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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

2024年度受験を振り返って(その1)

H・Y君(成蹊高卒)           北里大学医学部医学科(進学先)
                           他合格校:埼玉医科大医医、東邦大医(1次合格)

自分は医学部に入るまで4年かかりました。自分のこれまでの経験をまとめてみたいと思います。
受験勉強は高校3年生の夏から始めました。6月くらいから駿台の化学はとっていましたがまだ勉強は全然してませんでした。当時は医学部に入ろうとは思っておらず早慶の理工に入れればいいなぁくらいしか考えていませんでした。正直、受験舐めてました。進学校の人たちと比べると半分もやってなかったと思います。医学部は高3の冬くらいに受けてみようと考えました。将来やりたいことが特に決まってなく大学で学んだことが直接将来につながり、安定した職業のため医学部も受験しました。結果はセンターが60%くらいで早稲田の理工と私立の医学部を受けて全落ちでした。夏からでは全然間に合いませんでした。(12月に確率を一からやっていたくらいのレベルだったので)
そうして迎えた一浪目はさすがにこのままいくとまずいと思い現役の頃よりはちゃんとやりました。(1日7、8時間くらい)予備校に行くより自分で勉強した方がいいと思ったので数学のみ個別指導に通い他は全部自分でやりました。使っていた参考書は化学の新演習や物理の名門の森など難しいものばかりでしたが模試では結果がでていたのでそのまま突き進みました。偏差値も現役の頃があまりにできていなかったので10以上は伸びました。この年は、共通テストが77%くらいで私立医学部3校と国立は岐阜大学の医学部を受験しました。またこの年は医学部に絶対入りたいと思っていたので私立は医学部しか受験しませんでした。国立はこの点数では医学部はきついことはわかっていたのでこの年だけ共通テストのみで横浜国立大学が受験できたため、どっちに出願するか2日間ぐらい迷いました。迷った結果、やはり医学部に入りたかったため2浪覚悟で国立医学部に突っ込みました。結果は私立、国立ともに手も足も出ず落ちました。
2浪目は勉強時間が1浪目でも足りていなかったのと難しい問題が解けなかったから落ちたと考えてさらに難しい参考書に手を出しました。物理は難系、数学はやさしい理系数学や大学への数学のスタンダード演習など。中には解説が丁寧ではないものも含まれていたのでユーチューブで解答を一日中探したり無駄な時間を多く使ってしまいました。受験期後半には勉強を全くやる気をなくして全然勉強しませんでした。そうして共通テスト間近になると勉強しなかったので成績が1浪目よりも落ちていたので医学部は絶対無理と諦めて3浪以上になると就活が厳しくなるため共通テストすら受けずに医学部以外の学部を2校うけて偏差値が高かった方に進学しました。(一応私立医学の後期日程は全然無理でしたが2校受けました)
そうして大学へ進学した1年目は海外へ行ったりサークルに参加したりひたすらに遊びました。けど心の中に医学部を諦めた自分への劣等感がありなんかずっともやもやしてました。このもやもやを抱えたまま社会に出るとまずいと思ったのとインターンなどを通してこのまま社会に出てもやりたいことが見つからなかったので最後にもう一回だけ大学に通いながらで医学部を目指す決心をしました。仮面浪人はどうやればいいかわからなかったので友達の知り合いに同じようなことをして医学部へ進学した人を紹介してもらいました。見ず知らずの自分に1時間くらい相談に乗ってくれたため、今でも非常に感謝しています。また嚮心塾へはその人に紹介してもらい5月に嚮心塾へ相談しに行きました。相談してみると使っている参考書が難し過ぎると言われ、基礎の大切さに気がつくことができました。それから8月までは言われた通りの参考書をやりました。大学への勉強と受験勉強の両立は大変でしたが運がよくたまたま周りに仮面浪人のことを打ち明けて手伝ってくれる友達がいたので受験勉強により多くの時間を割くことができました。その人がいなかったら途中で諦めていました。また大学へは一学期のみで進級条件が満たせたので二学期は大学へは行かないで夏から嚮心塾へ通い始めました。通い始めの頃は数学は教科書をやるようにいわれ、教科書をバカにしていたのでいやいややっていました。しかし、やってみると教科書レベルのことが全然わかっていないことに気付き、それからは真剣に取り組み、数学力が日に日についていきました。また柳原先生と毎日やった教科書テストはわかってないところを指摘してくれたり問題に対する考え方などを教えてもらい、それが無かったら落ちてたと思えるくらいためになりました。この最後の年は最後の方は自分の弱さでサボってしまう日も多々ありましたが、無理だと諦めていた医学部へ合格することができました。
自分は受験勉強を通して勉強面だけで無く色々な相談にのってくれた柳原先生や大学での勉強を手伝ってくれた友達、親身に相談に乗ってもらった人、4浪も許してくれたお母さんなどさまざまな人に支えられてここまでくることができました。周りに恵まれていてとても運が良かったです。これからは今まで支えてくれた人たちへの恩を忘れず、受けた恩をこれから返せるようがんばりたいです。
今まで本当にお世話になりました。

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2023年度受験を振り返って(その3)

T・Yさん(高3) 桜美林大学航空マネジメント学群合格(進学先)

私は高校1年生のころから、パイロットになりたいという夢を持っていました。そこで、全国でもわずかなパイロット養成コースのある私立大学を目標にして、嚮心塾で受験勉強を始めました。入塾以前までまともに勉強をしてこなかった私は、教材は何を使うか、何から勉強するのかなど柳原先生に勉強の仕方を一から親身に指導していただきました。私の場合、自宅から電車で1時間30分ほどかかったため、塾に行く時間を作ることが大変でした。しかし、嚮心塾に通い始めてからは以前より毎日の自習が増えるとともに勉強の質が格段に上がったと感じました。その理由に嚮心塾の勉強環境の良さがあると思います。先生が常に同じ空間にいること、また受験という同じ目標で努力する小学生や中学生、高校生といった幅広い年齢層の姿が近くにあることで、刺激を受け続けることができモチベーションにつながりました。このような環境があったからこそ合格することができたと思います。最終的には総合型選抜での合格となりましたが、嚮心塾で学んだことは決して無駄ではありませんでした。例えば英語であれば、ただ英文を読み、問題を解くのではなく、品詞分解をするということの大切さや、数学の場合においても、問題集を解くだけではなく、まず教科書を理解するなど、全教科においての「基礎の徹底」の指導をしていただきました。このような付け焼刃ではない本質的な学習はこれからの大学での学習にも役立つことだと思います。


柳原先生にはとてもお世話になったので、恩返しができるとしたら立派なパイロットになることだと思います。いつか報告できる日が来ることを願い努力したいと思います。
ありがとうございました。

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2023年度受験を振り返って(その2)

K・Uさん (現役)   東京理科大理工学部合格(進学先)

嚮心塾には高二の夏に入塾しました。将来は建築関係の仕事に就きたいと考えていたので、建築を学べる専門性の高い高校に通っていました。専門教科の課題が多く、受験に必要な教科の学習時間とバランスをとることが難しい日々が続きましたが、先生は私の勉強の進捗状況に合わせて計画を立ててくださいました。分かりやすい参考書や先生の「基礎の徹底」などの指導で、高校の成績も徐々に上がり、指定校推薦に手が届くまでになりました。

高三の夏前には担任の先生からも「95パーセントで希望大学の推薦が通る」と伝えられていたので、これで受験を終えるつもりでした。しかし、夏休み明けの始業式に突然、希望する大学への指定校推薦が難しくなった旨が伝えられました。

予想しなかった結果と夏休みを勉強に充てなかった焦りや諦めから、しばらく受験勉強に対する気力も起きませんでしたが、その状況でも先生は前向きな言葉で私の気持ちに寄り添って励ましてくださり、一般受験に向けて気持ちを切り替えることができました。

結果的には高校の成績と専門教科の実績を活かし、公募推薦で大学に合格しましたが、これも柔軟に対応してくださった先生のお陰だと思っています。ありがとうございました。

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2023年度受験を振り返って(その1)

W・M(通信制高3) 慶應義塾大学文学部合格(進学)

プロローグ

この合格体験記は、マタイの福音書の中の「一粒の麦」という一節からインスピレーションを受 け、自分なりに解釈して書いたものです。
私が嚮心塾に入塾したのは高校二年生の春でしたが、私は当時英文法のsvocが何を意味する のかすら知りませんでした。。。ということで、まずどうしてsvocを知らないまま高校二年生にまで なることができたのかをお話させてください。
私は小学校から私立女子大附属の学校に入学しました。大学までエスカレーター進学できると いう環境で、私が全身全霊で没頭していたのが、クラシックバレエでした。ほぼ毎日レッスンをし て学校でもずっとバレエのことを考えていました。勉強のことを考えたことがありませんでした。
中学校に進学すると同時に、コンクールで強豪のバレエ教室に移籍しました。学校とスタジオを 往復し、家には寝に帰るだけというハードな毎日を過ごしていました。学校の授業は目を開けた まま寝るという高等テクニックでやりすごし、定期試験では0点を連発していました。そんな中、中 学3年の夏にドイツのバレエ学校から念願の入学許可が下り、夢への第一歩、バレエ留学をしに 私は渡独しました。

第一章 結実と墜落

私はこの留学生活を無駄にしたくない、夢を現実にしたいという強い思いから、自分自身にいくつものルールを課し、細かいスケジュールを立てました。留学でのレッスンは週6日あり、内容は とてもハードでした。クラスメイトからの遊びの誘いも全て断り、バレエのためだけに生活していました。留学して最初の6ヶ月はこの生活を維持し続け、学校も一日も休みませんでした。しかしあ る朝、学校に行こうとすると息が苦しくなり、吐き気とめまいに襲われ、遂に初めて学校を休んでしまったのです。この日から、私の心のなかで張り詰めていた何かが崩れ落ちていきました。慢性的な体調不良になり、私は非常に憂鬱になりました。学校に行くのはおろか、自分の部屋から 出るのも怖くなりました。毎日、学校を休んでしまった自分を責め続けました。徐々に体力がなく なりました。幸い留学していた都市には日本人向けの病院があり、そこでは燃え尽き症候群とうつ症状という診断を受けました。医師からは、日本に帰ることを勧められましたが、私は頑なに拒否しました。日本に帰ったら負けだと思っていたからです。しかしとうとう生活が崩壊し、夏の進級 試験を目前に、早めに日本に一時帰国することにしました。帰国したからと言って体調が改善す ることはなく、ずっと引きこもっていました。進級試験を受けられなかったので留年し、これが更に 自己嫌悪に陥る原因になりました。体調はコントロール不可能で、また精神的に混乱している事 も多く、地獄のような日々でした。更に、新型コロナウイルスによる影響で、私は物理的にも精神的にも幽閉されました。
この幽閉生活の中で、私は著名な日本人ダンサーの方のyoutubeを発見し、それを見ながらで きる限りのトレーニングをしました。バレエを感覚的なものだと考えていた私にとって、彼女のバレエ理論は全く新しいもので、私はその理論にのめり込みました。がむしゃらに練習するよりも、論理的に頭を使って基礎的な訓練を忠実に行うことのほうが、遥かに実力を伸ばせることに気づきました。(この気づきは後の受験勉強でも非常に役立ちました。)このことによって、私はレッスンに行くのがすこし楽しみになり、暗黒の生活は終わったように感じましたが、冬休みが終わった頃 からまたうつ状態に陥りました。私は絶望し、もうこれ以上戦い続けることはできないと悟りました。私は14年間のバレエ人生に幕を閉じました。まもなく実るように思えた夢は、成熟することなく、地に落ちてしまったのでした。

第二章 腐敗する、土に溶け込む。

帰国後、2週間の隔離期間を経てすぐに嚮心塾に入塾しました。バレエを辞める決断をしたとき に、母からどこでもいいから大学には絶対に行くように言われていたからです。塾長から最初に渡されたのは、中学生用の英文法の参考書でした。参考書に書いてある文法の用語は一切わからなかったです。聞いたことはあるけどどういうものかは知らないという状態でした。しかし留学先では英語でなんとなくコミュニケーションが取れていた実感があったので英語に抵抗はなく、 むしろ自分は英語ができると思っていました。今思い返すと実際には出来ていなかったのですが、この思い込みは、後の受験勉強を通して良い効果があったと思います。英会話塾にも週に1 回通い、そこでは主に英検の過去問などを解いていました。最初の2ヶ月くらいは普通に頑張っ ていたのですが、またうつ状態になり、休むことが増えました。留学時と変わらず、精神が安定し ているときと、うつ状態を繰り返すようになりました。精神科に通院をはじめましたが、投薬によっ て立ちくらみが酷くなり、状態はむしろ悪化していくように感じました。この状態を変えようと必死にもがき、どうして自分はこんな罰を受けなければならないんだろうと絶望し、ときに発狂する 日々を送っていました。
このころの勉強の進捗は、中学の英文法の参考書2冊をそれぞれ2周ずつと、高校の英文法の 参考書を進め、英単語を800個を覚えたくらいでした。この頃、英検準2級と2級に何故か合格しましたが、あまり自信になりませんでした。
高校3年生になって少ししてから、私にとって転機の兆しが現れました。それは、フランツ・カフカの「変身」との出会いです。今まで、最後には必ず主人公が報われるようなおとぎ話しか読んでこなかった自分にとって、不条理の絶望を描いたこの作品は衝撃でした。一夜にして私の世界観を変えたのです。その後、塾長からお借りした本を読んだり、内省を繰り返す中で、自分が苦しんでいるのは、なにかの罰のせいではなくただの不条理であるから、自分を責めるのではなく、不条理を受け入れ、できる努力をしていこう、そう考えるようになりました。それからも精神不安定には悩みましたが、焦燥感や自責の念に埋もれることなく、じっと嵐が過ぎ去るのを待つという姿勢で乗り越えることができるようになりました。

第三章 種と発芽

入塾した当初から、大学では心理学を学びたいと考えていました。心理カウンセラーになりたかったからです。しかし、自分の過去を振り返って、人の心を知る為には、その人の国の文化や 育った環境など、心理学の分野だけでない、その人の心を構成する様々な要素について、偏見 のない目で見ることが重要であると考えるようになりました。調べる中で、早慶の文学部が自分 にとって理想的な環境であると思いましたが、自分の力では合格には及ぶはずがないのは自明だったので、諦めていました。当時の第1志望は上智の心理で、これももちろん無謀な挑戦だったのですが、モチベーションにはなりました。塾に1時間も居ないという日もありましたが、とにかくそ の日のベストを尽くすようにしました。勉強で気をつけたことは、塾ではスマホを触らないというこ とだけでした。勉強で個人的に頑張っていたのは品詞分解と英文解釈で、品詞分解の夢を見て いた時期もあるほどやりました。英検準1級には3回落ち、4度目でやっと合格できました。合格したあたりから、「慶應を目指してみたら」と塾長に言われました。私のやる気を出すための言葉だったのかもしれませんが、塾長に言っていただけなければ慶應を実際に受験しようとは思わな かったのでとても感謝しています。高校は通信制に在籍しており、評定が取りやすかったので、も ともと上智の公募推薦を受験しようと考えていましたが、慶應の文学部の自己推薦入試に変更することにしました。しかし9月に入る前、そろそろ自己推薦書の準備を始めようとしていた矢先に、うつ状態になってしまいました。いつもより長く重い症状でした。絶望し、推薦入試どころか受験自体を辞めたくなりました。そこで、もし推薦入試が不合格で、更に一般受験の時期にうつ状態になったら、大学進学は諦めて保育士の資格を取るという計画を立て、なんとか人生を諦めな いように考える努力をし、波が引くのをじっと待ちました。結果的に約1ヶ月間引きこもり、その間何もしませんでした。
自己推薦書は塾長に何度も添削していただきました。自己推薦書の完成に時間がかかり、本 試験の対策を始める頃には、入試まで20日を切ってしまいました。私は小論文の勉強をしていな かったので、とりあえずメルカリで小論文の参考書を3冊ほど購入し、全ての参考書に共通して書 いてあることを意識しながら過去問をとき、塾長に添削していただくことを繰り返しました。毎回作文用紙が真っ赤になって帰ってきたので絶望しましたが、塾長から沢山アドバイスを頂き、とにかく解き続けました。小論文や説明問題を解くに当たって、参考になったのは、倫理の教科書と内田樹著『寝ながら学べる構造主義』です。英訳問題に関しては、以前塾でやっていた『ドラゴン・ イングリッシュ』のやり直しをしました。ちなみにAO入試対策塾などには行かず、全て嚮心塾で指 導していただきました。試験1週間前に熱を出し(コロナではなかった)、過去問も4年分しか解けなかったという状況で、私は倫理の教科書を握りしめて震えながら日吉に向かいました。塾長からとにかく書ききるように言われたので、それを意識しながら解き、練習と同じ時間配分で総合考査1,2どちらも終えることができました。そして試験から5日後、パソコンの前で吐きそうになりながら、enterボタンをクリックしました。そ こに待っていたのは「合格」の2文字でした。久しぶりに精神錯乱ではない方の発狂をしました。 実感が湧きませんでした。
今考えると、問題との相性は良かったように思えます。どの問題も自分が今まで内省していたときに考えていたことに関してで、これまでの3年間の葛藤や、内省の成果が試験で昇華されたと 感じました。そして英語と現代文の基礎の勉強の積み重ねがなければこの短期間の対策で合格することは不可能だったと思います。塾の基礎を徹底する勉強は、地味に感じて辛いときもありましたが、本番で最も大きな武器となりました。

第四章 結実、成熟

この世界は、多義性、矛盾、不条理にまみれています。それでも世界は貴方に合理的で完璧で あることを求め、それが出来なければ貴方を排除しようとします。
そんな息が詰まるような世界で、青空の美しさに感動できる精神の余裕を、私は受験勉強を通して身につけることができました。自分自身を知り、自分の欠点を認める勇気を持ち、また自分の中に自分さえも知ることが出来ない世界が広がっているということを把握することができて初めて、私は自分を信頼し、自分とともに「今」を過ごすことが出来ています。虚構的で曖昧な世界が 定義する「私」は重要ではなく、私が定義する「私」がもっとも重要で信頼できるものであると確信するために、自分との信頼関係を構築する上で、受験勉強という名の自分との戦いは非常に役 立ちました。

私の高校生活はキラキラJKライフとは全く異なるものでしたが、悔いはありません。死ぬ気で自分と向き合ったことで、得たものは沢山あります。この3年間は健康で楽しい学生生活だったとは 言えません。しかしモラトリアムとして、私はこの3年間を有意義に過ごせたのではないかと思っています。

☆番外編というより本編?:嚮心塾のここがすごい!!!

・一般入試対策、推薦入試対策、カウンセリング、進路相談すべてを塾で受けられる! 私は何度も塾で号泣しましたが、塾長は親身にずっと私の話を聞いてくださいました。進路相談 から、人生とはなにかという哲学的な相談に関しても、客観的で興味深いアドバイスを沢山頂けます。
・自習する力を身につける事ができる!
当たり前ですが、参考書が自ら教えてくれたり、理解できているか確認を取ってくれることはないので、自分で内容を噛み砕いて、ちゃんと理解できているか、説明できるか自問する必要があります。これはすごく難しいことですが、自分の力で得た知識は忘れづらいですし、「分かったつも り」になりづらいので自習することはやはり価値があると思います。
・自分の性格や特性を知れる!
塾のシステム上、自分がどれだけ自制心がないかとか、自分の集中力はどれくらい続くかとか、塾での生活を通して自分のことを知ることができます。試験での時間配分を上手く考えられたのは、自分の特性を把握できていたからだと思うので、個人的に大切な事だと思います。

おわりに

私の人生再構築を支えてくださった柳原先生には、本当に感謝の気持ちで一杯です。嚮心塾 に入塾していなかったら私は絶対に慶應に合格することはできなかったですし、大学に行くことさえ諦めていたかも知れません。大学でも塾で学んだこと、初心を忘れずに日々精進して参りま す。

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2022年度受験を振り返って(その7)

M・K(海城高卒)  慶應義塾大学理工学部合格(進学先)
他合格校:横浜国立大学理工学部、慶應義塾大学経済学部、上智大学理工学部、東京理科大学工学部

<登場人物>

・天使

 嚮心塾に通っていた元生徒。性格は穏やかである。

・悪魔

 天使と共に嚮心塾に通っていた元生徒。性格が悪く、ネガティブな発言が多い。

・仙人

 天使と悪魔の先輩的立ち位置。貫禄がある。



|・ω・)ノ[始]------------------------------------------------[始]



2022年、春のとある日

天使「僕たちと一緒に卒業したみんなはもう合格体験記を書き終わっているよ、早く僕らも書かないと!」

悪魔「何言ってんだよ、そんなん後でいいだろ。そもそもあいつらの合格体験記は、ただ自分語りしてるだけで、『お前の人生には興味ないんだよ!!』ってなるからつまらないんだよ。」

天使「そうかなあ、僕はみんながどんな人生を歩んできたか知れて面白かったし、これから嚮心塾に入ろうとしている人からしたら、どのような人がどのようにして合格したのかは知りたいんじゃないかと思うよ。」

悪魔「それはそうかも知れんけど、私はそういうのを書くのはごめんだぜ。」

仙人「フッフッフぅ!それならワシにいい考えがあるぞぉ!お主ら2人が嚮心塾に通ってみて良かったと思うこと、よくなかったと思うことなどについて話し合うところをそのまま台本形式で書けばいいのじゃ!それならおかたい文章が読めない人でも読みやすいじゃろ?」

天使「たしかに、それは良さそうですね!」

悪魔「でも私はそんなの書きたくねーよ。仙人が書けよ!」

仙人「フッフッフぅ!しょうがないのぉ、じゃあまず天使からしゃべってくれ。」

悪魔「おい!勝手に順番決めんじゃねーよ!嚮心塾の悪いとこの一つは、校舎が古いところだな。」

天使「もう、勝手に飛ばさないでよ。確かに大手予備校とかは校舎が綺麗なところが多いけど、嚮心塾が凄い汚いわけじゃないし、そもそも僕らは合格するために塾に行くわけだから、校舎の見た目で塾を選ぶのは間違っているよ!」



ここで仙人は魔法を使い悪魔の口のチャックを閉める。

悪魔「◎△$♪×¥●&%#?!」

仙人「フッフッフぅ!順番を守らなかった罰じゃ!天使よ、次こそしゃべってくれ。」

天使「そうだなあ、僕の思う嚮心塾の強みは授業がないことだと思います。僕はもともと授業をする別の予備校に通っていたのですが、僕はノートを取るのがすごい遅かったので、授業中はノートを取るのに必死になってしまい、内容をあまり理解できていませんでした。なので、嚮心塾みたいに自分で勉強を進められる方が実力が伸びていると感じました。」



ここで仙人は魔法を解いた。

悪魔「っっっtふぅ、順番無視しただけでこれは酷すぎるぜ。でも、授業がないことは天使みたいなとろいやつら以外にとってもいいぞ。授業は一定のペースで進んでしまうから、わかっているところを飛ばせないし、わかんない所があっても次に進まないといけない。でも勉強で大事なのはわかんないところをわかるようにすることだろ。」

仙人「フッフッフぅ!流石にさっきのはやりすぎじゃったのぉ!それじゃあ悪魔よ、なんか他に言いたいことはあるか?」

悪魔「あぁ、もちろん校舎が古いことも嫌だが、嚮心塾で私が何より嫌なのは、塾に虫が入ってくることだ。夏になると毎日7時ごろから虫が窓から入ってきて気が狂いそうだったぜ。」

天使「まあでも、それは立地の問題だからしょうがないよね、悪魔と僕が虫除けスプレーを毎日持っていってたのが懐かしいね。」

仙人「フッフッフぅ!そしたら次は天使の番じゃぞ!なんかあるか?」

天使「そうですね、先程の話と少し近いのですが、嚮心塾の利点は他の塾よりも融通が効くところだと思います。例えば悪魔は、、」

悪魔「ちょっと待て!その話は私にさせろ!私は嚮心塾で自分のギターを弾いてたぜ!これは、柳原先生に、他の塾生がいない時ならギターを弾いていいと言われたからできることだ。これによって塾生のいない朝早くから塾に来ることで勉強を早くから始められる、かつ家にギターがなくなることでダラダラとギターを弾いて時間が過ぎてしまうことを防げるという、すごい理にかなっていることだが、こんなん他の塾じゃできねーよ!」

天使「そうだね、嚮心塾であれば常識的にNGであることでも、そっちの方が良いとなることもあるから自分の意見を柳原先生にまず言ってみることが大事だよ。」

仙人「フッフッフぅ!話が長くなってきて、そろそろ読者のみんなが、ワシの『フッフッフぅ!』が鬱陶しいと感じてきたじゃろうから、2人からもう一回ずつ意見を聞いて終わろうかのぉ。」

悪魔「ぅぅぅうぅぅうぅぅ、悔しいけどもう嚮心塾の悪いところが思い浮かばないぜ。」

天使「悪魔も嚮心塾のことが好きなんだね。じゃあ僕が嚮心塾についての最後の意見を言わせてもらいます。嚮心塾は柳原先生が一人一人の生徒と真剣に向き合ってくれます。これこそが嚮心塾の最大の強みだと思います。僕との話合いはもちろん、僕の親とも一年で100回以上メールのやり取りをし、僕が最善の選択をできるようにしてくれました。柳原先生には今でも心から感謝しています。柳原先生は、私達生徒全員に常に光を照らしてくれる太陽のような存在です。このような『太陽』は、他の大手予備校にはないと思います。」

悪魔「私も同感だよ。じゃあ最後に嚮心塾の卒塾生、そして元受験生として。としての2つのアドバイスを言わせてもらうぜ。まず、『今』を変えることが大事だ。明日から改善しよう、などと考えていると永遠に改善できないし、このままだと受からない、などと考えてもモチベーションが下がるだけだ。私達は未来に何が起こるか分からないからこそ、現在においての最善の選択をすることが大事だ。そして次に、嚮心塾を信じることが大事だ。たかが1人の受験生である私達の判断より、さまざまな受験生を見てきた柳原先生の判断とでは天と地の差がある。私達が『太陽の光』を浴びて成長するためには、私達が『太陽の光』をみづから求め、たとえ受け入れ難いものであっても一度受け入れてみる必要がある。もちろん一度受け入れてみて、でも成長できないと感じたときには柳原先生に言えばいい。その時は先生は一緒に改善策を考え直してくれるだろう。」

仙人「フッフッフぅ!2人とも立派な意見を言えるようになったんじゃのぉ!それじゃあ今年の合格体験記はここで終わりとしよう!」



|・ω・)ノ[終]------------------------------------------------[終]

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2022年度受験を振り返って(その6)

T・A(高卒認定試験)筑波大学 情報学群 知識情報・図書館学類合格(進学先)
ほか合格校:東京理科大学 工学部 建築学科(共テ利用)

この文章が合格体験記として相応しいものか迷いました。
しかしながら、良い部分だけを切り取って体験記とするのも嚮心塾には相応しくないと思うので、なるべく正確に記します。

私は中学卒業後、3年ほどバイトをしながら一人暮らしをしたり、バックパッカーをしたりしていました。
当時、大学に進学することは全く頭にありませんでしたが、ちょうど2年前に、周りの影響で受験勉強を始めることにしました。
勉強自体は嫌いではありませんでしたし、また好きな科目と嫌いな科目のむらはありましたが(数学が得意で英語が苦手でした)、進学校でそこそこの成績を収めていました。
なので、ブランクがあっても何とかなる、と考えていました。

結論に飛びますと、この2年間は、平均1日2~3時間しか勉強できず、第二志望に進学することになりました。
原因は色々考えられますが、自分自身の怠惰さが一番大きかったと思います。

ですが、そのような人間だったからこそ、嚮心塾に通っていてよかったと思います。
一日中ゲームをしていたり、関係のない気象学の専門書に一週間を費やしている受験生がいたら、退塾させられる(もしくはノータッチで月謝だけを払わさせられる)のが普通でしょうが、あの手この手で勉強時間の増やし方を考えてくださりました。

このような塾は他にあまりないと思います。

確かに絶対的な勉強時間は少なかったかも知れませんが、過去の自分と比較すると成長できました。
もし他の塾に通っていたら、もっと少なかったでしょう。進学先も合格していなかったかも知れません。前期の東京大学は不合格でしたが、理科二類の合格点を超える所まで実力をつけることができました。
ですので、嚮心塾で受験ができて本当に感謝しています。ありがとうございました。

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2022年度受験を振り返って(その5)

K・A(大妻高3)日本大学医学部医学科合格(進学先)
         他合格校:埼玉医大(医)、杏林大(医)(1次合格)、聖マリアンナ医大(1次合格)

 小学生の頃はとにかく勉強が嫌いでした。塾には入っていましたが、親が共働きだったので、塾いくまで親に内緒でテレビを見たり、友達と遊んでいました。「暇だけど勉強だけはしたくないなー。滑り止めはあるし、別に大学で医学部入れれば良くね?」という感じで、親に「もし中学いいとこいけなくても大学で挽回できるよね?」と聞いて親が「もちろん」と答えてくれる度に安心してサボっていました。理科が難しい学校を第一志望にしていたのですが、結局本番は理科が取れず、滑り止めの大妻高校に入学しました。

 中学から高1までは定期テスト前日夜に詰め込むくらいで特に勉強しませんでした。プリクラばかり撮っていました。悪い時だと270人中220位もとったことがありました。この頃までに四谷学院、東進、グノーブルなどの大手予備校に通いましたが、思うようにやる気が出ず、宿題はやらずに行っていました。また、めちゃめちゃ講座をとらせようとしてくる大人たちを見て、「こいつら金のことしか考えてねえな」とも思っていました。そこから大人に対して不信感がありました。私の高校は当時、私立医学部の指定校推薦を2つ持っており、親にそれを狙えと言われたので、最初は定期テストで点数を取ろうと頑張っていましたが、どうしても教師の言うことを聞くのがだるくて、高1の途中で悪い成績を取ってしまい、早急に諦めました。

 高1の秋、親に嚮心塾を勧められ、体験授業に行きました。これ以上転塾する訳にも行かないと思い、なんとなく入塾しました。高2の夏まではコロナもあり、あまり塾に行っていませんでした。(それをいいことに1日中ベッドの上でスマホを見ながらゴロゴロしていました)高2の夏からまあまあ勉強しはじめました。高2の秋になり、自分の人生を見つめ直した時に、「このまま何にもなれなかったらやばくね」と思いはじめました。そこから、受験が終わるまで、行ける日は全て、9時半まで残るようにしました。勉強は、時間が全てではありませんが、とりあえず、勉強時間を増やすことから始めました。今まで勉強習慣が全くなかった私にとって、どんなに眠くても、やる気が起きなくても、椅子に座り続けることは、辛いけれど、意味のあることでした。冬休みは、10時間、春休みには12時間以上勉強していました。(勉強内容については後述します。)冬あたりから、遊んだり、寄り道したりすることをやめました。

 高3になりました。学校のない日は机で12〜13時間ほど勉強していました。スマホを持ち歩くのやめ、親にガラケーを買ってもらいました。これは正直かなりデカかったように思います。私はスマホを持っていると、絶対に音楽を聴き、インスタを見てしまうのですが、家の金庫にケータイをしまってもらってから、片道1時間ある電車があまりにも暇すぎて、勉強するようになりました。最初はきついですが、一週間もすれば、スマホのない生活に慣れました。

 また、私は高3になって、物理受験を決めました。高2までは生物で受験しようと思っていたので、高3の選択授業も生物を選択しようとしており、学校が融通が効かず、直前に選択科目を変更してくれなかったので、高3でも生物の授業を受けていました。私は、中学の頃から学校の授業は意味がないと思っていたので、中学時代から寝たり、内職をしたりしており、授業をできるだけ受けたくなかったので、国立受験生でありながら、私立理系受験のコースに行き、化学や国語の授業は受けないで、午前中で帰れるようにしていました(その後すぐ塾に行っていました)。本当に全時間内職をしていて、私の学校は各教科年間平均評定が10段階で3以上であればよかったので、一学期中間でできるだけ点数を取って、一学期で全科目5以上を取れるようにしていました。なので、一学期中間以降、定期テストの勉強は、前日、当日でも一切勉強せず受けました。高校時代、成績はずっと悪く、おかげで、調査書の数学の評定は5段階の2.7とかでした。学校の周りの友達には「やばいね、今回も勉強してないの?」とテストの度に笑われましたが、自分のゴールはそこじゃないと思っていたので、あまり気にしませんでした。

 高3の4、5月は、まだみんな遊んでいたので、なぜ自分がこんなに勉強しなければならないのか、なぜ自分は医者を目指しているのか、親の操り人形にされているだけなのではないかなど、結構悩みました。先生に相談すると、先生は、女性が医学部に行くことの利点などを説明してくれたので、頑張ろうと思えました。正直、直接勉強に関係のない悩みを聞いてくれるなど、ほぼボランティアみたいなことをしてくれる先生を今まで見たことがなかったので、今まで大人をあまり信じれなかった私でも、先生を信頼することができました。

 夏は、勉強時間をキープしつつ、高1の頃からやっていたダンスを週1回、犬の散歩を週2回息抜きにしていました。勉強は全て塾でしていました。

 秋からはダンスもやめ、勉強に全振りしました。冬、学校がなくなってからは、朝から晩まで勉強しました。
 受験が来ました。初めて一次合格したのが、杏林だったのですが、二次落ちしてしまい、その時は、「せっかく掴んだ一回限りの合格のチャンスが終わった」「周りに申し訳なさすぎる」という気持ちで、号泣し、発表日は話そうとすると涙が出て、帰りには母親に「もう無理だ」と泣きながら電話をかけました。次の日も午前中ずっと泣いていましたが、「別に浪人で良くね」という境地に達し、そこからどこが落ちても特に落ち込むことはありませんでした。結果、前期は埼玉医大のみ補欠合格でした。受験が始まってからも勉強し続けたおかげもあったからか、記念で受けたつもりだった後期の聖マリと日大はどちらも一次合格しました。最後だからと自分に言い聞かせ、一次が終わり、発表が出るまで、そのあとの2次試験まで周りが遊んでいる間も勉強し続けました。その結果合格することができました。

 私の模試結果は、終始E判定だったので、特に判定に一喜一憂することはありませんでした。高3の5月くらいには数学の共テ模試で20点代をとりました。その後は数学はまあまあ上がりましたが、理科は特に苦手で(高3まで中学受験から全く勉強したことがなかったので本当に1からでした)8月の共テ模試では、化学物理どちらも29点とか普通に取っていました(その29点も勘で解いていた)。物理は、『(物理の)エッセンス』をやることでだいぶわかり、10月の模試では多分70点くらい取れたのですが、化学は11、12月になっても30点代とか取っていました。ここでスタディーサプリを見始めました。今までしてきた勉強が全て繋がったような気がして、化学を初めて面白いと思えました(自分の好きな時好きな勉強ができるところも嚮心塾のいいところ)。そこからは化学が英語の次に好きになりました(遅すぎ)。共テ本番では物理63点、化学73点でした。物理は2月になってから『良問(の風)』を始め、典型問題は解けるようになりました。化学はスタサプのテキストを繰り返し解き直し、暗記では落とさないようにすることで、日大後期では一問間違いで済みました。数学は、問題集は『基礎問(題精購)』しかやったことがありません。教科書と基礎問とセンター過去問で全然足りたので、基礎が大事なんだと思い知らされました。(高校では定期テストの範囲が問題集で出されますが、私は一問も解かず、教科書のみで臨んでいました)

 私はこの1年間、努力し続けたという自信はあります。ただ成績は最後の最後までほぼ上がりませんでした。なのに先生は何故か今年行けると励ましてくれました。私は馬鹿だったので、今年行けるかもと思いつつがむしゃらに勉強し続けました。その結果、(高3秋の)最後の模試の偏差値より10以上上の学校に受かることができました。努力しても受かるかどうかはわからないけれど、努力しないで受かることは余程の天才でなければ無いと思っています。また、浪人でいいやと思って緩くやっている人で、落ちている人も見てきました。自称進(学校)に通っていて、今そこまで成績の良くない子は、高い志望校を目指す上で多くの悩みを抱えると思います。同級生にからかわれたり、勉強する環境がなかったり。私は自称進(学校)の中でも成績が良くなかったため、高1の担任には、「医学部を諦めろ」とガチで説教され、高2の担任には面談で勉強時間について聞かれ、正直に答えたら、「こんなに勉強してるのにどうして成績が上がらないの?」と笑われ、高3の担任には、何年まで浪人OKか聞かれました。それでも、在学中にこの学校に通っていることで馬鹿にされた経験や、担任、友達に夢を笑われた経験など、悔しかった思いから、「こいつらを見返したい!」という気持ちから受験を乗り切ることができました。生半可な努力では、大学受験を乗り越えることはできません。しかし、自分の中で強い思いを持てば、辛くても自分を保てるのではないかと思います。先生はどんなに馬鹿な学校に通っていても、どんなに大きな夢を持っていても、絶対に否定しません。むしろ、そこからどう上げるかということを考えてくれました。高1の時、嚮心塾を選んで本当によかったです。

 最後になりますが、(柳原)先生、チューターの方、家族には本当にお世話になりました。ありがとうございました。

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2022年度受験を振り返って(その4)

E・S(開成高卒)   大阪大学医学部医学科合格(進学先)
                 他合格校:慶應義塾大学医学部、防衛医大(1次合格)

入学準備を大体終えました。二十歳の癖して親の助けが無ければほぼ何も出来ない。当たり前のように思えますし、当たり前なのですが、やっぱり自分は未熟だなと思ってしまいます。という訳で遅くなりましたが、自分の人生を最初から振り返りつつ、受験体験記を(長々と)書かせて頂きます。

私は4歳の頃から、姉が勉強をしているのを見て自分もやりたいと思い、勉強を始めました。勉強はどうやら自分にあっているらしく、しかもその頃は「ああ勉強ってすごい楽しいな」と思っていたこともあり、どんどん出来るようになりました。小学四年生のときにenaという塾に入塾し、最初から成績は全科目で常にトップ付近、都立私立に関わらずテストは必ず上位にいて、入塾した年には全国統一小学生テストで決勝大会に進むことが出来ました(理科について言えば全国で3位でした)。そして当時の塾の先生に「チャレンジ校として開成を受けてみないか」と持ちかけられたので実際に受けたところ、無事開成中学に合格することが出来ました。西武学園文理中学校の特待入試、学芸大学附属小金井中学校の入試も合格し、全勝でした。

元々小学五年生の時に漢検及び英検を5級~3級まで受けて合格し、中学数学を入学前の春休み1週間で終わらせていたこともあり、入学後の成績も上々でした。英検準二級も(たまたま)受かりました。当然私は有頂天になり、このまま行けば何も問題ないだろうと思うようになりました。出来すぎてしまった、失敗を味わえなかった、であるからこそ、その後出来なくなってしまったのです。実は私は当時、一時的に数学研究部及び理化学部に入部していたのですが、同級生も含め、他の人が自分の知らないことをなんでも知っていることに気が付きました。私には無理でした、私はすごく出来るのだと思っていたのに全く太刀打ちできないことがあると受け入れることが。勿論逃げました、なぜなら授業の成績は良かったから。しかし、中学二年生になった途端、英語が意味不明な記号と化しました(言い訳させて欲しいのですが、私の代の英語教師は最悪であるという噂が立つほどで、今になって思えば、ろくに文法もやらせることなく唐突に長文を読ませ始め、リスニングも非常に速いものばかり聞かせてくるため出来ない子にとっては意欲を喪失させるものであり、単語学習も上手く言えませんが…マジで変なやり方をしてたんですね)。英語にいくら重点を置いて勉強しようとも全く成績は伸びず、52点を取って皆の前で大泣きしたこともありました(70点台すらほぼ取ることがなかったのに、耐えられるはずがなかったのです)。この頃から、それまでは一日あたりのやる時間の上限を決めていたゲームに没頭し始め、それをきっかけに親とも衝突し始めました。反抗期の始まり。ちなみに漢検二級は取れましたが、英検二級は落ちました。当たり前。

それでも私は「いやいや、あの天下の開成の授業がその辺の塾の授業より酷いわけが無い、きっと僕のやり方が悪いのだ」と思い続けました(家が遠い都合上、鉄緑会等有名な塾に通うことは出来ず、当時は独学でした)。中学三年生の夏頃、親に説得されて姉が通っていた嚮心塾なる塾に通うことになりましたが、やはり前向きにはなれず、さらには「文法書をひたすら読め」という塾長の言葉も信じられなかった(私は小学五年生で3級まで取ったんだぞ、そんな''よく分からない''けど初歩的なところで躓いている訳が無いだろう)。英語以外は相変わらず出来ていたし、定期考査前には勉強会を開き、友達に勉強を教えていたくらいでしたので尚更行く気なんて起きませんでした。定期考査だけ、それだけ出来たんですね。(どうでもいいですが、この辺りから人生について考えるようになりました)

高校生になりました。定期考査の勉強しかしないと、その為にそれまでの考査の勉強内容を忘れるんですよ、そういう風に頭は働きます。つまり、出来なくなりました。センスのある(であろう)数学、現代文以外の全科目。数学も段々できなくなってきました。それでも高校一年生の間は塾に行きたくない、週三〜週四で行ってましたが、単語テストにダラダラと時間をかけ(なんと5時間かけてました)、隙あらば早く帰ってそれを免罪符にゲームをする日々。逃げるのは楽しかったかな、それはそれで。さすがに先生は分かっていたんでしょうね、早く帰ろうとしている私に対して一度だけ叱ったことがありました。あまり意味は無かった。生徒の習慣を変えるのは本当に大変です、であるからこそ、塾、学校問わずほぼ全ての教師が生活習慣について言及せず、「お前らの責任だぞ」程度で切り捨てるのでしょう、一番大切なことなのに。全ての生徒に対して誠実に向き合い続けようとする塾長の姿にはやはり頭が下がります。

高校二年生になりました。この辺りから(数学と国語で偶然いい成績を取ったおかげで71位/400人となった一度を除いて)下から数えた方が早い順位を、学校の模試で取るようになりました。ようやく夏から本腰入れるようになり、英文法書を読み始めたり、高校数学の基本、即ち教科書からやり直したりしました。しかし私の学校は運動会に物凄く力を入れており、勿論私も運動会が大好きなその一人でしたので、運動会が終わる高校三年生の六月まで両立する形になりました(団長に立候補したり、エールの歌詞や振り付け等を皆で考えたりしてました)。数学は得意でしたので1A2Bの方は割とできるようになりましたが、英語の方はそもそもセンスも何も無い、始めるのが遅かったのもあってまだ全然出来ない、夏に始めたセンター英語では120~150点に落ち着き、毎日「並び替えを落とすな」「文法が甘い」と塾長に言われ続ける日々でした。しかしそれでもようやく、文法の大事さを理解し始めましたし、ほんの少しではありますが実力の伸びを感じました。

秋になり、理科を始めました、勿論基本のキから。定期考査対策としてこなしていたはずのそれらは何一つ覚えていませんでした。また東北大学の医学部医学科を目指すことになりました。多分塾長が、当時の私が目指すことができる場所として提示したのだと思います、多分。そして秋に河合塾の東北大学模試を受けました。これがたまたま上手くいってしまったんですね、B判定でした。全く出来ないはずの英語、始めたばかりの理科ですら偏差値60台を取ってしまって(重ねて言いますが、たまたまです。塾の採点は頑張ってこそいるものの、大したものじゃないんです)、すっかり勉強嫌いになっていた私にとっては「なんだ、大学受験って余裕じゃん」と思うことで逃げ道になっちゃいました。一応言っておくと、センター試験模試の方は671/900でしたから、国公立医学部を目指しているにしてはめちゃくちゃ低いのです、塾長は「いやこれ君全然、マジで伸びるよ」って仰ってくださいましたが、やっぱり私は定期的にサボるようになりました。サボる手段というか、口実なんていくらでも作れちゃうんですよ。ついでに言っておくと、センター試験のリスニングの演習でなんと一回12点/50を取ったことがあります。確率すら超越してました(4択ですので)。さらに言っておくと、防衛医大の一次試験は落ちました。そりゃあね。

防衛医大を除けば、実に6年振りの受験を迎えました。センター試験は確か714点くらい。後期は勿論無理で、前期は東北大学に出願し足切りをギリギリ回避しました(塾長と「これ多分僕最下位ですよね」なんて話し合ってました)。東北大学は結局不合格で、それも不合格者ランクF判定(つまりほぼ最下位)でした。英語は勿論のこと、いくら理科や数学が得意とは言っても大して身を入れていなかったこと、数学が極端に易化したのに計算ミスを連発したこと等、ボロボロでした。余談を挟むと、私は試験直後は「受かった!」なんて思いました、実力が無かったから。親にもそう言っちゃった、最低だ。浪人の始まり。

コロナが流行り始めました。やる気は起きなかったので、4月~6月の間、家にこもりました。一応5月に入ってからは、一日にした勉強の内容及び時間を塾長にメールで送るという形をとり、8〜12時間の勉強時間を確保していました。コロナが全く収束しそうになかったので、腹を括って7月から塾に通い始めました。文法や英文解釈をひたすらやっていたお陰か、センター英語で9割以上を取れるようになりました。伸びを感じれば勉強なんて楽しくなります、夏休みの間は一日15時間勉強しました、一番早くに塾に来ようとか、そんなこと考えつつモチベを維持しました。いつしか、京大医学部か理科三類を目指すようになりました。今だから白状しておくと、理科三類に行きたいと思うようになりました(一応述べておくと決して学歴の為ではなく、自分なりに目指したい、本当に大切な理由があったのですが、他人からすれば極めてしょうもない事柄ですのでこれだけは隠させて頂きます)。今度は防衛医大の一次試験に合格することが出来ました(塾長には君の実力なら当然と言われましたが、それでも嬉しくはありました)。

努力が苦手なんですかね、さすがに長続きしませんでした。それでも理科三類に合格したチューターのK先生(2020年に合格体験記を書いておられます、是非読んでみてください)とお話する等して適度に勉強する習慣をつけていました。塾長とも色々話をし、人生についてより深く考えるようになりました。最後まで迷いましたが、この時は防衛医大の二次試験は蹴りました。特にこの頃から、塾長には試験の取り組み方について(これについては後述します)しつこく、何度も何度も繰り返し指導して頂きました。塾長曰く「猪突猛進な性格」のせいでこれが一番難しかった、最後まで足を引っ張り続けることになります。

二度目の受験がやってきました。この年は(政府の安直な考えのせいで)共通テストに変わった初の年でした。それでも、地理やリスニングが出来なかったとはいえ、東大換算で808点、後期の千葉大学医学部換算で816点。かなり成長したのだなと感じました。ただ一つ、東大を受けるにあたって支障がありました。そう、リスニングです、全く出来ない。550点中30点を占めている上、他の受験生は理科三類志望に限らず総じて得意とする部分ですので相当なビハインドでした。それでも受けたかった。結局受けさせてもらえることになり、リスニングを必死に頑張りました。しかし、流石に間に合いませんでした。本番は数学が悪問化した!と言われる年で、自分もそれに引っかかりました。塾長に「Twitterを見るなよ」と言われていたのにも関わらず見てしまい、根も葉もない噂が大量に目について気持ちを揺さぶられ、2日目の理科でも失敗し、英語の時間はもはや「早く終わってくれ」と思うレベルで、笑っちゃうほどに心で泣きながら解く感じになりました。落ちたと確信しましたのですぐ後期の勉強を始めました。
結果、後期は1450点満点で60点差で落ちました。数学では「弧」と「弦」を見間違えた為に大問1つ丸々落とし、理科でも問題文をよく読まなかった(電位の基準を取り違えた)ために丸ごと落とした問題があり、面接も上手くいかなかった、当然の結果でした。「違和感を感じたらちゃんと読み直せ」というのが先述した塾長からのアドバイスの一つでしたが、それに従えなかったがために落ちた訳です。ちなみに帰った後に東大の点数開示を見たところ、550点満点で約50点差で落ちていることが分かりました、不合格者ランクはBランク(確かEまであります)、実力はやっぱりすごい伸びたんでしょう、塾長のアドバイスがどれほど有効か、それを守らないことがどれほど愚かか、この二度の試験で痛感しました。

二浪目になりました。最初の頃は割とコツコツ勉強出来たのですが、午前中にリスニングをやるというつもりがどんどんやる気が無くなってきて、6月辺りから勉強時間が5時間ほどになりました(リスニングがどうしても出来るようにならなくて辛かった)。自分でもよく分かりませんが、一度勉強を極度に嫌ってしまったがために、いくらできるようになろうと嫌いなのは全く変わらず、その逃げ道として他のコンテンツを利用する形をずっと取り続けているのだな、というのは感じていました。ただし、決して感情の奔流にただ流されっぱなしではなく、いかにして自分が勉強(リスニングも含め)に取り組めるようにするかは常に考え続けました(私はこれを努力のための努力と呼んでいます)。結局勉強時間を取り戻すことは出来なかったのですが、秋頃になって塾長にサボり癖が(また)バレて、元々何とかしたいと思っていたのでこれをきっかけに最後の追い込みをかけることが出来ました。そういう意味では多分私自身相当に(人間として)成長したのだと思います、そういう意味ではね。
また二浪目には、一浪目は一度も受けなかった模試を受けることにしました。駿台や河合塾主催の東大京大の模試及び、駿台全国模試を受けました。東大型の模試では一度も英語で60点以上/120を取れたことがありませんでしたがそれでもB判定~C判定、京大型の模試では時にA判定を取れるようになりました。勿論、防衛医大の一次試験も通り、流石にこれ以上浪人する訳にはいかない、早く医者になるべきだと感じましたので、面接の練習をして二次試験を受けました。

3度目の受験が始まりました。一浪目までは社会科目として地理を選択していたのですが、高得点がどうしても狙えないと考えたので倫政に変え、受験直前はひたすら倫政の勉強をしました。830点は超えたいな、ぶっちゃけ普段通りに、塾長のアドバイス通りにやればそれくらいは行けるはずって思いつつ、共通テストを受けました。大惨事でした。過去最高の難易度であったからというのは勿論ですが、2日目最初の1Aであまりに極端な難易度だった為、警戒してしまったというか、気負ってしまったんですね。それよりは簡単なはずの2Bや理科でひたすらに問題文を読み間違え、設定を捉え間違え、惨憺たる結果になりました(1Aがダントツで難しいはずなのに、結局いつも通りにすることができた1Aが1番高かった)。自己採点は732点(ちなみに倫政は流石に90点取れていました)。僕は何も学んでいないじゃないか(Twitterは見なかったけど)とか、本番ってこんなに残酷だったのかとか、色々考えた。本番の重圧に耐えられなくなり、今年合格せねば自分のことを応援してくれる人達にも顔向けできないというのは元々考えていたこと、それから防衛医大の二次試験が(多分)喘息持ちというだけで落とされたために保険が無くなったことから、英語の相性が極端に悪い理科三類ではなく、京都大学医学部か大阪大学医学部に志望を変更することにし、国語の勉強すらしたくない、研究面で強いのはどちらも同じだと考え、学歴には興味が無かったので大阪大学の方を受験することに決めました(多少なりとも将来の自分に選択肢を与えられるような大学を受けたいと思っていたので、それ以外は考えませんでした)。

今年は塾長や家族と相談し、学費の面で敬遠していた慶應義塾大学医学部も受験することに決めていて、まずその一次試験を受けました。相も変わらず本番特有のミス(人生で初めて時計回りと反時計回りを間違えました!)をしたり、塾長のアドバイスの一つである「途中でわからずとも、問題文の最後まで読めばその全体像が見える」というのを守れなかったりしたりしたために不安要素こそ残りましたが、それでもかなり改善された方で、手応えは悪くありませんでした。そのまま大阪大学の入試を受けました。
数学と英語で過去最高の取り組み方ができましたが、理科で本番特有の魔物がやはり現れ、普段なら書く図を書かない、分母と分子を間違える、分数の中央のバーがマイナスに見えてしまう等、様々なミスをしました。それでも、出題ミスのあった有機化学への対応の仕方等は上手くでき、大惨事を防げました。姉や塾長に面接の話し方について色々アドバイスを頂き、面接は割といい感じに話せた、という感じで終わりました。

慶應の一次試験が合格したことが分かったので、二次試験の小論文と面接の対策を塾長と共に徹底しました。すごく良い出来でした。結局慶應は補欠となり(高得点勝負だったようです)、大阪大学の自己採点がひたすら頭を巡りましたが、千葉大学後期試験の対策をしつつ結果を待ちました。ようやく自分の受験番号を見つけることが出来ました、大阪大学医学部医学科に合格しました…(慶医も補欠合格しました)


以上が体験記となります。ちょっと自分の考えを話して終わりにしたいと思います。

まず''努力''について。
私の体験記を読めばわかると思いますが、正直なところ、私は天才なんですよね。他の人より遥かに勉強時間少なくて済んでいるし、子供の頃から多分めっちゃできていると思う。しかし勘違いしないで欲しい、これが私の精一杯の努力だったんです。つまりどういうことかと言えば、我々はただ「努力する!しなきゃ!」なんて思うだけで限界突破出来ないってことです。先程努力のための努力と言いました。既存の環境のみでできる努力なんて限られています、大事なのはいかにして努力をする環境、あるいは習慣を作り出せるか?だと思います。例えば塾長も、「家に居座り続けるとどんどん塾に行きたくなくなるから、その前にまず外に出る、そうすれば塾に行かざるを得ない」というふうにアドバイスされることがありますが、これもその一例だと思います。
さらには努力の仕方にも工夫がいります。なんで教科書が大切なんでしょう?勉強というのは伝言ゲームのように全ての要素が繋がっているものだからです。そのための基盤となるのが教科書に載っている基礎だからです。応用というのはあくまでそれぞれの要素を組み合わせたにすぎません、基礎は''簡単''なのではなく''必須''なんです。英文法における''例外''は''原則''を理解して初めて意味を持ちます。論理的に考える、というのはその要素同士を結びつける理屈に飛躍がないかを徹底的に吟味することです。それを踏まえると、いかに教科書が大切かよくわかると思います(やってみないと分からないか)。
最後に最も大切なことですが、努力って「目的を達成することが出来る確率を上げるもの」なんですよ。例えば努力したから受かるなんて、そんなことは無いんです(私は私なりに努力しましたが理科三類には至らなかった)。ただあるのは、その可能性はちゃんと縮まっているよね、ということ。そういう意味では努力は100%報われるし、一方で「受験前に俺こんなことしてる笑」みたいな自慢話がいかに愚かか分かるでしょう。その時点で彼らは確率に身を委ねているんです。そういったことを踏まえると、塾長が最後の最後までしつこくアドバイスをしようとし続けてくださるのはいかに大切なことかがよく分かる…かなと思います。

次に''人との対話''について。
学問というのは先程も言った通り、伝言ゲームのようにどんどん派生していくものです。従って勉強すればするほど未知の事柄は増えていきます。そうなると必然的に、その時々にする判断に対し、本当にそれが正しいのかどうか疑念が生じるはずです。あるいは無意識的にしていることではあるが、そうであるが故に自分では気がつけないことがあるはずです。例えば私の場合であれば、「中学入学前の春休みに中学数学を終わらせた」と先述しましたが、なんと当時の私、プラスマイナスの定義から丁寧に全て確認していたんですね(姉にそんなことまでやってるの!と驚かれたことがあります)。当時の私は今のように深く考えてなどいませんでしたから、「基礎を徹底的に埋める」という行為を自然に行なっていたのだとおもいます。しかし、塾長の言語化のお陰で気づけているのです。(勿論塾長の場合はそれを意識してやっているわけですが、そうでなくても)人との対話が、思考をより深められるきっかけになることが分かるのではないでしょうか。

最後に''学歴至上主義''について。
例えば就職においては学歴が非常に大事であるというのは正しいことです。企業側からしてみても、新入社員を悠長に吟味している暇なんてそんなに無いはずですから仕方ない。しかし、それを人の本質を知るための大きな判断基準として据えることはまた別のお話です。そもそも我々は一人一人全く違う環境で育っています。その過去全てをたった一つの要素である''学歴''だけでどうして判断できようか?人との対話は思考をより深められるきっかけになると言いました。そのための努力の必然性も述べました。学歴によって安直に人の価値を見定めようなどとしている時点で、思考の放棄、極めて愚かなのです。思考し続けることこそ、我々自身の価値が上がるのです。私達はやっぱり、いくら生きようとずっと未熟なままなんです。
勘違いされると困るので一応言及しておくと、決して「学歴を得るための勉強が要らない」とは言っていないことに注意して頂きたい。これもまた私達の思考を深められる一つの手段でありますから、「受験勉強が要らない!」というのもまた間違っていると思います。そういう意味では、学生のうちは素直に高学歴を目指すのがいいと言えるでしょう。

総括
努力は裏切りません。生きている限り、貴方のする努力は必ず貴方の価値を高めます。生きている限り私達は途中なのです。受験のための勉強は手段であるようで、(努力のための努力により)目的にもなりうるものです。それは受験についても言えます。受験が終わったところで我々の人生は終わりませんし、その価値が確定する訳でもない、目的のように見えて所詮手段なのです。私は「既に獲得した価値観に依存し、『自分は他者に比べて優れているのだ』等と思い満足すること」を「人生の妥協」と呼んでいます。何があろうと私は途中なのだ、通過点に過ぎないのだと思って、妥協することなく努力していきたいものです(自戒)。

塾の紹介も兼ねつつ、自分の考えを未熟ながらに頑張って述べたつもりなのですが、どうでしたかね。勿論ここに述べたことは所詮青二才の一つの考え方に過ぎません、そういう考え方を私はしているのだと思っていただけると嬉しいです。
やっとスタートラインに立てました、次の目標はとりあえず医者になること。どんな医者になりたいか等もある程度考えましたが、まずならねばなりませんね。

オマケ(本題?):塾について
まあみんな書いてるし…
良いところ
・あらゆることに対して相談に乗って頂けること。
・本番の心構えや普段の勉強に対する取り組み方等への徹底的な指導(普通の予備校や塾では有り得ないと思う)。
・塾長が(ほぼ)いること。質問を繰り返していけばいくほど、どう考えていくべきかが見えてくると思う。

良くも悪くもあるところ
・授業がないところ。行きたくないな…と思った時に行かなくて済んでしまうように見えてしまう。逆に言えばこういった面をどのように対策していくかを考えざるを得ないし、他の塾等ではありえない部分だが大事なところでもある。
・テストがないところ(単語等の口述でのテストは各自で設けられる)。短期的な目標は学生からすると取り組みやすく、それを一般の塾ではテストとして設けていると思う。それがないので目標を自分で設定する必要がある(まあ塾長が相談に乗ってくれます)。まあこれも大事だよね。

悪いところ(想像です、マジで)
・(さすがに)予備校の方がより難しい問題まで質問できる(と思う)。いくら塾長が優秀とはいえ、一人で全教科やっているので…しかしまあ、それほどの問題は殆どの場合本番で解けなくていいやつなので気にしなくて良い。

最後の方、ちょっと疲れて割と適当になってしまっています、すみません。
柳原先生ありがとうございました、お世話になりました。

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2022年度受験を振り返って(その3)

K・S(女子聖学院高3)
            慶應義塾大学法学部合格(進学先)

                 他合格校:明治大学商学部、明治大学経営学部

私が嚮心塾に入塾したのは中3の12月のことでした。何となく偏差値40台の女子聖学院という中高一貫校を第1志望として中学に入った私にとって、大学受験(そもそも受験勉強自体)は未知のものであり、漠然とした不安が多かったことと、三田祭に行って、キラキラしててかっこよく思えた慶應に憧れを抱き、とにかく塾に行かないと!と考えていたことがきっかけでした。それまでは委員会や部活を多くやって、テスト直前だけ勉強して(答えを丸暗記して)指定校でICUに行こうとしていたこともあり、塾に通わせる必要性を両親に納得してもらうため難関国公立を目指すと嘘をついて入塾させてもらいました。

しかし、兼部や運動会実行委員、生徒会、学外のプロジェクトなどの掛け持ちのしすぎや、元々、英検も単語帳を見ずに運で受かるっしょと思って受けるくらい、真面目に長期間勉強をしたことがなかったため、入ってすぐの頃はろくに勉強できてなかったと思います。英単語はユメタンの黄色すらなかなか定着しないし、塾に来ても眠かったり、数学が訳わかんなかったり、、、。このままでは、国公立に落ちて慶應に行くことを目標としてたのに3教科に絞らないと間に合わないのではないか、そう思って先生と両親に私立専願にしたいと伝えたのが高1の11月頃のことでした。

その後はコロナの流行もあり、学校が忙しくなくなったため勉強時間の確保ができるようになりました。

また、この頃から自分なりの勉強法や今まで何がいけなかったのかが少しずつ分かってきました。英語の文法や古文の文法が覚えられないのはそもそも国語の文法を定期テストの時に答えの記号丸覚えですましていたから文法という概念自体が初めましてであること、天才は単語を1回見たら一生覚えてられるけど自分は馬鹿だから一生覚えられないのではなく、頭のいい人も単語を復習すること、だから自分はその3倍くらい見直せば定着するかもしれないこと、参考書は赤字以外の所が読んだつもりになっていたことなどなど、、、普通は当たり前な事が、答え丸暗記、テスト直前詰め込み以外の勉強をしたことがなかった自分にとっては新しい発見でした。

また、高1の2月頃には先生に面と向かって「先生に質問が出来ない」と号泣しながら相談したりもしました。自分にとって、質問は自分の1番分からないところを聞くツールではなく、恥ずかしながら、先生に好かれる為のツールだと思っていたことと、そもそも誰かに何か自分の事を相談することが苦手だったことが原因でした。

それからは、先生に質問攻め級に前よりも沢山の質問をするようになりました。そうするうちに、小学生レベルの社会を知らないから近現代の政治史が覚えずらいとか、国語は自分の共感できる選択肢を選ぶのではなく、文章が言っていることを選ぶんだとか、本当に基礎的で普通思いつかない所でつまづいていることまでも気づいてもらい治して行くことが出来ました。

時々、自分が分からないことに逆ギレしながら質問して、先生には申し訳なかったです、、、。毎回私が理解できるようになるまで諦めずに色んな例えを用いて教えて下さり感謝しています。

高2の冬頃からは勉強で分からないこと以外の悩みや精神的な相談も出来るようになっていました。周りの友達が遊んでる中で自分1人勉強して、なんか友達減ったし、スマホも依存症なのに家に置きっぱにして、家に帰った数十分程度しか見ず、放課後の友達との寄り道も3年間で片手で数える程度に抑えて、朝から晩まで勉強づくしで、私のJKライフを勉強に捧げてやってるのになんで点数良くならないの!?!?とか、早慶じゃなきゃ私の3年間は全くの無駄になるとか、推薦にすればよかったとか沢山悩んで沢山相談してその度に先生は自分のことを卑下する私を「頑張るぞ」という気持ちにさせてくれました。特に高3の5月頃、センター国語が伸び悩み、委員会の仕事が多く3時間ほどの睡眠で毎日死んだ顔して、号泣してた私に先生が投げかけてくださった「悔しいのは頑張ってる証拠だ」という言葉は自分の支えになっていましたし、入試直前に英語が読めなくなり、先生の言うことをしっかりとやっていなかったことが原因だと分かって大号泣しても、原因が分かればそれを埋めるだけだと前向きにして下さったことには本当に感謝しています。

高3の1年間はアウトプット重視の1年だったと思います。慶應志望ということもあり、本もすすめられた物を読みました。過去問を解いては先生と作戦会議して、そこで貰ったアドバイスをノートに書き溜めて毎回の過去問練や模試、(試験開始直前にも穴が空くほど)見て修正するうちに成績もまだまだ足りなかったのですが上がっていきました。国語なんかは、こそあど言葉とは?状態で、高1の時は進研模試の偏差値43で時間内解ききることさえ出来なかったのに、高3の5月以降は1番の安定科目になりました。小論も毎回添削してもらい、本番では法と道徳についての文で先生に読まされた本にドンピシャな事だったので本当に先生が神様に思えました。

入試期間中に明日から塾来ない、受験もうしない宣言したり、常に学力への自信がなく、教養皆無で理解の遅い私が、第1志望である慶應義塾大学法学部に合格出来たのは、ほんとのほんとに先生のおかげです!合格したことへの感謝はもちろん、活字嫌いの私が法律やジェンダーなど本を読むのも悪くないなと思えるほど自分の興味のある分野ができたことにも感謝しています。

受験生活をしてた時に時々思っていた事なのですが、先生は私より、私を受からせるにはどうするかを考えてくれているなぁと思うことがよくありました。バカな自分に見合わない難しい大学を志望校としてあげたら先生はどう思うのかなとか、この質問したら呆れられるかなとかそんなの考える必要なくガチで真剣に生徒のことを考えて、寄り添ってくれる先生がいる塾、そんな嚮心塾で受験できて本当によかったです。

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2022年度受験を振り返って(その2)

K・S(武蔵高卒)     東京大学文科2類合格(進学先)
                      他合格校:慶應経済・商、早稲田政経・商

嚮心塾に入ったのは高二の秋頃でその頃周りが大学受験を始める中、そろそろ始めなくてはという感じで塾探しを始めていました。この塾に決めたのは最初は正直、他の塾よりも緩い感じがして、全く受験勉強に手をつけていなかったことから、ここでまあとりあえずやっておこうかぐらいの気持ちでした。あとは野球部に入っていたので時間の制約が多く、いつでも教室が空いているという点に惹かれました。志望校は東大文2にしたのですが、それもお金に興味がある、野球部の先輩とか周りが東大志望が多いからなんとなくという感じでした。全く受験勉強がどういうものか分からなかったのですが先生に一から教材を紹介してもらい、何周もやって次に進めることを繰り返していました。しかし高三の時はとりあえず量をやっておけば大丈夫だろうとどこかで思っていて、わからないところや過去問での間違いを見過ごしてきたりしてその結果早慶、東大全部落ちてしまいました。やはり合格したいという焦りもあったと思います。

浪人中は前年の失敗を踏まえて、わからないところがあったらどうして間違えたのか、間違いが判明したらどうしてそういう間違いが起こったのかを全教科でひたすら徹底しました。そうすると数学だと必要十分条件を常に意識して進める、条件を整理する、図を大きくわかりやすく書く、世界史、日本史だと単語のまる覚えというよりは単語の意味、時代感や流れを意識するなど去年は表面だけ引っ掻いていたのが勉強の本質に近づいていってるような気がしてきました。また古文、漢文、英語では品詞分解、文法を徹底することに行き着き、勝手な解釈がなくなっていき、一年目ではどうせわかる人にはわかるのだろうぐらいにしか思っていなかったのですが、この解答や解釈は必然なのだと思えるようになっていきました。また現国は1番苦手にしていてわかる人にはわかるのだろうくらいにしか思っていなかったのですが、先生が何度も添削をしてくれるうちに、文章を読み、題意を精密に吟味すれば、このような解答になるのは必然と感じるようになっていきました。お陰で東大の試験では国語が一番できたのではと思っています。

わからないことに目を背けず、わからないことを受け入れて、どうして間違えているのかを考える、どうして間違いが起こっていたのかを考える。ただひたすらそれを全教科でし続けている内に分かる人にはわかるのだろうとなんとなく思っていた答えがよくよく考えると必然なのだと分かった一年でした。添削をお願いしたり、質問をさせてもらえる嚮心塾の環境はわからないことがどうして間違えているのか、どうして間違いが起こってしまったのかをひたすら行うのに最高の環境だと思います。最後に二年間わがままな態度を取ったり、無茶な質問をしたり、膨大な添削をお願いしたりそれでも最後まで自分と真摯に向き合ってくれた柳原先生、本当にありがとうございました。チューターの皆様にも助けられました、ありがとうございました。受かりたいという思いも大事ですがとにかく勉強をとことん突き詰めようと思えば、自ずと結果もついてきて、またそのようなことができる環境が嚮心塾にあると思います。

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