
朝日新聞さんに学校の宿題の大変さについて、取材を受けました。
僕の取材は主に「探究課題」的宿題の負担の大変さについて話しました。
この連載自体が全六回の力の入ったもの(ウェブでは25日〜29日に、紙面では5月28〜30日の朝刊教育面に載るそうです。)で、様々な角度から専門家の方の意見を聞いて、学校の宿題の大変さについて考えるきっかけになる連載であると思います。是非お読み頂けたらありがたいです。
記事で話したことの補足をすると、探究課題自体を中高生が取り組むのは、もちろんアウトプット能力を上げることに繋がります。そこはプラスでしょう。しかし、インプットが圧倒的に足りていない中高生がアウトプット課題をこなすためには、調べる時間が膨大になってしまいます。また、基礎的な内容がわかっていないため、せっかく調べたこともあまり身につきません。そのようにして「土台なきアウトプット」を大量に課され、結局パワポの作り方、動画の作成など、枝葉のアウトプット能力の向上には資するものの、肝心の内容については何も定着していないし、理解していない、ということになりがちです。
それを「私達の中高生時代とは違って、パワポとか動画作れてすごい!」と評価するのか、「いやいや学問の土台となる基礎的な知識が何も身についてない。。」と否定するのかは、それこそ子供たちにどのような教育が必要なのかのビジョンによって違うのかもしれません。しかし、まあ個人的には「パワポとか動画作成って後で覚えても良くない?」とは思います。
伝えるための手段を鍛えるばかりで、伝えるべき内容がどんどん空っぽになってしまうような教育を続ければ、子供たちはYouTuberになる以外の道はなくなるでしょう。それが我々が子供たちに望んでいる教育なのか、ということなのかな、と思います。
これは授業でのディスカッションについても同様で、ディスカッションの前提となる知識もなく、テーマについて与えられている資料を読み込む能力がないままにディスカッションをさせられている例も多く見受けられます。その場合って、まずテーマについてしっかり前提となる知識を教えた上でディスカッションをすればよいわけですが、そのプロセスは(時間がないので)省いて行われてしまえば、結局グダグダな時間にしかなりません。
アウトプットをするためには、まず前提となる知識や理解が必要です。その前提となる知識や理解の時間を大きく削って(生徒に丸投げして)アウトプット全振りにしてしまえば、結局「アウトプットすることでさらに理解が深まる」といった本来のアウトプットの効用を損なうような課題になり、よくわからないテーマについてネットの広大な海をさまよって何とか提出するだけの課題になり、時間をたくさん奪われても何一つ残らなくなります。こうした課題の出し方が少しでも減っていくことで中高生の貴重な学習時間が空費されないようにしていかねばならない、と思っています。
僕の取材は主に「探究課題」的宿題の負担の大変さについて話しました。
この連載自体が全六回の力の入ったもの(ウェブでは25日〜29日に、紙面では5月28〜30日の朝刊教育面に載るそうです。)で、様々な角度から専門家の方の意見を聞いて、学校の宿題の大変さについて考えるきっかけになる連載であると思います。是非お読み頂けたらありがたいです。
記事で話したことの補足をすると、探究課題自体を中高生が取り組むのは、もちろんアウトプット能力を上げることに繋がります。そこはプラスでしょう。しかし、インプットが圧倒的に足りていない中高生がアウトプット課題をこなすためには、調べる時間が膨大になってしまいます。また、基礎的な内容がわかっていないため、せっかく調べたこともあまり身につきません。そのようにして「土台なきアウトプット」を大量に課され、結局パワポの作り方、動画の作成など、枝葉のアウトプット能力の向上には資するものの、肝心の内容については何も定着していないし、理解していない、ということになりがちです。
それを「私達の中高生時代とは違って、パワポとか動画作れてすごい!」と評価するのか、「いやいや学問の土台となる基礎的な知識が何も身についてない。。」と否定するのかは、それこそ子供たちにどのような教育が必要なのかのビジョンによって違うのかもしれません。しかし、まあ個人的には「パワポとか動画作成って後で覚えても良くない?」とは思います。
伝えるための手段を鍛えるばかりで、伝えるべき内容がどんどん空っぽになってしまうような教育を続ければ、子供たちはYouTuberになる以外の道はなくなるでしょう。それが我々が子供たちに望んでいる教育なのか、ということなのかな、と思います。
これは授業でのディスカッションについても同様で、ディスカッションの前提となる知識もなく、テーマについて与えられている資料を読み込む能力がないままにディスカッションをさせられている例も多く見受けられます。その場合って、まずテーマについてしっかり前提となる知識を教えた上でディスカッションをすればよいわけですが、そのプロセスは(時間がないので)省いて行われてしまえば、結局グダグダな時間にしかなりません。
アウトプットをするためには、まず前提となる知識や理解が必要です。その前提となる知識や理解の時間を大きく削って(生徒に丸投げして)アウトプット全振りにしてしまえば、結局「アウトプットすることでさらに理解が深まる」といった本来のアウトプットの効用を損なうような課題になり、よくわからないテーマについてネットの広大な海をさまよって何とか提出するだけの課題になり、時間をたくさん奪われても何一つ残らなくなります。こうした課題の出し方が少しでも減っていくことで中高生の貴重な学習時間が空費されないようにしていかねばならない、と思っています。



