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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

2022年度受験を振り返って(その7)

M・K君(海城高卒)  慶應義塾大学理工学部合格(進学先)
他合格校:横浜国立大学理工学部、慶應義塾大学経済学部、上智大学理工学部、東京理科大学工学部

<登場人物>

・天使

 嚮心塾に通っていた元生徒。性格は穏やかである。

・悪魔

 天使と共に嚮心塾に通っていた元生徒。性格が悪く、ネガティブな発言が多い。

・仙人

 天使と悪魔の先輩的立ち位置。貫禄がある。



|・ω・)ノ[始]------------------------------------------------[始]



2022年、春のとある日

天使「僕たちと一緒に卒業したみんなはもう合格体験記を書き終わっているよ、早く僕らも書かないと!」

悪魔「何言ってんだよ、そんなん後でいいだろ。そもそもあいつらの合格体験記は、ただ自分語りしてるだけで、『お前の人生には興味ないんだよ!!』ってなるからつまらないんだよ。」

天使「そうかなあ、僕はみんながどんな人生を歩んできたか知れて面白かったし、これから嚮心塾に入ろうとしている人からしたら、どのような人がどのようにして合格したのかは知りたいんじゃないかと思うよ。」

悪魔「それはそうかも知れんけど、私はそういうのを書くのはごめんだぜ。」

仙人「フッフッフぅ!それならワシにいい考えがあるぞぉ!お主ら2人が嚮心塾に通ってみて良かったと思うこと、よくなかったと思うことなどについて話し合うところをそのまま台本形式で書けばいいのじゃ!それならおかたい文章が読めない人でも読みやすいじゃろ?」

天使「たしかに、それは良さそうですね!」

悪魔「でも私はそんなの書きたくねーよ。仙人が書けよ!」

仙人「フッフッフぅ!しょうがないのぉ、じゃあまず天使からしゃべってくれ。」

悪魔「おい!勝手に順番決めんじゃねーよ!嚮心塾の悪いとこの一つは、校舎が古いところだな。」

天使「もう、勝手に飛ばさないでよ。確かに大手予備校とかは校舎が綺麗なところが多いけど、嚮心塾が凄い汚いわけじゃないし、そもそも僕らは合格するために塾に行くわけだから、校舎の見た目で塾を選ぶのは間違っているよ!」



ここで仙人は魔法を使い悪魔の口のチャックを閉める。

悪魔「◎△$♪×¥●&%#?!」

仙人「フッフッフぅ!順番を守らなかった罰じゃ!天使よ、次こそしゃべってくれ。」

天使「そうだなあ、僕の思う嚮心塾の強みは授業がないことだと思います。僕はもともと授業をする別の予備校に通っていたのですが、僕はノートを取るのがすごい遅かったので、授業中はノートを取るのに必死になってしまい、内容をあまり理解できていませんでした。なので、嚮心塾みたいに自分で勉強を進められる方が実力が伸びていると感じました。」



ここで仙人は魔法を解いた。

悪魔「っっっtふぅ、順番無視しただけでこれは酷すぎるぜ。でも、授業がないことは天使みたいなとろいやつら以外にとってもいいぞ。授業は一定のペースで進んでしまうから、わかっているところを飛ばせないし、わかんない所があっても次に進まないといけない。でも勉強で大事なのはわかんないところをわかるようにすることだろ。」

仙人「フッフッフぅ!流石にさっきのはやりすぎじゃったのぉ!それじゃあ悪魔よ、なんか他に言いたいことはあるか?」

悪魔「あぁ、もちろん校舎が古いことも嫌だが、嚮心塾で私が何より嫌なのは、塾に虫が入ってくることだ。夏になると毎日7時ごろから虫が窓から入ってきて気が狂いそうだったぜ。」

天使「まあでも、それは立地の問題だからしょうがないよね、悪魔と僕が虫除けスプレーを毎日持っていってたのが懐かしいね。」

仙人「フッフッフぅ!そしたら次は天使の番じゃぞ!なんかあるか?」

天使「そうですね、先程の話と少し近いのですが、嚮心塾の利点は他の塾よりも融通が効くところだと思います。例えば悪魔は、、」

悪魔「ちょっと待て!その話は私にさせろ!私は嚮心塾で自分のギターを弾いてたぜ!これは、柳原先生に、他の塾生がいない時ならギターを弾いていいと言われたからできることだ。これによって塾生のいない朝早くから塾に来ることで勉強を早くから始められる、かつ家にギターがなくなることでダラダラとギターを弾いて時間が過ぎてしまうことを防げるという、すごい理にかなっていることだが、こんなん他の塾じゃできねーよ!」

天使「そうだね、嚮心塾であれば常識的にNGであることでも、そっちの方が良いとなることもあるから自分の意見を柳原先生にまず言ってみることが大事だよ。」

仙人「フッフッフぅ!話が長くなってきて、そろそろ読者のみんなが、ワシの『フッフッフぅ!』が鬱陶しいと感じてきたじゃろうから、2人からもう一回ずつ意見を聞いて終わろうかのぉ。」

悪魔「ぅぅぅうぅぅうぅぅ、悔しいけどもう嚮心塾の悪いところが思い浮かばないぜ。」

天使「悪魔も嚮心塾のことが好きなんだね。じゃあ僕が嚮心塾についての最後の意見を言わせてもらいます。嚮心塾は柳原先生が一人一人の生徒と真剣に向き合ってくれます。これこそが嚮心塾の最大の強みだと思います。僕との話合いはもちろん、僕の親とも一年で100回以上メールのやり取りをし、僕が最善の選択をできるようにしてくれました。柳原先生には今でも心から感謝しています。柳原先生は、私達生徒全員に常に光を照らしてくれる太陽のような存在です。このような『太陽』は、他の大手予備校にはないと思います。」

悪魔「私も同感だよ。じゃあ最後に嚮心塾の卒塾生、そして元受験生として。としての2つのアドバイスを言わせてもらうぜ。まず、『今』を変えることが大事だ。明日から改善しよう、などと考えていると永遠に改善できないし、このままだと受からない、などと考えてもモチベーションが下がるだけだ。私達は未来に何が起こるか分からないからこそ、現在においての最善の選択をすることが大事だ。そして次に、嚮心塾を信じることが大事だ。たかが1人の受験生である私達の判断より、さまざまな受験生を見てきた柳原先生の判断とでは天と地の差がある。私達が『太陽の光』を浴びて成長するためには、私達が『太陽の光』をみづから求め、たとえ受け入れ難いものであっても一度受け入れてみる必要がある。もちろん一度受け入れてみて、でも成長できないと感じたときには柳原先生に言えばいい。その時は先生は一緒に改善策を考え直してくれるだろう。」

仙人「フッフッフぅ!2人とも立派な意見を言えるようになったんじゃのぉ!それじゃあ今年の合格体験記はここで終わりとしよう!」



|・ω・)ノ[終]------------------------------------------------[終]

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2022年度受験を振り返って(その6)

T・A君(高卒認定試験)筑波大学 情報学群 知識情報・図書館学類合格(進学先)
ほか合格校:東京理科大学 工学部 建築学科(共テ利用)

この文章が合格体験記として相応しいものか迷いました。
しかしながら、良い部分だけを切り取って体験記とするのも嚮心塾には相応しくないと思うので、なるべく正確に記します。

私は中学卒業後、3年ほどバイトをしながら一人暮らしをしたり、バックパッカーをしたりしていました。
当時、大学に進学することは全く頭にありませんでしたが、ちょうど2年前に、周りの影響で受験勉強を始めることにしました。
勉強自体は嫌いではありませんでしたし、また好きな科目と嫌いな科目のむらはありましたが(数学が得意で英語が苦手でした)、進学校でそこそこの成績を収めていました。
なので、ブランクがあっても何とかなる、と考えていました。

結論に飛びますと、この2年間は、平均1日2~3時間しか勉強できず、第二志望に進学することになりました。
原因は色々考えられますが、自分自身の怠惰さが一番大きかったと思います。

ですが、そのような人間だったからこそ、嚮心塾に通っていてよかったと思います。
一日中ゲームをしていたり、関係のない気象学の専門書に一週間を費やしている受験生がいたら、退塾させられる(もしくはノータッチで月謝だけを払わさせられる)のが普通でしょうが、あの手この手で勉強時間の増やし方を考えてくださりました。

このような塾は他にあまりないと思います。

確かに絶対的な勉強時間は少なかったかも知れませんが、過去の自分と比較すると成長できました。
もし他の塾に通っていたら、もっと少なかったでしょう。進学先も合格していなかったかも知れません。前期の東京大学は不合格でしたが、理科二類の合格点を超える所まで実力をつけることができました。
ですので、嚮心塾で受験ができて本当に感謝しています。ありがとうございました。

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2022年度受験を振り返って(その5)

K・Aさん(大妻高3)日本大学医学部医学科合格(進学先)
         他合格校:埼玉医大(医)、杏林大(医)(1次合格)、聖マリアンナ医大(1次合格)

 小学生の頃はとにかく勉強が嫌いでした。塾には入っていましたが、親が共働きだったので、塾いくまで親に内緒でテレビを見たり、友達と遊んでいました。「暇だけど勉強だけはしたくないなー。滑り止めはあるし、別に大学で医学部入れれば良くね?」という感じで、親に「もし中学いいとこいけなくても大学で挽回できるよね?」と聞いて親が「もちろん」と答えてくれる度に安心してサボっていました。理科が難しい学校を第一志望にしていたのですが、結局本番は理科が取れず、滑り止めの大妻高校に入学しました。

 中学から高1までは定期テスト前日夜に詰め込むくらいで特に勉強しませんでした。プリクラばかり撮っていました。悪い時だと270人中220位もとったことがありました。この頃までに四谷学院、東進、グノーブルなどの大手予備校に通いましたが、思うようにやる気が出ず、宿題はやらずに行っていました。また、めちゃめちゃ講座をとらせようとしてくる大人たちを見て、「こいつら金のことしか考えてねえな」とも思っていました。そこから大人に対して不信感がありました。私の高校は当時、私立医学部の指定校推薦を2つ持っており、親にそれを狙えと言われたので、最初は定期テストで点数を取ろうと頑張っていましたが、どうしても教師の言うことを聞くのがだるくて、高1の途中で悪い成績を取ってしまい、早急に諦めました。

 高1の秋、親に嚮心塾を勧められ、体験授業に行きました。これ以上転塾する訳にも行かないと思い、なんとなく入塾しました。高2の夏まではコロナもあり、あまり塾に行っていませんでした。(それをいいことに1日中ベッドの上でスマホを見ながらゴロゴロしていました)高2の夏からまあまあ勉強しはじめました。高2の秋になり、自分の人生を見つめ直した時に、「このまま何にもなれなかったらやばくね」と思いはじめました。そこから、受験が終わるまで、行ける日は全て、9時半まで残るようにしました。勉強は、時間が全てではありませんが、とりあえず、勉強時間を増やすことから始めました。今まで勉強習慣が全くなかった私にとって、どんなに眠くても、やる気が起きなくても、椅子に座り続けることは、辛いけれど、意味のあることでした。冬休みは、10時間、春休みには12時間以上勉強していました。(勉強内容については後述します。)冬あたりから、遊んだり、寄り道したりすることをやめました。

 高3になりました。学校のない日は机で12〜13時間ほど勉強していました。スマホを持ち歩くのやめ、親にガラケーを買ってもらいました。これは正直かなりデカかったように思います。私はスマホを持っていると、絶対に音楽を聴き、インスタを見てしまうのですが、家の金庫にケータイをしまってもらってから、片道1時間ある電車があまりにも暇すぎて、勉強するようになりました。最初はきついですが、一週間もすれば、スマホのない生活に慣れました。

 また、私は高3になって、物理受験を決めました。高2までは生物で受験しようと思っていたので、高3の選択授業も生物を選択しようとしており、学校が融通が効かず、直前に選択科目を変更してくれなかったので、高3でも生物の授業を受けていました。私は、中学の頃から学校の授業は意味がないと思っていたので、中学時代から寝たり、内職をしたりしており、授業をできるだけ受けたくなかったので、国立受験生でありながら、私立理系受験のコースに行き、化学や国語の授業は受けないで、午前中で帰れるようにしていました(その後すぐ塾に行っていました)。本当に全時間内職をしていて、私の学校は各教科年間平均評定が10段階で3以上であればよかったので、一学期中間でできるだけ点数を取って、一学期で全科目5以上を取れるようにしていました。なので、一学期中間以降、定期テストの勉強は、前日、当日でも一切勉強せず受けました。高校時代、成績はずっと悪く、おかげで、調査書の数学の評定は5段階の2.7とかでした。学校の周りの友達には「やばいね、今回も勉強してないの?」とテストの度に笑われましたが、自分のゴールはそこじゃないと思っていたので、あまり気にしませんでした。

 高3の4、5月は、まだみんな遊んでいたので、なぜ自分がこんなに勉強しなければならないのか、なぜ自分は医者を目指しているのか、親の操り人形にされているだけなのではないかなど、結構悩みました。先生に相談すると、先生は、女性が医学部に行くことの利点などを説明してくれたので、頑張ろうと思えました。正直、直接勉強に関係のない悩みを聞いてくれるなど、ほぼボランティアみたいなことをしてくれる先生を今まで見たことがなかったので、今まで大人をあまり信じれなかった私でも、先生を信頼することができました。

 夏は、勉強時間をキープしつつ、高1の頃からやっていたダンスを週1回、犬の散歩を週2回息抜きにしていました。勉強は全て塾でしていました。

 秋からはダンスもやめ、勉強に全振りしました。冬、学校がなくなってからは、朝から晩まで勉強しました。
 受験が来ました。初めて一次合格したのが、杏林だったのですが、二次落ちしてしまい、その時は、「せっかく掴んだ一回限りの合格のチャンスが終わった」「周りに申し訳なさすぎる」という気持ちで、号泣し、発表日は話そうとすると涙が出て、帰りには母親に「もう無理だ」と泣きながら電話をかけました。次の日も午前中ずっと泣いていましたが、「別に浪人で良くね」という境地に達し、そこからどこが落ちても特に落ち込むことはありませんでした。結果、前期は埼玉医大のみ補欠合格でした。受験が始まってからも勉強し続けたおかげもあったからか、記念で受けたつもりだった後期の聖マリと日大はどちらも一次合格しました。最後だからと自分に言い聞かせ、一次が終わり、発表が出るまで、そのあとの2次試験まで周りが遊んでいる間も勉強し続けました。その結果合格することができました。

 私の模試結果は、終始E判定だったので、特に判定に一喜一憂することはありませんでした。高3の5月くらいには数学の共テ模試で20点代をとりました。その後は数学はまあまあ上がりましたが、理科は特に苦手で(高3まで中学受験から全く勉強したことがなかったので本当に1からでした)8月の共テ模試では、化学物理どちらも29点とか普通に取っていました(その29点も勘で解いていた)。物理は、『(物理の)エッセンス』をやることでだいぶわかり、10月の模試では多分70点くらい取れたのですが、化学は11、12月になっても30点代とか取っていました。ここでスタディーサプリを見始めました。今までしてきた勉強が全て繋がったような気がして、化学を初めて面白いと思えました(自分の好きな時好きな勉強ができるところも嚮心塾のいいところ)。そこからは化学が英語の次に好きになりました(遅すぎ)。共テ本番では物理63点、化学73点でした。物理は2月になってから『良問(の風)』を始め、典型問題は解けるようになりました。化学はスタサプのテキストを繰り返し解き直し、暗記では落とさないようにすることで、日大後期では一問間違いで済みました。数学は、問題集は『基礎問(題精購)』しかやったことがありません。教科書と基礎問とセンター過去問で全然足りたので、基礎が大事なんだと思い知らされました。(高校では定期テストの範囲が問題集で出されますが、私は一問も解かず、教科書のみで臨んでいました)

 私はこの1年間、努力し続けたという自信はあります。ただ成績は最後の最後までほぼ上がりませんでした。なのに先生は何故か今年行けると励ましてくれました。私は馬鹿だったので、今年行けるかもと思いつつがむしゃらに勉強し続けました。その結果、(高3秋の)最後の模試の偏差値より10以上上の学校に受かることができました。努力しても受かるかどうかはわからないけれど、努力しないで受かることは余程の天才でなければ無いと思っています。また、浪人でいいやと思って緩くやっている人で、落ちている人も見てきました。自称進(学校)に通っていて、今そこまで成績の良くない子は、高い志望校を目指す上で多くの悩みを抱えると思います。同級生にからかわれたり、勉強する環境がなかったり。私は自称進(学校)の中でも成績が良くなかったため、高1の担任には、「医学部を諦めろ」とガチで説教され、高2の担任には面談で勉強時間について聞かれ、正直に答えたら、「こんなに勉強してるのにどうして成績が上がらないの?」と笑われ、高3の担任には、何年まで浪人OKか聞かれました。それでも、在学中にこの学校に通っていることで馬鹿にされた経験や、担任、友達に夢を笑われた経験など、悔しかった思いから、「こいつらを見返したい!」という気持ちから受験を乗り切ることができました。生半可な努力では、大学受験を乗り越えることはできません。しかし、自分の中で強い思いを持てば、辛くても自分を保てるのではないかと思います。先生はどんなに馬鹿な学校に通っていても、どんなに大きな夢を持っていても、絶対に否定しません。むしろ、そこからどう上げるかということを考えてくれました。高1の時、嚮心塾を選んで本当によかったです。

 最後になりますが、(柳原)先生、チューターの方、家族には本当にお世話になりました。ありがとうございました。

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2022年度受験を振り返って(その4)

E・S君(開成高卒)   大阪大学医学部医学科合格(進学先)
                 他合格校:慶應義塾大学医学部、防衛医大(1次合格)

入学準備を大体終えました。二十歳の癖して親の助けが無ければほぼ何も出来ない。当たり前のように思えますし、当たり前なのですが、やっぱり自分は未熟だなと思ってしまいます。という訳で遅くなりましたが、自分の人生を最初から振り返りつつ、受験体験記を(長々と)書かせて頂きます。

私は4歳の頃から、姉が勉強をしているのを見て自分もやりたいと思い、勉強を始めました。勉強はどうやら自分にあっているらしく、しかもその頃は「ああ勉強ってすごい楽しいな」と思っていたこともあり、どんどん出来るようになりました。小学四年生のときにenaという塾に入塾し、最初から成績は全科目で常にトップ付近、都立私立に関わらずテストは必ず上位にいて、入塾した年には全国統一小学生テストで決勝大会に進むことが出来ました(理科について言えば全国で3位でした)。そして当時の塾の先生に「チャレンジ校として開成を受けてみないか」と持ちかけられたので実際に受けたところ、無事開成中学に合格することが出来ました。西武学園文理中学校の特待入試、学芸大学附属小金井中学校の入試も合格し、全勝でした。

元々小学五年生の時に漢検及び英検を5級~3級まで受けて合格し、中学数学を入学前の春休み1週間で終わらせていたこともあり、入学後の成績も上々でした。英検準二級も(たまたま)受かりました。当然私は有頂天になり、このまま行けば何も問題ないだろうと思うようになりました。出来すぎてしまった、失敗を味わえなかった、であるからこそ、その後出来なくなってしまったのです。実は私は当時、一時的に数学研究部及び理化学部に入部していたのですが、同級生も含め、他の人が自分の知らないことをなんでも知っていることに気が付きました。私には無理でした、私はすごく出来るのだと思っていたのに全く太刀打ちできないことがあると受け入れることが。勿論逃げました、なぜなら授業の成績は良かったから。しかし、中学二年生になった途端、英語が意味不明な記号と化しました(言い訳させて欲しいのですが、私の代の英語教師は最悪であるという噂が立つほどで、今になって思えば、ろくに文法もやらせることなく唐突に長文を読ませ始め、リスニングも非常に速いものばかり聞かせてくるため出来ない子にとっては意欲を喪失させるものであり、単語学習も上手く言えませんが…マジで変なやり方をしてたんですね)。英語にいくら重点を置いて勉強しようとも全く成績は伸びず、52点を取って皆の前で大泣きしたこともありました(70点台すらほぼ取ることがなかったのに、耐えられるはずがなかったのです)。この頃から、それまでは一日あたりのやる時間の上限を決めていたゲームに没頭し始め、それをきっかけに親とも衝突し始めました。反抗期の始まり。ちなみに漢検二級は取れましたが、英検二級は落ちました。当たり前。

それでも私は「いやいや、あの天下の開成の授業がその辺の塾の授業より酷いわけが無い、きっと僕のやり方が悪いのだ」と思い続けました(家が遠い都合上、鉄緑会等有名な塾に通うことは出来ず、当時は独学でした)。中学三年生の夏頃、親に説得されて姉が通っていた嚮心塾なる塾に通うことになりましたが、やはり前向きにはなれず、さらには「文法書をひたすら読め」という塾長の言葉も信じられなかった(私は小学五年生で3級まで取ったんだぞ、そんな''よく分からない''けど初歩的なところで躓いている訳が無いだろう)。英語以外は相変わらず出来ていたし、定期考査前には勉強会を開き、友達に勉強を教えていたくらいでしたので尚更行く気なんて起きませんでした。定期考査だけ、それだけ出来たんですね。(どうでもいいですが、この辺りから人生について考えるようになりました)

高校生になりました。定期考査の勉強しかしないと、その為にそれまでの考査の勉強内容を忘れるんですよ、そういう風に頭は働きます。つまり、出来なくなりました。センスのある(であろう)数学、現代文以外の全科目。数学も段々できなくなってきました。それでも高校一年生の間は塾に行きたくない、週三〜週四で行ってましたが、単語テストにダラダラと時間をかけ(なんと5時間かけてました)、隙あらば早く帰ってそれを免罪符にゲームをする日々。逃げるのは楽しかったかな、それはそれで。さすがに先生は分かっていたんでしょうね、早く帰ろうとしている私に対して一度だけ叱ったことがありました。あまり意味は無かった。生徒の習慣を変えるのは本当に大変です、であるからこそ、塾、学校問わずほぼ全ての教師が生活習慣について言及せず、「お前らの責任だぞ」程度で切り捨てるのでしょう、一番大切なことなのに。全ての生徒に対して誠実に向き合い続けようとする塾長の姿にはやはり頭が下がります。

高校二年生になりました。この辺りから(数学と国語で偶然いい成績を取ったおかげで71位/400人となった一度を除いて)下から数えた方が早い順位を、学校の模試で取るようになりました。ようやく夏から本腰入れるようになり、英文法書を読み始めたり、高校数学の基本、即ち教科書からやり直したりしました。しかし私の学校は運動会に物凄く力を入れており、勿論私も運動会が大好きなその一人でしたので、運動会が終わる高校三年生の六月まで両立する形になりました(団長に立候補したり、エールの歌詞や振り付け等を皆で考えたりしてました)。数学は得意でしたので1A2Bの方は割とできるようになりましたが、英語の方はそもそもセンスも何も無い、始めるのが遅かったのもあってまだ全然出来ない、夏に始めたセンター英語では120~150点に落ち着き、毎日「並び替えを落とすな」「文法が甘い」と塾長に言われ続ける日々でした。しかしそれでもようやく、文法の大事さを理解し始めましたし、ほんの少しではありますが実力の伸びを感じました。

秋になり、理科を始めました、勿論基本のキから。定期考査対策としてこなしていたはずのそれらは何一つ覚えていませんでした。また東北大学の医学部医学科を目指すことになりました。多分塾長が、当時の私が目指すことができる場所として提示したのだと思います、多分。そして秋に河合塾の東北大学模試を受けました。これがたまたま上手くいってしまったんですね、B判定でした。全く出来ないはずの英語、始めたばかりの理科ですら偏差値60台を取ってしまって(重ねて言いますが、たまたまです。塾の採点は頑張ってこそいるものの、大したものじゃないんです)、すっかり勉強嫌いになっていた私にとっては「なんだ、大学受験って余裕じゃん」と思うことで逃げ道になっちゃいました。一応言っておくと、センター試験模試の方は671/900でしたから、国公立医学部を目指しているにしてはめちゃくちゃ低いのです、塾長は「いやこれ君全然、マジで伸びるよ」って仰ってくださいましたが、やっぱり私は定期的にサボるようになりました。サボる手段というか、口実なんていくらでも作れちゃうんですよ。ついでに言っておくと、センター試験のリスニングの演習でなんと一回12点/50を取ったことがあります。確率すら超越してました(4択ですので)。さらに言っておくと、防衛医大の一次試験は落ちました。そりゃあね。

防衛医大を除けば、実に6年振りの受験を迎えました。センター試験は確か714点くらい。後期は勿論無理で、前期は東北大学に出願し足切りをギリギリ回避しました(塾長と「これ多分僕最下位ですよね」なんて話し合ってました)。東北大学は結局不合格で、それも不合格者ランクF判定(つまりほぼ最下位)でした。英語は勿論のこと、いくら理科や数学が得意とは言っても大して身を入れていなかったこと、数学が極端に易化したのに計算ミスを連発したこと等、ボロボロでした。余談を挟むと、私は試験直後は「受かった!」なんて思いました、実力が無かったから。親にもそう言っちゃった、最低だ。浪人の始まり。

コロナが流行り始めました。やる気は起きなかったので、4月~6月の間、家にこもりました。一応5月に入ってからは、一日にした勉強の内容及び時間を塾長にメールで送るという形をとり、8〜12時間の勉強時間を確保していました。コロナが全く収束しそうになかったので、腹を括って7月から塾に通い始めました。文法や英文解釈をひたすらやっていたお陰か、センター英語で9割以上を取れるようになりました。伸びを感じれば勉強なんて楽しくなります、夏休みの間は一日15時間勉強しました、一番早くに塾に来ようとか、そんなこと考えつつモチベを維持しました。いつしか、京大医学部か理科三類を目指すようになりました。今だから白状しておくと、理科三類に行きたいと思うようになりました(一応述べておくと決して学歴の為ではなく、自分なりに目指したい、本当に大切な理由があったのですが、他人からすれば極めてしょうもない事柄ですのでこれだけは隠させて頂きます)。今度は防衛医大の一次試験に合格することが出来ました(塾長には君の実力なら当然と言われましたが、それでも嬉しくはありました)。

努力が苦手なんですかね、さすがに長続きしませんでした。それでも理科三類に合格したチューターのK先生(2020年に合格体験記を書いておられます、是非読んでみてください)とお話する等して適度に勉強する習慣をつけていました。塾長とも色々話をし、人生についてより深く考えるようになりました。最後まで迷いましたが、この時は防衛医大の二次試験は蹴りました。特にこの頃から、塾長には試験の取り組み方について(これについては後述します)しつこく、何度も何度も繰り返し指導して頂きました。塾長曰く「猪突猛進な性格」のせいでこれが一番難しかった、最後まで足を引っ張り続けることになります。

二度目の受験がやってきました。この年は(政府の安直な考えのせいで)共通テストに変わった初の年でした。それでも、地理やリスニングが出来なかったとはいえ、東大換算で808点、後期の千葉大学医学部換算で816点。かなり成長したのだなと感じました。ただ一つ、東大を受けるにあたって支障がありました。そう、リスニングです、全く出来ない。550点中30点を占めている上、他の受験生は理科三類志望に限らず総じて得意とする部分ですので相当なビハインドでした。それでも受けたかった。結局受けさせてもらえることになり、リスニングを必死に頑張りました。しかし、流石に間に合いませんでした。本番は数学が悪問化した!と言われる年で、自分もそれに引っかかりました。塾長に「Twitterを見るなよ」と言われていたのにも関わらず見てしまい、根も葉もない噂が大量に目について気持ちを揺さぶられ、2日目の理科でも失敗し、英語の時間はもはや「早く終わってくれ」と思うレベルで、笑っちゃうほどに心で泣きながら解く感じになりました。落ちたと確信しましたのですぐ後期の勉強を始めました。
結果、後期は1450点満点で60点差で落ちました。数学では「弧」と「弦」を見間違えた為に大問1つ丸々落とし、理科でも問題文をよく読まなかった(電位の基準を取り違えた)ために丸ごと落とした問題があり、面接も上手くいかなかった、当然の結果でした。「違和感を感じたらちゃんと読み直せ」というのが先述した塾長からのアドバイスの一つでしたが、それに従えなかったがために落ちた訳です。ちなみに帰った後に東大の点数開示を見たところ、550点満点で約50点差で落ちていることが分かりました、不合格者ランクはBランク(確かEまであります)、実力はやっぱりすごい伸びたんでしょう、塾長のアドバイスがどれほど有効か、それを守らないことがどれほど愚かか、この二度の試験で痛感しました。

二浪目になりました。最初の頃は割とコツコツ勉強出来たのですが、午前中にリスニングをやるというつもりがどんどんやる気が無くなってきて、6月辺りから勉強時間が5時間ほどになりました(リスニングがどうしても出来るようにならなくて辛かった)。自分でもよく分かりませんが、一度勉強を極度に嫌ってしまったがために、いくらできるようになろうと嫌いなのは全く変わらず、その逃げ道として他のコンテンツを利用する形をずっと取り続けているのだな、というのは感じていました。ただし、決して感情の奔流にただ流されっぱなしではなく、いかにして自分が勉強(リスニングも含め)に取り組めるようにするかは常に考え続けました(私はこれを努力のための努力と呼んでいます)。結局勉強時間を取り戻すことは出来なかったのですが、秋頃になって塾長にサボり癖が(また)バレて、元々何とかしたいと思っていたのでこれをきっかけに最後の追い込みをかけることが出来ました。そういう意味では多分私自身相当に(人間として)成長したのだと思います、そういう意味ではね。
また二浪目には、一浪目は一度も受けなかった模試を受けることにしました。駿台や河合塾主催の東大京大の模試及び、駿台全国模試を受けました。東大型の模試では一度も英語で60点以上/120を取れたことがありませんでしたがそれでもB判定~C判定、京大型の模試では時にA判定を取れるようになりました。勿論、防衛医大の一次試験も通り、流石にこれ以上浪人する訳にはいかない、早く医者になるべきだと感じましたので、面接の練習をして二次試験を受けました。

3度目の受験が始まりました。一浪目までは社会科目として地理を選択していたのですが、高得点がどうしても狙えないと考えたので倫政に変え、受験直前はひたすら倫政の勉強をしました。830点は超えたいな、ぶっちゃけ普段通りに、塾長のアドバイス通りにやればそれくらいは行けるはずって思いつつ、共通テストを受けました。大惨事でした。過去最高の難易度であったからというのは勿論ですが、2日目最初の1Aであまりに極端な難易度だった為、警戒してしまったというか、気負ってしまったんですね。それよりは簡単なはずの2Bや理科でひたすらに問題文を読み間違え、設定を捉え間違え、惨憺たる結果になりました(1Aがダントツで難しいはずなのに、結局いつも通りにすることができた1Aが1番高かった)。自己採点は732点(ちなみに倫政は流石に90点取れていました)。僕は何も学んでいないじゃないか(Twitterは見なかったけど)とか、本番ってこんなに残酷だったのかとか、色々考えた。本番の重圧に耐えられなくなり、今年合格せねば自分のことを応援してくれる人達にも顔向けできないというのは元々考えていたこと、それから防衛医大の二次試験が(多分)喘息持ちというだけで落とされたために保険が無くなったことから、英語の相性が極端に悪い理科三類ではなく、京都大学医学部か大阪大学医学部に志望を変更することにし、国語の勉強すらしたくない、研究面で強いのはどちらも同じだと考え、学歴には興味が無かったので大阪大学の方を受験することに決めました(多少なりとも将来の自分に選択肢を与えられるような大学を受けたいと思っていたので、それ以外は考えませんでした)。

今年は塾長や家族と相談し、学費の面で敬遠していた慶應義塾大学医学部も受験することに決めていて、まずその一次試験を受けました。相も変わらず本番特有のミス(人生で初めて時計回りと反時計回りを間違えました!)をしたり、塾長のアドバイスの一つである「途中でわからずとも、問題文の最後まで読めばその全体像が見える」というのを守れなかったりしたりしたために不安要素こそ残りましたが、それでもかなり改善された方で、手応えは悪くありませんでした。そのまま大阪大学の入試を受けました。
数学と英語で過去最高の取り組み方ができましたが、理科で本番特有の魔物がやはり現れ、普段なら書く図を書かない、分母と分子を間違える、分数の中央のバーがマイナスに見えてしまう等、様々なミスをしました。それでも、出題ミスのあった有機化学への対応の仕方等は上手くでき、大惨事を防げました。姉や塾長に面接の話し方について色々アドバイスを頂き、面接は割といい感じに話せた、という感じで終わりました。

慶應の一次試験が合格したことが分かったので、二次試験の小論文と面接の対策を塾長と共に徹底しました。すごく良い出来でした。結局慶應は補欠となり(高得点勝負だったようです)、大阪大学の自己採点がひたすら頭を巡りましたが、千葉大学後期試験の対策をしつつ結果を待ちました。ようやく自分の受験番号を見つけることが出来ました、大阪大学医学部医学科に合格しました…(慶医も補欠合格しました)


以上が体験記となります。ちょっと自分の考えを話して終わりにしたいと思います。

まず''努力''について。
私の体験記を読めばわかると思いますが、正直なところ、私は天才なんですよね。他の人より遥かに勉強時間少なくて済んでいるし、子供の頃から多分めっちゃできていると思う。しかし勘違いしないで欲しい、これが私の精一杯の努力だったんです。つまりどういうことかと言えば、我々はただ「努力する!しなきゃ!」なんて思うだけで限界突破出来ないってことです。先程努力のための努力と言いました。既存の環境のみでできる努力なんて限られています、大事なのはいかにして努力をする環境、あるいは習慣を作り出せるか?だと思います。例えば塾長も、「家に居座り続けるとどんどん塾に行きたくなくなるから、その前にまず外に出る、そうすれば塾に行かざるを得ない」というふうにアドバイスされることがありますが、これもその一例だと思います。
さらには努力の仕方にも工夫がいります。なんで教科書が大切なんでしょう?勉強というのは伝言ゲームのように全ての要素が繋がっているものだからです。そのための基盤となるのが教科書に載っている基礎だからです。応用というのはあくまでそれぞれの要素を組み合わせたにすぎません、基礎は''簡単''なのではなく''必須''なんです。英文法における''例外''は''原則''を理解して初めて意味を持ちます。論理的に考える、というのはその要素同士を結びつける理屈に飛躍がないかを徹底的に吟味することです。それを踏まえると、いかに教科書が大切かよくわかると思います(やってみないと分からないか)。
最後に最も大切なことですが、努力って「目的を達成することが出来る確率を上げるもの」なんですよ。例えば努力したから受かるなんて、そんなことは無いんです(私は私なりに努力しましたが理科三類には至らなかった)。ただあるのは、その可能性はちゃんと縮まっているよね、ということ。そういう意味では努力は100%報われるし、一方で「受験前に俺こんなことしてる笑」みたいな自慢話がいかに愚かか分かるでしょう。その時点で彼らは確率に身を委ねているんです。そういったことを踏まえると、塾長が最後の最後までしつこくアドバイスをしようとし続けてくださるのはいかに大切なことかがよく分かる…かなと思います。

次に''人との対話''について。
学問というのは先程も言った通り、伝言ゲームのようにどんどん派生していくものです。従って勉強すればするほど未知の事柄は増えていきます。そうなると必然的に、その時々にする判断に対し、本当にそれが正しいのかどうか疑念が生じるはずです。あるいは無意識的にしていることではあるが、そうであるが故に自分では気がつけないことがあるはずです。例えば私の場合であれば、「中学入学前の春休みに中学数学を終わらせた」と先述しましたが、なんと当時の私、プラスマイナスの定義から丁寧に全て確認していたんですね(姉にそんなことまでやってるの!と驚かれたことがあります)。当時の私は今のように深く考えてなどいませんでしたから、「基礎を徹底的に埋める」という行為を自然に行なっていたのだとおもいます。しかし、塾長の言語化のお陰で気づけているのです。(勿論塾長の場合はそれを意識してやっているわけですが、そうでなくても)人との対話が、思考をより深められるきっかけになることが分かるのではないでしょうか。

最後に''学歴至上主義''について。
例えば就職においては学歴が非常に大事であるというのは正しいことです。企業側からしてみても、新入社員を悠長に吟味している暇なんてそんなに無いはずですから仕方ない。しかし、それを人の本質を知るための大きな判断基準として据えることはまた別のお話です。そもそも我々は一人一人全く違う環境で育っています。その過去全てをたった一つの要素である''学歴''だけでどうして判断できようか?人との対話は思考をより深められるきっかけになると言いました。そのための努力の必然性も述べました。学歴によって安直に人の価値を見定めようなどとしている時点で、思考の放棄、極めて愚かなのです。思考し続けることこそ、我々自身の価値が上がるのです。私達はやっぱり、いくら生きようとずっと未熟なままなんです。
勘違いされると困るので一応言及しておくと、決して「学歴を得るための勉強が要らない」とは言っていないことに注意して頂きたい。これもまた私達の思考を深められる一つの手段でありますから、「受験勉強が要らない!」というのもまた間違っていると思います。そういう意味では、学生のうちは素直に高学歴を目指すのがいいと言えるでしょう。

総括
努力は裏切りません。生きている限り、貴方のする努力は必ず貴方の価値を高めます。生きている限り私達は途中なのです。受験のための勉強は手段であるようで、(努力のための努力により)目的にもなりうるものです。それは受験についても言えます。受験が終わったところで我々の人生は終わりませんし、その価値が確定する訳でもない、目的のように見えて所詮手段なのです。私は「既に獲得した価値観に依存し、『自分は他者に比べて優れているのだ』等と思い満足すること」を「人生の妥協」と呼んでいます。何があろうと私は途中なのだ、通過点に過ぎないのだと思って、妥協することなく努力していきたいものです(自戒)。

塾の紹介も兼ねつつ、自分の考えを未熟ながらに頑張って述べたつもりなのですが、どうでしたかね。勿論ここに述べたことは所詮青二才の一つの考え方に過ぎません、そういう考え方を私はしているのだと思っていただけると嬉しいです。
やっとスタートラインに立てました、次の目標はとりあえず医者になること。どんな医者になりたいか等もある程度考えましたが、まずならねばなりませんね。

オマケ(本題?):塾について
まあみんな書いてるし…
良いところ
・あらゆることに対して相談に乗って頂けること。
・本番の心構えや普段の勉強に対する取り組み方等への徹底的な指導(普通の予備校や塾では有り得ないと思う)。
・塾長が(ほぼ)いること。質問を繰り返していけばいくほど、どう考えていくべきかが見えてくると思う。

良くも悪くもあるところ
・授業がないところ。行きたくないな…と思った時に行かなくて済んでしまうように見えてしまう。逆に言えばこういった面をどのように対策していくかを考えざるを得ないし、他の塾等ではありえない部分だが大事なところでもある。
・テストがないところ(単語等の口述でのテストは各自で設けられる)。短期的な目標は学生からすると取り組みやすく、それを一般の塾ではテストとして設けていると思う。それがないので目標を自分で設定する必要がある(まあ塾長が相談に乗ってくれます)。まあこれも大事だよね。

悪いところ(想像です、マジで)
・(さすがに)予備校の方がより難しい問題まで質問できる(と思う)。いくら塾長が優秀とはいえ、一人で全教科やっているので…しかしまあ、それほどの問題は殆どの場合本番で解けなくていいやつなので気にしなくて良い。

最後の方、ちょっと疲れて割と適当になってしまっています、すみません。
柳原先生ありがとうございました、お世話になりました。

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2022年度受験を振り返って(その3)

K・Sさん(女子聖学院高3)
            慶應義塾大学法学部合格(進学先)

                 他合格校:明治大学商学部、明治大学経営学部

私が嚮心塾に入塾したのは中3の12月のことでした。何となく偏差値40台の女子聖学院という中高一貫校を第1志望として中学に入った私にとって、大学受験(そもそも受験勉強自体)は未知のものであり、漠然とした不安が多かったことと、三田祭に行って、キラキラしててかっこよく思えた慶應に憧れを抱き、とにかく塾に行かないと!と考えていたことがきっかけでした。それまでは委員会や部活を多くやって、テスト直前だけ勉強して(答えを丸暗記して)指定校でICUに行こうとしていたこともあり、塾に通わせる必要性を両親に納得してもらうため難関国公立を目指すと嘘をついて入塾させてもらいました。

しかし、兼部や運動会実行委員、生徒会、学外のプロジェクトなどの掛け持ちのしすぎや、元々、英検も単語帳を見ずに運で受かるっしょと思って受けるくらい、真面目に長期間勉強をしたことがなかったため、入ってすぐの頃はろくに勉強できてなかったと思います。英単語はユメタンの黄色すらなかなか定着しないし、塾に来ても眠かったり、数学が訳わかんなかったり、、、。このままでは、国公立に落ちて慶應に行くことを目標としてたのに3教科に絞らないと間に合わないのではないか、そう思って先生と両親に私立専願にしたいと伝えたのが高1の11月頃のことでした。

その後はコロナの流行もあり、学校が忙しくなくなったため勉強時間の確保ができるようになりました。

また、この頃から自分なりの勉強法や今まで何がいけなかったのかが少しずつ分かってきました。英語の文法や古文の文法が覚えられないのはそもそも国語の文法を定期テストの時に答えの記号丸覚えですましていたから文法という概念自体が初めましてであること、天才は単語を1回見たら一生覚えてられるけど自分は馬鹿だから一生覚えられないのではなく、頭のいい人も単語を復習すること、だから自分はその3倍くらい見直せば定着するかもしれないこと、参考書は赤字以外の所が読んだつもりになっていたことなどなど、、、普通は当たり前な事が、答え丸暗記、テスト直前詰め込み以外の勉強をしたことがなかった自分にとっては新しい発見でした。

また、高1の2月頃には先生に面と向かって「先生に質問が出来ない」と号泣しながら相談したりもしました。自分にとって、質問は自分の1番分からないところを聞くツールではなく、恥ずかしながら、先生に好かれる為のツールだと思っていたことと、そもそも誰かに何か自分の事を相談することが苦手だったことが原因でした。

それからは、先生に質問攻め級に前よりも沢山の質問をするようになりました。そうするうちに、小学生レベルの社会を知らないから近現代の政治史が覚えずらいとか、国語は自分の共感できる選択肢を選ぶのではなく、文章が言っていることを選ぶんだとか、本当に基礎的で普通思いつかない所でつまづいていることまでも気づいてもらい治して行くことが出来ました。

時々、自分が分からないことに逆ギレしながら質問して、先生には申し訳なかったです、、、。毎回私が理解できるようになるまで諦めずに色んな例えを用いて教えて下さり感謝しています。

高2の冬頃からは勉強で分からないこと以外の悩みや精神的な相談も出来るようになっていました。周りの友達が遊んでる中で自分1人勉強して、なんか友達減ったし、スマホも依存症なのに家に置きっぱにして、家に帰った数十分程度しか見ず、放課後の友達との寄り道も3年間で片手で数える程度に抑えて、朝から晩まで勉強づくしで、私のJKライフを勉強に捧げてやってるのになんで点数良くならないの!?!?とか、早慶じゃなきゃ私の3年間は全くの無駄になるとか、推薦にすればよかったとか沢山悩んで沢山相談してその度に先生は自分のことを卑下する私を「頑張るぞ」という気持ちにさせてくれました。特に高3の5月頃、センター国語が伸び悩み、委員会の仕事が多く3時間ほどの睡眠で毎日死んだ顔して、号泣してた私に先生が投げかけてくださった「悔しいのは頑張ってる証拠だ」という言葉は自分の支えになっていましたし、入試直前に英語が読めなくなり、先生の言うことをしっかりとやっていなかったことが原因だと分かって大号泣しても、原因が分かればそれを埋めるだけだと前向きにして下さったことには本当に感謝しています。

高3の1年間はアウトプット重視の1年だったと思います。慶應志望ということもあり、本もすすめられた物を読みました。過去問を解いては先生と作戦会議して、そこで貰ったアドバイスをノートに書き溜めて毎回の過去問練や模試、(試験開始直前にも穴が空くほど)見て修正するうちに成績もまだまだ足りなかったのですが上がっていきました。国語なんかは、こそあど言葉とは?状態で、高1の時は進研模試の偏差値43で時間内解ききることさえ出来なかったのに、高3の5月以降は1番の安定科目になりました。小論も毎回添削してもらい、本番では法と道徳についての文で先生に読まされた本にドンピシャな事だったので本当に先生が神様に思えました。

入試期間中に明日から塾来ない、受験もうしない宣言したり、常に学力への自信がなく、教養皆無で理解の遅い私が、第1志望である慶應義塾大学法学部に合格出来たのは、ほんとのほんとに先生のおかげです!合格したことへの感謝はもちろん、活字嫌いの私が法律やジェンダーなど本を読むのも悪くないなと思えるほど自分の興味のある分野ができたことにも感謝しています。

受験生活をしてた時に時々思っていた事なのですが、先生は私より、私を受からせるにはどうするかを考えてくれているなぁと思うことがよくありました。バカな自分に見合わない難しい大学を志望校としてあげたら先生はどう思うのかなとか、この質問したら呆れられるかなとかそんなの考える必要なくガチで真剣に生徒のことを考えて、寄り添ってくれる先生がいる塾、そんな嚮心塾で受験できて本当によかったです。

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2022年度受験を振り返って(その2)

K・S君(武蔵高卒)     東京大学文科2類合格(進学先)
                      他合格校:慶應経済・商、早稲田政経・商

嚮心塾に入ったのは高二の秋頃でその頃周りが大学受験を始める中、そろそろ始めなくてはという感じで塾探しを始めていました。この塾に決めたのは最初は正直、他の塾よりも緩い感じがして、全く受験勉強に手をつけていなかったことから、ここでまあとりあえずやっておこうかぐらいの気持ちでした。あとは野球部に入っていたので時間の制約が多く、いつでも教室が空いているという点に惹かれました。志望校は東大文2にしたのですが、それもお金に興味がある、野球部の先輩とか周りが東大志望が多いからなんとなくという感じでした。全く受験勉強がどういうものか分からなかったのですが先生に一から教材を紹介してもらい、何周もやって次に進めることを繰り返していました。しかし高三の時はとりあえず量をやっておけば大丈夫だろうとどこかで思っていて、わからないところや過去問での間違いを見過ごしてきたりしてその結果早慶、東大全部落ちてしまいました。やはり合格したいという焦りもあったと思います。

浪人中は前年の失敗を踏まえて、わからないところがあったらどうして間違えたのか、間違いが判明したらどうしてそういう間違いが起こったのかを全教科でひたすら徹底しました。そうすると数学だと必要十分条件を常に意識して進める、条件を整理する、図を大きくわかりやすく書く、世界史、日本史だと単語のまる覚えというよりは単語の意味、時代感や流れを意識するなど去年は表面だけ引っ掻いていたのが勉強の本質に近づいていってるような気がしてきました。また古文、漢文、英語では品詞分解、文法を徹底することに行き着き、勝手な解釈がなくなっていき、一年目ではどうせわかる人にはわかるのだろうぐらいにしか思っていなかったのですが、この解答や解釈は必然なのだと思えるようになっていきました。また現国は1番苦手にしていてわかる人にはわかるのだろうくらいにしか思っていなかったのですが、先生が何度も添削をしてくれるうちに、文章を読み、題意を精密に吟味すれば、このような解答になるのは必然と感じるようになっていきました。お陰で東大の試験では国語が一番できたのではと思っています。

わからないことに目を背けず、わからないことを受け入れて、どうして間違えているのかを考える、どうして間違いが起こっていたのかを考える。ただひたすらそれを全教科でし続けている内に分かる人にはわかるのだろうとなんとなく思っていた答えがよくよく考えると必然なのだと分かった一年でした。添削をお願いしたり、質問をさせてもらえる嚮心塾の環境はわからないことがどうして間違えているのか、どうして間違いが起こってしまったのかをひたすら行うのに最高の環境だと思います。最後に二年間わがままな態度を取ったり、無茶な質問をしたり、膨大な添削をお願いしたりそれでも最後まで自分と真摯に向き合ってくれた柳原先生、本当にありがとうございました。チューターの皆様にも助けられました、ありがとうございました。受かりたいという思いも大事ですがとにかく勉強をとことん突き詰めようと思えば、自ずと結果もついてきて、またそのようなことができる環境が嚮心塾にあると思います。

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2022年度受験を振り返って(その1)

T・K君(高卒認定試験)東京工業大学物質理工学院合格(進学先)
                  その他合格校:東京理科大学工学部情報工学科、上智大学理工学部情報工学科


小学校、中学校共に公立の所に行っていました。中学校でソフトテニス部に所属してました。当時はゲームか部活しかしていなかったので、当然頭のいい高校に進学することなどできませんでした。まあ、色々あって東北高校のスポーツコースに進学しました。

そこでは自分の実力不足を痛感する日々を送っていました。周りに追いつこうと必死に練習しようと思いましたが、そもそも練習させてもらえないこともあり、日に日に腐っていきました。まさにゴミのような生活を送っていました。そして当然、「人生詰んでるくね?」と思うようになりました。このままここにいても仕方がないので、親に高校辞めたいと相談しました。そしたらなんとドラゴン桜を勧められたのです。当時僕は馬鹿だったので(まあ今もだけど・・・)東大余裕じゃん!、なんて考えてしまいました。いやー、まんまと騙されましたねえ。そのおかげで今がある訳なんですけど。なので辞める決断はすぐにできました。

さあ予備校探し! 今から人間関係築くのだるすぎる! よって大手の予備校は論外!
どうしようかと、路頭に迷っていたら、親の知人の紹介で「嚮心塾」という怪しげな塾に出会いました。(ごめんなさい・・・)。なんとその塾授業をしないとかなんだとか。
最初は意味がわかりませんでした。さらには中学校の復習からしようとか言い出すのです!

そしたら当然、「人生詰んでるくね?」と思うようになりました。しかし半信半疑でこなしていたら、みるみる成績が上がりました。みたいな事はなく勉強が嫌になることも多々ありました。まあ基礎固めってそういう事なんだよなーとか思います。

さぁ高校3年生(の年齢)になりました。いつの日か志望校が東工大に変わってました!? なんでだろう? まぁいっか。なんか理系特化しててかっこいいし。因みに僕の得意科目は圧倒的英語です。
なんと!この時点で数3、化学、物理手をつけてない..
センター試験までには化学以外は一応終わりました。
確か点数は450前後。受けることさえ許されませんでした笑。(基準点600点を超えてないので)この年は理科大を受けました。結果は自明でしょう。

さぁ一浪目。やっと化学の勉強を始めました。化学反応式ってなに?元素記号の横とか上に付いてる数字なに?みたいなレベルから始めました。そしたら当然(略)...
まぁでも結構頑張ってワンチャン東工大ある?ぐらいの状態には持ってけました。(因みに僕は私立やセンター試験、共通テストが相性最悪なので、これらは諦めてました。なんか、こぅ、頭が動かないというか、解く気がないというか、解きたくないというか...原因は色々あると思いますがとにかく出来ませんでしたね。)この年は私立は勿論全落ち。共通テストは確か610程。
東工大は後少しでした。惜しかった。

続いて二浪目。共通テストを一年かけて対策しました。
地獄でした。点数は取れないし、花子とか太郎は無駄な会話するし、何より(学問的に)考えさせてくれなかったのでイライラしました。
他には全教科の強化をしました。英語は特にやる事無かったので色々やりました。数学は多少難易度の高い問題集をやりました。物理化学も同様です。
この年共通テストの点数は610点ぐらいでした。全く進歩してませんね。なんかここまで来ると、落ち着いてしまいました。向き不向きが顕著だなーって。
私立は理科大が合格。(なんで!?)上智は補欠。(これもなんで!?)早慶は不合格でした。(平常運行ですね)そして東工大は第一志望が情報理工学院でしたがそれはダメでした。第三志望の物質理工学院には受かりました。正直とても悔しいです。数学なんて一問も完答出来ませんでした。どうにか他の科目で耐えました。途中で諦めなくて良かったです。(一応。全大学情報理工or工で受けました。)自分の実力を正しく評価して、信じ抜くことが大切だと感じました。

そういえば。僕は高3の時に数ヶ月引きこもっていました。原因は色々ありますが、一つには、勉強が嫌になったんでしょうね。そしたら当然..。ごめんなさい。しつこいですね。まぁそんくらい精神的にヤバかったですね。
俗に言う『社会のレール』を外れてしまっても、自分を信じて頑張ることはとても大切です。例えば、引きこもりとか、中退とかをしてしまって、路頭に迷っている人が少なからず居ると思います。そんな人でも希望を持って頑張れるための環境がここにあります。人生に絶望しても、自分なりに何かを頑張りぬくことは、結果の如何に問わずとてもためになるとおもいます。僕と似たような境遇の人に対してのエールも込めて、この文章を書きました。こんな稚拙な文章を最後まで読んでくれて有難うございます。

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2020年度受験を振り返って(その7)

(昨年度の体験記が届きました!)

K・H君(海城高卒)   日本大学松戸歯学部合格(進学先)

今回このような体験記を書けていることに安堵しています。浪人生活を終えることができたのは嚮心塾の力が大きいです。今年は、今まで自分が逃げてきた自分の弱さに向き合う一年でした。

まずは自分の弱さに打ち勝てず、現役全敗に至った中高時代の話をしたいと思います。
海城に進学した私は、優秀な周りについていくのに必死でとりあえず与えられたものをこなしひたすら暗記しました。その暗記もテスト前日から当日にかけて行う一夜漬けで、もちろんテストが終わればすぐ忘れます。
中2の二学期期末までこの勉強法をしていましたが、校内成績は50番以内でした。正直勉強を舐めていたと思います。変化が起きたのは中2の三学期学年末テストです。いつも通り前日まで何も勉強せず過ごしていたら、その日の夜にインフルエンザにかかりました。学年末テストは全て受けませんでしたが、学年末の成績は見込み点によって問題無く中3に進級できました。表面上は問題ない様に見えるこの2年の学年末が中3の一学期中間テストに響いてきます。それはサボりでした。
中3の学年末何もしなくてもなんとかなってしまった私は、サボるということに味をしめてしまったのです。そこからは中2までの好成績は嘘のように消え、みるみるうちに順位は落ちていき這い上がることのできないところまで落ちてしまいました。高2までにいくつか塾にも通いましたが基礎の埋まってない自分にとっては不安定な土台にモノを積んでいくようなもので、根本のサボりについてのケアがなく、何の意味もありませんでした。
勉強をやらなかった私が何をしていたかというと、部活(硬式テニス部を6年間)、遊び(内部はもちろん他校、海外の友人もいるぐらい交友関係は広かったです。)の2つは勿論なのですが、この二つぐらいなら勉強との両立は可能だと思います。その2つ以外のゲームが勉強するべき時間にどんどん浸食していったのがまずかったです。
後で調べて分かった事ですが、ゲームのようにすぐ手に入る快楽、短期的報酬に脳が慣れてしまうと、勉強のように苦労の先に達成感を得る長期的報酬を得ることよりも先に、短期的報酬を求めてしまうので中毒になりやすくSNS中毒も同じ原理だそうです。ちなみに自分がハマってしまったゲームはモンストと荒野行動です。(2020年はこの二つのアカウントを売って、完全に消したのが自分の密かな成長です。)このような学校生活を送り現役の受験は全敗に終わります。

こうして一浪としての生活がスタートしました。
先生と相談してまずは基礎からやり直しということで、センターより下のレベルでの勉強を開始しました。この時点で受験生としてのスタート地点にも立てていない、危機的状況にあります。中高6年間のツケはこういうところに現れてきます。中高6年間のツケはこれだけでなく、勉強の体力という面にも影響してきます。簡単な話、集中力が持たないのです。これには一年悩ませられることになります。習慣というのは良し悪し関係なく変えることが難しいからです。そして集中力の持たない自分が次に何をするのかというと、サボりです。あらゆる言い訳を自分にし、隙あらばサボります。サボりすぎて塾に行く時間がバラバラな自分のために、タイムカードが実装されたのは内緒のお話です。当然先生が見逃してくれるわけもなく、何回も注意されます。
自分の悪さはサボる際に嘘ついて誤魔化すことにあります。当然その嘘は見破られ、嘘を重ねることは先生との信頼関係を悪化させます。この行為は先生が親‐自分間の受験ストレス緩和に尽力していたのに、それを水の泡にするものであり、サボる→とやかく言われたくない→嘘をつく→バレる→親が狂暴化する、の負のループが出来上がりました。
同じ過ちを繰り返してしまう不甲斐ない自分にも、先生は根気よく付き合ってくれ、自分の行動を細かく分析し処置を施してくれました。これが普通の集団塾なら、自分みたいな生徒は塾代を納めるだけのお客に成り下がります。しかし嚮心塾はこんな自分みたいな生徒も何とかしようと、向き合ってくれます。嚮心塾には医学部や東大に入っていく生徒もいますが、自分みたいな出来の悪い生徒も少なくないです。ただそんな生徒にこそ向き合ってくれるのが嚮心塾です。
厳しい叱責もありましたが、浪人生活を終えることができたのは、嚮心塾のおかげです。
海城高校時代の担任には、合格報告に行った際に「絶対多浪すると思っていた」と驚かれました。それ程に自分が大学受験を一浪で終えることは、難易度が高かったということです。
とはいえレベルの高い大学ではないので、自分にもできたということは誰でもできると思います。自分が勉強出来ない方であったので、出来ない人の気持ちは良く分かります。
分からない、続かない、後回しにする、遊ぶ等、こういった勉強が出来ない要素に対して、先生は一つずつ丁寧にアプローチしてくれます。そこには本人の意志も大事になってきますが、堕落し続けることに対して何も思わない人はほとんどいないので大丈夫です。自分を変えたいけど方法が分からないという人がほとんどだと思います。そこで必ず嚮心塾の先生が生徒の力になってくれるので、安心して毎日通うことを強く勧めます。
先生は勉強面だけでなく精神面や私生活などあらゆる相談に乗ってくれます。
先生に多大な感謝と親に感謝の意を表しこの体験記を締めたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

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2021年度受験を振り返って(その6)

匿名希望   北里大学 医学部 授業料免除(進学先・第一志望)

再受験生なので、この塾での一年間のことを主に書きます。
私は最初大手予備校に入りました。しかしコロナによってオンライン授業になり、浪人を決断したのは間違いだったのではと、とても不安になりました。そこで自習する場所や個別指導を探している時に、ここの体験記を見ました。勉強の進め方は勿論、他の塾にはない試験中の実況中継や生活面までみんな詳しく書いてあり、この塾ではここまで生徒に寄り添い色々なことを考えさせていくのかと、とても衝撃を受けました。また、理3のチューターさんの「受験勉強においては才能もない。あったのはただ、諦めの悪さだけです。」「1年延びようが10年延びようが、自分の信念を諦めることに比べたらたいしたことない。」と書かれた体験記では涙を流しました。(とても素晴らしい体験記なので是非2020年に遡ってみて下さい。)このように親身な先生と素晴らしいチューターに付いていきたいという思いで、大手予備校はやめ、ここに毎日通うことにしました。
 いざ、始まると自分に甘い性格が露呈し、日々それとの闘いだったので、問題点を箇条書きにし、先生とどのように改善していったか書いていきます。

・午前から頭が働かない。
 原因は体力がないか、夜寝られないため睡眠時間が足りないかです。普通は気合論を説いてきます。気合いで改善できたら、苦労しません。自分での解決策は、夜は端末類を全て父に預け、午前は海外のカフェインの粉を塾に置かせてもらいずっと飲みました。それでも朝はテンションが低く気を抜くと二度寝してしまうので、先生に相談したところ、家族間で登校時間は8時の約束でしたが、毎日9時・ひどくても12時と無理のない目標を設定し、遅い時は毎回理由を述べました。「何時に寝たのか、何故遅くなったのか」から始まり、解決策も考え、帰る直前も声をかけてくれました。今までは言い訳ばかり考えていましたが、柳原先生は何でも受け入れてくださるので本当のことを口にすることができ、自責の念が深まります。また、周りが毎朝いることが分かるので、恥ずかしさも戒めになります。昔は平気で遅刻していましたが、今では起きるべき時は自分で起きて活動できるようになりました。

・暗記ができない
 単純作業が苦手で、演習することで覚えていましたが、覚えるべきことを覚えるとスピードにもつながります。柳原先生は毎日口頭でテストをしてくれました。英単語は、先生が口頭で発音し、私がその綴りを書きながら意味を言うというテストでした。他塾ではプリントを配るだけなので、綴りか意味かの片方しか出来ませんし、強制力もありません。私は英作が必要になってから綴りは覚えればいいと思っていました。しかし何周もするうちに似たような綴りの単語と意味をよく間違え、その対策が綴りもセットで正確に覚えることだと先生が教えてくれました。そのおかげで、英語は細かい文法まで手が回りませんでしたが、私立の長文は解けました。その他にも、英熟語や無機化学も口頭テストしていただき、暗記すればとりあえず解ける分野は「やればいいんだから」と好きになりました。

・復習ができない。
恥ずかしことに、それまで計画性がなく飽き性のため、一周やりきった問題集は少なく、単語帳すら途中で断念する程だったので、当然何周もしたという経験がありませんでした。しかし、この塾では、授業がないためその分演習にあてられるので、予習・復習が同時にできるようなもので、復習ができないという悩みは必然的になくなります。自分で解き、問題点を見つけ、解決する。そして類題でアウトプットする。忘れた頃にまたその流れでやる。どんなに素晴らしい授業を聞いても、この繰り返しをすることでしか、身に付きません。どの参考書をどんなペースでやれば繰り返せるのかは、先生が一人一人に指導してくださるので大丈夫です。単語帳は初めてボロボロになったので、捨てずに思い出にとっておきます(笑)

・全教科のバランスがうまくとれない。
 気分屋なので、一日における各科目の勉強時間や一科目の中でも放置してしまった苦手分野があるなど、偏りがありました。一日何を勉強したか報告し、次の日の計画をたてることで、放置する分野はなくなりました。勉強時間の偏りは先生から見える位置に座ることで改善していきました。先生は歩いて回るため、全員分把握していますが、敢えて自分からも先生が見えることで集中力の向上にもつながりました。個別指導に通ったこともありますが、集団授業を一対一に変えただけで、各科目断片的で総合点にはつながりませんし、自習時間までは管理してくれません。高額払うだけ無駄です。これは、全教科を教えることができる柳原先生だけができる指導であり、この塾の醍醐味です。

・過去問を有効活用できない。
 変にこだわりが強く、穴が埋まる前に解くのを避けていました。当然穴が埋まることはないのでやらずに終わっていたかもしれません。
英語は過去問を解くことで、文法の穴を埋めていきました。先生は長文問題も品詞分解させ、文構造が分からないところを教えてくださったので、英文読解の勉強も同時にできました。文法問題は勿論、長文問題も文法で選択肢をきる教え方をしていただき、今までノリである程度解けていましたが、試験が終わった後正確に何割とわかるまでになりました。また、先生はその場で長文を解くこともできるので、毎日長文問題を質問できました。全生徒分解いているので本当にすごいと思います。
数学・物理・化学は、チューターさんに質問しました。赤本にない別解や周辺知識も教えて下さりました。その場ですぐ解いて下さるので、上位層のスピード感や解くまでの思考過程もわかります。

どの科目も各問題にかかった時間、解いた順番を毎回先生に報告するよう言われます。特に理科は二科目のため時間配分が命です。先生と毎回作戦を練ることで、本番では難問や出題ミスに動じず、自分の取れる問題を確実に合わせ、自分の実力を最大限に生かせます。過去問は勉強の成果をはかるものに使われがちですが、時間をはかって自分の行きたい大学の問題を解くため、その復習で得ることは多いです。使い方がよくわからない人でも、先生方の指導を受けることで、赤本を最大限に有効活用できます。

・情緒不安定。
受験生によって、メンタルがぶれる時期は異なります。6.9月に中だるみする人、直前期に緊張する人、試験中に自信喪失する人など様々です。周りは「努力は裏切らないから頑張れ」としか声をかけません。しかし、柳原先生は勉強に集中することが出来ない、勉強以外の悩みまで相談にのってくれます。私の場合、誰にも話していなかった勉強以外の悩みをずっと抱えていていましたが、アドバイスをいただいたり、両親と話すきっかけも作ってくださり、勉強に集中することができました。

・面接対策
私は昔から変わっていて社会不適合者です(泣)小論文は解いた答案の添削をお願いしました。面接では、志望動機を無難な答えにするか自分特有のことを述べるか迷いましたが、何千人もいる中で印象に残った方がいいと先生にアドバイスをいただき直前まで練りました。自分の人とは考えが違う部分をプラスに変えることができました。また、医療ネタ対策として地域医療やALS患者さんについて考えた際、例えば「障害者の生きる役割が分からない」という私の非人道的ではありますが、誰もが綺麗ごと抜きでは考えたことがないような質問にも、向き合っていただきました。ただ答えを言うのではなく、参考になる東大の過去問の文をすぐにコピーし下さり、また対話をする中で自分なりの答えをだしました。よくある一問一答の面接対策とは違い「できた人間」を作り込むことができたので、用意してない質問にも答えることができました。面接官にも「今までこんなこと言った人はいないよ。」と非常に感動され、年齢や性別のハンデも払拭するくらいの評価をいただけたと思います。これは、人生をかけて様々なことを深く考えてきた柳原先生との対話でしか成しえないものであり、私は今後も機会があれば教えを乞いたいと思っております。

以上のことから、私は授業料免除という国立大学以上に望んだ結果を収めることができました。
北里の試験では、数学があまりにも埋まらず、英語までの休み時間ずっと泣き、全体の出来を踏まえたうえでも「この大学とは縁がなかった」と泣きながら帰りました。それでも正規合格だったので、自分ができない時は周りもできていないと自信を持つべきです。少なくとも、この塾で訓練してきた生徒はそうなれるので、自信をもって欲しいです。
今、私の上記のような悩みを抱えてる方や受験するか迷ってる方の少しでも参考になれば幸いです。
最後になりましたが、私の勉強だけでなく社会復帰まで支えてくれた柳原先生、大学の試験があっても毎週長時間質問に答えてくださったチューターの方、一年間本当にありがとうございました。

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2021年度受験を振り返って(その5)

O・Kさん(立教女学院高3) 
東京外国語大学言語文化学部ロシア・ウズベク・モンゴル学科合格(進学先)



私はこの4月から第一志望校の東京外国語大学に進学することが決まりました。今年受験した唯一の大学でした。

私は中学受験をして、大学附属の中高一貫校に通っていました。この学校は中学から英語教育に力を入れているのが売りで、英語の特別プログラムなどもたくさん用意されており、私はそこそこ楽しんで参加していました。とにかく英語の長文を読ませ、英語に慣れさせることが中心の授業だったため、文法はざっくりとしたことしか勉強していませんでしたが、試験は授業でやった英文を丸々暗記すればなんの問題もありませんでした。恥ずかしながら、私は"本質を理解しないままの丸暗記だけでどうにでもなる"試験で毎回高得点が取れるのをいいことに、(中学3年の時点で英検2級を取得していたのもありますが)中学時代は自分は英語がものすごく得意なんだろうと思い込んでいました。実際全くそんなことはなく、高校に上がると同時に、自分は別に英語ができるわけではなかったということを痛感しました。文法や語法の知識がきちんと身に付いていなかったためにしばしば躓くようになっていたからです。附属の大学には進学せず大学受験をする、と決めたものの、高校1年の間はろくに勉強をしていませんでした。英語は躓いたままでしたが、前より英語ができないな、という程度に考えてあまり気にしていませんでした。

受験勉強を始めたのは高校2年の4月からで、はじめは河合塾に通っていました。受験勉強とはいってもその時は英語だけで、一番上のクラスで受講していましたが、そもそも文法語法の基礎が全くといっていいほど身に付いていなかったため、入試問題をひたすら解くという授業は恐らく今の自分には意味がない、自分はそのレベルに達していない、と思い河合塾をやめました。そして高2の9月から、両親にすすめられた嚮心塾に通うことを決めました。入塾した時点ではもう外大を第一志望に決めていたため、先生と話し合って高2の冬までは配点の大きな英語と苦手な数学を中心に勉強することにしました。受験勉強全体を振り返ると、英語の勉強が7割ほどを占めていたと思います。まずは文法書を読んで英文法を徹底的に、そのあとは構文をつかむという勉強をしていましたが、これらの勉強を進めていくうちに、自分がいかに英語を感覚的に読んでいたかに気付き、精読の大切さを実感しました。自分の中途半端な英語力を過信せず、一から正しいやり方で英語の勉強をし直せたことは、私の受験勉強において大きな成功点だったと思っています。

英語に関しては高2の3月にはセンター試験の過去問を解いていたため、そこそこ学習が進んでいました。8月前半にはセンター試験の過去問を解き終えたので、それ以降はいろいろな国公立の過去問を解くことを始め、それと並行して英作文を10月に始めました。しかし国語と地歴の勉強を本格的に始めたのは高2の3月、公民に関してはゼロからの状態で高3の4月からだったので間に合うかどうかが少し心配でした。とはいえ、英語が最重要科目であり、自分の英語力の伸びに自信がなかったため、共通テスト前までは英語重視の勉強をしていました。共通テストが近くなると、先生と科目ごとの勉強のバランスについてもう一度話し合いました。

私は他に行きたい大学がなく、外大しか受験しない、ここに合格できなければ浪人する、と夏前には決めていましたが、後になってみると、これは苦しい決断でもあったと思います。二次試験直前は、高校の友人からの早稲田大学や慶應義塾大学合格の報告を聞くたび、友人の合格を嬉しく思うと同時に、自分は他大学を受験していないため力試しができず、そして(当たり前のことではありますが)一校も合格を貰えていないため自分に自信を持って本命に望むことができないという現実に改めて直面して、試験の結果よりもむしろ自分のこの決断は本当に正しかったのかということに悩むことがありました。そもそもこれからの人生というものは妥協の連続で、皆思い通りに行かないことがあっても多少の妥協をすることで前に進んでいるのではないか、なのに私はこんなにも頑固に一つのことに拘っていていいものなのか、という疑問も頭の中に湧いてきて、自分の英語力への自信のなさも相まって、心が折れそうにもなりました。自分の精神面の強さについて過信していたのかもしれないと感じましたが、自分の決断には責任を持たなければいけないし、私が決めた自分なりのやり方に対して私だけは疑問を抱いてはいけない、余計なことを考えて諦める瞬間が来ることだけはいけない、自分が今諦めたらこの一年は誰が肯定してくれるんだ、と思ってとても必死でした。

受験が終わった今考えると、第一志望しか受験しないというやり方のメリットは、直前期に多くの学校の過去問を解く必要がなく、本命の対策に時間をたっぷりかけられることです。私の場合は過去問15年分を2周(難しいと感じたものは3周以上)する時間がありました。一方でデメリットは先ほども述べた通り、自分の実力を試せないことや、試験慣れしないことなどがあると思います。特に試験慣れすることは重要で、入試本番は普段の実力通りを出すのはとても難しいことなので(先生にいつもそう言われていました)、本番の緊張感の中で自分が最大限の力を発揮するにはどうしたらいいのかをよく知るためには、本命以外にもいくつかの学校を受けるほうがいいのかもしれないと個人的には思いました。

二次試験直前には、先生に毎日過去問の記述と英作文の添削をしていただいていましたが、その際、試験中の時間の使い方と、そしてもう少し自分に自信を持つことを繰り返し指摘されました。時間の使い方に関しては、先生と相談して、どの問題にどれくらい時間をかけるべきかということや、どのような順番で解けばより高得点を狙えるかなどを話し合い、それは過去問を解いていく中で随分改善されました。ですが、今年は出題形式が変わったことなどから本番にそのまま使える時間配分の練習はできず、自信はあまりないまま当日を迎えました。二次試験当日は差をつけなければいけないはずの英語が思うようにいかず、回答用紙を提出した瞬間から不合格を覚悟していました。世界史は得意な範囲からの出題だったのもあり、満点近く取れたという自信がありましたが、共通テストでも英語が好成績ではなかったため、やはり英語での失敗はカバーできないだろうと思っていました。結果が全く期待できなかったので、先生と話し合い、落ちたつもりでいようということで、試験の2日後から塾で勉強していました。結局、自分の英語力が外大受験のレベルに届いていたのかどうかがよく分からないまま、消化不良で本番が終わってしまったことに少し悔しい気持ちでした。正直気は乗りませんでしたが、とにかく勉強しようと思い、夏にやっていた英文解釈の参考書の復習をしました。6月にはじめた時はひたすら難しかった参考書がスラスラすすんで、この時はじめて自分は英語の実力をしっかり固めることができていたことに気付きました。(もう少しはやくこれに気付いて自信を持てればよかったのですが、、)
努力してきたことが無駄にはならなかったと分かって本当に嬉しかったです。ありがたいことに、後日合格を貰うことができましたが、二次試験が終わってから発表までの9日間がなければ、私はずっと自信をつける機会を見つけられないままだったと思うので、この期間も勉強しようと声をかけてくださった柳原先生には本当に感謝しています。

長くなりましたが、現役で第一志望の国立大学に合格する、ということは、嚮心塾で指導を受けていなければきっと不可能だっただろうと思います。高校2年生の春の時点では外大のレベルには全く届いていなかったであろう私の英語の実力を、合格できるまでに伸ばしてくださった柳原先生には感謝しかありません。勉強の内容だけでなく、試験中の時間の使い方などの細かい部分も先生から的確なアドバイスをいただいたおかげでここまでくることができました。塾生の皆が自分の目標への強い信念を貫いている、嚮心塾という自分にとって最適な環境で勉強ができたことは、本当にラッキーなことだったと思っています。
そしてこれから大学受験を迎える方々、皆さん一人一人の努力が実を結ぶことを心からお祈りしています。今後は学び多き四年間にしたいと思っています。本当にありがとうございました。

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