のっけから、物議を醸すタイトルで申し訳ないです。なぜこれが物議を醸すかというと、「学校の先生によく言われるセリフ」ベスト1!は恐らく「定期試験を頑張ってきた子は受験も強い!」「定期試験の勉強は受験勉強の基礎!」であるからです。しかし、教えながら最近わかってきたのは、そもそも定期試験の勉強と受験勉強とは全く別の種目である、ということです。方向性の全く違う2つの努力がそのまま接続できるはずがない、ということに世の中の先生方や中高生も保護者の方も、あまりに無頓着であるので、とても危機感を抱いています。
具体的にどのように方向性が違うのか。定期試験というのは、狭い範囲の内容をチェックするためのテストです。なので、理解をしていなくても大体は繰り返し解いていればなんとなく答を覚えてしまいます。つまり、忘れることが前提にあるテストではなく、短期記憶で詰め込んだものを吐き出すことさえできてしまえば、高得点が取れてしまうものなのです(これは小テストも同じです)。
もちろん、それすらもやらないorできないで定期試験の成績が悪い子もいます。しかし、その子達に「定期試験の勉強を頑張りなさい!」と言ったところで、このような短期記憶をひたすら詰め込んで乗り切るだけの勉強をする以外の選択肢はとれません。つまり、そこで仮に定期試験の成績が悪い子たちが定期試験の成績が良くなったところで、その子達の受験勉強の実力には何一つ繋がっていきません。だとすると、定期試験の成績で生徒を叱り、少しでもそれを上げさせようとする先生方のすべての努力は、あまり方向性としては正しくない、ということになってしまっているのではないでしょうか。(ちなみに小テストが多い学校を「面倒見が良い」と勘違いしやすいのですが、小テストや定期試験はこのように「理解していなくても短期記憶でテストを乗り切ることが勉強なのだ」という極めてミスリーディングなメッセージを中高生に伝えやすい、危険なツールだと思います。その危険性について実施する側は自覚的でなければなりません。)
それに対して、受験勉強というのは範囲があまりにも広いので、基本的には忘れることを前提としたテストです。だからこそ、忘れていても思い出せるように、すなわち理解していて導出したり説明したりできることが不可欠になります。もちろん、すべてを導出できるような試験時間はないので、覚えること、練習して習熟することもとても大切です。しかし、それらの記憶もあくまで理解していて自分で再現できることが前提であり、それがしっかりとできた上で、どれだけ覚えられ瞬時に出せるか、という勝負になってきます。
つまり、定期試験の勉強を短期記憶だけで乗り越えたとしても、その積み重ねは決して受験勉強には繋がりません。なぜなら、それは少し時間が経てば忘れるだけでなく、忘れたら思い出すツールを一つも持たないような知識であるからです。すると、「定期試験の勉強を頑張れば、それが受験勉強に繋がる!」という方向づけはミスリーディングであることになります。実際には、「受験勉強に使えるように隅々まで自分で説明できるように理解を固めておくと、それは定期試験の勉強だけではなく受験勉強にも使える」というのが正しい方向づけであると思います。
「では、そのように定期試験の勉強をすればいいはず!それなら定期試験の勉強も受験に役立つから、やっぱりこの記事のタイトル自体がミスリード!」と思うかもしれません。しかし、定期試験の勉強は、基本的にはこのようにしっかりと理解して説明できるようにしていくことを構造的に阻害するような要素があります。それ故、定期試験で良い成績を取ろうとすると、このような「理解」を置き去りにしなければ到底間に合わなくなる、というのが多くの中高生が直面している現状です。
そのしっかりと理解することを阻害する1つ目の理由は科目数があまりにも多いこと、2つ目にはプリントや問題集、宿題があまりにも多いことです。科目数がとても多い定期試験では、当然ながら入試に必要な科目とそうではない科目があります。その中で
「すべての教科を頑張ってしっかりと点数をとる。しかも、それを短期記憶だけで点数を取るのではなく、主要教科についてはしっかりと理解した上で受験勉強の基礎となる勉強の仕方をしていく」
という勉強法で勉強することができるのは、端的に言えば極めて優秀なごく一部の子たちだけです。実際には、主要教科(英数国理社)全てでそれができることはまずありえず、受験に必要な科目、中でも英数だけに絞って理解をする、ということが殆どの中高生にとってはその状況の中での最善の選択になってきます。しかし、このやり方、即ち「定期試験の中でしっかり理解して勉強しなければならない科目と捨てていい科目を作る」ということ自体が学校でもご家庭でも理解を得にくいでしょう。
副教科なんて、自分に興味があるもの以外は進級できればよいのです。理科社会もそんなに頑張ってやる必要はありません。それなのに中高一貫校の中学生が「理科や社会の点数が悪いから、それを頑張らないと!」と先生や親御さんからのプレッシャーを真に受けて、悩んでいる姿もよく見受けられます。しかし、(個人差はあるにせよ)理科や社会など大学受験に向けても早くて高2から、普通は高3から始めればそれなりにできる科目です(もちろんどこを目指すかや理社の必要な科目数によって到達度が変わるので、それによって始めるべき時期も変わってきます)。
むしろ英語や数学が、ただ短期記憶だけで乗り切っていて定期試験の点数が高かったとしても、しっかりとした理解が伴わなければそれはすぐに抜けていくかりそめの知識でしかなく、受験では全く通用しません。だからこそ、「英数は学校の成績が良いのに、理社の成績が悪い。だから、理社を頑張って点数を上げたい!」というような、定期試験をベースにした目標設定の仕方自体がもし英数の理解度が低い場合には大きく間違っていることになります。このような誤った教訓を引き出しやすいのは、やはり「定期試験を頑張っている子が大学受験も強い!」という思い込みを大人たちが助長しているからであると思います。英数が定期試験で点数が取れているとしても、そこにしっかりとした理解が伴っていないのであれば、やはり英数をしっかりとやるべきであるのです。(「定期試験の勉強で高得点なら理解が伴っているはず!」という想定が、そもそも間違っています。たとえば
卒塾生のこの合格体験記にあるように、定期試験の問題というのはほとんどが使っている問題集の問題をそのまま出してくるため、極端な話をすれば解答を覚えるだけでも何とかなってしまうのです。。そのような無駄な時間を費やして、何一つ理解しないままに高得点をとる、ということができてしまうのが定期試験です。(もちろんしっかりとした先生方は、そうならないような試験問題を作ろうとしますし、またこれは多くの生徒を落第させないためには仕方がないところもあるのですが。))
2つ目の理由として、「そもそも主要教科やその中でもさらに英数に関して、学校の課す問題集やプリントがあまりにも多すぎる・難しすぎる」という理由があります。つまり、定期試験の勉強をしようにも、課されているものが多すぎ・難しすぎであれば、そもそもそれを理解する時間など到底作ることができない、ということになります。この場合は試験範囲とされる膨大な問題集を全てこなそうとするよりも、教科書の例題や問題集の例題に絞って、それをまず理解して説明できるかを徹底し、そこに引っかかりがなくなれば、初めて問題集を解く、ということが必要となります(それでも課されている問題集を全部解く必要はありませんが‥)。問題数が多ければ多いほど、それをこなそうとするあまり、理解して説明できるように、という余裕はどんどんなくなり、とりあえず解いて解答を見て覚えるだけになってしまいます。そして、理解を伴わない短期記憶で定期試験は乗り切れるものの、結果として受験勉強には何一つ役に立たない、ということになってしまいます。
まとめると、定期試験は科目数が多すぎるのと、主要科目に絞っても問題集でやらされる問題数が多すぎるので、それらを真面目にやろうとすればするほど、「理解しようとしている暇なんかない!!」というところに中高生は追い込まれて行ってしまうのです。だからこそ、このような定期試験の勉強をいくら頑張って良い成績をとっていても、受験勉強の力は何一つ身に付かないままに学年が上がっていくことになります。
さらにいえば、英語や数学は積み重ねの勉強です。だからこそ、こうした「理解しないまま短期記憶で詰め込む」勉強で基礎が出来上がらないまま、学年が進んでより高度な内容を学習すると、定期試験の勉強をいくら頑張っても高得点がとれなくなってきます。定期試験のための勉強では、やがて定期試験の点数すら取れなくなってきてしまうのです。
逆に英語や数学の勉強をコツコツと受験勉強を積み上げていくこと、理解をして説明できるものを少しずつ増やしていくこと、理解をベースにしてそれらのものを覚え習熟していくことは、それらの科目について定期試験のために勉強しないでも点数が取れるようになっていきます。(このことを僕は受験勉強は「貯蓄」であり、定期試験の勉強は「生活費」でしかない。というようによくたとえます。生活費をどれだけ圧縮して貯蓄を増やせるかが、結局は金銭的な自由度を上げますよね。)
中高6年間、あるいは高校3年間をとりあえず眼前の定期試験のために短期記憶で乗り切っては、結局何も受験勉強の実力がつかないままに終わってしまう子と、しっかりと理由を説明できるように理解しながら受験勉強の実力をつけてきた子ではその後の人生で使える自分の武器が大きく違う、という残酷な事実を想像してみてください。しかし、前者は「定期試験の勉強は受験勉強に繋がる!」という大人のミスリーディングなアドバイスとプレッシャーを真に受けて、誤った方向に努力を積み重ねてきてしまったのです(たとえば
別の卒塾生のこのような体験記もありました)。そのような失敗を子供達のせいにできるでしょうか。それは明らかに、大人の責任であると思います。
もちろん様々な工夫をされて、定期試験のための勉強を生徒たちの確かな理解に繋げようと努力されている優秀な先生方がいらっしゃることは僕も知っています。しかし、そうした素晴らしい、本当に頭が下がるような努力をもってしても、2つ目の理由(問題集や宿題が多すぎる)は回避できるとして、1つ目の理由(そもそも科目数が多すぎる)という構造的な問題を回避することはできません(また、「英語と数学だけしっかり勉強しなよー。理社とか副教科とかはやりたければでいいよー。進級できるぐらいで。」とはそのような熱心で優秀な先生方ですら、なかなか言えないでしょう)。そしてそれはまた情報科目の必修化のように、高校生の負担をより増やしていく、という愚かな方針ゆえにますます拍車がかかっていくと思います。
そもそも、「理解をしよう!」と思うためには心と時間の余裕が必要です。それを与えなければ、「時間がないからよくわからないままに覚える」とならざるをえません(これは我々大人もそうですよね)。中高生に考える時間を確保してもらえるように、大人たちが工夫をしなければならないのに、むしろ中高生の自由時間をどれだけ奪えるか、というようになってきてしまっていると思います。その結果起きているのが、理解をしないままに難しい問題まで解答を暗記することで定期試験を乗り切り、結果として受験勉強を浪人して一から始めなければならなくなる、あるいは高い内申を活かして推薦入試で大学に滑り込んだとしても、結局大学の勉強(それは当然高校範囲までの理解を前提としてなされるものです)についていけなくなる、といったきわめて由々しき問題です。
こうした悲劇を防ぐためにも、定期試験の勉強は本質的に受験勉強とは別の方向の努力であり、それは短期記憶で乗り切るだけのあまり意味のないことであることや、定期試験は究極的には(主要教科については)「試験勉強」をしないで受けられるようにしていくことが理想であり、「試験勉強」を理解もせずに短期記憶だけで努力していく先にはあまり未来がない、ということを多くの方に伝えていかねばならない、と思っています。