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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

塾の月謝についての考え方(その2)

さて、前回の続きです。いわゆる特待制度やスカラシップ制度がないだけではなく、嚮心塾では各種の「割引制度」がありません(あえて言えば同時にきょうだいで通っていただけるときのきょうだい割引くらいでしょうか。)。紹介割引、無料キャンペーン期間、月謝の日割りなどが全くありません。これもそのような制度を作ってはプロモーションに力を入れる大手の他塾さんと比べると「不親切」であるように思えてしまうでしょう。(まあ、そうした大手の他塾さんと比べるとそもそも月謝の額がこちらの方がはるかに低廉な月謝だとは思うのですが…。基本的にこういったところはあまり見ていただけずに「他の塾でもやってるんだから!」とリクエストされてしまうケースも多いのです)

これにも理由があります。それは、その1でも書いたように手間のかかる子を鍛えるのにはめちゃくちゃ手間がかかる、という事実に対して、こちらが腹をきめて取り組むためです。

この「手間のかかる」には色々なケースがあります。

たとえば今年東大文2に合格した子には毎日東大の英・国・社の答案を添削していました。嚮心塾の場合、解答と照らし合わせて添削ではなく、いちいち僕が入試問題を全て解き直す(としないと時間内にどの問題を深追いしてはならないか、どこまで記述の完璧さを目指すかの全体のバランスがわからない)ので、実質毎日大量の入試問題を解くことになります。彼だけでなく、今年は京大、阪大、東工大、農工大、その他私立受験生がいたため、それらの英語や国語に関しては全て自分で解いて添削をしていました。なので直前期は質問に答えていない時間帯でひたすら入試問題を解いているわけで手間はかかります。ただ、これらは「手間のかかる」受験生ではあるものの、実力が高く、「合格実績」が見込めるという意味では塾としてもコスパのよい生徒たちです。まさに「手間をかけたい」生徒であると思います。(そしてこれらの子達に手間をかけることは、殆どの塾では徹底してやっているはずです。)

一方でどうにも「合格実績」に繋がらない子たちもたくさんいます。そもそも塾をサボる、来ても寝ているか携帯をいじる、あるいはこちらが指示したとおりに勉強しない、その上でやはりそのような状態なので、勉強もできない。このような子たちにかかる手間はとてつもなく大きく、そして塾側としては「合格実績」という形の見返りはほとんどありません。機械の修理なら、「これはまるごと部品交換しないとダメなので、追加の修理代がかかりますね。」「何なら買い替えたほうが安いですよ!」とでも言えますが、塾ではこの子たちが手間がかかるからといって追加料金を請求したり、「もっとできの良いお子さんに育て直した方がいいですよ。」と言うわけにもいきません(まあ、個別指導の併用を勧めてさらにむしり取ろうとする、という塾もあるのだとは思いますが、嚮心塾にはそれはありません。)。

だとすると、塾の側のこのような子への対策としてはビジネス面を考えれば二通りしかないわけです。
①入塾を断る。(実際、成績表で「(5段階評価で)2以下」がついている子は入塾を断る塾もあると聞きます。何のための塾なのでしょうか…。)
②入塾させておいて、放置する。もちろんその子達はうからないが、「意欲のある子たちがその塾のカリキュラムで難関校に受かっている以上は、責任は塾にあるのではなく、やる気のないその子達自身のせいである!」という主張をしてお月謝だけもらう。

という二通りのアプローチが合理的であることになります。もちろん実際には
③そういう「落ちこぼれ」の子だけを見る!という名目でターゲット層を絞った塾を運営する。

という戦略もあります。多くは①か②、ときたま③がビジネスとしてなされている、というくらいでしょうか。(ただ、③に関してはシェルターとしては機能しているものの、それがそこに通う子たちにとって意味のある受験になっているのかどうかはかなり怪しいと思っています。それぐらいに勉強の基礎も意欲もない子たちにそのような習慣をつけたり実力を伸ばすことは難しく、恐ろしく手間のかかることであるので、素人の大学生ではできないどころか、我々プロでも難しいのです。もしそれを大学生講師でできているのだとしたら、それは運営がアルバイト代では見合わない大学生講師の善意や努力を搾取しているだけの構図だと思います。)

嚮心塾ではこの①〜③のどれをも採用していません。やる気のない子も、やる気のある子と同じように、こちらからその可能性を諦めることはなく、徹底的に努力します。たとえば今年の事例だけで言っても

「塾の前まで車で送られても、そこからさぼってしまうようなやる気のない子をお母さんとメールのやりとりを密にしながら(年間1000通以上はやりとりしたかと…)塾の周辺で隠れているところを探しに行く」
「生徒がさぼってないかどうか、生徒のtwitterの書き込みをチェックする(それで「午前中はリスニングしてます!」というサボりを見抜きました!)」
「どうしても来れない再受験生に何度もメールでやりとりをする」
「学校の勉強をしたくなくて放校されそうな子とも何度も話し合う」
「生活リズムが崩れて夜型になっては勉強時間がとれない子のためにどのように生活リズムを作るか様々な提案と試行錯誤をする」

などなどです。もちろん勉強に意欲を持てない子たちに、どうして勉強を今するべきかを話したり、その他進路相談、人生相談、恋愛相談、家族についての相談、などを挙げたらキリがありません。反ワクチンの考えをもつ子ともワクチンを打つべきかどうか議論したりもしました。勉強だけ教えていれば済むのなら、業務量がそれこそ10分の1くらいにはなる気がします。。

こうした「手間のかかる」子達、しかも合格実績という「成果」を見込めない子たちに対しても、こちらがフルにコミットし続けるという覚悟を持ち続けるための動機の一つとしてやはり「規定のお月謝を払って頂いているから」ということが僕には必要です。それは僕の不徳のなすところであり、「割引していようと、何なら無料塾であれ、ボランティアであれ、普段から偉そうなことを言ってるんだから、そのようにフルにコミットすればいいじゃん!」と言われたらそのとおりなのかもしれません。

ただ、ここには徳の低い人間なりの理屈がありまして、たとえば手塚治虫先生のブラックジャックでなぜブラックジャックは高額な治療費をとるのか、ということにも通じるものがあると思っています。人が覚悟を決めるのは、相手が覚悟を決めることに対してのみである、ということですね。相手が覚悟を決めていないのにも関わらずこちらが覚悟を決めたとしてもそれでは何も伝わらない、ということに陥りがちです。

あるいは僕の敬愛するジャン・ジャック・ルソーの言葉を借りるのなら、『人間が自ずから善をなすとき、そこに徳は存在しない。人間が自らの弱さ、汚さに抗してそれでも善をなそうとする時、徳が存在するのだ。』という言葉もここと関係していると思っています。「有徳な人」というのは誰にも彼にも一方的にgiveだけを為す人ではないと思っています(それは押し付けがましい人、もしくは自分が優位に立ちたい人です)。相手の「徳」に対して自分も「徳」で呼応せざるを得ない人のことを僕は(自らの弱さに打ち克とうとするという点で)「有徳な人」だと思いますし、それはまた規定のお月謝をお支払いいただく、という「徳」に対してこちらも「どこまでも面倒を見る。決して諦めない」という「徳」で応答し続けたいと思う理由でもあります。自身が(ある限定的な局面で)一方的なgiverであること(それは他の局面では一方的なtakerであることに支えられていることが多いのだと思います)よりも、自身がこのように「有徳」であり続けることの方が難しいのでは、と年齢を重ねた今は思っています。

話が色々飛びましたが、その点でも規定のお月謝をいただく、ということもまた、こちらから変えるつもりはありません。
それは「覚悟」に対して「覚悟」を呼応できるのか、ということが問われる本質的な事態だけが僕にとっては大切なものであると思うからです。その点についてはご理解いただけるとありがたいです。

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塾の月謝についての考え方(その1)。

今年は合格者(=卒業生)が多くて、塾の経営がヤバいです!!いっぱい宣伝しなければならないのに、こんなめんどくさいことを書こうと思ってしまう自分が恨めしい。でも書かねばならないので書いていこうと思います。

嚮心塾ではいわゆる「特待生」「スカラシップ制度」というものを設けておりません。なので筑駒や開成や桜蔭で一位だろうが、それどころか全国一位だろうが、高2のときに理三A判定だろうが高3と混じって全国一位だろうが、規定のお月謝を払っていただきます。ここに関しては僕が塾をやる限り、今後も変えるつもりはありません。なぜならこれは、僕が塾をやる意義と直結しているからです。

対照的に多くの予備校ではこうした制度が充実しています。「東大の点数開示である程度高得点を取れていれば無料!・もしくは大幅割引!」とか、「医学部1次試験を突破していれば大幅割引!」とか、予備校や塾ならやっていますよね。このような制度が蔓延するのは当然の理屈で、ほとんどの受験生や親御さんは「合格実績」しか見ないので、このように「そもそも実力があるけれども惜しいところで落ちている子」というのは、来年の合格実績を稼いでくれる宝の山であるわけです。こうした子をいかに確保しては通ってもらえるかで次年度の「合格実績」が大きく変わってしまいます。そこで多少ディスカウントしたとしても、その子が稼いでくれる「合格実績」を信じて、箸にも棒にもかからない「カモ」がたくさん通ってお金を落としてくれればよい!という計算です。非常にあざとい戦略だとは思いますが、ビジネスとしてはとても合理的です。そもそも(その2で後述するように)勉強のできない子を難関大学受験で合格できるレベルまで鍛えるのは、塾や予備校側にとってはとてつもなく、本当にとてつもなくコスパの悪い仕事であるからです。

もちろんこのようにきっかけとしては安いというだけで予備校や塾に通ってもらったとしても、そこでの講師の先生の授業はそれは一流どころを揃えているでしょうから、通ってみれば「あの先生の授業のおかげで実力が伸びて受かりました!!」と合格体験記で書けるでしょう。「本当に○○ハイスクール(塾/予備校)のおかげです!」と言えないこともない。しかし、それはその塾や予備校の実力と言えるのかは僕は疑問だと思っています。あくまで、

「経営戦略上、優秀な生徒をタダや安く通えるようにしたら、その子達は元々優秀なのでやっぱり東大とか医学部に合格した。もちろん、その子達が満足するだけあって講義の質は高い。その合格実績に夢を見て集まる「カモ」達の授業料でしっかりと講師の質を担保しているので。」

というだけのことにすぎません。

さて、実はこのような手法は大手だけでなく、小さな塾でもやろうと思えばできます。特に嚮心塾はそこそこ東大も(理三含む通算4名!)も国立医学部(蹴った子も入れれば9名!阪医だけで通算4名!)も私立医も早慶もたくさん合格してるので、やろうと思えばそうした「合格実績」をエサにして優秀な子に「うちだと安く通えますよ〜!(まあ、元々だいぶ安いとは思うのですが…)」という制度を用意するだけでそれなりに集まってくると思います。そして、それを「エサ」として「ここなら今は成績悪い自分でも、もしかして東大や医学部受かるのかな…」と夢を見た子たちを半永久的に搾取することも、もう可能な状況になっていると思います。

しかし、そんな塾ってこの社会において何か存在意義ありますかね?
元々東大に僅かな点差で落ちてる子を次の年に合格させるだけしかできていないのに、どうにも間に合わない子にも「君でも間に合うよ!」と嘘をついて月謝をかすめ取る、なんて有害でしかないし、何より社会にとって何も生産的ではないと思います。そもそも東大に僅差で落ちる子は早慶には受かるわけで、その子が東大に行くか早慶に行くかなんて生涯年収で見ても大してその子にも社会全体にも変動を与えません。それを「実績」として誇っては、学習の基盤がなくて本当に教育が必要であり、かつその子達が勉強ができるようになり難関大学に合格することがその子達の人生にとっても社会全体にとっても大きな生産性やrevisionの機会を作ることになる子たちを鍛えることを諦めた仕事なんて、僕は存在意義のない無意味な仕事だと思います。そんなことに一度しかない人生を一秒たりとも費やしたくはないとさえ思います。(と言っても、そのように勉強が苦手な子たちを鍛えていくのは本当に至難の業ではあるのですが。。)

嚮心塾の合格体験記を読んでもらえば、ほとんどの合格者が最初はどうしようもない状態から始めて合格に至っていることがよくわかると思います。もちろんこれは勉強ができなかった受験生の全てが必ずうまくいっている、ということでは全くありません。また、最初からそこそこできた子が足りない部分を補った結果としての合格、というケースもあります。しかし、うまく行かなかった子もうまく行った子も、ゼロから始めた子も足りない1ピースを求めて来た子も、そのどの塾生に対してもその子達が合格するためのプランと戦略、指導において手を抜いたことはありません。どのような状態の子に対してもこちらにできることに見落としはないかを必死に悩み考え抜くこと、本人以上にそれを悩むことにしか、塾を続ける意義などないのではないか、と考えております。そして、その「どのようなレベルや状態の受験生に対しても徹底的に仕事をする」ということのためには、人間のできていない僕にはお月謝をいただくことが必要です。お月謝をいただく、ということはこちらの決意表明でもあると思っております。

「優秀な子だけ囲い込めばしっかりカモは集まるので、経営的にはうまくいくじゃん!」という悪魔のささやきに耳を傾けることを自分に許さずに、「毎年結果を残さなければ塾が存続しえない」ための自転車操業と背水の陣を続ける毎日です。その点について、ご理解いただけたらと思います。(長くなりましたので一旦切ります。その2に続く。)

(一方で、「その理想は良いとして、弾力的に運用して経済的に困窮している子には力になってあげればいいじゃないか!」という主張もあると思います。これまでもその子の成績にかかわらず、本当にお月謝が厳しい場合には相談して様々な形で対応してきました。しかし、これもやるべきだったのかどうかかなり悩ましいと今は反省しています。その子達の人生においては大きな支えとなるものを得られたとは思いますが、僕自身、たとえばお月謝をいただいているご家庭とそうではないご家庭とで本当に指導の質に変わりがないといえたのか、と言えばあやしい部分もあります。やはりそこまで僕自身が人間ができていない、というところです。

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2018年度講師紹介

今年度は3人の卒塾生の先生に塾で質問に答えていただきます。その先生方をご紹介します。

K・K先生(東京農工大学農学部3年生)   水曜担当 (指導科目:英・数・生・化) 
(自己紹介)
東京農工大学農学部応用生物科学科3年生です。大根踊りはしません。生物と化学が比較的得意です。英語は頑張って勉強します。無害な見た目なので気軽に話しかけてください。また、応援が必要な時は呼んでください。元気になるまで励まします。本当に無力な私ですが、少しでも力になれれば嬉しいです!よろしくお願いします。
(塾長からの紹介)
K・K先生は高校生の頃から元々とても優秀だったとは思うのですが、それを持て余しては努力の方向性を見失っている印象を初めは受けました。しかし、塾で一年間学ぶ中で、極めて謙虚に自らの足りないところを埋め続けていきました。その謙虚に努力をする姿勢が結実して、センター試験では塾の11年の(実力のある受験生の多い)歴史の中でも、歴代で最高点近くをとるほどに、力をつけました!その謙虚に努力を続ける姿勢で、皆さんの悩みや疑問に対しても真摯に取り組んでくれると思います。

O・S先生(東京医科大学医学部医学科3年生)   (指導科目:英・数・物・化)  
(自己紹介)
私立医学部専願だったので、文系科目は全くできません。高3の夏休みを数学に使い、冬休みから無機化学や熱力学に手を出すというなかなかな破綻ぶりの受験だったので、勉強や受験に対する上手いアドバイスが出来るとは限りませんが、相談や質問には一生懸命答えます。気軽に質問しに来てください。よろしくお願いします。
(塾長からの紹介)
O先生は高1の終わりに入塾してくれましたが、入塾当初は緩みに緩みきっていて、Battlefieldというゲームの世界から現実というフィールドに彼を復帰させるのにとても苦労しました!しかし、そんな彼もだんだんと(まずは好きな科目から)受験勉強に真摯に取り組むようになり、医学部現役合格を無事に果たすという離れ業を見せてくれました。他者の痛みや悲しみも自分の痛みや悲しみとして感じることの出来る(外見のチャラさからは想像の付かない)素晴らしい人格があったからこそ、目の前の受験にも彼は真摯に取り組めたのだと思っています。その姿勢で皆さんにも接してもらえたら嬉しいと思っています。

I・M先生(東京大学教養学部理科1類1年生)   (指導科目:英・数・物・地)
(自己紹介)
物理と地学が好きです。化学は勉強中です。質問に対して完璧な答えをすぐに出すことができるかどうかはわかりませんが、みなさんが納得できるまで一緒に考えたいと思いますのでよろしくお願いします。私にできることなら何でも役に立ちたいので、いつでも相談、質問してください。
(塾長からの紹介)
I先生は好奇心旺盛で向学心が強い反面、自分が興味を持ちづらいことに対しては自分を鍛えたがらないという傾向が当初はありました。それを浪人生活を通じて克服しようと懸命に努力を重ね、それが学力にも結びつき、余裕を持って合格できるだけの力がつきました。勉強だけでなく、他人の痛みや苦しみがとてもよくわかる理解能力の高い先生であると思います。是非何でも相談してもらえたら嬉しいです。

以上の3名の先生方です。いずれもただ優秀なだけではなく、人の心の痛みがよくわかる先生方だと思いますので、是非質問したり相談してみてください!
                  2018年3月14日  嚮心塾塾長 柳原浩紀

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開塾10周年にあたって。本当にありがとうございます。

ちょっと気が早いのですが、書こうと思っていてバタバタして書けないとまずいので、早めに書きます。

今年の5月1日で嚮心塾も開塾10周年になります!
塾を開いた当初には、2年もつかなあ、という状態でしたが、まさか10年間も続けることができるとは思いませんでした。これもひとえに、僕の才能とたゆまぬ努力のおかげです。ありがとうございます。

という自称「天才」芸風を(「天才プログラマー」やねうらおさんのように)維持したいのですが、この10周年という節目に関しては、やはりそのように茶化して終わることができません。こんな変な塾が10年間も続けることができたのは、ひとえにこんな変な塾をご紹介頂いた卒塾生並びに卒塾生のご父母のお陰です。そのことに関しては、本当にいくら感謝しても感謝しすぎることはありません。本当にありがとうございます。

なぜ(僕らしくなく)しおらしく書くかといえば、「嚮心塾を他のお父さん・お母さんや友達に紹介する」ということのとてつもない難しさを想像するからです。まず、名前で引かれます。「嚮心塾」という名前だけ見せられたら、どこの怪しい団体かわかりません。次に「月謝が安くて全教科教える」というのがかなり怪しい塾のパターンです。この市場経済においては「高品質のものは高価格である」という刷り込みを皆が受けている以上、「全教科指導して月々2、3万円」というのはまず間違いなく詐欺のパターンです(詐欺じゃありませんよ、念のため。)。さらに、塾のホームページというものがありません。ネット上ではこの貧弱なブログのみ、しかも塾の仕組みや様子について(「今日も受験生が頑張ってます!」的な内容)よりは、僕が考えたことについて書き散らしているだけのブログです。この時点で、紹介を受けた多くの人が断念するのではないでしょうか。
 
さらに、塾に実際に来るとすればそれはそれで、ますますハードルが上がります。まず、嚮心塾は塾の看板を出していません。以前は出していたのですが、今はもうやめました。さらに、塾の中に入ればお世辞にも綺麗とはいえない環境です。もちろん、塾の子達がみんな懸命に勉強している姿はある意味で壮観であるとは言えるでしょうが、それに気づく前に嫌になってしまう親御さんやお子さんも多いと思います。

自分で書き並べてみると改めて、商売をする気があるのか、と気づかされるひどさですが、このような塾をお友達に勧めるのは、とてつもなく勇気がいる行為であると思います。下手したら友達をなくすレベルです。しかし、そのような卒塾生やそのご父母の皆さんの勇気あるご紹介があって初めて、こんな塾も10年間続けることができました。もちろん、このような奇妙な塾にしているのは、僕自身の確信犯的な行為でもあります。その僕のわがままを、仕方がないな、と思いながらも見捨てずにいていただけたことに対しては、今回のように言葉にしないまでも、片時たりとも感謝の念を忘れたことはありません。本当にありがとうございます。

愛とは比較可能なものではなく、唯一無二のものです。たとえば、様々な条件を比べてこれがより良いな、と思ってそれを選んでいるうちは、それは愛ではなく打算であるのでしょう。嚮心塾を始めるにあたって、「どのような生徒がどのように困っていたとしても受け入れる」という覚悟で塾を開いた以上、僕は塾生の一人一人を(東大・京大や医学部に入りやすいから、あるいは逆に勉強のできない子を選ぶ方が商売としてニッチを満たすものになるからなどという理由で)「選抜」することを放棄しました。その意味では、どんな塾生も「愛する」ことを選んだ、と言えるでしょう。塾に通う子にも同じ姿勢でこの塾を選んでほしい、とまでは贅沢を言いませんが、嚮心塾の様々な短所に気がついたときに、短所が存在するという理由だけで長所に目を向けない子よりは、様々な短所があるとしてもこの塾の長所は自分にとって大切なのではないかと思って嚮心塾を選んでほしい、という思いは変わらず持ち続けています。そのような決意は、一人一人の子供達にとって、何かを愛するという行為の端緒であると思うからです。幸福な子供時代を過ごした子供達にとって、これからの人生は長く、厳しく、辛いものであるからこそ、その中で自分が大切にしたいと思うものを守っていく覚悟を鍛えていく場でなければならないと思っています。嚮心塾に通うことを選ぶ、ということそのものが一つの教育的効果をもたなければ、そこでなされる教育がいかに意味があろうと、無意味であると僕は考えています。

そのような教育の場をこの10年間維持できた、ということ自体が僕には一つの奇跡であるように思えます。もちろん、これから先にどうなるかは全くわかりませんが、初心と感謝の気持ちを忘れずに、もっと精進していきたいと思います。本当にありがとうございました。これからもまだまだご迷惑をおかけすると思いますが、それに少しでも報いることができるように必死にやっていきたいと思います。

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寺子屋形式の塾の良いところと悪いところ

 寺子屋形式の塾が今、見直されているようです。嚮心塾でも、2005年の開塾以来その形でやっております。「こうしなさい!そうすれば、成績が上がる!」と一律に言って聞かせるのではなく、一人一人の生徒が自分で勉強を頑張ろうとしていく中で、どうしてもぶつからざるを得ない困難を、その困難にぶつかる度に助言し、一緒に乗り越えていこうとするという教え方であるのが、この寺子屋形式の良いところであると思います。自分がわからなくて困っているという自覚があるからこそ、それを懸命に聞くことで身につけようとする、というこのやり方は相手が分かっていても分かっていなくても「ここが大事!テストに出るからね!」と押しつけるよりも、学習効果は遙かに高いと思います。また、学習に関する意欲もあきらかに違って、みんな勉強をしに、塾に通ってくれています。
 寺子屋形式の悪いところとしては、そもそも「勉強を頑張ろう!」と思っていない子にはどうしようもない、という点があげられます。「勉強しなきゃいけないんだけど、でもわからないしなぁ。」というお子さんには効果があるとしても、「勉強なんてやってるふりしてればいいんだ!うるさい親にばれなきゃいいんだ!」と思っている子には、そもそも自分が勉強をできるようになりたいとは思っていない以上、自分の出来ないところをうめていくことは苦痛以外の何者でもないからです。このようなお子さんには、そもそもこの「学校歴社会」の日本で勉強をしないで生きていくということがどれほどの困難を伴うものであるのかを理解してもらうことが必要となります。それを理解した上で、あえて困難な道を選ぶのであれば、それは勇気あるすばらしい選択になるかもしれません。しかし、たいていの場合、勉強を拒絶する子は、楽な道を選んでいるつもりで、実は一番困難な道に入らざるを得なくなってしまっている場合が多いようです。そのことを丁寧に言葉を尽くして、リアリティーをもってもらうことで、勉強に対する動機をもちにくい子にも勉強をしていく姿勢を伝えられるとよいと考えています。

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嚮心(きょうしん)って何?

と、よく聞かれるのですが、これは僕の作った造語です。「嚮」は「向」の旧字体で、「(自分の)心に嚮(む)きあえ!」という意味を込めて、このような名前にしました。僕もまた、自分の心に嚮(む)き合うことを通じて、一人一人の塾生の心、そのすばらしいところともだめなところとも、嚮(む)き合っていきたいという決意も込めています。

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塾の概要

塾の概要について

嚮心塾(きょうしんじゅく)とはこんな塾です。

○塾のスタイル…小中高大個別指導
・一人一人に今必要なことを考え、計画を立てて提案し、一緒にがんばっていく塾です。
・いつでも塾に自習に来て頂いてかまいません。勉強のベースを塾において頂くことで、 一人一人の苦手な点をこちらがより深く理解することができ、指導に活かしていくこと ができます。
・「いつでも来て勉強していい」というのは、自己管理が苦手なお子さんには難しいもの です。ですから、初めは相談して「週に何回、一回何時間」のように決めております。 それを続ける中で徐々にペースアップをしていけるように指導しております。
・塾長と、嚮心塾の仕組みを良く理解した卒塾生のみの大学生講師が教えております。一人一人の勉強の質や量、ペースや定着度に関しては、塾長がすべて把握し、計画を立てています(2013.4.10改訂)。

○お月謝
・入塾金が20000円です。(一家族につき一回です)
・お月謝 非受験学年       月26000円
     受験生の小6・中3・高3月36000円
     浪人生         月40000円とさせていただいております。(この他に教材費等はかかりません)     (2018年3月分より改定)

○開塾日・時間帯
平日は13:00~21:30、土日祝日・夏期冬期春期など長期休み時は10:00~18:00で開けています。※火曜日を定休日にしております。その他に1ヶ月に1日、土または日曜日にお休みをいただいております。

○無料入塾(一週間)
入塾の前にまず塾に無料で一週間通って頂くことが可能です。塾のことをよく知って頂き、本当に納得した上で御入塾いただきたいと考えております。また、納得して頂けるはずのものがあるのではないか、とちょっぴり自負もしております。

一人一人のお子さんにとってどのような指導が最適であるかは、本当に難しいことです。しかし、その困難さゆえに、教える人間が自分なりの勉強の仕方のみを提示するだけで終わるのではいけません。一人一人にとって何が必要かをその都度考え抜くことから、コミュニケーションが始まるような場でありたいと考えております。

※お問い合わせはお電話にて、または直接お越しいただいても結構です。
※指導の質を落とさないためにも定員に達し次第、入塾をお待ちいただくこともあります。その旨ご了承ください。

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