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嚮心(きょうしん)塾日記

西荻窪にある、ちょっと変わった塾です。

はじめまして。

東京の西荻窪で小さな学習塾をしております。今までインターネットには手が回っていなかったのですが、これからは、日々のこと、塾のこと、教育のこと、読書のことなどを不定期で書いていきたいと思います。興味を持っていただけるとうれしいです。また、お悩みのことがありましたら受験のことでもそれ以外でもメールを通じて相談していただければ、微力ながらアドバイスをしてお力になりたいと思っております。
このブログには様々な内容を書いておりますので、興味のあるカテゴリごとにお読みいただければ有り難いです。

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「努力」に逃げ込むな。

 今年度の入試も終わりました。結果は悲喜こもごもではありますが、どのような結果であれ、一年間の自分の努力の結果であるので、それを受け入れて次のステップへと進んでほしいと思っています。

 自分にとって辛い結果の受験になってしまえば「努力しても報われない!」とついつい思ってしまうかもしれません。しかし、受験に長く関わる以上断言できるのは、努力は必ず報われる、ということです。だからこそ長い時間勉強してもうまくいかない理由は、ある(自分にとっては取り組みやすい)努力をすることで、(自分にとっては取り組みにくい)努力からは目を背けているからであると言えるでしょう。このような受験生の場合、長い時間勉強するという「努力」は、本当に自分にとって必要なものへと目を向けてそこを苦手でも埋めていくという努力をしないがための逃避手段となってしまっているわけです。

このように受験勉強は正しくやらなければ力がつきません。そして、受験勉強において「正しい」方向とは、どれだけ自分の苦手なことから目をそらさずに埋めていこうとしていけるか、です。ここにおいては、どのように優秀な受験生であっても、受験生という不安な立場の中で正しい判断をできないまま、自己満足に陥りがちです。その結果が入試において残酷にも出てしまう、ということが多いのだと思います。
だからこそ、受験生が正しい方向の努力をできるように、嚮心塾では日々一人一人について悩み抜いて指導しています。一人一人の受験生が鍛えるべきポイントから外れていないか、仮に今外れているとしてそれをどのように納得して修正してもらえるか、ということを考え、提案をしていきます。もちろん、こちらのアドバイスを最初から全面的に取り入れられるようなお子さんであれば最短距離で勉強ができるわけですが、多くのお子さんは既に勉強してきた方法に固執したり、根拠のない俗説を信じていたり、となかなか虚心坦懐にアドバイスには従っていただけない場合が多いからこそ、生徒と僕との信頼関係の中で、どこまでは伝えうるかを絶えず測りながら、彼ら彼女らの直すべき核心へと踏み込む瞬間を準備しています。

生徒たちの現実から目をそむけるための努力を、厳しい現実へと立ち向かうための努力に変えられるように。そのためにのみ、嚮心塾は存在すると思っています。そのような研鑽の場としての嚮心塾に是非学びに来ていただけることを心待ちにしております。
                               2019年3月10日 嚮心塾塾長 柳原浩紀

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2019年度入試結果(確定版)

             2019年度合格実績      確定版
       
<大学受験>
(国公立大学)           
北海道大学医学部医学科           1名(進学先・第一志望)
東京医科歯科大学医学部保健衛生学科看護学専攻1名
                 
(私立大学)
北里大学医学部医学科              1名(進学先)
立教大学経済学部                1名(進学先)
青山学院大学文学部               1名(進学先)
中央大学商学部                 1名(進学先)
共立女子大学国際学部              1名(進学先)
明治薬科大学薬学部(特待合格)         1名(進学先)
埼玉医大医学部医学科              1名
岩手医科大学医学部(1次合格)         1名
東邦大学医学部(1次合格)           1名
東京医科大学医学部(1次合格)         3名
杏林大学医学部(1次合格)           1名
聖マリアンナ医大医学部(1次合格)       1名
立教大学文学部                 1名
学習院大学文学部                1名
成城大学法学部                 1名


<高卒認定試験>
全科目合格                1名

<高校入試>
立教英国学院               1名(進学先)
桐朋女子高                1名(進学先)
国学院久我山高              1名
西武文理高                1名

<中学入試>
海城中                  1名(進学先)
武蔵野大学中               1名(進学先)
桐朋中                  1名

大学受験生15名(うち国公立受験生6名、医学部受験生8名)、高校受験生2名、中学受験生2名での結果です。彼ら彼女らがこの1年を真剣に悩みながら頑張った結果ですので、どの受験生のどの結果にも誇りをもっています。
                             2019年3月10日 嚮心塾塾長 柳原浩紀

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4月21日、嚮心塾で前田斜めさんの流し芝居が観られます!

ヤバイ!春休みめっちゃ忙しいです!

塾でも新しい子が多く、勉強が軌道に乗るまで忙しいのですが、それに加えて間近に迫った引越の手続きの諸々、さらにはその他の仕事(どくんごの場所取り交渉、その他生徒以外の相談ごと)が多く、気がついたらもう4月5日。「みんなの『どうせ毎日書くとかいってすぐに飽きるだろ。』という期待を裏切って4月も毎日ブログ書くぞー!」とひそかに決意してたのに、あっという間に時間が経ってしまいました。。

ということで慌てて告知なのですが、来る4月21日17時〜嚮心塾で、前田斜めさん(2013,14,,16の元どくんごメンバー「ちゃあくん」)の流し芝居が観られます!10分間の短いお芝居で、塾生以外は投げ銭制ですが、もし興味のある方は是非!

塾生を連れてどくんごを観に行っているときに、塾生の一番人気はこの前田斜めさんでした。
本当に素晴らしい役者さんであり、今も様々な実験的な芝居を普段は松本市でされていて、東京に住む方はなかなか観に行けないと思うのでこのチャンスを是非お見逃しなく!

毎年塾で観に行っている劇団どくんごはもちろんとして、マタヒバチ、ベビー・ピー、そしてこの前田斜めさんと、とてつもないセンスと知性のある方たちが、とてつもない努力を積み重ねに積み重ねて、そして自前の舞台や芝居をやっている、というこの事実の重みというのを、知れば知るほどに感じるようになります。この社会には様々な「仕事」があって、それらの仕事は「世の中に必要とされているからお金が入る。」という建前にはなっているのですが、中には「世の中にさして必要でなくてもお金が入りやすい」仕事もあれば、「世の中にめちゃくちゃ必要だけれどもお金はあまり入らない」仕事もあるわけです。

「市場が完璧に機能して、社会にとって必要なものにはしっかりと利益が配分されるような世の中である」とナイーブに考えるのはあまりにも愚かしいと僕は思っています。それなのに「儲かっているということはこの仕事は社会にとって必要なことだ!」という類推を強制されるのは、本当に心外なところです(もちろん儲かる、ということは社会的に意義を見出しにくい仕事が多いからこそ、「自分の仕事は儲かってるから社会的意義があるのが伺えるでしょ?」という自信のない態度になりがちな人が多いのだとは思いますが)。

その中で、このように芝居に人生を懸けている方たちは、世の中にとって本当に必要な(とてつもなく必要で、この10分の芝居、あるいは2時間弱の芝居一つで人生への捉え方が変わるようなとてつもない)仕事をしながらも、それが社会からはなかなか金銭的に評価されにくい、ということになってしまっていると思います。これは端的に私達の社会のもつ大きな欠点であると僕は思っています。だからこそ、この素晴らしいものに人生を懸けて必死にやっている役者さんたちを応援したいし、それはまた彼らのためだけではなく、私達自身のため、この社会全体をよりよくするためでもあると思っています。

これはまた、僕自身のしている学習塾という仕事についても言えることで、「儲かっているから存在意義がある」わけでもないし、「儲かっていないから存在意義がない」わけでも全くありません。「儲かることよりも社会に意義のある仕事を。」というコンセプトで嚮心塾を作り、運営してきているわけですが、そうは言ったって「学習塾」という業種は、芝居をやるよりはまあ生活ができてしまいます。その点で、本当に素晴らしい芝居を人生を懸けて追求している方たちには、この社会に必ず必要ではあるけれどもしんどいことをして頂いていることに感謝以上に負い目を感じざるをえませんし、だからこそ何とか応援したいと思っています。

まあ、ごたくは良いのです!ともあれ、是非お近くの方は観に来て頂けたら!

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社会変革など起こし得ないとしても。

巷では『意識高い系」学生のカリスマ的存在が、実は東大卒と学歴詐称していた!という話題で持ちきりです。もちろんこの「意識高い系」学生の存在については、何も疑いも持たずに、かと言って大したこともやらずに、自分たちが優秀/やる気がある/社会貢献できると思っているものの、結局やっていることと言えば有名人との繋がりを作ろうとしているだけで、本当に空虚なものであることが多くの人にもよくわかったと思います。このあたりは小保内太紀さんのこの記事にもありますし、僕も全く同感です。(そもそもこの小保内さんは、そのような「意識高い」系の大学生が集まるG1サミットという、まあこれも軽薄なイベント(参加したことのある教え子もいるのであまり文句は言いにくいのですが…)へ小保内さんが参加した上で、いかにそこでの議論が薄く、内容がないのに参加している学生たちが全能感に浸っていることへの批判も前々からされていて、見識が高い学生さんもいるなあ、と感心させられたものです。もちろん、小保内さんのような批判ができる学生があまりにも少ないことこそが問題ではあります。)

そもそも「社会変革」「社会貢献」その他何でも自分や家族の糊口をしのぐ以上の仕事をしようとすれば、どのような「天才」であっても、もがき苦しまざるをえないだけでなく、目に見える成果などなかなか容易には出し得ないことなど、古今東西の先例を少し勉強すればわかります。たとえば明治期の日本を代表する知識人である中江兆民は、政府の不正や欺瞞を追及するはずの清廉な野党議員が貧しさ故に政府側に買収されていくことに苦慮した結果、彼らが買収を拒絶できるように売春宿を経営しようとして、結局失敗しました。彼のとった手段が適切ではなかったのかどうかについては議論の余地があるとは思いますが、彼が何とか社会を良くしようとしたこと、その上で必死にあれこれやっていたことは確かです。そして彼ほどの知の巨人であっても、その努力もうまくいかなかったこともまた。

僕自身も中3くらいには、自分と家族、友人くらいに範囲をとどめてその内部に貢献できるような人生など、自分のスペックであればまあ容易だな、と気づいていました。しかし、そこからがしんどかったです。そういった個人的な人生を享受するのではなく、少しでも社会貢献、社会変革に繋がるような「仕事(≠職業)」を自分ができるか、と何度自問自答しても、どんなに調べたり勉強したりしてもなお、自分の力では極めて不可能に近いとしか思えませんでした。「自分にできるかどうかを考えるのではなく、やらないと自分が死ぬ時に死んでも死にきれないから、やるしかない。。」と(馬車の車輪が直ってしまい、イライラしながら自己を滅ぼす道に向かう『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンのように)決意して始めてからもなお、今に至るまで、本当にうまくいかないことだらけで、悪戦苦闘の毎日です。

特に優秀な人々であったとしても、いや、優秀であればあるほどに、そのように自分一人の力ではこの社会は何も変えられないという事実に絶望した経験が必ずあると僕は思っています。時にそれは「もうそんな誰にも理解されない思いなど捨てて、自分と家族の幸せだけを考えていたい!」と思うほどに(バートランド・ラッセルが『My philosophical development』の中でそのように「絶望して人類への愛という方向性を諦めた」と誰か(ヴィトゲンシュタイン?完全に忘れました…。ググっても出てこないのでまた読み直します…)を批判していたと思います)。
そして、そのようにもがき苦しみながらも、それでもなお諦めずに努力している人々は、決して「社会変革」などという大仰な言葉を使いません。「自分が好きでやっていることだから。」「自分にはこの道しか選べないから。」などとそれを選んでいることがあくまで個人的な動機のように語ります。そのような姿勢においては「個人」と「社会」がつながっているわけですが、それよりも大切なことは、彼らは「社会変革」という理念が他人に共感を得られるとは毛頭思っていない、ということです。人間は保守的である以上、それが仮により良い方向への変革であったとしても、それをすぐに皆が理解できるわけがありません。

逆に「社会変革」というお題目を唱えれば信者を獲得してビジネスになる、あるいは何かしらの大義名分を得られることで少しは自分のパッとしない人生に彩りを与えることが出来る、と思ってしまう人ほどに「社会変革」を語りたがります。上に書いたように地道に努力し続ける人、社会変革への思いを「自らの動機」と読み替えて生きる人(これはすなわち、伝わらないものは伝わらない、あるいは語り得ないものは語り得ないという慎重な態度でもあります)が声高には語らないからこそ、「社会変革」を声高に語る人々に若い子たちは騙されるし、容易に飛びつき、そしてさらにはその自分たちの軽挙妄動を「失敗するチャンスがある!」などと自己正当化することになってしまいます。

そして自分一人で絶望的な努力を重ねる努力をする前から、「一人の力では足りない!」とわかったかのように「ネットワークづくり」へと走ってしまえば、有名人とツーショット写真を撮れば箔がつき、それを利用してあたかも「すごい人」であるかのように振る舞うことで、フォロワーを獲得してビジネスを回す、という(まあこれだけ書くと学生に限らないようにも思いますが)仲間づくりだけが目的の人間になってしまいます。

そのような行為からは、決して何も生まれません。仲間が必要だとしても、その仲間は大きな岩にトンネルを掘るかのような地道で報われずさらには成功するかどうかもわからない作業において、黙って一緒に穴を掘り続けてくれる仲間でなければならないのです。

漫画『暗殺教室』(本当に名作です!)の中で、「教師になる動機には自身の成功を伝えたい場合と自身の失敗を伝えたい場合とがある。」という名言がありましたが、大人が若い世代に対してできること、というのは僕は教師に限らず「自身の失敗を伝える」ということだけであるのだ、と思います。それも昔の失敗だけでは駄目です(それすらもできる大人は親にも教師にもなかなかいませんが)。絶えず取り組み、絶えずチャレンジし、絶えず失敗に終わる。これは、社会の問題点を変えようと必死にもがき、取り組み続けている人なら誰でも日々感じている繰り返しだと思いますが、それを若い世代に伝えていく、ということが若い世代にとっては一番の財産になると思います。それはまた、僕自身が子供時代にそのような大人に(親や教師を含めて)一人の恩師以外には出会えなかった、という自身の個人的な動機にも拠るものです。

だからこそ、今日も意味のあることを為せるように取り組み、今日も失敗し、その上でそれを伝えていきたいと思っています。若い世代の無知や無謀さを、諌めるだけで何もしないのでも、煽(あお)って利用して小銭を稼ぐのでもなく、ただただまずは自分自身が社会の課題だと思うものに、どんなに失敗しようとも無謀にも取り組み続け、「大きな岩」にもトンネルを掘るつもりで必死に戦っては、その失敗を若い世代に伝えていきたいと思っています。

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