
そこで!今回からは特別に、塾をひらくときに考えていたけれど、結局使わなかった塾のキャッチフレーズをいくつか書いていきたいと思います。
今回は最初に考えて気に入っていたこの言葉です。
「嚮心塾は、あなたたちのα(アルファ)であり、ω(オメガ)でありたい。」
もちろん、元ネタは新約聖書でのイエスの「私はあなたたちのαであり、ωである」ですよね!
この意味を勝手に解釈すると「私はあなたたちにとって、信仰や真理の探究のはじめのきっかけとなる(つまりこれが「アルファ」)だけでなく、あなたたちが信仰や真理の探究を長く続けていく人生の中で最後に辿り着く終着点(これが「オメガ」)でもある。」という意味でしょう。
嚮心塾も生徒たちにとって、そういう存在でありたい!何かについて真剣に考えたり努力をしたり、という初めてのきっかけであるというところから生徒一人一人が真剣に努力を重ねて生きていく中で、もっと年を取っていったときに「あ、やっぱりあのおっさんの言ってたことは結構正しかったな。」と思ってもらえるような塾でありたい!という思いを込めて、このキャッチフレーズを考えたのですが、また、その後の経過を見てもそれこそ東大や医学部受験(「オメガ」)から、勉強自体が手につかない子の指導(「アルファ」)まで、嚮心塾の別の側面も表していて、なかなか良いと思うのですが、いかんせん、ちょっとこれをキャッチフレーズにする勇気は僕にはありませんでした。
塾がつぶれるかどうかも不安ですが、そもそも始めるにあたってパクリの言葉ってどうなの、というのもありますし、何より「嚮心塾」という感じの並びがそもそも怪しいのに、さらにこんな怪しいキャッチフレーズとか、もう、ちょっとお腹いっぱいすぎる感じです。
ということで、このキャッチフレーズ自体は使わなかったですし、こうやって書いてしまった以上今後もおそらく使いませんが、この思いというのはたえず僕の中で持ち続けてきたものです。
僕は生徒たちに、僕や塾のことなど軽く打ち捨てて次のステップへと進んでもらえればよいです。そもそも受験産業に関わる人間などそれが宿命ですし、それが嫌だからといってカリスマぶる先生もいるでしょうが、僕はそういう努力は感情的にはわかるものの、まあ無意味なことだと思います。たとえば、僕が卒塾生に「大学行ったり、就職したり、いろいろな大人と話してきましたが、やっぱり柳原先生以上のすごい人はいませんでした!」と言ってもらえるとして、その僕のすごさが(仮にあるとして)、その子にその時点で伝わるようでは僕はそれほどすごくない、ということでもあります。まあせいぜい、γ(ガンマ)かδ(デルタ)くらいでしかない、ということであるのです。
僕にとって僕の師匠は、自分がもがき苦しみ、その中で工夫を重ねれば重ねるほどにその師匠の苦闘の意味がよくわかってくる存在です。あるいは本によってその足跡を感じる先人たちもまた、同じです。そのような人たちのすごさを僕が勝手に「わかった!」などと言えば、何をわかったのか怪しいものでしょう。そのように決して容易には分かり得ないような実在に、自分もなっていけるようにもっと努力を重ねていきたいと思います。
他者に評価されなければこの市場経済の中では生きていけないにもかかわらず、他者から短いスパンで評価できるレベルのものは、あまりたいしたものではない、というこの矛盾こそが若い時の僕が悩んでいた問題であるのですが、その両立を目指してやっていくというその困難な試みがとりあえず10年はもった、ということを改めて感謝するとともに、「塾自体、すなわち僕自身が所詮ガンマかデルタくらいでしかないから10年もってしまった。歴史に残るような場を作りたければもっと先鋭的にならなければ!」という反省も込めて、もっともっと精進していきたいと思います(つぶれそうになったら、だれか止めてください!)。
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