいないでしょう。そんなにサッカーが人生の主要な目的ではないのでしたら、関わらないで黙って自分の取り組むべきことをやっていればよいのです。
 目立ちたがる人間を身の周りでは徹底的にいじめ抜きながら、「日本のフォワードは決定力がない」などと言うその自己矛盾に気づけるのであれば、このようなことを話し合うのも決して無駄ではないのですが、このように自らの本質とは何らかかわりのないことについての議論はむしろ、自らの自己矛盾をひたすらに避け、自らのちっぽけな自己主張をどこまでも押し通そうとする形にしか成りません。
 
 ①のように考えを進めるとき、私達は「サッカー日本代表を強くする」というテーマを通じて、自分たちが今、何を損ない、どのような狭い価値観の中で生きているのかを反省することができます。このようにして、「サッカー」に取り組むのであれば、サッカーもまた自分たちにとっての外界を開く窓となり得ます。それは即ち、真理の探究を通じて、自分たちが今それに拠っている慣習や制度の恣意性へと思いをめぐらす、ソシュールやルソーの歩いた道です。
 また、②のように考えを進めるとき、私達の内で、「果たしてサッカーはそんなに私達にとって大切なものなのか。」という疑問が生じてきます。それはまた、現在私達がサッカーの代わりに採用している「勉強」もまた、果たしてこれによって人間を判断することが妥当なのかどうか、疑問を生じさせる場合もあるでしょう。人間の評価を何らかの基準で一元的に決めるときに、その基準をサッカーに取るのに違和感を感じるのであれば、今我々の用いている「勉強」に取ることは本当に正しいと言えるのか、そのような問いかけを、この探究は喚び起こします。

 問題は、「サッカー日本代表を強くする方法」という些末なことを議論するその日本人の暇さにのみあるのではありません。どんな些末なことであろうと、それをつきつめていけば、必ずや我々の今抱えている問題を照らし出す光となるはずであるのです。サッカーや野球や囲碁や将棋が、それが余暇をつぶすために生まれたものであろうと、その探究から人は、この世界を感じることができます。逆に、どんなに政治や教育や経済や福祉や平和を語ろうと、そのようにつきつめていく姿勢がなければ、それは一つのイデオロギー、即ち、議論の余地のない硬直的な押しつけによるちっぽけな自己主張にしかなりません。その突き詰めていく姿勢が、日本人にはほぼ絶望的にできていない。(それは、政治家や学者の議論を見れば一目瞭然ではありますが、別に政治家や学者だけではありません。)それこそが本当に根の深い問題であるのだと思います。
 
 そのような突き詰めていく姿勢のために必要なのは、知性ではなく、「孤立を恐れぬ心」です。正しいことよりも目の前の人とのつきあいを優先することで、一体私達がどれほどの失敗を繰り返してしまっているのか、今もまた、日々の業務や人間関係の中で繰り返しつつあるのか。
 
 どのようなテーマもまた、「部屋」の中にいる今の私達を自覚し、反省するための「窓」になりうるのです。「窓」は、常に私達に開かれています。しかしそれに気づくだけでは不十分です。マグリットが批判したように、「窓」から見える景色を「美しい虜(The fair captive)」として、自分の部屋の内に写し取るのではなく、窓から見える景色のその美しさのために、自分の部屋を出ていく、その一歩こそが、議論のためにも、そしてひどい過ちを繰り返さないためにも、大切であるのだと思います。美しさを自分のために用いるのではなく、美しさのために自分を用いると言えばよいのでしょうか。そのような姿勢こそが、突き詰めていく、ということであるのだと思います。
                               2006年8月26日

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通信第8号

今、こうやってブログにのせるために読み返してみると、ライブドアの堀江元社長がたくさんでてきていますね。これは、一つには当時の報道が彼についてあふれる中、どのように彼のようなrole modelに対して、alternativeな視点を提供できるかというつもりだったのですが、やはり、恨みがましくは読めてしまうかもしれないですね。全く恨みはありませんので、そのように読んでいただけると有り難いです。


第8回 小麦粉を混ぜずにソバは打てるのか

第8号です。今回は、小麦粉を混ぜずにソバは打てるのか、というテーマで書いていきたいと思います。

 「人脈」という言葉があります。たとえばライブドアの堀江元社長が「東大には人脈を作るために通った」という趣旨の発言をしていました。この発言は東大生にみられる学習意欲のなさと彼自身の独自の視点を率直に暴露する言葉として有名になりました。ここでいう「人脈」とは本来人のつながりを意味するはずです。私達が「人脈」と呼ぶ物の中で、果たして人と人とのつながりと言えるものがどれだけあるといえるでしょう。学校の同級生は正確には、「学脈」でしょうし、近所の人は「地脈」であり、親族は一応血のつながりなんて物を考えると「血脈」であるのですから、そうやって他の要因によって結びついている物を取り除いていくと、「人と人としてつながる」という意味の「人脈」などほとんど残らないかもしれません。
 話は変わりますが、僕は同窓会というものが大嫌いです。今までに1,2回出た後は全て黙殺してきました。また、僕の出た高校はOB会があって、僕は高校生の時に推薦でクラスの幹事にされたのですが、未だに一度もそのOB会に出たことがありません(全くひどい奴ですね)。しかし、それには僕なりの理由もあります。僕が同窓会に出ないのは、そのような関係性をつなごうとする動機自体に非常にいやらしい何かを感じるからなのです。
 僕は高校生の時に「この同じクラスの奴らとこの先の人生で友達になることなんて、ないだろうな。」と感じながらつきあっていました。別に彼らが邪険にしてきたわけでもなく、彼らを僕が邪険にしたわけでもないのですが、しかし彼らとつきあい続ける必然性を自分にあまり感じなかったのです。また、彼らとその後付き合っているようではいけないと、自分に言い聞かせていた所もあります。たまたま同じ学校の同じクラスや同じ部活になった人と友達になる、ということが、どうしても許せない打算であるように思えたのでした。出会いのきっかけが嘘くさい、とでもいうのでしょうか。「友達ってそんなに気安いものじゃないだろう。本当に心からつきあえる友達以外に友達はいらない。」と思っていました。
 大学に入ってからは同じ大学の人と大学に通っている間だけでも付き合いたくないと思うようになり、ほとんど人と付き合わなくなりました。もはや、話し合える言葉など何もないとしか思えないような相手、自分の人生を自分の打算でしか語れないような相手ばかりだったのです。(もちろん、自分もそんな相手と話すと「汚れる」と思っていたところがあり、それは僕の弱い心の現れでもありました。)「そんな「たまたま」友達なんか見つかってたまるか。もし「見つかる」としたら、それは自分が寂しさから妥協しているだけなんだ。」そのように思って孤独でなければならないと思っていたと言えるでしょう。(それなのに異性と付き合うことについては僕にかなりの妥協と打算があったことは、認めざるをえないお恥ずかしい話なのですが。)
 もちろん、ここにはさらに深刻な問題があります。「たまたま同じ学校」と書きましたが、本当は、決して「たまたま」などではないということです。たとえば僕の通っていた高校は進学校でしたから、「たまたま同じ学校」であっても一人一人の意図する人生にはかなりの共通の偏りがありました。その偏りの中で、お互いが共通に持つこの社会への打算が僕達をつないでいたとしたら、はたしてそんなものが「友達」と言えるのでしょうか。
 そのような心からのつながりでないつながりを利用しようと思えば、利用する自分もまた、よほど気をつけていたとしてもそのつながりの中でしか生きられない自分になってしまう恐れがあると思います。ここが難しいのです。冒頭の堀江元社長の言葉も、彼が何か新しい価値観を産み出していたわけではないことがよく現れています。「東大」という「学脈」を利用するぐらいのことから起こせる変化など、あまり大した変化ではないのです。


 ソバ粉に小麦粉をまぜないとソバがつながりませんが、全部小麦にしてしまえば、それはそばではありません。それと同じく、つながりの中に心からの出会いがなければ、それはもはや人と人とのつながりではないけれども、心からの出会いのみを求めてしまうと、つながることなどできないのではないかと思ってしまうことが多いかもしれません。それほど、私達は、心以外のものによってつなぎ止められているが故に、自分からつながっていくことが難しくなっていると言えるでしょう。
 しかし、切れているようで実はつながっているということもまた、あり得ると思います。森有正がパリにいながら日本と日本人の抱える問題点に命がけで取り組んだように、あるいはイラクにボランティアとして行き、人質になった高遠さんや安田さん、今井さん、イラクで殺された香田さんやジャーナリストの橋田信介さんやその助手の小川さんのように。日本で今のところアルカイダによるテロが起きていないのは、何も厳しい入国管理や厳重な警備のおかげなどではなく、安全な日本にいるみんなから非難されたりあきれられながらも、それでも危険なイラクに行っていた彼らのおかげであるかもしれません。つながって見えるものがつながっているとも限らず、またつながっていないように見えるものこそがつながっているかもしれないのです。反社会的であることが、全人類的であることもまた、ありうるのです。J.J.ルソーは「本当に祖国のことを思う人間は、祖国に住むことはできない」と言いましたが、日本の戦前を思い返せば、「非国民」こそが人間であったことは、わかりやすいのではないでしょうか。あのときの大衆と同じような過ちを僕達が犯していないとは、決して言えないのです。もちろん、ナチスの敗残兵をかくまったが故に同じ村の村人に殺された主婦に、後のフランス人が反省と追悼の意味を込めて、「あなたは私達以上にフランス人であり、人間であった。」といったその「フランス人」と同じような深さで「日本人」という言葉を使おうとしていくのならば、「国民」が「人間」に近づいていくこともまたできるはずなのですが、あのイラクへ行った人々へのバッシングを見る限り、こと日本においてはまだまだ、「国民」は「人間」の対義語のままであるのです。
 ですから、せめて、自分がせせこましいつながりの中で、「人脈」ともよべないようなつながりに頼って生きていることが後ろめたいからという理由だけで、そうしたつながりを断ち切っては「外」へと出ていく人々を妬むことなど、止めたいし、止めてほしいと思うのです。もちろん、彼らにだって問題はあるでしょう。しかし、この卑近な「つながり」という名の鎖を断ち切って、誰かに、あるいは自分自身に出会おうと飛び出そうとするその姿勢自体は、やはり新たな人と人との心からのつながり、即ち本当の「人脈」を生み出すきっかけになるのではないでしょうか。そうした人々が自分たちに確かにもたらしてくれているその恩恵を、まずは深々と感じ取ることから、僕達の本当の「人脈」への道もまた、始まるのかもしれません。
 
 「このソバは、うどんほどコシがない!」と言って怒るソバ屋の客はいないでしょう。ソバには、ソバの香り豊かさが、うどんにはうどんのしっかりとした味わいがあります。しかし、本当に鍛え抜かれた職人の技は、そのように材料の違いや比率を超えて、つながり得ないと思われる物をつなぎ、つながるしかないと思われる物をつなげずにおくことができるかもしれません。そのような「技」を鍛えていくことこそ、人間として生きることの全てを費やして悔いのない、心意気といえるのではないでしょうか。
 人生の幕を閉じるとき、自分が何をつなげることができ、何にはつながらないでいられたかを振り返れば、僕達の「職人」としての技量の到達点を反省することができるでしょう。そのときに後悔のないように、頑張りましょう。
2006年7月1日

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通信第7号

古い話題です。このブログには、お薦めのmusician(僕はartistなどと呼びません。musicianという名に誇りを持てない人にartがわかるわけがないでしょうから)についても、いずれ書いていきたいと思っています。


第7回「ここではない、どこか」は、本当に「ここ」ではないのか。

ご無沙汰しております。嚮心塾通信の第7号です。さて、今回のテーマは「ここではないどこか」って本当に「ここ」ではないの?ということです。相変わらず訳がわかりませんで、すみません。順を追って話していきましょう。

6,7年前ですか、ロックバンドのGLAYが『ここではない、どこかへ』という曲を発表し、当時まだ(一応)大学生だった僕も聞いた覚えがあります。そのときに、「随分とあいまいな曲だな。まあ、こういう気持ちもわからんでもないが。」と思いながら聞いていました。その後、何かの折りにテレビ番組の中で彼らの同郷の先輩でもある歌手の松山千春さんが、GLAYの楽曲について「曲はいいんだけど、詞がいまいちだな。」と言っているのを見て、やっぱりそう思う人も多いんだな、と思ったことも覚えています。(もちろん僕は、Mr.CHILDRENであろうとサンボマスターであろうと、「曲はいいんだけど、詞がいまいちだな。」と言っているので、この僕の感想は単に自分に見える部分は吟味し、自分に見えない部分は深く吟味することができないでいるだけであるのかもしれません。)

そのGLAYの曲自体は「ここ」の閉塞感に苦しむが故に、「ここ」を出ようとするその姿勢を勇気づけようとする歌でした。しかし今考えれば、「ここではないどこかってどこ?」と、揚げ足取りでなく、問い返す冷静さこそが大切であると思います。

 それには次のような思いもあります。僕の生家の最寄り駅では、今、駅前の再開発と道路拡張のために長年そこで営業していた商店がすべて閉店していっています。中には30年間、35年間と営業していたお店もざらにありました。どれも僕にとっては店のご主人の顔が浮かんでくるお店ばかりでした。僕自身、塾を開業してから、その地に根付き、人間関係を築いていくことがどれほど無形の財産になっているのかということに改めて気づかされましたし、それ故に「再開発」の名の下にまたのっぺらぼうみたいなどこぞの有名なチェーン店が、高くて使いにくいビルに入って来ることで、古くからの商店がつぶれるというのは、とんでもない暴力であると改めて思うようになりました。また、今僕が住んでいる日暮里の近くにも少し前までは駄菓子の問屋街がありましたが、それも日暮里駅前の再開発事業で立ち退きを余儀なくされ、ほとんどの駄菓子問屋が廃業してしまいました。そしてここに造られるビルにもまた、のっぺらぼうみたいなどこぞの有名チェーン店が入り、日暮里の町ものっぺらぼう化していきます。(もちろん、チェーン店のすべてがいけないのではありません。店長さんやオーナーさんの頑張りによって、顔のあるチェーン店もたくさんあります。しかし、このように顔のある商店を立ち退かせる再開発によってできるチェーン店は、ほぼ例外なく顔のないチェーン店しかできようがないのです。根付いた物をねこそぎなくしてしまった後に、再び新たな物を根付かせていこうとすることはできないからです。その新しいお店は、その便利さに人々が頼ることで存続するだけでしょう。)
 この愚かしさに激しい怒りを覚えると共に、僕は経済学者の宇沢弘文さんが『成田とは何か』という著書の中で書いていらしたことを思い出しました。成田空港を建設する際に、あの地で反対運動をしていた農家の方々を支えていた思いは、「金を払うから立ち退け、といわれても、この土は金なんかじゃ買えない。」という思いだったそうです。もともと、あの辺り一帯は、地味も豊かではなく、彼らの祖父母や両親が懸命に耕作や客土をすることで、何十年もかけて必死に耕地を作っていたのだそうです。 それを「金を払うから立ち退け。」「成田空港の建設は国策だから協力しろ。」「この金でもっと広い農地が買えるだろう。」「さんざんにごねて、もっと金をふんだくろうとしてるのではないか。」などという見方をされて、むりやりに土地を奪われて、あるいはもうその用地買収に応じるしか道がない所にまで追い込まれていったのです。
今、このことを振り返るに、彼ら農家の方々の方が遙かに賢く、遙かに大切な物をしっかり見ることができていたと言えると思います。耕して耕して肥沃にした土は、決して買うことができません。他の所から肥沃な土を持ってくればいいですって?そのような「他の所」がいつまでも存在すると信じることが楽観的に過ぎるでしょう。国際分業の結果として日本で農業が衰退し、かといって途上国の農産物は安く買いたたかれるが故に、途上国でも農業を維持するだけの力がなくなる日が、本当にこないと言えるのでしょうか。そのときには、肥沃な土をつぶしてできた成田空港から、海外の貴重で高価な肥沃な土を輸入する、という皮肉な事態も起こるかもしれませんね。
 土は買えません。同様に関係性も買えません。なのにそれらは、目に見えないというだけで、市場で評価可能な物によって圧迫され、駆逐されていってしまっているのです。(ホリエモンの「金で買えないものはない」という言葉にも、ちゃんと「あなたには金で買える物しか目に入らないだけで、それは自分の目の怠惰さや愚かさかもしれないでしょう。かわいそうに。」と教えてあげたらよかったのですが。)
 その愚かしさと共に、しかし、ここには考えねばならない点があります。都市の再開発が必ず道路の縮小ではなく拡張を伴うのはなぜか。それはやはり農地をつぶして空港を造るように、「ここではないどこか」へと通じる「道」を作っては、それによって何かが改善することを期待するという態度があるのではないでしょうか。その、「開発」といいながら、実はとても他力本願な態度こそが、「『ここではないどこか』に道を通じさせようとしているのだから、今、目の前で踏みつぶしているものの有り難みも痛みも考えないでいいのだ。」という態度をうみだしているのかもしれません。これはまた、「改革には痛みが伴う」とか「改革なくして成長なし」みたいなキャッチフレーズと同じ精神構造です(「改革」(再開発)のためなら目の前の痛み(商店街や土の荒廃)も仕方がない、という論法です。でも本当にそれでこの社会が豊かになるのでしょうか。そのこと自体については思考停止している所が「他力本願」であるのです)。こうしてみると、そのような他力本願で無責任な態度は別に小泉首相が始めた物ではなく、むしろずっと昔からこの国にあるもののようです。もちろん、それをここまで蔓延させたことは彼にもその責任の大きな一端があることは確かです。

このように、高度成長期の頃と相も変わらず、私達は大切な物を破壊しては愚にもつかない物を作っています。ただそれに今は気づいていないだけであるのです。中身のある物、かけがえのない物を必死に壊しては、どこに通じるのかもよくわからない「道」をつくっています。インターネットもその「道」の一つでしょう。そしてそれは、自分が生きるに値する目的など、何も持ち得ていないのに、ひたすら自分の生きる「道」を確保しようとするエゴイズムとも奇妙に一致しています。
 教育もまた、生きるに値する人間を育てることなく、ただ生きていく術(「道」)のみを鍛えています。豊饒な土地である人間の精神にコンクリートでふたをして滑走路を造っては、「役に立つようになった」と喜んでいる、そんな滑稽で悲惨なイメージから「離陸」することが、どれぐらいの親や教育者にできていると言えるのでしょうか。自戒の念を込めて、このことを言挙げしなければなりません。

 評論家の加藤周一さんが以前、テレビで「借景」の話をしていました。「借景」とは、遠くに望む山々を、その庭園から「借りて、見る」ことでその庭園自体の美しさとするものです。しかし、借りたくなるような「景色」は、そのような我々の愚かしさによってどんどん死滅していっているのですから、私達はその「景色」を守らねばなりません。それは自然であれ、景観であれ、豊かな土であれ、人と人との顔の見えるふれあいであれ、あるいは人の心自体であれ、です。
 「ここではない、どこかへ」思いをはせることでむしろ目の前で起きている暴力に目を閉ざすのではなく、目の前で起きている暴力にもっと気づくことができるように自分の目を鍛えていきたいものです。そして「ほかのどこでもない、ここで」起きていることに何とか責任を取ろうとしていく、それはちょうど夜勤でたった一人当直のお医者さんの下に、命に関わる重症患者が運ばれてきたときのような心持ちで、何とか責任を取ろうしていくことが大切なのだと思います。一人一人がそのように取り組むことから、借りることのできる豊かな「景色」を守ることができるのではないかと思っています。
 そして、「ほかのどこでもない、ここで」起きることに死にものぐるいで取り組み、自分の見落としによってそれを見捨ててしまうことがないかどうか悩み続ける態度の方がむしろ、「ここではないどこかへ」胸を焦がすことよりも、よほど閉塞感に詰まる「ここ」を抜け出すことにつながっていくのではないかとも考えています。閉塞感がナショナリズムなどの様々な暴力を生みつつある今こそ、どこへいくかもわからない空想に胸を焦がすことなく、目の前のものをじっと見つめて、取り組んで行かねばならないでしょう。                2006年6月1日

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